獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(18)

2021-12-18 01:34:21 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■宗教とは何か              投稿日: 2014年3月23日

「あなた方の文化と文明はすでに死の寸前にある。三次元の世界においてあなた方の世界はもはや取り返しようがない状態になっている。もともと人類が英知を結集すれば、それは偉大な文明になりうる要素を持っていた。しかしそれは失われて久しく時間が過ぎ、あなた方は地球の破壊者と弱者への虐待者に成り下がってしまった。
不浄の場にこそ最も清浄な場を見出すのは、インダス文明の言葉だが、彼らの文化は合理性優先の今のあなた方とは、対照的な文化だった。その文化文明はインダス文明に限ったことではなく、自然と調和を図るすべての文化の中に存在した。だが残念ながらあなた方は自然と調和する術を喪ってしまったのだ。
国家はファシズムへと進みもはや後戻りは不可能となり、国際世界は平穏の仮面の裏で暗闘と対戦の危機を隠し持つ。経済はすでに破たんし個々のコミュニティは喪失し、土は病み腐りその再生を促すことはもはや困難である。日本の民族個性は土と微生物と自然調和にこそあったが、もはや大地はあなた方の手によって殺された。
地球は重要な局面を迎え、日本はさらに重要な局面を迎える。残念ながら政治家に期待することは難しく、医療者たちに何かを期待することも難しく、司法や検察などというものに何かを期待するのも難しい。あなた方は新たな文化の創造をあなた方自身の手で担わなければならない。
あなた方は、旧来のよくない文化の要素を捨て去る必要がある。自然にも日本にも地球にも必然的な流れがありそれを感じる必要がある。あなた方の思想と哲学はすでに終焉を迎えており、それは存在すればするほどに破壊を繰り返すだろう。自分たちを滅亡へ導ききる前にこの日本に新しい世界を誕生させなさい。」
この文章は、若干40歳になる若い医学者である内海聡(うつみさとし)氏によるFACEBOOKへの投稿文です。
うつ病の治療に関して調べていたら、特に向精神薬の薬害に詳しい友人から教えてもらいました。
彼自身、無宗教だとはっきりと言います。彼ともちろん話をしたことはありませんから、どのような経緯で彼の信念が出来上がったのかはわかりません。しかし、今のこの世界をしっかりと言い当てていることに、現実の危機感と、未来に対するわずかな望みをかいま見たような気がします。
もうひとつ、私が興味を抱いている方の言葉を紹介します。
これは超有名なインドの思想家クリシュナムルティの「宗教とは何か?」という問いに対する言葉です。
「宗教とは何か、知っていますか。それは詠唱の中にはありません。礼拝や他のどんな儀式を執り行うところにもありません。ブリキの神さまや石像の崇拝の中にもありません。寺院や教会の中にもありません。バイブルやギーターを読むところにもありまん。尊い御名を反復したり、人間の考案した何か他の迷信に倣うところにもありません。これらは何ひとつ、宗教ではないのです。宗教とは善の感情、河のように生きていて永久に動いている愛なのです。その状態で、君はもはやまったく探求のない瞬間が来ることに気づくでしょう。そして、この探求の終わりこそが、まったく違う何かの始まりです。神や真理や完全な善の感情の探求一善や謙虚さの涵養ではなく、心の考案したものや企みを超える何かを探し出すこと、それは、その何かへの感情を持ち、それに生き、それであるということですがそれこそが真の宗教です。しかし、それは、自分で掘った水溜りを離れ、生の河に出ていくときにだけ、できるでしょう。そのとき、生は驚くような仕方で君の世話をしてくれます。なぜなら、そのときには、君の方で世話することはないからです。 君は生そのものの一部ですから、生は君を至る所に運びます。そのときこそには、安全や人々が言ったり言わなかったりすることの問題はなく、それが生の美しさです。」
創価から覚醒した今、これらの言葉が乾いた砂に水がしみ込むように心に入って潤してきます。自分は創価によって大切なことを自分で遮断してきたんだと、つくづく思います。クリシュナムルティの言葉は以前から気になってはいましたが、やはり創価の頭ではどんな思想も受け付けませんでした。ギリシャ哲学も、インド哲学も、古代中国も、日本の仏教も、キリスト教も単なる知識としてしか中途半端に、いや完全にゆがめられてしか入ってきませんでした。創価学会は、日本人が憲法によって最低限保障されている思想信条の自由を子どもの時から奪ってきました。学会員さんにはそのことに少しでも気づいて欲しい。創価学会の外には、ちゃんとした宗教や思想があるんだということ。創価の思想がなくても、きちんと世の中のために人生を賭けて奔走している人がたくさんいるんだということを知って欲しいと思います。私もこれからが勉強だと思います。自分の人生を取り戻すための学びです。おそらく死ぬまでこの学びは続くでしょう。何も答えは出ないかもしれません。しかし創価にどっぷりと浸かって、何も考えない人生よりも、しっかりと自分で考え抜き、生き抜く人生でありたいと思っています。

●signifie (2014年3月25日 00:10)
みなさんコメントありがとうございます。
「宗教とは何か」……たいへんなテーマでしたね(笑)
私も誰が言っていたのかは思い出せませんが、宗教とは物語であるという話は聞いたことがあります。それは単なる絵空事ではなく、生きていく上で必要な物語。震災で難を逃れた人が、まず最初に自宅があった場所にもどってやることは、家族の安否はもちろんですが、写真を探すそうです。これまでの自分が歩んできた物語の痕跡を取り戻しに行くのですね。自分はどこから来てどこへ行くのか。そもそも自分とは何なのか。そこから人としての思索が始まります。そこに物語を求めるのでしょう。
創価の場合、その人間の素晴らしいところでもあり、弱点でもある物語につけこんで金儲けをたくらんだわけですね。人間の力を遥かにしのぐ大いなる力の物語を夢に見せ、それに近づくためにお金を出させる。日本の新興宗教の多くがそのようなシステムになっています。しかし創価学会ほど大きな影響力を持つ集団はいないでしょう。中枢部の幹部以外の何百万人という会員は、その偽りの物語を信じてのめり込み、疑うことなくお金を差し出しているんですよね。
誰にも物語は必要だと思います。あ、河合隼雄さんだったかな、そんなことを言ってた人。河合隼雄さんは、難しいことをほんとにわかりやすく話してくれたので、私なんかにも心理学のことが少しは理解できたと思います。ある時期、河合さんの本を夢中で読んだことがあります。物語なくして人は生きられない。それがどんなに荒唐無稽なストーリーであったとしても、科学的に証明できなくても、誰にもわかってもらえなくても、その人その人の物語があるんだって。宗教はそんな物語の中でも、とても多くの人を魅了する力のあるものなのかもしれませんね。仏典、コーラン、聖書、死者の書、ギリシャ神話、日本の神話、チベットの神話、南米の神話、ネイティブアメリカンの神話、北欧の神話……つまり神々の物語なわけです。ソクラテスのイデアも、ルターの宗教改革にしてもひとつの物語だし、デカルトもルソーもゲーテも、マルクスもハイデッガーもフロイトもユングも。その後の思想家もつまりはそれぞれの物語を語ってきたわけです。思想家だけではありません。芸術家はもちろん、科学者もひとつの物語を世界に映し出そうとしてきました。それを人間がつくりだした…いや発見したと言ったほうがいいのかもしれません。物語というのは、その人にとっては真実なのだから、単に客観的な価値観では量れない崇高なものなのだと思います。
創価では共産主義のことを「宗教はアヘンだ」と言ったとか言わないとかで宗教を否定する低俗な思想だと批判しましたが、自分たちがやっている似非宗教のほうがどれだけ悪質で麻薬よりたちが悪いものかをわかっていただきたいです。そして創価学会に宗教を語る資格など断じてないと言いたいのです。


解説
私も河合隼雄さんの本はずいぶん読みました。
物語に癒される……同感です。

内海聡氏ですが、最近ネットなどで、新型コロナワクチンについて反対する発言を頻繁にしているようです。
『医師が教える新型コロナワクチンの正体』なる著書も書いています。
私の友人である海さんは、彼に傾倒しており、その影響からか新型コロナワクチン反対の論陣を張っており、私とは意見が対立していて、残念な事態が生まれています。
私は、そういうあやしい言論には近づかないようにしていたのですが、シニフィエさんもこんな初期のころから内海聡氏に傾倒していたと知り、放っておけないと感じました。
図書館で、『医学不要論』なる著書を借りて読んでみたのですが、内容は素人が医学や薬に対するネガティブな情報をかき集めて本を書いたようなもので、読む価値のない本でした。
まともな医者なら相手にしないタイプです。
なんで、シニフィエさんともあろう人が、こんなトンデモ医者の影響を受けたのか、不思議です。
もし、海さんが、シニフィエさんの影響で内海聡氏に傾倒したのだとしたら、シニフィエさんの罪も少なくないのではないでしょうか。

対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮