いわき・うぶすな広場だより

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片寄平蔵は江戸・横浜でどんな仕事を!!・・・片寄平蔵生誕200年記念講演会

2013-03-19 08:22:52 | いわきの歴史

横浜の」日本人居住区の地図より
拡大図は横浜の県立博物館にあります。
より詳しくわかる図ですが・・・・・


黒船来航時代の蒸気船。
当時の外国人の風俗。


諸用留(メモ帳)です。
これから研究する必要がある史料です。


イギリス・アメリカの数字の読み方が
諸用留(メモ帳)に残されています。
いわき人で初めて英語を?


諸用留はこんな風に書かれています。


井伊家との関係を示すことが書かれている。

先日
片寄平蔵生誕200年記念事業講演会
の4回目の講座は
夏井芳徳先生でした。

片寄平蔵は
横浜・江戸でどんな仕事をしていたのか?

講師は夏井芳徳先生

1)平蔵は横浜・江戸でどんな仕事をしていたのか?

 別紙、日本人居住区・旧弁天社周辺地図より
 (拡大図は横浜の県立博物館にあり「明石家平蔵商店」の形もわかります。
  このブログには載せられず・・・・・)
 ⑰象の鼻
 ⑱税関上屋
 ⑳町会所
 の⑳矢印の道の反対側(左手)に「明石家平蔵商店」はあった。
 ラトブの半分くらいの敷地35間2000㎡(内郷支所)くらいあったと。

 石炭なども保管されていた。

3)平蔵の諸用留・・・メモ帳(これから研究する必要あり。)

  ①英語の数字の読み方が書かれている
    ・・・発音が・・・いわき人ではじめて英語を学んだ人だっあのでは。
    (イギリス・アメリカ・幕府の順で石炭を販売)

  ②井伊家とのつながりを示す文章が書かれている。
    (取引をしていたので。)

  ③安政7年3月3日(1860年)の桜田門の変を
    一字一句書き写してメモに残した。
    暗殺者17名の名とともにどんな経過で井伊大老の籠を襲った事までも。

   事件1週間頃の3月10日頃に書かれている。
   驚くほど速い!!
   すごいネットワークがうかがえる。

結論:
なぜこのようなメモを晩年(急死する半年前)になり書いていたのか?

片寄平蔵に会って聞いてみたいと!!

今後
日記・諸用留(メモ帳)を研究することによってどんなことをしていたのか。
分かるのではないかと。
歴史は面白い。
推理小説の世界だ!!

 

 

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