獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(4)

2022-02-18 01:46:37 | 対話ブログ

(つづきです)

●の文章は、「白いブランコさんとの対話」についたコメントの引用です。


●白いブランコ (2015年3月14日 14:16 )
signifieさん
以前の対話の中で、私が以下のような話をしたと思います。
<日蓮正宗からの破門については、日蓮正宗の信徒団体から出発した創価学会は、「日蓮正宗の教義」と{日蓮大聖人の本義}が違うことに
 気づき、{日蓮大聖人の本義}に基づいていく道を選びました。
 また現在に即した解釈に、独自に教義を整えようとしている最中だと思います。
 御書根本ですが、かといって日蓮原理主義みたいにはならず、「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、
 反対を悪とする教義になると思います。そこに先生の今までの指導が盛り込まれると思います。
この中で日蓮原理主義と言っているところは、まさにsignifieさんが、今回話をされてる内容だと思います。
私の考えているところは、そうではなく、そのあとの{「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする}という
「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神と言おうと思ったのですが、
先に≪「大聖人の「立正安国」の精神で、」≫と書いてしまい、「現在に即した解釈」という言葉がなかったため、誤解を与えてしまいました。
「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」と訂正させてください。すみませんでした。
前回の話の意図するところは、別に公明支持を正当化させようとか思っているわけではありません。
むしろ逆で、創価学会の公式ホームページを見ても、どこにも支援の戦いの記載はないし、年間行動や行事を見ても
選挙関連は出てきません。それなのに実際の現場は8割方選挙運動を行ってます。
そういった意味では信仰心を利用して、選挙活動をやらせるのは「詐欺」といえると思います。
実際、多大な迷惑をかけているのも、この選挙の戦いだと思います。
信仰者の善意を打ち砕くのも、家族の時間を奪うのもすべてこの選挙の戦いのせいだと思います。
私が感じる創価学会の宗教的部分というのは、公式ホームページの内容のままです。
(ネットは見ないでと指導されてますが、公式ホームページはネットです)
この公式ホームページの内容・イメージのまま、進めているのであれば、良い宗教団体だと
思えるのではないでしょうか。
ダイアナさんへのコメントも言葉足らずでした。
>「国立戒壇」は顕正会だったと思います。
この部分ですが、言おうとしていたのは
「国立戒壇」 をいまだに国会の決議で行おうとしているの は顕正会だったと思います。
という言葉に訂正させてください。
もちろん戸田先生の言葉も知っていますし、そのあと池田先生が訂正しているのも知っています。
言葉足らずで誤解させてしまって済みませんでした。

●白いブランコ (2015年3月14日 16:52 )
signifieさん
みなさまから寄せられるご意見、たしかにそうかもしれないと思いはじめています。
signifieさんのブログのサブタイトル「静かに創価学会を去るために」について説明されていた
>創価学会自体は改善や改革やボイコットが通じないところだという意味です。
 つまり「そんなことをやっても創価学会がいい意味での宗教団体になどなれるわけがないのだから、静かに去るしか道はないのだ」という意味です。
なるほどと思います。
先ず聞く耳を持たない。改善提案や意見を排除する。そして意見を言う人まで排除する。
中には聞いてくれる人もいますが、そうではない人が多いように感じます。
こちらのブログの常連さんたちも、元バリ活の方達が多くいられると思いますが、いわゆる戦力になる方達を排除してきたツケは、必ずやってくると思います。
大量退会時代か、大量未活時代かはわかりませんが、やはり、今のような官僚主義的なやりかたを続けていく限りは確実に衰退します。
以上、本日活動してみた感想です。

●白いブランコ (2015年3月18日 19:01 )
signifieさん
signifieさんとの今回の対話は、通常ではすぐに炎上してしまうようなテーマなので、読んでいる方もいろいろな感情が出てくると思います。
ただ、感情先行では対話になりませんし、私の一番最初の投稿で書いたように、本来、学会の会合や協議会等で行われていても良いような内容だと思います。
ブログのテーマ「対話を求めて」は私も望んでいたことかもしれません。引き続きよろしくお願いいたします。
昨日投稿した改正内容ですが、従来の日蓮正宗に代表される日蓮原理主義的な発想だと、矛盾点だらけだと感じるし無理があるように感じられると思います。
私自身も突然の教義改正の発表と、その内容を読んで、はじめは「じゃあ今までの教義は何だったの?」とか「つっこみどころ満載だな」と思いました。
それを創価学会が掲げる人間主義的な発想で考えると、今回の改正内容は理解出来てくると思います。
今まで日蓮正宗の教義に基づき、御書に仰せのとおりに活動してきたのが創価学会でした。
創価学会としての想いで、正本堂は「本門の戒壇」として建立寄進されました。根拠にしたのは先日signifieさんが詳細を上げていただいた三大秘法抄等です。
結局、解釈の違いであやふやな取り扱いになり、最後は取り壊されるという、寄進時にはとても想定できない結果となりました。
折伏大行進のときも日蓮正宗の教義に基づき、他宗を破折し、多くの会員が誕生するとともに、いまだに根強く残る創価学会の悪いイメージも誕生しました。
世界広宣流布を目指す創価学会にとっては、伝統的な日蓮原理主義的な日蓮正宗の教義では、成し遂げられないと判断したのだと思います。
また日蓮正宗の教義どおりでいくと、正統(唯授一人の血脈相承)以外は邪宗となってしまいます。
六老僧のなかで五老僧は邪宗扱い、日目上人と天奏にいって京都にのこった日尊上人、日目上人の遺骨を持ち帰ってきて、千葉にいった日郷上人、この二人も邪宗扱い
このような教義ではとても広宣流布などできないと思います。
法主にしか流れていない血脈とか、本来御書に載っていないようなことが一人歩きし、いつしか伝統的な教義として残ってしまったのだと思います。
実際にたくさんのことを行った創価学会だからこそ、日蓮大聖人の本義を解かり得たのだと思います。
創価学会は約80年前に誕生し、現代まで様々な実践をしてきて、最後に出した結論は日蓮正宗の教義は日蓮大聖人の本義とは違うということでしょう。
大石寺にある板曼荼羅(大御本尊)についてもいろいろな話があるのは御存知だと思います。
鑑定の結果、江戸時代のものという話もありますし、弘安2年10月12日に書かれた御書(伯耆殿等御返事)にも大御本尊のことは一言も書かれていません。
戸田先生は御本尊のことを”幸福製造機”と例えられていましたが、その”幸福製造機”は各家庭にあるので、大石寺の御本尊がどのような扱いになろうが、あまり影響がない(あまり考えない)のかもしれません。
ましてや突き詰めると”幸福製造機”は自身の胸中にあるので、各家庭のご本尊が変わってもあまり影響がない(あまり考えない)のかもしれませんね。
日蓮正宗から破門されたという形になってますが、実際は日蓮正宗を見限っていたので、結果的にはいい形になったのではないでしょうか。
もちろん、その渦中で多くの学会員さんを悩ましたのも事実です。そのような前例があるので、今回のような重要な件(教義改正)についてはもっと慎重に、丁寧に、わかりやすく周知させてほしかったです。
先日の流出資料からも感じられるように、現場では他宗の方からいろいろなことを言われたり混乱が生じますが、その対応策は学会本部、教学部でも用意出来てないみたいですね。
そうなると、自分で調べて、自分で考えて、自分で判断しなくてはなりません。今回の改正された教義を信じるも信じないも、いわゆる自己責任だと感じました。
今回の御本尊の件でもはっきりしたように、すでに現在の日蓮正宗とは関係ない宗教団体となったので、捉え方によりますが、新しい宗教団体になったといっても良いと思います。
このように述べても、信じてる人、信じようとしている人にとっては少しは有益かもしれませんが、信じてない人、信じようとしない人にとってはどうでもいい話になりますね。
教義も変わったのだから、創価学会員さんの活動内容も、見直していただきたいところです。

 


解説

私の考えているところは、そうではなく、そのあとの{「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする}という
「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神と言おうと思ったのですが、
先に≪「大聖人の「立正安国」の精神で、」≫と書いてしまい、「現在に即した解釈」という言葉がなかったため、誤解を与えてしまいました。
「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」と訂正させてください。すみませんでした。


白いブランコさんのこの文章は、私が考える「日蓮思想の〈構造〉から現代社会に有益なものを掬いあげる」に通じるもので、興味深いです。
創価学会の選挙のあり方にも批判を加えていて、なかなか考えているなと感心しました。

(signifieさんのブログのサブタイトル「静かに創価学会を去るために」の趣旨について)
なるほどと思います。

先ず聞く耳を持たない。改善提案や意見を排除する。そして意見を言う人まで排除する。


創価学会組織のあり方についても、きちんと批判していますね。


戸田先生は御本尊のことを”幸福製造機”と例えられていましたが、その”幸福製造機”は各家庭にあるので、大石寺の御本尊がどのような扱いになろうが、あまり影響がない(あまり考えない)のかもしれません。
ましてや突き詰めると”幸福製造機”は自身の胸中にあるので、各家庭のご本尊が変わってもあまり影響がない(あまり考えない)のかもしれませんね。
日蓮正宗から破門されたという形になってますが、実際は日蓮正宗を見限っていたので、結果的にはいい形になったのではないでしょうか。


なるほど、創価学会はもう完全に日蓮正宗とは別の宗教団体になったと考える創価学会員が増えているのですね。
私は、伝統ある日蓮正宗信徒であることに誇りと愛着をもっています。
そして、いつの日か、創価学会と日蓮正宗が同じテーブルについて、手をつなぐ日がくることを夢見ています。

獅子風蓮