獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(8)

2022-02-22 01:44:41 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■白いブランコさんとの対話 2        投稿日: 2015年3月21日

このスレッドは白いブランコさんとシニフィエとの対話の続きです。すみませんが、他の方はこのスレッドにはコメントしないでください。よろしくお願いします。
では創価学会が今回発表した「教義の変更」に関して「本門の本尊」の解釈にいろいろと矛盾があるのではないか?ということに論点をしぼって対話をしていきたいと思っています。
そこで私から単純な質問をさせてもらったのが
「今回の教義の変更において、発足以来80年にわたる日蓮正宗との関係を完全に断ったと宣言した創価学会なのに、創価学会の信仰の対象である本門の本尊であるとする御本尊が、なぜ日蓮正宗法主日寛上人書写の御本尊の修正コピーなのか?」
ということです。
ほかにも多くの矛盾がありますが、なにより信仰の対象の解釈が変わるという、一般的な宗教の概念としてはおよそ考えられないことを、2度の聖教新聞での掲載のみで済ませてしまっていて、その後は公式HPにさえ掲載していないことも不思議に思います。
まずは創価学会の信仰の対象がなぜ今も日蓮正宗のコピーなのかという理由を教えてください。よろしくお願いします。
付け加えますと、創価学会の本門の本尊が日蓮正宗の御本尊なのに、創価学会公式HPには、日蓮正宗の記載がまったくないというのも理解しがたいことです。


●白いブランコ (2015年3月26日 21:42 )
signifieさん
日蓮大聖人からみれば、自分の説いた法華経・日蓮仏法の信徒同士が争うのはおかしいと感じられると思います。
日本の中で「南無妙法蓮華経」を唱える教団は、創価学会・日蓮宗・日蓮正宗・顕正会・立正佼成会、霊友会etcもっとあるかもしれませんが、
その教団同士で、教義の解釈の違いにより争いを繰り広げています。傍から見たらおかしいと感じるでしょう。
中に居たらいたで、お互いが自分たちの教義解釈を主張しています。
ひとことで言わせていただければ醜い争いです。
かといって、各教団のトップ同士が集まって日蓮大聖人の元、一致団結しようという動きは見られませんし、
一信徒からすれば、何のための宗教かと思うこともあります。
そのような状態にもかかわらず私が創価学会にこだわっているのは、恩を感じているからです。
学会2世なので、物心ついたころから学会の会合に参加していて、未来部の時は、それこそ、yさんのような熱心な担当者の方には大変お世話になりました。
大石寺も年に1回は行っていたでしょうか。正本堂の噴水やお土産屋の通りの勢いあふれる水の流れ等々、思い出はたくさんあります。
仕事を決める際も、牧口先生の価値論の美・利・善をもとに決めてきましたし、戸田先生の生命論、獄中の悟達、絶対的幸福境涯という考え方も私の人生に良い影響を与えております。
人生で大きく悩んだときも この仏法、そして池田先生の著作にどれだけ励まされ助けられたかわかりません。
なので、私は創価学会のそういった人のためになる活動の部分は大きく評価していますし、だからこそ、創価学会を信じている部分があります。
翻って、そうではない部分も目に付くようになりましたし、特に最近そういう感が強くなったので、改善しなくてはならないと思い始めたのです。
教学の話に戻りますが、創価学会が用いていた日蓮正宗の教義は、大部分が日寛上人の解釈をベースとした教学です。その日寛上人の教学も、大聖人の教義の解釈の部分と、自宗の正統性を証明するための教学に分けられるとのことです。
このうち、創価学会としては大聖人の教義の解釈の部分は引き続き用いますが、宗門の正統性の部分は用いないことにしたようです。この辺も1/30の新聞に発表されてました。
御本尊が本物かニセモノかという議論ですが、立場が変われば見方が変わるので、たとえば創価学会の御本尊も、日蓮正宗の教義に当て嵌めれば、御本尊と認められないということであれば
日蓮正宗の信徒は創価学会の御本尊に祈らなければ良いだけの話です。
よく引かれる日達上人の話で、「日蓮正宗以外の教義が広まっても広宣流布とは言わない」というのがあって、そうであれば、日蓮正宗はそうやればいいし、創価学会の広宣流布とは日蓮仏法を基調とした平和・文化・教育の推進なので、創価学会はそれを広めればいいと思います。
教義の解釈が違うので袂を分かれたのだから、広宣流布の解釈も当然違ってきます。
創価学会か日蓮正宗かの二者択一であれば、そのどちらかの信じられるほうの教団にいればいいと思いますし、
現在は選択肢が広がっているので、その他で自分が信じられるものがあれば、そちらを信じればいいと思います。
宗教信条を選ぶ自由は保障されるべきだし、たとえ創価学会員であっても、その自由は妨げてはならないところです。
それを無理に留めようとするから問題になるのです。
特に学会2世・3世の方とか、自分の意思でやられていない方は、他に信じる道があるとおもうのであればそちらの道を選ばれてもいいと思っております。
多様性の時代だし、ひとりひとり考え方もしあわせの感じ方もちがうので、いままでのような、これが絶対正しいというのは通用しない時代だと思います。
やめる人(退会する人)が多ければ、組織としてもおかしいところがあると気づくかもしれませんが、そうでなく、籍だけ残させている状態では、問題点が隠れてしまいます。
やめた人を攻めるのではなく、やめる人を生み出している状況を攻めるべきです。(あまり攻めるとかいう言葉を使うと、戦闘モード云々いわれそうですが、、)
創価学会が今回の教義の改正に踏み切ったのは、世界に通用する宗教になるためということですので、創価学会独自の日蓮仏法を基調とした世界平和・文化・教育のための教義には自信があるのでしょう。
その一番最初として、一番の根本である御本尊の解釈を変えたのだと思います。このあとも随時、新たな創価学会教学が打ち出されると思います。
700年以上前のことにこだわって反感を買うよりも、現在の現実に即した形に改めるのは良いことだと思いますし、受け入れられると思います。
>ということは創価は日蓮正宗や日蓮宗よりもそうとう寛容な、これまでにどこにもなかった日蓮仏法に変わったということですね。
そのように捉えられてよろしいかと思います。
印刷技術の発達のおかげで、マルチンルターの宗教改革が広まったのと同じように、情報技術の発達=インターネットの普及により、信教の自由が加速してもいいと思います。
一人ひとりが 宗教=幸せになる教え を考えて、選んで(選ばないという選択も含めて)、そして、お互いがその考えや宗教を尊重していく世の中になってほしいと思います。
いままでの考え方や捉え方が変わるので、すごく時間がかかることかもしれませんが。

●白いブランコ (2015年3月28日 22:30 )
signifieさん
こんばんわ。ここ数日のsignifieさんのコメントで、signifieさんはじめ、常連さんたちの考え方がよくわかりました。ストレートにコメントしていただいて解かりやすかったです。
結局、信仰心を利用してお金を騙し取っているということと、信仰心を利用して、票を集めているということですね。
いろいろな側面から、しっかり考えていきたいと思います。
折伏についてご意見を述べられてますが、今一度、考えをまとめておきます。
私は創価学会が折伏をしないとは言っておりません。折伏について申したのは、
<また「聞法下種」とあるように、相手が信授しようがしまいが、仏法の話をすることが折伏になります。
<「発心下種」にこだわるから問題が起こるのであって、その「発心下種」も、数字のための「発心下種」になっていることがあると思います。
<そういうところを改善していかなくてはならないと思います。
ということです。
まず折伏・弘教が金儲けのためとおっしゃてますが、はたしてそうでしょうか。
創価学会の入会条件は、
1.勤行・唱題を実践している
2.聖教新聞を3ヶ月以上購読している
3.定例の座談会に2回以上参加している
となってます。
折伏・弘教をやられたことがあればお解かりだと思いますが、決して簡単なことではないです。
もし金儲けが折伏の目的だったら、勤行して数珠・教本を渡して本人の同意も無く入会とかにしたほうが全然簡単だと思います。
もうひとつ、折伏に対するイメージですが、signifieさんの仰る折伏は、昔ながらの相手の思想信条を全否定して、日蓮原理主義仏法を信じ込ませようとしているのを折伏とイメージしているように思えます。
創価学会がおこなう折伏は、日蓮正宗と同じころはそういった面がありましたが、いまは「聞法下種」とあるように、仏法対話を基調としています。
相手を尊重し、こういった考え(仏法)もあるよと、相手が信じようと信じまいと、話をするのも立派な折伏です。
そして、話を聞いた人が納得したとして、家族の了解を得てやっと入会になります。
返答に間が開いてしまって、話は飛びますが、
signifieさんもKickeyさんも、従来の日蓮原理主義的な発想から考えられていると思います。
>思想を変えようと思ったら、時には戦争も伴い、場合によればテロのように意思表示として実力行使で反発してきます。
 
そのとおりの事を行ったのが、旧陸軍の参謀、石原 莞爾です。またテロを行ったのは2.26事件の指導者、北 一輝です。二人とも日蓮原理主義的な発想の人です。
この辺のことについては、本宮ひろしさんの「国が燃える」という漫画に描写されています。
田中智學の話が出たついでにいうと、国立戒壇を言いだしたのは田中智學で、その系統が顕正会に息づいていると思ってます。
日蓮原理主義的な発想では、広宣流布にもならないし、仰られるとおり、侵略になってしまいます。
創価学会としては、というか池田先生は明確に否定しております。
signifieさんは随所で、私の考えを幹部に言ってみてくださいと仰ってますが、そのようなやり方で改善できるとは思っておりません。
また、幹部に改善を期待するよう様なことはありません。
yさんがコメントしてくださったようにブログを立ち上げるとかは未定ですが、一つだけ確実なのは、「対話」を通して改善に取り組みたいと思っております。
2015年3月27日 16:50 のsignifieさんのコメントを読んで、対話の重要性をあらためて認識したのと、signifieさんのお気持ちをしっかりと受け止めたいと思います。

●白いブランコ (2015年4月2日 22:16 )
signifieさん
御本尊の解釈についてもう一度説明させていただきます。日蓮仏法の中での話なので、その他の宗教の話ではありません。
日蓮大聖人が御本尊を顕わした理由は、すべての人々に仏の境涯になってほしいからとのことです。
信仰心のある方に御本尊を与え、お題目を唱える。そして仏の境涯になってもらう。これが日蓮大聖人の希望されていたことです。
今回の教義の変更、御本尊の解釈については、時代に合わないから変えたのではなく、大聖人の意向に合わせて変えたということで納得しています。
「大聖人の本義に基づいての変更」という言葉で説明されています。
>だからこの教義の変更についても聖教新聞で一度だけさらりと流して突っ込まれないようにした。そういうことではないのですか?
一応、今月の大白蓮華「大白蓮華 2015年 4月号」の巻末に掲載されています。ご参考までに。

●白いブランコ (2015年4月5日 18:05 )
signifieさん
支援の戦いのボイコットの件で以下御返答します。
>今の時期に公明党のやってることには賛成できないから自分は選挙活動はしないということが地区内でまかり通るものなのでしょうか?
公明党のやっていることについては良し悪しあるので、政策如何で選挙活動をやる・やらないということではなくなりました。
(今までは公明党も良くやられていたと思っていたので、あまり疑問を持たず、支援の戦いをしていました)
信仰心を利用して政治活動を行うことに賛成できないので、ボイコットしています。
再度載せますが、
「私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」
と先生の言葉にもあるように信仰と政治活動を結びつけるのは間違いです。
何も問題なくまかり通っているかは現時点ではわかりません。明らかにおかしいと感じている部員さんもいると思います。
>白いブランコさんの地区では選挙活動はしていないのですか?それとも会員さんには選挙頑張れ、先生にお応えするんだ、広宣流布の使命を全うしよう!と激励しているのでしょうか?
活動家の方は相変わらず支援の戦いはしています。私は前回の衆院選からですが、創価学会員の立場としては選挙活動はしない(出来ない)ということを地区婦人部長、副支部長等、数名には伝えております。
>今現在、白いブランコさんは地区部長として、地区の会員さんとどのような選挙の戦いをされているのでしょう?
上述した通り、私個人としては選挙の戦いはしておりません。
>また、幹部である奥様は白いブランコさんの公明党に対する考えをご存知なのでしょうか?
パートナーにはすべて話をしております。公明党というよりは選挙の戦いについてを多く話しております。
>奥様はF取りに必死なのではないですか?
やめてほしいのに必死にF取りに行っております。うちは小さい子供がいて、その間は自分が見ていなくてはなりませんので、コメントする時間もありませんでした。
satouさんのコメントに「家庭内の改善をしてみてください。」とあったように、昨日も自分の考えや気持ちをバリ活のパートナーに伝えました。
モニカさんのコメントにあったように「何を言われようと学会は正しい」「私には確信がある」との内容で会話になりませんでした。信心のことでなんで喧嘩しなければならないのか、普通で考えればおかしなことですが、このまま喧嘩し続けるのは子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。

●signifie (2015年4月5日 19:42 )
では、白いブランコさんは、地区の部員さんにも「自分は納得できないから選挙の支援活動はしない」と明言して、自分は支援活動はしないが、地区の学会員さんがする分には何も言わないようにしていると言うことですね。さらに奥様とはそうした意見の違いで離婚も考えていると。
そうですか。
>子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。
私 思いますのは、これって男の勝手な言い訳だと。これ女性が聞いたら怒りますよ(笑)。子どもをダシに使うなと。じゃあ、子どもがいなかったら離婚しないってことなの?って。
それで、立ち入ったことを聞くようで申し訳ないのですが、もし白いブランコさんが離婚されたとして、小さなお子さんはおそらく奥様が育てられると思います。そうなるとお子さんもお母様から「何を言われようと正しい」「私には確信がある」といった子どもさんになる可能性が大きいと思います。おそらく白いブランコさんがそのような環境だったのでしょうし、私自身そうでしたし、2世3世の学会員はたいていそんな環境で育ちました。まず創価ありきという家庭環境をどう考えますか?
「お父さんとお母さんはどうして離婚したの?」
「お父さんはね、魔に負けてお前を捨てたのよ」
「魔って何?」
「ご本尊様を信じようとすると魔が出てくるの。お父さんはその魔に負けてしまったのよ」
「魔って怖いね。魔に負けたら離婚するんだ」
「そうね、魔に負けたら幸せにはなれないの。だからあなたも絶対魔に負けたらだめよ」
「うん、わかった。ご本尊様を信じればいいんだね」
「そうよ、ご本尊様を少しでも疑ったりしたらすぐに魔がやってくるのよ」
「わかった、ご本尊さまは絶対に正しいんだね」
「そう、絶対に正しいのよ。疑ったりしたらお父さんみたいになるんだからね」
なんだかそんな母子の会話を想像してしまいました。
白いブランコさん、創価学会はあなたの奥様のような方が全国にいて支えているんです。モニカさんも言っているように、創価は何の疑いもなく盲信している婦人部と、婦人部の予備軍である女子部で成り立っています。白いブランコさんが言っている改善策など、創価にとっては痛くも痒くもありません。それであなたが離婚しようが創価にとってはどうだっていいんです。すでにたくさんいる非活がひとり増えるだけのことです。あなたひとりが離婚までしてボイコットしても改善策にはならないことがわかりませんか?自分ひとりボイコットして、自分の中ではスジを通したつもりでしょうけど、それによって創価がどう変わるというのでしょう。絶対に1ミリも変わりませんよ。単にまわりの学会員から裏切り者とか魔に負けたなどと思われるだけです。ちがいますか?

 


解説
2015年3月27日 16:50 のsignifieさんのコメントを読んで、対話の重要性をあらためて認識したのと、signifieさんのお気持ちをしっかりと受け止めたいと思います。

白いブランコさんのコメントです。
この中で言及されている肝心のsignifieさんのコメントは、対話ブログが非公開になったため、参照することはできません。
残念です。

信心のことでなんで喧嘩しなければならないのか、普通で考えればおかしなことですが、このまま喧嘩し続けるのは子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。

選挙のことで意見の合わないバリ活の奥様と喧嘩するようになったことまで話す、正直な白いブランコさんです。
だんだん、signifieさんに追い詰められてきたような感じで気の毒です。


獅子風蓮