獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(22)

2021-12-22 01:06:56 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■対話をしましょう 3        投稿日: 2014年4月19日

「あなたが自己の意見にとらわれ、受動的にだれかの情報を求めている限り、あなたに幸福も健康も訪れることはないし、能動的に調べて決断して動けるようになれば、あなたの周囲には幸せが訪れるだろう。あなたが本当の意味で努力し自己を省みれば必ず結果は訪れる。本来人間がなしえたものはそれがマイナスの要素であれ、必ず人間の力で元に戻すことが可能だからだ。しかし、そこから逃げようとしてしまうと当然うまくはいかない。物事から逃げることをせずに、辛くても正面から問題に取り組むことこそ、結果的にも最も有効で早い解決法なのだ。」内海聡氏のFACEBOOKより
内海氏は医学や薬品、食品添加物を念頭に述べているのだけど、この言葉はそっくりそのまま創価学会の会員さんへ向けても言えることです。自分で調べ、自分で考え、自分の判断によって自分の生き方を決めていく。そんな当たり前のことをやることが許されないのが創価学会です。自分で考えることなく、善悪の判断もすることもなく、言われるままに組織にお金を差し出し、選挙運動に駆け回り、自分たちの思想以外を卑下する創価学会員。そうやって自分も、大切な自分の家族も友人も巻き込んでいく。気づけばまわりから適当にあしらわれ相手にされなくなっている。それでも気づくことができないほどの思考停止に陥っている創価学会員。ほんとうなら創価学会を宗教として考えるところから間違っているというのに。ここで何度も言い続けているように、創価学会は排他的な教義の宗教を道具にして会員を思考停止に陥らせてお金を搾取する。ただそれだけの組織です。世界平和も、人間革命も、宿命転換も、ただの詭弁にすぎません。そのことに是非気がついて欲しい。ただその一点のためにこのブログを立ち上げました。それ以外なにもありません。
このブログをやろうとやるまいと、私には何の得もありません。でもこのことを何らかのかたちで言わずにはおれないのです。ほんの少しでもいいから「なんかよくわからないけど創価ってどこかおかしい気がする」といった漠然とした疑問を持っている学会員さん。ここでそのわけのわからないモヤモヤについて一緒に考えてみませんか?自分が何を思い、何のために信仰しているのか、自分で考えるということは決して悪いことではありません。決して「我見の信心」ではありません。正しい信仰者としてのあり方とは、自分の人生について自分で深く掘り下げることだと思います。会ったこともない知らない人から言われるままにお金をとられることに疑問を感じない自分がおかしいとは思いませんか?個人の思想信条が無視され、一方的に公明党の票を集めることが、なぜ仏道修行と思えるのか、疑問になりませんか?
このブログでは、現役の創価学会の方との対話の機会を常に求めています。「対話を求めて」というタイトルは、創価学会に少しでも疑問がある方に対して、その疑問をきっかけに、対話を通じて創価学会の真実に気がついて欲しいとの願いからつけました。100%創価学会を信じている方と討論する気はありません。1%でもいいから創価に疑問を抱くことができる人なら、創価の真実に気がつくことができると私は信じています。それぞれが一人の人間としての生き方について本音で対話のできる場所になれたら素敵だなと思っています。
すでに創価の実態に気がついて組織からはなれている方、もしくはすでに脱会されている方が、たくさんのコメントをしてくださいます。しかし今のところ現役の活動家の方で、この場できちんと対話をしようとする方はひとりもいらっしゃいません。ここは一日1000から2000のアクセスがあります。少なくとも一日に300人以上の方はこのブログを見ていらっしゃいますから、その中には現役の学会員さんも少なからずいらっしゃるでしょう。それでもきちんと対話をしようとする活動家の方が一人もいらっしゃらないのはとても残念です。
>あなたが自己の意見にとらわれ、受動的にだれかの情報を求めている限り、あなたに幸福も健康も訪れることはないし、能動的に調べて決断して動けるようになれば、あなたの周囲には幸せが訪れるだろう。
組織に盲目的に従順でいることが、ときとして心地よいことはわかります。しかしそれは自分の一生と引き換えにしてでも価値のあることでしょうか? いまでも創価学会の活動に生き甲斐を感じている会員のみなさんはともかく、ほんの少しでも自分らしい生き方を自分の力で見つけ出していきたいと思う心があるのであれば、一度でいいから勇気を出してここで私たちとの対話を試みるのも悪くはないのではないでしょうか。無理にとは言いません。ここは日本ですから、何を信じて生きようと自由な国です。でも創価を信じて生きてきた人が、それが間違いだったと気づいた人たちがこれだけたくさんいるという事実に、少しは目を向けてもいいのではないでしょうか。

 


解説
内海聡氏の影響がまだ強いようです。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮