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横浜の」日本人居住区の地図より
拡大図は横浜の県立博物館にあります。
より詳しくわかる図ですが・・・・・
黒船来航時代の蒸気船。
当時の外国人の風俗。
諸用留(メモ帳)です。
これから研究する必要がある史料です。
イギリス・アメリカの数字の読み方が
諸用留(メモ帳)に残されています。
いわき人で初めて英語を?
諸用留はこんな風に書かれています。
井伊家との関係を示すことが書かれている。
先日
片寄平蔵生誕200年記念事業講演会
の4回目の講座は
夏井芳徳先生でした。
片寄平蔵は
横浜・江戸でどんな仕事をしていたのか?
講師は夏井芳徳先生
1)平蔵は横浜・江戸でどんな仕事をしていたのか?
別紙、日本人居住区・旧弁天社周辺地図より
(拡大図は横浜の県立博物館にあり「明石家平蔵商店」の形もわかります。
このブログには載せられず・・・・・)
⑰象の鼻
⑱税関上屋
⑳町会所
の⑳矢印の道の反対側(左手)に「明石家平蔵商店」はあった。
ラトブの半分くらいの敷地35間2000㎡(内郷支所)くらいあったと。
石炭なども保管されていた。
3)平蔵の諸用留・・・メモ帳(これから研究する必要あり。)
①英語の数字の読み方が書かれている
・・・発音が・・・いわき人ではじめて英語を学んだ人だっあのでは。
(イギリス・アメリカ・幕府の順で石炭を販売)
②井伊家とのつながりを示す文章が書かれている。
(取引をしていたので。)
③安政7年3月3日(1860年)の桜田門の変を
一字一句書き写してメモに残した。
暗殺者17名の名とともにどんな経過で井伊大老の籠を襲った事までも。
事件1週間頃の3月10日頃に書かれている。
驚くほど速い!!
すごいネットワークがうかがえる。
結論:
なぜこのようなメモを晩年(急死する半年前)になり書いていたのか?
片寄平蔵に会って聞いてみたいと!!
今後
日記・諸用留(メモ帳)を研究することによってどんなことをしていたのか。
分かるのではないかと。
歴史は面白い。
推理小説の世界だ!!
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