獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(1)

2022-02-15 01:25:43 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■覚醒の瞬間               投稿日: 2015年3月1日

白ユリさんからまたコメントが来てますが、内容はあいかわらずだし、もうみなさんもおわかりのようですので、紹介もしないことにします。以前のヒューマンさんと同様に、やはり精神を病んでいらっしゃる方ではないでしょうか。たしかご自分のブログがあるそうですから、言いたい事があるならあとはそっちでということでお願いします。白ユリさんに限らず、なにしろ対話の意志のないバリ活さんとの討論はしませんので、白ユリさん、これくらいの日本語は理解してくださいね。よろしくお願いします。
そういえばこれまでここにいわゆる「殴り込み」に来た人の言葉遣いや思考回路というのは驚くほど似てるなと思います。どなたかも仰っていましたが、同じ人が名前を変えて書いてるんじゃないかと思うくらい。おそらくバリ活さんは同じような言葉で同じように洗脳されているので、同じような思考とリアクションになってしまうんでしょうね。
私もこのブログをはじめたころは、こうした「殴り込み」の対応に必死になってしまっていて、疲弊した時期がありましたが、さすがに3年も経つと、ある程度慣れっ子になりました(笑)。でも人って、ちょっとした言葉で傷つくんですよね。逆にちょっとした言葉で元気が出たりする。不思議ですね。お互いにどこの誰とも知らない人同士が、こうして書き言葉だけで対話をしている。逆に面と向かっては話せないような事も思い切って話せるから意味があると思います。
創価に疑問を持っても、幹部にはとてもじゃないが話せない。話しても何を言われるかはよくわかっている。そう。幹部は人の話なんか聞くわけもなく、「それはあなたの信心が弱いからよ」「もっとお題目をあげなさい」「池田先生にお応えするのよ」「それがあなたの使命なの」「これは正法を実践するからこそ競ってきた魔の仕業よ。ここで負けては何にもならない」「先生は全部わかってくださってるのよ」こんなことしか言わない。その人が何で悩んでいるのか、何が苦しいのかをわかろうとはしません。そんな人間関係のどこが正しい信仰の世界なんでしょう。軍隊とかわらないですよね。「きっさまあ~!それでも軍人かあ~っ!歯を食いしばれ~っ!」バシ~ッ!って殴られる二等兵と一緒です。
地区の学会員さん同士は和気あいあいとしているでしょうが、たとえば男子部なんかはまるで軍隊ですよ。ときどき男子部長に一人ずつ呼び出されて、活動の甘さをグチグチと責められる。結局は「自分のすべてを創価に捧げよ!その覚悟はできとるのか~っ!」って話です。壮年部になるとそれまでの軍隊形式に嫌気がさすのか、なあなあになっていて、今度はそれを横からグチグチ嫌みを言ってくるのが婦人部のみなさんでしたね(笑)。やはり創価の婦人部は最強ですね(すみません、元婦人部の方(^^))。
私は創価の教義がどうのこうのというより、やはりあの男子部の取り憑かれたような軍隊形式に嫌気がさしたというのもあります。彼らは芸術文化の事なんか1ミリも理解しない。すべては池田大作のために命までも捧げるのが学会精神だと異常に熱く燃え上がる。活動を仕事そっちのけでやるもんだから一般社会では疎まれている。ろくに仕事もできないくせに選挙のときだけは図々しく頼んで回る。人としてどうなの?ってずっと疑問に思ってました。でもそんなこととても言える雰囲気じゃなかった。それでもなんとなく教学試験とか合格して役職も上がっていく中でこれはヤバいと思い、あえて活動をすっぽかしたりして創価でのダメ人間アピールしてきたので、自然と活動から離れる事ができました。そりゃ嫌な気分でしたよ。口だけは「はいはい、わかりました。がんばります」と言っておきながらな~んにもしないっていうのはやはり良心がとがめます。
「なんで出てこないの?」「いや仕事が忙しくて」「それを信心で克服するのが男子部だろ」「いや基本的に普段から夜の10時11時までみんなでやってる職場だから、自分だけ創価の活動があるからって早退するわけにはいかないんです、僕会社役員だし、上司として手本にならなきゃ部下がついてきませんよね」とも言えなかったんですね(笑)。でもここで言われるままに活動していたらほんとにダメ人間になると思いました。まわりが社会的ダメ人間の幹部ばかりでしたから。だからある時期から創価の中では約束も守れない創価のダメ人間を演じていました(笑)。そのうち知らない間に壮年部になっていて、そうなったらもう何にも言ってこなくなりました。いや、ときどき壮年の支部長がアポ無し家庭訪問して会合のお誘いや選挙のFの数を聞いてきましたが、適当に相づちうつだけでのらりくらりとかわしていましたので、これもフェードアウトしていきました。大幹部の息子だから厳しくも言えないってとこもあったようです(笑)。
でもそうやってても創価の教義はまちがいないと信じていたんですね。今思えばほんとに恐ろしいです。やってる人間や組織はダメでも創価の理念や日蓮の教義は絶対だと思っていたし、当然創価学会は宗教だ。それもどんな宗教よりも優れていると本気で思っていたんです。3年前まで。そして「創価は宗教じゃない」と気づく瞬間がありました。目の前が真っ暗になりました。いったいこれまでの自分の人生は何だったんだ?それから気が遠くなるような落胆の日々です。平静な自分を保つので精一杯。それでそれまで見たこともなかった創価関係のネットを見るようになりました。そこには盲信者の気味の悪いサイトや、アンチによる吐き気のするバッシングの巨大掲示板。あるいは日蓮仏法の教義を学者気取りで分析をしているサイト。あるいは宗門側についた人たちが、創価と同じように口汚くバッシングを続けているサイト。どれもこれも目眩がするほどくだらないものばかりでした。なんだ、みんな目くそ鼻くそじゃんって思いました。いったい自分はどうしたらいいんだ。これまでの50年間の自分の人生は間違いだったのか?生まれたときから間違った人生観を植え付けられて、いままでそれにも気づかずに、むしろ他人を見下して生きてきたのか?そんな自問自答を繰り返しながら、何一つなすすべもなく悶々としていました。
そしてこのブログの最初に書いたように、バリ活の学会員のサイトに疑問をぶつけた結果、創価のおかしさに確信がもてたのです。「こいつら異常だわ」「完全に洗脳されて自分を見失ってる」「そして自分もその一人だった」まずその事実を自分で受けとめるしかない。そう思いました。精神的にギリギリでした。そんなとき、以前にも話したように、30年前に結婚の約束までしながら親から創価であることを理由に反対されたことで、一方的に自分から去ってしまったという女性が突然私を訪ねてきました。そしてそのとき初めて30年前にとった自分の行動がまちがっていたことに気づかされました。これでギリギリだった私の心が一線を越えてしまってうつ病になってしまいました。今でも、なぜあのとき30年ぶりに彼女があのタイミングでひょっこり現れたのかが不思議でなりません。まるで私がちょうど「創価は宗教ではない」と気づく瞬間を30年間待っていたかのようなタイミングでした。私は完全に打ちのめされました。もし自分が創価の家庭に生まれていなければ。もし創価を信じていなければ。今となってはどうしようもない「もし」を何度も何度も頭の中で繰り返していました。悔しさのあまり夜も眠れず、仕事も手につかず、妻や子どもにも心配かけてしまいました。おそらくこの傷は一生癒えることはないと思います。
もちろんこれは自分自身の責任です。誰も責めようとは思っていません。そりゃ創価は悪い。でも悪いのは世の中にいくらでもある。結局はそれに引っかかるほうが悪いと思います。こんな世の中ですからね。いくら生まれたときから親に植え付けられたものであったとしても、親を責めたところでどうしようもない。ただ同じように創価に騙されて人生を踏み外している人が何十万、何百万人もいるという現実を黙って見ているわけにはいかないと思うようになりました。せめて創価の実態を知ることのできることをしたい。それをどう判断するのかはその人次第です。それこそ自己責任で創価を続けるのか、自分で創価の実態をしらべて判断するのかを決めてほしいと思います。そのための判断材料として、実際の創価の実体験をが集まる場所があればいいなと考えたのがこのブログ「対話を求めて」です。
おかげさまでいろんなことがありましたが、多くの方の信頼できる創価情報を積み重ねることができました。先の白ユリさんやヒューマンさんの「殴り込み」にしても、創価の実態を端的にあらわしているひとつの例だと思います。またアクセス数もおよそひと月に10万のペースです。ひと月に10万回開かれていると思うと、少なからず創価の問題に興味を持っている人がいるんだと思います。正直ここまでになるとは思っていませんでした。それだけ創価問題は深刻なのだと思います。
これからもみなさんと共にどんどん創価の現実をこのブログに積み重ねていきたいと思います。そして一人でも多く、創価の実態に気がついてくれる学会員さんが増えてくれるよう願いっています。みなさま、引き続き、よろしくお願いします。
ということで、今回のテーマは「覚醒の瞬間」とさせていただきます。
みなさんそれぞれに「創価がおかしい」「こんなはずでは」と思った瞬間があったと思います。そして「やはり創価がおかしかったんだ」「創価は宗教じゃなかった」「自分はただ騙されていただけだった」と気づいた瞬間があったと思います。それがどのようないきさつでやってきたのか、そしてその後どうしたのかをお話ししていただけるとありがたいです。やはり覚醒の瞬間はそうとうなショックです。さきの高校生のチップさんが気づくにはあまりに重く衝撃的なことでしょうから、とてもかわいそうです。でも若いですからこれからが大切です。また私のように50を過ぎてからやっと気づいて、おまけに自分のしてきたことで、他人や家族にもとりかえしのつかないことをしてしまったという慙愧の念に堪えない方もたくさんいらっしゃると思います。私はこうして自分が犯した過ちを言葉にすることで少しずつ平常心を取り戻す作業になっているのかなと思います。
「覚醒の瞬間」このテーマは以前にも出したかもしれませんが、いまここにおいて「覚醒」というものが何なのかをあらためて確認する意味でもあるのかなと思っています。どうかよろしくお願いします。

 


解説
この記事へのコメントの中に、白いブランコさんからの投稿があったようなのですが、対話ブログが非公開になったため、このコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮