獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(15)

2021-12-15 01:22:44 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■信じるということ         投稿日: 2014年3月8日

「できると信じる勇気さえ持てば、どんなことでも達成できる」
これはトニー・ゴードンというその筋では有名な人の保険の営業メソッドです。営業マンの心構えみたいなものですが、ちょっと怖い気もします。一見ポジティブで勇気づけられるような言葉ですが、一歩間違うと創価の活動家のような思考停止部隊のようになってしまうからです。保険の営業マンならそれでもいいのでしょうが、信仰に関してこのような考えを持ってしまうと、まさに創価学会のようになってしまうと思います。つまり創価学会は宗教を利用した営業マン育成組織なんですね。学会の上層部がお金儲けのために宗教を都合よく利用している組織だと考えるとわかりやすいのではないでしょうか。学会の各会合はそうした営業メソッドを会員に強化する研修会のようなものです。創価班も牙城会も守る会も会場維持費を節約するのに都合のいいシステムです。宗教法人は税金がかからないし、会員は学会がいくらお金を儲けて、それがどのように遣われているかを一切知らされないし、そのことに会員はまったく疑問をもたない。ちょっとでも疑問を持つと不幸になると信じ込まされているからです。まさに心をがんじがらめにされています。
生命保険というのは、もともと人間の将来に対する不安を元手にお金を集めることを考えた西洋人(ここはあえて西洋人でおさえておきます(笑))の発想です。つまり仕入れ費用がまったくかからないで、どうやってお金を儲けるかというところからのビジネスです。まあ、それが販売者と購入者が交わす契約としてのビジネスであるうちはいいのでしょうけど、創価のようにうそっぱちで人の不安を煽り、これを信じれば幸せになれる。逆にこれ以外を信じると不幸になってしまうということを、あの手この手を使って信じ込ませる。そこは他のカルト宗教と同じですね。信じた人間はまさにこの「できると信じる勇気さえ持てば、どんなことでも達成できる」と盲信して、どんなことでも言ったりやったりしてしまうのです。学会員の暴言や信じられない行動や思考回路は、本人にとってはごくあたりまえのことであって、学会員以外の人間は「正法に縁のないかわいそうな人」でしかありません。ましてや脱会者においては「地獄に堕ちる」「どうせろくな死に方はしない」と思い込んでいます。しかし、そこに現実を見る目がないことに気づかないのが学会員の大きな特徴です。人間の力ではどうしようもない大きな力を信じて、そこに依存することによって、将来の不安をごまかそうとする。つまり現実から逃避し、自分の思考を停止し、「修行(寄付と勧誘と選挙活動)」なるものに没頭する。そこに安堵感を覚える。そんな人たちのコミュニティに共感を覚え、ますます上層部の金儲けのための営業マンになっていく。ほんとうに人の人生を元手に金儲けをやってきた極悪非道の組織です。
学会員さんたちはどうしてあたりまえの話が通じないのかというのはこうしたシステムだからです。
「一度信じてしまうと、どんな不条理なことでも信じてしまう」
「疑ったら不幸になると信じている」
「人に勧めれば勧めるだけ幸せになれると信じている」
「他の宗教では不幸になると信じている」
「学会員にとって信じるということは自分で考えないということ」
私は創価から覚醒して、創価のことを自分で考えた結果、このようなことがわかりました。創価に対して少しでも疑問を持っている学会員さん、自分の人生なのですから自分で考えてみませんか。何かを信じることは素晴らしいことだと思います。ただ信じるものを間違えると、自分で考えることすらできなくなるということもあるんだと、自分で考えてみてください。


■信じるということ 2          投稿日: 2014年3月12日

この二つ前の項目の「信じるということ」に今もコメントが絶えず、すでに60を越してしまいましたので、続きのコメントはこちらにお願いします。
人類史の中で「信じる」ということは太古の昔から、人間の生活に深く根付いていました。人類最古の絵画といわれているラスコーやアルタミラの壁画も、命の糧となる狩猟がうまくいきますようにといった祈りのためのものだと言われます。現在見つかっている時点での遺跡ですから、実際にはもっと古くから祈りや信じるということが人間の生活の中心になっていたのだろうと推測されます。そして今もなお「信じる」ということは人間の崇高な精神活動でもあります。もっとも、信じることは、あの忠犬ハチ公のように、ご主人の帰りを信じていつまでも駅で待っているといったように、犬や猫にもあります。野良猫でも近所に餌をくれるおばさんがいたら、時計も持たないのに、きちんとえさ場に集まってきます。これだって「信じる」ことに変わりはありません。
「問題は何を信じるのか」だと思います。第二次大戦中、あの質素で思慮深く賢いドイツ人がヒトラーの演説に陶酔し、ものすごい虐殺を支援したように、人は場合によってはどんなことでも信じてしまうのだということがよくわかります。第二次大戦が終わるまで日本人も天皇は神だと信じ込まされていました。神の国である日本が戦争に負けるはずはないと信じて、特攻隊は自爆していったわけです。しかしそれを指揮していた軍や政府の上層部は日本の敗戦がわかっていました。知らなかったのは多くの軍人や一般人です。女も子どもも竹槍でB29戦闘機を撃墜するんだと本気で思っていました。連合軍が日本に乗り込んできたときには恥ずかしめを受ける前に自害しろと教え込まれていました。
戦争が終わって、すべての価値観がひっくりかえされました。日本は侵略国だったこと。天皇は神ではなかったこと。自分たちは完全に騙されていたことに気がつきました。中には、それまでの価値観で人生を過ごしてきたことが受け入れられずに、なんとか自分の人生を正当化しようとする者もいました。
自分の信じてきたことが明確に間違いだったと気づいた時、人はそれぞれに違った行動をとるようになります。ある人は、事態を冷静に受け止め、これまでの間違いを勇気を持って受け入れ、これからのことを考える。ある人は「そんなことはない」と、これまでの自分をどうにかして正当化しようとする。ある人は自分を騙していた者たちを責め復讐しようとする。ある人は、これまでとは違っても、また同じような価値観に頼ろうとする。ある人は生き甲斐をなくし、無気力な人生に陥ってしまう。ほかにもいろんなかたちがあると思います。
理屈だけで簡単にすまされないことは百も承知ですが、信じることの尊さと同時に怖さもあるということをしっかりとふまえなければなりません。
私たちはつい数年前まで、原発があんなに脆弱で、とんでもなく恐ろしいものだとは知りませんでした。知らされていませんでした。「原子力 未来に輝く エネルギー」という看板が、誰もいなくなった福島の町に今も残っています。鉄腕アトムを例に出すまでもなく、私たちは原子力と言えばこれからのエネルギーだと信じ込まされていました。そこにとんでもない危険が潜んでいることなど知らされませんでした。核の平和利用という詭弁にまんまと騙されていました。
信じるということ。創価学会では、中枢部を除いた一般会員はみな騙されてきました。巧みな情報遮蔽によって、そして巧妙なMCを常に強化するかたちで、財務、折伏、新聞啓蒙、各種会合、選挙活動をよろこんでするような人間につくりかえられてきたのです。
「騙されるほうが悪い」と、ある人はいいます。「少なくとも自分は賢いから騙されたりしない」と。それでは戦時中も騙された日本やドイツやイタリアの国民の誰もがその人よりも愚かであったのでしょうか。その人は原子力は危険だと、福島のような事故がいづれ起こると警告してきたでしょうか。
私たちは何かを信じなければ生きていけないと思います。自分を信じ、家族を信じ、人を信じ、国を信じ、人が自分ではどうすることもできない力を信じ、それが人によっては神であったり、宇宙の法則であったり、お金であったりするわけです。
そこに創価学会は信じる人の営みと弱点に目を付け、お金儲けを考え始めた。何かを信じ込ませてお金を貢がせる。病気が治る。お金が儲かる。幸せになれる。ただしこれを何も考えずに信じればという交換条件を出す。同時に信じることをやめたら不幸になるという脅迫もする。
学会員のみなさん。なかでも学会のことを少しでも疑問に思っているみなさん。自分は何を信じているのか考えてみてください。信じるべきものを信じているのかどうか。その結果、今の自分はどうなのか。自分の周りで同じものを信じている人がどのような人生を歩んできたのか。自分で考えてみてください。60数年前まで、日本は神の国だと、ほとんどの日本人が信じ込まされていたんです。いま創価学会員であるあなたが学会中枢部によって騙されていないという確証は何もありませんよ。
公明党の票とひきかえにして安倍政権が何をやっているかをみれば、おおよそ賛成はできません。逆に安倍政権に協力するかわりに見返りを得ている公明党=創価学会が世界の平和なんか考えちゃいないこともわかります。
たとえば安倍首相が異例とも言える数の外遊で行ったことは何かというと、東南アジアやトルコに原発を売り込みにいっただけではありません。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これについたコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮