獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(13)

2021-12-13 01:15:39 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■今年も対話の場として続けていきます     投稿日: 2014年1月1日

あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします
新年早々こんな話題はどうかと思ったのですが、ずいぶん昔のページに現役学会員さんが先日コメントされていて、それにモニカさんがお返事をされています。さらに別の学会員さんがコメントされているのですが、なにしろ昔(一昨年)のページなので、見逃されている方も多いと思いまして、ここで紹介させてもらうことにします。ここではめずらしく現役の学会員さんで、なおかつ学会を信じていらっしゃる方が二人もコメントされていますので、皆さんとの対話ができるといいなと思いました。以下にアップさせていただきます。
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一会員さんの発言:2013年12月25日23:00
正義はそれを理解しない者にとっては何の力も持たない。
僕は巨悪に加担しとろうが、正義を宣揚し続ける。そこまでいうなら、具体的に創価学会の何が悪なのか暴露してみたら?それによってあなたの日常生活にどんな悪影響があったんですか?もしあったなら、それをあなた自身が信じる正義に即して路線変更していこう位の行動はしたんですか?どんな決意をして、どんな具体的な行動を起こして、どんな結果を出したのですか?それも書かずに批判、否定されるのは甚だ愚痴に近いですね。池田先生も言われています。組織といっても長い年月を経たら、様々ある。その中でたとえ悪い事をしてしまったとしたら、その悪に気付き、そこから同じ過ちが起きないように軌道修正していけばいいんだと。あなたはそれをしましたか?
言っても無駄と思ってるだけでしょ?
『あなたがたとえ地獄に落ちたとしても、私も一緒に地獄に落ちます。むしろ地獄の方にこそ仏界はあるでしょう。四条金吾殿御返事より』
この御本仏の境涯から見た時に、あなたが巨悪だの洗脳だのって言ってる事自体、それが何か?って聞きたいですね。別に、あなたがそう思うならあなたが正義と思えるように変えてみたら?あ、もしかしてこのコメントで変えてるつもり?単なる愚痴にしか見えないのは僕だけかな?


モニカさんの発言:2013年12月26日21:02
創価を改革?路線変更?愚痴を言ってる暇があったら行動しろと?
アホらし。そんな改革する価値もないです。こっぱ微塵になってほしいわ。
そのくらいの団体に見られているんですよ。
長い年月の間に組織が腐敗し、たとえ悪いことをしてしまったら、それを反省し、改め修正する?笑わせないでよ(^<^)
創価ほど謝らない団体、見たことないです。
キリスト教は二重人格、外道、ランクが下…謝罪したんですか?
教えの根本である教学。間違ってました。間違いを片端から絶版にする前に、未熟でした。〇〇は以下のように訂正させて頂きます。申し訳ございませんでした、と表明したことありますか?
宗門攻撃の時、ねつ造写真と記事を掲載したことに謝罪しましたか?報道機関として恥ずかしくないんですか?
創価が謝らないから、私たちが代わりに謝ってるんです。嫌な顔されても事実は認めて頭を下げてるんです。不正を告発してるんです。
人間ですから、間違いも失敗もあります。それを認めることで信頼も取り戻せているんですよ。
創価は、自分たちは絶対正義。間違ったことなどない。間違ってるのはアナタたちだ!と創立以来、言い続けてますが、それでずっと信頼されていますか?笑われ、軽蔑されていますよ。
それが「御本仏の境涯」なんでしょうか。


匿名さんの発言:2013年12月31日10:00
たまたまこの掲示板を見ました。
私は創価大学卒業し、現在50歳です。学会2世です。
組織ですから、当然、学会員も過ちも犯してしまいます。しかし、それと学会組織の過ちを混同してはいけないと思います。
私も凡人ですから、学会員同士の人間関係や組織の在り方に疑問を持つことはあります。
しかし、池田先生は、私を一度たりとも裏切られた事はないばかりか、私がどんな状況にあっても、常に励ましを下さいます。1会員の私にまで、発心できる激励を頂戴します。
学生時代に池田先生を師匠と定めた限りは、人生終わるまで弟子の道を歩みます。もちろん、それに十分値する師匠であると研鑽を重ねた今の年代になっても、思いは変わりません。
学会2世は入信動機が希薄なため、どうしても、我流に陥りがちです。御書やそれが無理でも池田先生が現代に蘇らせて、すべての講義をして下さっています。その研鑽もなく、表層的なものだけで学会や池田先生を語るのは、親御さんの信心継承がなされていなかったのでしょう。残念です。当時は、生活するのに必死だったでしょうから、我が子に仏法を語って聞かせる人が少なかったのも背景にあると、私は思っています。
信心は、「信じる心」です。個人の自由です。ただ、私は自分の体験からも我が子に語り継いでいます。
ともあれ、私は、人間として若き日に師匠と決めた池田先生を馬鹿にされると、どうしても黙っておれないので、コメントしておきます。
もしよければ、「新 人間革命」第8巻をお読みください。仏法に違背した退転者の心理や言動が正眼で書かれています。
要は、自分を正当化したいだけではないですか?
もう一度、日蓮仏法の本質を見極めるべきだと思います。事実の上で学会しか本流はありません。
(但し、組織として悪い事は直していくべきとの意見には賛成です。)
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以上です。
どんな考えの方であっても、対話の意義を感じておられる方であれば、コメントをお願いいたします。もちろん、他人の言葉を受け入れずに自分の考えを一方的に主張するだけのヘイトスピーチなどは承認しませんのでご了承ください。

 


解説
参加者の間で活発な対話がなされているようです。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮