@日本は200年も存続する企業があるが、本書にあるこの言葉が気になった「企業は人間の組織だ。それは成功すればするほど保守的になっていく。成功は日々、過去になっていく。人は過去に執着し、成功体験を壊すことはできない。その結果企業は低迷する。成功体験を破壊する強い意志を持って行動しなければ、すぐに陳腐な企業になる」また、「事業の進歩に最も在するものは青年の過失ではなく、老人の跋扈である」という企業存続秘訣の言葉だ。政治体制も含めて古い体制、ロートルばかりでは下の者は意見すら言えない環境となり、権力と地位を守ろうとしがみつく。気がついた時には崩壊寸前、または大きな負担を次世代が背負う羽目になるのだ。そろそろ日本でも国民が納得する大改革が必須な時代になった、そう感じる。
『住友を破壊した男』江上剛
「概要」十倉雅和氏(経団連会長・住友化学会長)、絶賛!「住友の事業精神の原点は、ここにあった」煙害問題の解決、企業の利ではなく人々のために……。”ESGの先駆者"伊庭貞剛の生涯を描き切った感動のノンフィクションノベル。この男なくして「住友」は語れない! 幕末、志士として活動後、司法官となった伊庭貞剛は、叔父で総理事の広瀬宰平に招聘され、住友に入社する。しかし当時の住友は、別子銅山の煙害問題を抱え、さらには宰平の独断専行が目にあまるほどであった。住友財閥の中にありながらも、住友を破壊せんばかりの覚悟を持って改革に臨んだ、“住友中興の祖”とよばれる経営者に光をあてた傑作長編小説。
ー住友家 家訓「国土報恩」(会社の利益より国土、地元への利益還元を優先)
・伊庭貞剛は「住友中興の祖」2代目住友総理事(住友グループを創設58歳で引退、80歳で没)
・貞剛の母「人の上に立つ人は、人より低いところにいなければなりません」『貞観政要』
・孔子「人民に尊敬と忠義と勧業を上から要求するのではなく、まず自らが姿勢を正さなければならない」『論語』
・老子「学問とは表面に現れた物のをそのまま信じるのではなく、その奥に隠れている真を探る、あるいは考え抜くものなのだ」
ー叔父の宰平に誘われ、入社した別子銅山33歳で裁判官判事から転職、本店支配人を任命
・恩師の言葉「信じる道を行きなさい、道に志し、徳に拠り、任に拠り、芸に遊ぶ『論語』」
「随所に主と作る」『臨済録』その場その場で主人公となれ、そうすれば自分のいる場所が真実の場所になる
・転職の理由:長州志士、新政府内部での私物化による腐敗と汚職が蔓延
ー別子銅山での経営
・月給・等級性、能力主義をで「子抱」を廃止、実力のあるものが経営に当たる仕組み
「無能頑愚の者、上等に座し、その権を振るい候謂れ、これ無き候事」
・だが叔父の宰平が傲慢になり、強引に結果を求め、周りの農村民に対し毒煙をばら撒く
・同じく足尾銅山でも鉱毒問題が農民を苦しめ閉山に追い込まれようとしていた
ー貞剛は一人現場に乗り込み解決しようとするが思い通りにはいかず農民からの抗議が続いた
・「己を信じ切ることだ。外に何かをもめるのではない、己の中に全てがある」『信不及』
・「上中下3字の説」上のものはしたの元としたのものは上のものとよく言葉を交わすこと
「上」を逆さにすると「下」、「中」」は口に一本の縦棒「言葉」を挟む
・恩師僧侶の俄山の対処「愚」
・人々を差別化することなく会話し付き合う
小吉(炭鉱の子供ら)への無償で学校入学
年間2百万本の植林を決定(別子銅山の敷地東京ドームの1万4千個)
・宰平に辞職してもらい、工場を四阪島に移転させることを決議
宰平の貢献した名誉と信頼を維持しながらの取り組み(住友家友純の依願解雇書)
「小刀」を前に決心する会議・混乱を招いた人物も辞職させ(両成敗)
ー大惨事(洪水)
・新居浜・地区での豪雨で808人の死者、内別子山では584人が亡くなった(禿山の怒り)
ー貞剛が総理事で行って事業(住友グループでの多角化)
・住友銀行、住友金属工業、住友電工、住友軽金属、住友林業、住友建設、住友倉庫など創設
ー経営者の勤め
・トップの独裁的権限を振るわせない組織への変更(重役会での審議を経ること)「住友は万機公論に決すべし、独裁は許さない」
・後継者を育て、後進に道を譲り、早期に実権をも譲る覚悟を持つこと
・「事業の進歩に最も在するものは青年の過失ではなく、老人の跋扈である」
軽々という刃物で、大抵は経験者の命令に盲従する
