獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:その後の記事(19)

2021-12-19 01:53:58 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価のからくり            投稿日: 2014年3月25日

前回は、ちょっとテーマが高尚すぎて、みなさん引いちゃったんじゃないでしょうか(笑)
その反省も含めて、今回は少しくだけて書きますね。
詳しく知らないので、間違っていたら誰か指摘してください。
私は日蓮正宗は日蓮系の宗派の中でもかなり特異な存在ではないかと思います。まず、日蓮を本仏であるとするところ。他の日蓮系では、たしか日蓮上人と呼んでいたように思いますし、教祖はあくまで仏教であるところの釈迦。釈迦の教えを根本にしていると解釈しています。ところが日蓮正宗では釈迦を仮の仏、日蓮を本仏と定め、っていうか日蓮自身が末法の本仏であると宣言しているわけで、釈迦はプレ仏教みたいな位置づけですよね。「ほんとはね、こっちが本物なんだよ。釈迦ってオイラが出てくる前の前夜祭みたいなもんなんだよね?」って感じでしょうか。末法という考え方がどの時点から出てきて、実際にどの時代をさしているのか、いろいろと説がありそうですが、それはともかく、仏教なのに釈迦をさしおいて「いまどき釈迦なんてダサいし、仮だし、そんな時代じゃね?っつうの。で、実をいうと本当の仏は私です」みたいなことを主張しているのが日蓮正宗なのかなと。いや、よく知りませんよ。違っていたら正してください。
なんでこんな話をしているのかというと、別に日蓮正宗に対してどうこう言うつもりがないことは、以前から話しているとおりです。ただ、この日蓮正宗の特異性、つまり他の仏教とは決定的に違う部分を、うまく利用したのが創価学会だったのではないかと。とにかく釈迦ではなく現実に救ってくれるのは人であって仏でもある日蓮と、法の王者としての法華経を曼荼羅にし、その日蓮が打ち立てたお題目を広めることによって絶対的な幸福が得られるんだと説得するわけですね。で、「オレだ、オレだ、オレが末法万年未来永劫に渡るホトケ様なんだよ」という宣言が日蓮正宗の基本になっているということで、実際に学会員にとって釈迦は過去の人であり、さほどの思い入れもないでしょう。元祖なのに(笑)。
それで創価学会は日蓮正宗の信徒を爆発的に増やしていった。増やしていきながら、同時に私服も肥やしてきたわけで。大客殿だ正本堂だと、それまでは細々と続いてきた日蓮正宗が、いきなり豪華絢爛な建物を寄進され、創価学会は巨大な檀家集団となり、さらにその勢いを政治や経済にも手を伸ばしていくうちに、あまりの傲慢な態度に宗門から破門されたわけですよ。それまでは宗門のほうも宗門始まって以来の栄華を極めたわけですが、今どうなっているかは知りませんし、興味もありません。宗門の人、すみません。
つまりですね、日蓮正宗の特異性に目を付けた初代会長が、どのあたりまでのことを考えていたのかは想像でしかわかりません。二代会長もよくわかりません。しかし三代会長は、あきらかにこの特異性を私利私欲のために利用したということです。実際に日蓮が言ったかどうかは知りませんが「人としての仏である自分の編み出したお題目以外に幸せになる道は断じてないのだよ?!それ以外は不幸の因を積む。地獄の道へとまっしぐらじゃ。わしの言うことを聞かんと日本の国も外国から責められて滅んでしまうんじゃからな?」と言ったとか言わないとか。ことの真相は明らかではないにしても、少なくとも創価学会の会員さんたちは、そんなふうに教えられている。「この大聖人の仏法でしか幸せにはなれない。それを知らないなんて、あ~あ、かわいそうに」と思っているわけですよ、本気で。
もし初代会長が禅宗に目を付けたらどうなっていたでしょう。おそらく何も起こらなかったでしょう。二代会長も師匠の言いつけ通り、禅の修行をしていたら、あれやこれやと事業をしたりしなかったでしょうし、三代会長に至っては戸田氏に寄り付きもしなかったでしょう。初代、二代はともかく、三代目は宗教をビッグビジネスのチャンスと見抜いた。それも桁外れのビッグマネーが転がり込んでくる千載一遇のチャンス!それは独特の宗教によって信者を増やして、その信者から布施をもぎ取る…いや、いただく。信者はそれが信仰だ、自分の幸せに、ひいては他人の幸せ、最後は世界平和のために自分も役に立つんだと、喜び勇んで会員を増やすことに熱中する。完全にネットワークビジネスです。宗教のねずみ講です。戦後日本における最大の被害を出したねずみ講こそ創価学会であり、その被害者は今も何百万人もいるという現実です。うまい話につい乗せられて、気づいたときには一文無し。それがネットワークビジネス。そしてなくしたものはお金だけではなく、周りの人の信頼もなくします。しかし創価の場合は人生そのものまで奪っていくのです。
一日もはやく、この簡単な悪徳ビジネスのからくりに気づいて欲しいです。

●モニカ (2014年3月25日 23:40)
うーん、どうなんでしょう。
私はシンプルに考えています。
日蓮仏法を信仰したのは、たまたま初代会長が折伏された教えがそれだったから。
獄中までいって信仰を捨てなかったんだから、初代も二代目も強情に信じてたと思います。
三代目は日蓮仏法じゃなくて、ただひたぶるに二代目を信仰してたと思われます。
それで、近代仏教学の研究が進み、もうこの教えじゃ騙せないとわかっても、陶酔していた師匠を裏切るわけにはいかなかった。
恩師の野望を果たすべく強引に布教を進めた。
しかし、いかんせん日蓮仏法は問題のある教えである。都合よくアレンジしたり、「学会指導」とか「創価文化」とか付加価値をつけて、鮮烈に魅力ある教えにする必要があった。
三代目はそれに天才的な手腕を発揮して、多くの人を魅了した。
同時にそれは彼の野望でもある天下取りと、巨大ビジネスのスタートであった…
こんな感じでしょうか。(あくまで個人の見解です^^;)
ビジネスに宗教を使ったのはアクドイけど、それで確信のある人生を提供した。涙ながらに感謝し、救われた人がいる…これが言い分なんでしょうね。
それに騙される方もわるい、と思います。
ともかく、からくりがわかった以上、恨みつらみよりまず逃げるべし!
そして、ああ~そうだったのね、と笑ってサバサバすること。
結局これがいちばんいいんだろうな、と思います。

●モニカ (2014年3月27日 19:06 )
創価は宗教を持たねばならない理由を、現世利益のためだとはっきり言いました。
信心するのは「宿命転換のため」「悩みを解決するため」「福運をつけるため」…
そして日蓮仏法だけがこれを可能にする、と教えました。
月日は流れ、日蓮仏法にそんな力はない。
そもそも日蓮仏法はそんなことは説いてない。
とわかりました。
では最初の「宗教を持たねばならない理由」はどうなのか。
「宿命転換のため、諸々の願いを叶えるため」としたことです。
これも、宗教とはそんなものじゃないとみんな気づいてしまった。
そしたら創価の言ってることは空っぽです。
本来、宗教のもつ意味ってなんだろうか…
考えると、自分を律する道徳だったり、心の拠りどころだったり、生死観を説いたもの…亡くなった人へのご供養ってことも浮かびます。
これって、創価が否定したことなんですけどね。
「キリスト教は宗教として力はない。ただの道徳として残っている」
「宗教は気休めじゃない」
「死んだ人の祈ってどうするんだ。ただの檀家制度だ。宗教は生きてる者のためにあるんだ」…


解説
モニカさんのコメント、するいどいです。
対話ブログが非公開になったため、これ以外のコメントを参照することはできませんでした。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮