■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
■良心のかけら 投稿日: 2014年3月16日
これまでのみなさんのお話を通じて、今までには知ることのできなかったことがたくさん出てきました。でもいちばん感じるのは、地域は違っていても、創価はほとんど同じようなことを会員に要求し、それを同じように受け止め、同じような切り口で折伏をし、新聞をとり、財務のためにお金を捻出し、公明党だから正しいんだという思い込みで選挙運動に駆け回っているということ。これを創価内グローバリズムとでもいいましょうか(笑)。いわゆる独裁ですね。みんな紋切り型のことしか言えない。個性も平等も自由も民主主義もない、上から言われるがままの組織です。そしてそのような組織に疑問を感じさせないようにする見事なまでのマインドコントロール。普通の人間ならここまで人を騙し続ける人生を送ることなんて、あんまりできませんけどね。良心の呵責に押しつぶされていいようなものですが、創価の中枢幹部は筋金入りの悪ですよね。あの池田氏にはいはいと尻尾を振って生きていけるのですからたいしたものです。自分が一生を終えるときに後悔はしないのでしょうか。一般会員とは違って中枢部は自分たちのやっていることがどういうことなのかを十分わかっているはずです。しかしだれもその手の内をあかさず、のうのうと白々しいきれいごとを言い続けていくことができるのは、やはりただものではありません。学会中枢部ほど仏法の道理を完全に無視して生きている人たちだといえるのではないでしょうか。でなければこんな恐ろしいことはできませんよね。学会中枢部に良心のかけらでもあれば、ここまで多くの人が苦しまなくてもよかったのになと思います。
哲学や心理学や物理学を突き詰めていくと、どうしても宗教に近づいていきます。社会学や文化人類学などは宗教とは切り離せません。もちろんそれは学問という範疇のことですが、宗教を学問として捉えるにはやはり限界があるようです。そう言った意味では芸術は宗教へかなり踏み込んでいると思います。覚醒した今、私は自分のなかで宗教というものをどのように位置づけたらいいのかを悩んでいます。私が尊敬する作家や学者や芸術家がみな禅宗や精神修養としての座禅にとても興味をもっていて、みな実践しているところを見ると、禅というものに興味を持ち始めているところです。
【解説】
シニフィエさんが書いています。
私が尊敬する作家や学者や芸術家がみな禅宗や精神修養としての座禅にとても興味をもっていて、みな実践しているところを見ると、禅というものに興味を持ち始めているところです。
いいことですね。
私も、瞑想や禅は実践しています。
そういうお話を、ぜひシニフィエさんとしたかったものです。
対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。
獅子風蓮