獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(7)

2022-02-21 01:40:02 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価の三大秘法とは何か           投稿日: 2015年3月17日

きのう私は白いブランコさんとの対話のスレッドで、創価の三大秘法に関する質問をしました。この質問は日蓮仏法を語る上では初歩の初歩、つまりこれを無視しては日蓮仏法はありえないというほどの基本的なことに関する質問です。今は白いブランコさんからの回答を待っている状態です。
このブログでは創価の教義に関しての議論をするつもりはありませんが、創価がいいかげんな教義の変更によって会員を平気で騙していることがはっきりすると思いましたので、あえて白いブランコさんに質問させていただきました。
ポイントは、創価の三大秘法の矛盾に対して会員さんが納得しているのかどうかといったところだと思います。教義の整合性がまったくとれていないにもかかわらず、学会員さんは財務に選挙に新聞啓蒙にと動かされているわけですからね。そして子どもたちにも唯一正しい宗教だと教えているのですからね。もし創価が日蓮の教義をもとに世界平和を推進する宗教団体として生まれ変わるための改善策があるとするならば、まず教義の矛盾を解消しなくてはいけないでしょう。
しかしどんなに教義を変えたところで、創価がもともと宗教団体ではないということは明白ですから、ほんというと教義の議論に意味はありません。注目すべきはその矛盾に気がついていない多くの学会員がいるという事実です。
そこで今回のテーマは「創価の三大秘法とは何か」です。すでに脱会した方にとってはどうでもいいことなんですが、白いブランコさんがなんらかの回答をしてくれると思いますので、それをもとに創価の教義の矛盾をはっきりさせていければと思っています。
みなさんにしてみればコメントしづらい内容かもしれませんので、むりにコメントされなくてもけっこうです。逆に、白いブランコさん以外の活動家の方に来ていただいて、創価の教義の正当性を解説していただけると、よりわかりやすくなるかなと思っています。もちろん、殴り込みはご遠慮します(笑)。白いブランコさんのように、きちんと人の話の聞けるような学会員さんの登場をお待ちしています。


●signifie 
2015年3月19日 17:43 
すみません、このコメント長いです(笑)。
でも今考えてることをおもいつくまま書いてみました。
最初は白いブランコさんとの対話のところに書いていましたが、これはもっと全般的な話になるなと思って、こちらに書きました。
今、対話中の白いブランコさんのお話と合わせながら読んでみてください。
私は単純に思うんですが、創価は日蓮正宗の信徒団体としてスタートしたわけですから、破門されたら、もうそこで終わりですよね、普通。会社で社長や上司の言うことを聞かずに好き勝手し放題だった社員がクビになったのに、社長や上司を恨んで恨んで、あることないことでっち上げて、裁判まで起こして悪口を言いまくる。そしてあの会社が偽物で、オレが本物だと言い出す始末。おいおい、もともと「社員」なんだろ?って言っても聞く耳をもたない。とにかく自分をクビにしたやつらが悪いの一点張り。それでやることがあんまり汚いもんだから、社長のほうも正式に訴訟を起こす。元社員も負けじと訴訟を起こす。結果はほとんど社員の負け。でも他の社員にはそんなこと絶対に知らせません。普通なら「は?何言ってんの?」って話でしょ(笑)。
創価は会員から集めるものすごい額のお金で、政治もマスコミも出版界も広告業界も法曹界も抑え込んでる。すべて会員を騙してかき集めたお金で好き放題しています。何も知らないのはお金をまきあげられている会員。「創価だから間違いない」「きっと先生の深い考えがあるのよ」などと、自分で考えることはしません。というかできないように教え込まれています。何でそんな単純なことに気がつかないのか、外部の人にとっては信じられないかもしれませんが、それが宗教とか洗脳とかMCの恐ろしさなんですよね。人間はある条件がそろうと、驚くほど思考停止に陥ります。目の前のものが見えなくなるし、ありもしないものが見えるようになります。どんなにおかしなヘ理屈さえ、この世の美しい真理に見えてしまうんですね。催眠術にかかっているようなものです。ですから、創価が宗教ではないことに気がつくことを、ここでは「覚醒」という言葉を使っています。創価のやってることはおかしいなと思うくらいのことを「覚醒」とは言いません。創価がもともとから宗教などではないということを客観的な目で見ることができた瞬間を「覚醒」と呼んでいます。
たとえば財務の額を求めすぎるから、上限を決めて一人100万円までにしようとか、聖教新聞は一人1部にしようとか、会合の数を半分に減らせば負担が少なくなって活動しやすくなるだろうとか、そんな問題ではありません。創価は宗教ではないのに、会員は宗教だと信じて活動をしていることが問題なのです。例えれば、困った人を助けるためのボランティア団体だと思って一生懸命活動していたら、じつは暴力団だった。そんなとき「麻薬を売る量を今までの半分にしよう」とか「オレオレ詐欺は月に10人までにしよう」なんて言ってるのといっしょですよ。「暴力団も改善すればボランティア団体になるのです」などと言ってるようなものです。もともとボランティア団体だったのが、何代目かの会長が悪の道に引き込んだのなら、改革次第ではもとのボランティア団体に戻る可能性もなくはないと思いますが、もとが暴力団では話になりません。所詮暴力団は暴力団でしかありません。
それではどうやったら「創価は宗教ではない」ということが会員さんにも理解できるだろうか……とこれまでもいろいろ考えてはきました。でもやっぱり最終的には自分が気がつく以外にないんだなと思います。理屈では説得できません。理屈で入ったわけではありませんからね。とくに二世三世は、創価の価値観が全てなんです。生まれたときから創価の思想だけが正しいと教え込まれ続けています。これってほんとうに恐ろしいですよね。自爆テロの戦闘要員に使われる子どもたちのようなものです。たとえ途中で「じつは違ったんだ」とこれまでの価値観をひっくり返されても、何も残らないんですから恐ろしいです。心も折れますよ。
でも、私や皆さんと同様に、どこかで、何かがきっかけで「覚醒」の瞬間が訪れるんですよね。それはひとつの決定的な出来事というよりは、いろんなことの積み重ねがあるなかで、ある日突然、少しずつたまっていたコップの水があふれるように、目の前のことが見えるようになります。見えるようになると、いままで何にも見えていなかったということがわかるんです。見えてないうちは、何が見えて何が見えないかなんてわかるわけがありません。見えて初めて見えなかった自分のことがわかるんです。
そこで、そんな覚醒のためのひとつのきっかけに「三大秘法」について考えてみるという方法があるんじゃないかと思いました。つまり日蓮仏法の信仰の原点をもう一度見直してみようということです。なにも難しい仏教学をひも解こうというのではありません。自分が信じてきた日蓮仏法とは何なのか。その日蓮仏法のなかでもいちばんの胆とはとは何なのか。そして創価のいう日蓮仏法は、その肝に準じているのかを確かめてみようじゃないかということです。
そこで何が日蓮仏法の肝かと言うと、やはり「三大秘法」なんですね。
あ、私は日蓮仏法を評価したり奨励したりしているわけではありません。むしろこんなものに関わったばっかりに50年の人生を無駄にしてきたのですから、覚醒した今となってはまったく信じてはいません。念のため(笑)。
で、その三大秘法とは何かと言うと、日蓮本人が言うには「自分はこれを顕わすために生まれてきたのだ。私が誰かと言えば、これをおいて他にない」と言い残すほどのものです。日蓮は多くの書簡や論文みたいなものの中で、いろいろ難しいことをたくさん言っていますが、とにかく何を置いてもこの「三大秘法」こそが自分の心そのものだと言い残しています。
なにしろ「秘法」ですからね、どんな秘密なのかと思ったら、みなさんご存知の通り「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」の三つを三大秘法と名付けたんですね。さらにこの三大秘法の中でも特にいちばん大事なのを一大秘法と言ってますよね。それが「本門の本尊」です。つまり日蓮の教えの究極というのは、この「本門の本尊」なんです。本人が言ってるんだから、他の誰かが「いや違う」などと言っても無駄です(笑)。このことをひっくり返すことのできる人間は後にも先にも絶対にいません。これがひっくり返った時点でそれは日蓮の教えではないことの証明になりますよね。
そこで昨年の教義の変更で創価学会は何といったかと言うと「創価学会は日蓮正宗とはまったく何の関係もない。本門の本尊とも関係はない」と変更したわけです。これを変更と言っていいのかどうかはまた別にして(笑)、とにかく創価学会は日蓮の究極の教えである一大秘法の「本門の本尊」とは関係ないよと宣言したんですね。つまり創価は日蓮の教えとは関係ない団体ですってことを正式に発表したんです。
ここでちょっとおさらいをしてみましょう。「本門の本尊」とは何かというと、いわゆるご本尊のことです。べつに秘密でも何でもないんですが、任用試験を受けた人なら知っての通り、この本尊には人本尊と法本尊があって、人本尊とは日蓮のことですね。自分で言ってるんです。オレが本尊だって。
ちなみに日蓮正宗と創価学会以外の日蓮宗派、つまりいわゆる日蓮宗では本門の本尊は釈迦のことをさしています。もちろんほかの仏教もほとんどが本尊は釈迦です。もともと仏教は釈迦の教えってことでスタートしてますから、それが当然のことなんですが、数ある世界中の仏教教団の中で、本尊を釈迦以外だとしているのは日蓮正宗とその信徒団体だった創価学会とその他一部の新興宗教だけなんですよ。だからこそこれまで創価は仏教の中でも異端中の異端だって何度も言ってるわけです。創価学会が世界に認められたなんて思っているのは学会員だけです。客観的にはほんの小さなカルト集団です。
まあそれはともかく、なにしろ日蓮正宗と創価にとっての人本尊は日蓮だってことは間違いなさそうです。では法本尊とは何のことか?これも日蓮が自分で書き残しているとおり、日蓮自身が顕わしたご本尊ですね。「日蓮が魂を墨に染め流してうんたらかんたら」ってやつです。日蓮は「自分が生きているうちは、自分を拝めばいいんだけど、後世の人や遠くの人は無理だから、自分の分身としてこの曼荼羅を拝むようにしなさい」といってこの曼荼羅を書いたんですね。「出世の本壊」って任用試験の勉強で教わりましたよね。ただ、日蓮正宗の大石寺にある「大御本尊」がその弘安2年に日蓮が書いたものなのかというと、それは誰にもわかりません(笑)。
創価学会の公式HPではこのように書いてあります。
「農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で、立宗以来「二十七年」目にして、「出世の本懐」を遂げられたと宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。」
これからもわかるように、日蓮正宗としては、本門の本尊としての法本尊であるところの弘安2年の大御本尊をもっているのだから、これ以外に日蓮仏法はありえないという考えのようです。そして約750年後の今現在、日蓮系の各宗派が拝んでいる曼荼羅は数えきれませんが、日蓮正宗に関係している宗派の信者さんと創価学会員の家庭にあるご本尊だけが、この「本門の本尊」なのだと日蓮正宗と創価学会は言ってきました。だからこの本門の本尊だからこそ力があるんだと言ってきたわけです。他のご本尊を拝んでも功徳どころか、そんなもの謗法なんだから地獄に堕ちるとまで言ってきました。日蓮正宗以外の曼荼羅を拝んで地獄に堕ちた人がどこにいるんでしょうね(笑)。
ま、それもともかく、学会員さんの家庭にあるご本尊は、日蓮正宗がいうところの大石寺にある大御本尊の出張版みたいなものですね。言ってみればテレビ番組の「なんでも鑑定団」のなかの「出張鑑定団」みたいなもんですね。本来なら日蓮その人自身のことがご本尊だったわけですけど、それは物理的に無理だから、いよいよ日蓮自身も寿命が尽きることを感じるようになった。そこで弘安二年にいわゆる「大御本尊」という後世にも伝わるようにと立派な板曼荼羅をつくったわけです。そしてこれを「本門の本尊」としたんですね。だからこれが人本尊たる日蓮の分身のようなものなので、これに代わるものがあるわけがないんです。たださっきも言ったように、遠くの人は拝めないから、遠くの人にもこの本門の本尊が拝めるように、ご本尊の書写を認めた。しかしそれが誰でもできるようなものだと伝言ゲームのようにどんどん変わっていっては困るので、日蓮の教えを正しく受け継いだ歴代の法主だけが書写できる資格があると決めました。いちおう言っておきますが、これは日蓮正宗が言っていることであって、ほんとかどうかは別の話です。あくまで日蓮正宗というひとつの宗派の中での決まり事です。日蓮正宗が大石寺に安置している「大御本尊」がほんとに日蓮が書いたものを板曼荼羅にしたものかどうかの客観的な証明はされていませんからね。あの大御本尊はどうも江戸時代のものらしいという話もあります。ま、どうでもいいんですけど(笑)。宗教とは基本的に人智を超えた力の存在を信じることが前提となっていますから、基本的に客観的な証明など不可能な世界なので、それを信じる人の中だけで完結する類いのものですし、ここでの話も「日蓮正宗としてはこう言っている。創価学会としてはこう言っている」という話をしています。私の個人的な見解ではありませんのでお間違えなく。
いろいろ考えているうちに新たな疑問が出てくるのですが、とえいあえず一応そこは置いといて(笑)、ともかく日蓮正宗としては、あの「大御本尊」こそ日蓮仏法の究極の姿だというわけです。創価学会も破門される前までは、そのことに異議を唱えることはありませんでした。信徒なんですから当然ですね。ところが創価学会は日蓮正宗の言うことを聞かずに、さんざん好き勝手なことをやるようになって、日蓮正宗から何度も諌められて、そのたびに創価は謝ったりしてきたんですが、結局創価は口ばかりで宗門を見下して言うことを聞きませんでした。なのでとうとう破門になってしまいました。学会員さんは破門になったことを「学会のほうから見切りを付けた」なんて教え込まれていますが、そんなことが一般社会に通用するわけもありません(笑)。
すぐに話がそれてしまってすみません(笑)。
本門の本尊とは何かという話ですね。つまり日蓮正宗が言うには「本門の本尊」とは人本尊である日蓮自身であると同時に、本人が残した弘安2年の「大御本尊」のことになります。それを創価学会は破門されてからはじめて「本門の本尊は弘安2年の大御本尊だけをさすものではない」となんだかわけのわからないことを言い出しました。わけわかりませんよね。今回の創価の教義の変更で、大御本尊と学会員さんの家庭にあるご本尊との関係が変わったんです。それもなんだかわけのわからない関係になってしまった。「まあ大御本尊もご本尊のひとつなんだけど、べつに拝むまでもないですよ」なんて、じゃあこれまでものすごいお金を出させて正本堂まで建てて、ものすごい額の参拝料を出させてきたのは何だったんだ?って話です。「あれは間違いでした」ってことなんでしょうか?でも今回の教義の変更から解釈すると、そのようにしか考えられませんよね。つまり創価はこれまでの日蓮正宗の教義は間違いだったし、それに従って信仰してきた創価学会も間違いでした。今になってやっとそれに気づいたから「こっちから見限ってやったんです」って言うわけですよ。そしてこれからの創価学会は日蓮正宗とか何の関係もない、世界で唯一の日蓮仏法を正しく広めることのできる宗教団体としてスタートしますってことですよ。
そう言うんならそれでもいですよ(笑)。でもそれって学会員さんに伝わっているんでしょうか?これが「教義の変更」程度のことで、ひととおり新聞に載せるだけで済ませていいんでしょうか?日蓮仏法の根幹である三大秘法のなかでもさらにいちばんの中心である一大秘法とまで日蓮が言っている「本門の本尊」が「じつは違いました」って宣言したんですよ。これ凄いことですよね。日蓮を全否定ですよ。ちがいますか?発足以来80年の創価学会の内容がまったく180°変わったんです。創価学会は日蓮が「これがオレの全てだ」と言っているものを全否定しているのに「創価学会は日蓮仏法を正しく広めようとしている団体だ」と言っているんです。これどこの誰がどう考えてもおかしいですよね。
でも創価の末端の組織では、そんなこと話題にもなりませんよね。選挙で公明票がどれだけとれるか…というよりも「自分とこの地区ではFの数をどれだけ上に報告できるか」で頭の中はいっぱいです。それによってもらえる功徳の量が決まると本気で信じてますからね。政治のことなんか関心ありません。活動家にとってはFの数が功徳ポイントです。なんかすごい組織ですよね。昨日のニュースで自衛隊が国外派遣できるような憲法解釈をすることで自民と公明が一致したというのがありました。いよいよ自衛隊が大手を振って国外の戦争に参加できるようになったわけです。学会員さんは創価は世界平和を目指して活動していると言っていますが、実際にやっていることは自衛隊の海外派遣を現実にすることです。このことに何の関心も無く、今でも毎日Fの数を増やすことで頭がいっぱいです。自分たちが信じてきた日蓮仏法を創価学会は全否定したというのに、誰も何とも思わないで功徳ほしさで公明票獲得にやきもきしているんですもんね。おめでたいですね。
結局、これはどういうことかというと、私はこう考えました。
創価は日蓮正宗から破門された時点で、本来ならその存在理由が消滅したんです。本来ならというのは、もともと創価が日蓮正宗の信徒団体として発足していればということです。つまり創価学会がほんとうに宗教団体であればという仮定の話しです。しかし現実には創価学会は破門されても解散しなかった。もうこれだけでも創価が宗教団体ではないことの証明なんですが、そこは千歩ゆずりましょう(笑)。
では破門された後に創価は何をしたか。みなさんご存知のように、徹底した日蓮正宗のバッシングです。とにかく破門されたことで会員が創価を疑っては大変なことになる。会員が減ったら金儲けができない。だから何をやってもいいから「自分たちを破門した宗門のほうが悪い」ということを会員の頭に叩き込むんだ!ということで、コーヒーカップ事件や日顕ラスベガス豪遊事件などをでっち上げますが、創価は裁判で負けてしまいます。と同時に、創価ではそれより困ったことになりました。そう、ご本尊がもらえない。当然でしょう。創価は破門されたんだからご本尊はもらえません。すると創価学会員は会員を増やせない。つまりお金もうけができなくなる。こりゃ大変だ、どうにかしてご本尊を会員に売りつけなきゃ新聞も売れないし財務もとれない。商売上がったりじゃないか。会員が減ったら会館の維持管理もできない。創価班や牙城会の仕事をタダでやる若者もどんどん減っているというのに。
そこで創価が何をしたか。「もらえないんだったら作ればいいじゃん(笑)」。仕入れ先が卸さないんだったら、自分で工場作ろう。ということでいちばんコストのかからないカラープリンターで増産することにしました。ついでに今会員さんが持ってるご本尊もみんな取り替えて売れば……◯◯◯億円!ヴぉっ!ラッキー!これで行こう!じゃ、自家製ご本尊の原版はどうする?今の日顕書写じゃ理屈が合わないから創価が持ってるやつを使おう。おお、学会員が坊主になった東北のお寺に日寛上人のご本尊があるらしいぞ。それスキャンしとけ。「あの、授与書きとかありますけど」なに言ってんの、そんなの消しとけ。墨のかすれてるとこも立派に見えるように修正しとけよ。ってなことで、創価は日顕書写のご本尊を1点3000円で表装までも画像ぶっこみでカラープリンタ版ご本尊に取り替えさせるボロい商売を始めました。ご本尊を自家製にしながら思いついたのは、他にもあります。お寺で葬式ができない。じゃあ、会館でやりゃいいじゃん。坊主に儲けさせなくてすむし、手配は会員がただでしてくれるから、会員も安くついてありがたがるぞ。おお、そしたら墓にも入れないんだから、この際、墓で儲けるか!安い山奥の土地を買いたたいてみんな同じ仕様の墓を並べて、全国の会員に墓を買わせる。もちろんこれがいちばんの成仏だと言って、一家に一つじゃなくて、一人に一つずつ買わせるんだよ。どうせ遠くの山奥なんだから、めったにお詣りに来ないしな。てきとうにほったらかしときゃいいんだよ。ってなことで、お墓でもものすごい商売をはじめました。
しかしそんなこんなでいろいろ策を講じてみても、創価学会の会員さんもさすがに「これおかしいんじゃないか?」「いくらやってもちっともいいことなんかないぞ」「活動活動で家庭を顧みる暇もなくて、夫婦仲は悪くなるし、子どもはグレるか引きこもりになる」「毎年これだけお金を出してるのに、いっこうに返ってこない。指導では何倍にもなって返ってるっていってたのに」「公明党を応援してるけど、世界平和を目指す団体がなんで集団的自衛権をすすめるんだ?」などなど、創価が言ってることと現実が違うことに少しずつ気がつく人が出てきました。それがどんどん加速度的に増えているんですね。だから末端組織はお年寄りばっかりになってしまいました。普通なら一発でわかることなんですが、とにかく疑問を持つだけで不幸になると脅され続けてきた学会員さんは、現実の創価に疑問にもつことができないまま、そのことを口に出すことさえできないまま、言われることをやり、お金を出し続けてきました。しかしもうこの衰退ぶりはどうにも止まらないでしょう。とにかく言ってることに無理がありすぎます。そして現実に学会員は創価の信仰によって誰も幸せになっていません。そこを会員になんとか気づかせないようにしているのが創価のいちばん悪質なところです。創価が宗教だと純粋に信じている人の信教の自由を奪い、基本的人権を奪い去って、時間を奪い、家族を奪い、お金を奪い、人生そのもの奪い取ってきた。それが創価学会の現実の姿です。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮