ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

書籍、映画、旅、最新技術から選んだ心に残るもの。速読者向けは、青文字表示。内容は小学生でも理解できる表現使用

「甘い汁を求め、負ければさっさと去る」同朋・党員『ヒトラーの側近たち』

2024-08-23 07:51:12 | 歴史から学ぶ
政治には世界情勢を熟知し即決断力が必須であり、素早く行動する力も必須である、また信頼する人材・部下を注視し公平平等評価しなければならないということ。ナチ・ヒトラーの敗北は無謀な計画を短期に実現させようと軍律・軍精神を乱す要因となった。特にSS下の野蛮で卑劣な行動(安楽死政策・ユダヤ人絶滅)が管理ができなかったことが挙げられる。最期には国も国民全てを犠牲にしてでも戦えと言う脅迫的命令など無謀な策も多発した、事だろうか。更なる要因は、経済復興などの戦略的策は寄与したが輸入に頼っていた燃料不足は日本の敗北と同じ致命的な欠陥などもあった。現代でこの戦争からの学びは、「独裁者」(政治家)とは最後には自分の都合を考え、私利私欲に走る。往々にして従者・協力者(同朋・党員)も勝者と優劣を選択し最後には私利私欲に動くと言うことだ。よって選挙で選ぶ選挙権の重要性を国民は重要視すべきなのだ。個人的な意見としては、今の政治家の特権から政治家は全て「完全ボランティア」(無償貢献)で毎年数百億円の予算を抑えることができる。(2020年で1080億円の経費・1日@約3億円)
『ヒトラーの側近たち』大澤武雄
「概要」ナチスの屋台骨である側近たち。ゲーリング、ヘス、ゲッベルス、ヒムラー……。独裁者の支配妄想を実現、ときに強化した彼らは、なぜ、どこで間違ったのか。
ーアドルフ・ヒトラー(1889~1945)ナチ党(国民社会主義ドイツ労働党)
1921年連合側はドイツに対する賠償支払い金額2520億マルク(後に1320億に減額)を定めに対して抗議デモが各地で起こりミュンヘンでも2万人の市民でもが起きる(市民の憤慨理由)
ーナチ党(未来か没落か)を問い同志たちが立ち上がり議員の数を増やして一党、ヒトラーが党首になる、だが財政は火の車で上流階級への紹介(ピアノ製造会社のベッヒシュタイン夫人の支持支援)から有力者の支援に繋がり母代わりのホフマン夫人なども生涯気を配った
ヒトラーは天才的な演説力、説得力で数千人の徴収を集めた。性格的には口少なく、控えめで礼儀正しい青年だった事もあり年上の女性、夫人を魅了した。「独裁者になるために生まれてきた者は、自分から進んで独裁者になろうとする。ある民族を支配すべき天命を受けていると感じている者は、自分の使命を遂行すべき義務があるのである。私はデモについて全ての責任をただ自分だけで引き受ける」とデモの首謀者として逮捕されたヒトラーは裁判所でこの様に発言。指導者の原理は極めて明瞭であり、世界観闘争を実現しようとするヒトラーの下に参集する従者、側近・同志はいかにあるべきか、如何に振る舞うべきかにつき、疑いを挟む余地のない要求。指導者はそうした側近・同志の服従、協力、共闘によってのみ、闘争としての政治活動を拡大し、発展させ、積極的に勝利に導くことができるとした
ーエヴァ・ブラウン(1912~1945)ヒトラーの恋人で長い間内密にされヒトラーと自殺する寸前に結婚式を挙げ、それまでのメイド的役割を終えた。
ーヒトラーの野望(わが闘争)8千万人のドイツ民族の生存権構想は132万平米(ドイツの面積の4倍位)を目標に当方へ進出する4ヵ年計画を作成した。手始めは国会議員での第一党を目指すが、1929年ワイマール共和国が崩壊(外相シュトレーゼマンの急死・世界恐慌・ヘルマン・ミュラー内閣が倒れる)大統領によって任命されず内ゲバ、内乱が勃発。「国民防衛」「叛逆防止」など緊急令がナチ党を推し上げ、ヒトラーへの全件委任が可決する。それには反ユダヤ主義を前面に推し進めるニュルンベルグ法など、党首の偏見と憎悪に満ちた犯罪行動が進められた。ブロムベルグ国防大臣が任命され国防、軍事権を統師、ヒヤルマー・シャハトによる経済政策(貿易の拡大)など失業者が1934年の350万人から2年後に150万人に減少した。リッベンドロップの外交で独英軍艦協定始め日独伊同盟、ソ連と不可侵条約を締結、ポーランドへの侵攻を早めた。ポーランドでは冷酷な安楽死政策で7万人を殺害、後に親衛隊SSヒムラーと右腕ハイドリッヒによる「ユダヤ人絶滅」の音頭をとりアウシュビッツが操業開始する。
ー英雄とされたのが北アフリカ国防司令官のエルヴィン・ロムエル将軍、一度は大勝するがその後補給不足で連合軍に負け、軍人のプライドからヒトラーの軍人精神無視の命令を拒否するなど最後はヒトラー暗殺事件の反逆者として服毒自殺を選ぶ。軍需大臣アルベルト・シュベーは武器年間生産を拡大させ(戦闘機の9,540機を35,350機に、戦車2,900台を17,300台)だが燃料不足で活用できなかった。
第二次世界大戦犠牲者は年間25万人が1943年~44年には57万3238人に、最終的な犠牲者数は525万人(日本は180万人)
ー1943年以降「最後の一兵まで戦え」に軍人精神に反旗が増えワルター・モデル元帥など抵抗をやめ降伏30万人以上が戦闘を中止した(反ヒトラーは軍部から出現、暗殺事件などを計画するが失敗)、ヒトラー等は地下壕(地下8m)での生活で命令、報告を受けていたがソ連の攻撃で4月30日午後3時、最後にはエヴァと自殺(焼き払い埋める)を部下のボルマン・ミッシュに任せた。同時にゲッペルス元帥家族、ゲーリング元帥も自殺する。