獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(7)

2021-12-07 01:38:33 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■私が鬱になったわけ[2]      投稿日: 2013年11月11日

私は一昨年のちょうど今ごろに創価のまちがいにはっきりと気づきました。もちろん、それまで完全にすべてを信じていたのではなくて、昔から疑問に思っていたことや、どうにも理屈に合わないことなどが澱のように積み重なり、ある日はっきりと「創価学会はまともな宗教ではない」という確信を得るに至りました。と同時に、それまでの50数年の自分の人生が、創価学会を信じたばっかりに大きく曲がってしまったことや、多くの友人にとても不義理だったり薄情な言動だったりをしてきたことに、言いようのない申し訳なさと、絶望感をいだきました。取り返しのつかない時間の積み重ねを思い起こしては、いてもたってもおれない状況になっていました。それからなんとか創価学会のまちがいをどうにかして多くの人に伝える方法がないものか考えましたが、ブログを立ち上げても、最初はうまくいっても、そのうちおかしな輩が荒してしまうし、他のサイトを見ても悪口を言いあうだけの不毛なものが多く、また、自分一人がなんだかんだと騒いでも何もならないと思うようになりました。
そんななか、突然30年ぶりに彼女から電話がかかってきました。「もしもし(彼女)」「あ…(私)」「わかる?」「うん、わかるよ もちろん」「元気で頑張ってるんだね」「知ってるの?」「うん、あなたの名前をネットで検索したら、すぐにわかった」「へえ?、そうなんだ」「よかったね、若い頃の夢が叶ったんだ。ホームページずっと読んでるよ」「そっか。そっちは?元気なの?」「うん、私ね、あれからすぐ結婚したんだ。いま◯◯に住んでる。お家も建てて、3人の子持ちよ。お互い50過ぎたもんね。息子さんいるんでしょ?」「うん、こんど高校受験」「そう、まだ若いんだ。うちは長女がもう働いてるし、下の二人は大学生」「へえ?、いいお母さんなんだね」これが私の方から一方的に別れた彼女との30年ぶりの会話でした。彼女は私がいる街から1000kmも離れた街に嫁いでいたことを初めて知りました。私も彼女が元気でいてくれたので嬉しかったのです。おたがいに幸せな家庭を持っていることが確認できてよかったと思いました。それからひと月ほどして、もう一度電話がありました。それは私が出した本を買いたいから送ってほしいという内容の電話でした。私はよろこんで送るからと、住所と電話番号を訊きました。私はこんな感じで、ときどき古い友人として電話だけでも話ができるといいなと思いました。彼女も私が元気でいることがわかればそれでよかったそうです。お互いにもういい年なのですから、これ以上何かあるわけがないと思っていました。しかしこのあとそれだけではすまされない状況になるとは、お互いに思ってもみませんでした。


■対話のつづきはこちらからどうぞ。      投稿日: 2013年11月15日

みなさんの対話を遮ったかたちで「私が鬱になったわけ[2]」をはさめてしまいました。すみません。
みなさんの対話のつづきは、このページのコメント欄にお願いします。
(以下省略)


解説
シニフィエさんがうつになった理由を書いた重要な記事のつづきです。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮