獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:「創価学会は宗教ではありません」

2022-02-13 01:00:15 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■創価学会は宗教ではありません      投稿日: 2015年2月13日

「創価学会は宗教ではありません」
今回のテーマはこれです。
これまでたくさんの方から創価学会の問題や悩みをコメントしていただきました。まさに数えきれないほど多くの方が、創価学会との関わりの中で、たいへんな迷惑をかけられていあたり、逆に自分がかけてしまっていたことを後悔していることがわかります。もちろん私もそんななかの一人です。
そうした皆さんのお話をうかがっている中で、とくに感じるのは「創価学会は宗教ではない」ということをきちんと理解しているいないかで、覚醒の度合いが決定的に違うのではないかということです。
つまり、創価が間違っているとわかっていても、まだ創価が宗教であるとか、なにがしかの力があるのではないかと思ってしまうのところに、まだまだ深いMCに囚われているのではないかと思うのです。具体的に言うと、間違いだと思ってはいるが、やめると罰が当たるのではないかとか、もしかしたら創価の組織を自分たちで改革すればすばらしい宗教団体になるんじゃないかなどと考えることです。
「創価は宗教ではなく詐欺団体だ」「オレオレ詐欺をもっと巧妙で悪質にした単なる金儲けのための犯罪集団だ」ということに気がつかなければ、どうしても創価にとどまることの方法や理由を考えて、今の自分の態度を正当化してしまうというところです。
今の世の中、日本人が日本に住んでいる限り、何を信じて生きていこうと自由です。それは当然の権利として誰にも保証されています。だから創価学会員として生きていくことを誰も否定することはできませんし、私はそんな人の生き方を否定するつもりもありません。もちろん創価学会員が他の宗教で生きようとしている人の人生を否定することもやはり憲法違反なんです。少なくともそれはやってはいけない。創価の信心でなければ幸せになれないなどと吹き込むことは、ある意味脅迫です。ましてや自分の子どもがモノゴコロつくまえからそんなふうに教え込むことは、まったく狂気の沙汰です。
私は創価学会が正しいと今でも信じて生きていこうとしている人にまで「それは間違いなんだからやめなさい」と言うつもりはありません。自分が覚醒した3年前はそんなことも考えましたが、そんなことを言っても無駄だとつくづく思い知らされました。ですから無理にとはいいません。どうぞ自分の信じる道を歩んでください。何も言うことはありません。ここでは自分で気づいた方が、創価から離れて自分の人生を取り戻すにはどうしたらいいのかを、同じような境遇の方が全国にたくさんいらっしゃいますので、みんなで話していきましょう、対話をしましょうということで始めました。必要な情報を共有したり、今まで知ることのなかった、それでも同じように騙されていたんだということを確認できるような対話をしましょうということです。
それでこれまでの皆さんのお話から「創価を宗教だと思っている人」は、なかなか創価から離れることができないでいるのではないかと思いました。創価に疑問を感じて非活になっても、いろんあ理由で脱会までこぎ着けないでいる方の中には、まだどこかで創価を宗教だと信じてしまっている部分があるのではないかと思います。とくに私もそうでしたが、2世や3世のような、とくに入信動機もなく、この信仰をする以外に自分の人生は考えられないと言った環境で生まれ育った人にとっては、創価を否定されることは、自分の人生ばかりではなく、家族や友人の人生をも否定しなければならなくなるわけですから、文字通り信じられない問題が襲ってくるわけです。できればそんなことはウソであって欲しい、夢なら醒めて欲しいと思いました。しかしそれは残酷な現実でした。「創価学会は宗教ではない」ということは「自分の人生は間違っていた」ということを認めなければならないということです。それまで自信満々に友人知人に語ってきた創価の教義が、まったくのデタラメであった。そればかりか、お金も時間もまんまと騙しとられていたという現実を認めざるをえなくなるのですから、たまったものではありません。
「創価学会は宗教ではありません」
このことにきちんと対峙して自分を保つことができるかどうか。脱会を決意した方にとって、これが最大の関門だと思います。これを認めることができない限りは、どうにかしてこれまでの自分の人生を正当化しようとするのではないでしょうか。
そこでいま一度「創価学会は宗教ではない」ということを、自分はどこまで認めることができているのかを、もう一度自分に問いかけてみてください。そこで出てきた答えを是非みなさんで共有しましょう。
よろしくお願いします。


■創価学会は宗教ではありません 2       投稿日: 2015年2月18日

おかげさまで、最近はますます新たにコメントしてくださる方が増えてきました。
ほんとうにありがとうございます。
ますます全ての方にお返事をするのが困難になってきましたので、どうかお許しください。「せっかくコメントしたのにブログ主から返事もない」と責めないでくださいね(^^;)
一日に10件以上のコメントがあり、少なくともいただいたコメントはすべて目を通して承認させていただいています。そのコメントのすべてにお返事をするとなると、仕事の時間がなくなってしまいますし、中にはとてもハードな内容で、そう簡単にお返事ができないものもあります。ですから、できるだけみなさんのいろんな意見に対して、ある程度集約したかたちでときどきコメントさせていただいています。もうすでに私の中には自分の考えをあらためて言うほど残っていません。この3年間、自分でも驚くほどおしゃべりになったなと感心しているくらいです。信じられないかもしれませんが、私は実生活ではどっちかと言うと口下手で寡黙な人間だと思われてるんですよ(笑)。
あ、信じてないでしょ(笑)
ともかく、ここは皆さんでお話をしていただく場所ですので、どうぞ遠慮なく何度でもいくらでもお話ししてください。これだけ多くの方が創価学会の実際の姿を語っている場所もそう多くはないんじゃないかと思います。もっともっと増やしていければと思います。ここにコメントしてくださった方は、すでに数百人になっています。当初、私は「1万人の方の対話を」と言いました。最初は活動家の方から「ばかばかしい、何をふざけたことを言ってるんだ。できもしないことを」とバカにされたりもしましたが、すでにこのブログのアクセス数は1,329,275となりました。今も1日に3000から4000のアクセスがあります。一ヶ月平均でおよそ10万から15万。もちろんアクセス数ですから、その数の人が見ているというわけではないでしょうが、こうして継続的にアクセスが伸びているということは、それだけみなさんのお話がリアルで説得力があるという証拠だし、みなさんのお話にとても共感できる方がさらにコメントしてくださるというつながりが、こうした数字に反映されているのだと思います。
そうやってみなさんのお話を聞かせてもらっている中で、最近とくに気づいたのは「創価学会は宗教ではない」という認識をしっかりもつということが、覚醒への第一歩ではないかと、あらためて思いました。創価学会の活動をしてきた、何かおかしいとか、どう考えても間違っている、実際に幸せになっている人なんていない、数とお金のノルマに追い回されてつらいだけだ、家族や友人との関係まで悪くなる一方だ……などなど、疑問だらけであるにもかかわらず、どうしても今ひとつ客観的に創価を見ることができないでいる方が多いようです。それはもしかしたら「創価学会は宗教だ」という思い込みが抜けきれないからではないかと思いました。創価学会が宗教であるならば、もしかしたら本当に功徳があるのかもしれない、自分たちのやりかたが悪いから功徳が現れないのかもしれない、組織を改革できれば素晴らしい団体になるのかもしれない……などと、それこそ創価の中枢部の思う壷です。創価学会は宗教ではない。このことをしっかりと認識することができなければ、創価からの脱却は難しいのではないかと思います。創価は宗教ではない。それでは何なのか。いつも言っていますように、詐欺団体です。創価学会という団体の中で完結する詐欺です。
創価は外部に対してお金を騙しとったりはしません。すべては会員になってから、少しずつ洗脳していって、功徳というありもしないアメと、この信仰から離れると不幸になるというムチによって、自分からお金を差し出すように仕向けるシステムです。これだけ話を聞けば、普通の人はとんでもないところだと思って、さっさとやめてしまうのですが、創価が会員の心をアメとムチによって縛っているがために、こんなあきらかな詐欺を詐欺だとも思えず、人生を棒にふってしまっています。自分だけならまだしも、結婚相手や自分の子どもにまでそうした詐欺の被害者に仕立てあげているのです。
学会員のほとんどがこうした詐欺に騙されている側です。騙しているのはほんの一部の上層部です。彼らは法外な利益があがるビジネスとしてやっています。創価が宗教でないことを一番わかっているのが彼らです。宗教とは本来人の心を解放するものだと思いますが、逆に人の心を縛り上げる力もあるのが宗教です。創価は宗教のそうした側面だけを巧妙にを利用した詐欺だと考えるとわかりやすいのではないかと思います。創価学会は宗教ではなく、宗教を利用した詐欺です。ですから上層部は一般会員に対して創価が宗教であるというウソを徹底的に信じ込ませるのが仕事なんですね。だからこそ「創価亜学会は宗教ではない」ということを見破ることで創価から離れることができるのです。いちど幹部の指導を「創価が宗教であることを会員にうたがわせないようにしている話だ」という視点で読んでみてください。きっと目から鱗の方もいると思います。彼らは手を替え品を替え、いろんなことを言っているようで、結局は「とにかくこの信心に間違いはないんだと言う確信で信仰を貫いていただきたい」というのが結論でしょ。要は「とにかく黙って言うことを聞いてお金を出しなさい」ということを言い聞かせているだけなんです。
だから会員は勝手にいいことがあったら功徳と思い込み、悪いことがあっても自分の信心が弱いからだとのめり込みます。決して創価自体を疑うようなことはありません。疑ったら福運を消す、不幸になる、せっかくこうしてやってきたことがすべて水の泡になるという恐怖を植え付けられていますから、なかなかそこから抜け出せないで問題を大きくしているのです。
わかりやすく言うと、健康食品や日用品といった商品ではなく、宗教を商品としたネットワークビジネスです。会員同士は功徳ほしさに信仰を売って回り、利益を上げる。その利益はすべて組織が吸い上げる。会員はありもしない功徳に満足してさらに売り歩く。友人知人親戚縁者に片っ端から売ってまわる。学生時代の名簿までとりだしてきて、さも親しかった友人のように信仰を押し付ける。「他の宗教じゃダメだ。これじゃないと幸せになれないんだ」と会員は信じてますから、まったく悪びれずにごり押ししてきます。ほんとうにあのネットワークビジネスにとりつかれて、夢のような特典ほしさに自腹を切って商品を購入する主婦がやっているのと変わりません。そこには必ずほっぱらかしても莫大な利益が入ってくるネットワークビジネスの最高幹部たちがいるのです。
「創価学会は宗教ではありません」
創価に少しでも疑問を感じて悩んでいる方。このことをしっかりと頭に入れて、あなたのまわりにいる学会員さんの行動を自分の目で確かめてみてください。「なるほど!」と納得できたら、脱会への糸口をつかめたも同然です。この視点をもつことが、脱会への題意一歩であり、創価に悩む自分からの脱却への第一歩でもあります。頑張りましょう!ここにはあなたの気づきを応援してくれる方が何千、何万といます。あなたの悩みをお話しください。創価の現実についていけない。でも心のどこかに離れることの恐怖心があったり、自分が脱会したら、まわりの人間関係が心配だ、などなど誰でも経験してきたんです。多くの方がそうして悩みを解決してこられました。あるいは解決しようと頑張っておられます。そのことがここで対話によってあきらかになってきました。あなたもここで一言自分が抱えている創価の悩みを打ち明けることで、まずは心が軽くなると思います。なかなか人に言えない悩みだからこそ、そしてこうしたネット上だからこそ相談できるのです。ひとりで悩まないで、まずは心を軽くするためにも、この場で自分が陥っている創価の悩みを打ち明けてみてはどうでしょうか。悩んでいるのは自分一人じゃないんだということがわかるだけでも、大きな収穫だと思います。ぜひお待ちしています。

 


解説
「創価学会は宗教ではない」と認めるかどうか。

私は、対話ブログに参加しようとした最初から、シニフィエさんにそう何回も問い詰められました。
執拗に、まるで踏み絵でも踏まされるかのように。
「宗教ではない」と認めないと対話にまぜてもらえないような圧力を感じました。
私は、なんとか仲間に加えてほしくて、自分の母親のように創価の信仰で救われた人がいる以上、
「創価学会は宗教ではない」とは言えない、というのがぎりぎりでした。

今考えると分かるのですが、創価学会の組織に疑問を抱いて創価学会をやめたいと思っている人にとって、シニフィエさんに「創価学会は宗教ではない」と太鼓判を押してもらうことは、心強いことでしょう。
しかし、私のようにすでに脱会している人を、対話に参加させるかどうかに、踏み絵として「創価学会は宗教ではない」を利用するのは、いかがなものでしょうか。


獅子風蓮