獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(10)

2022-02-24 01:50:21 | 対話ブログ

つづきです。

●の文章は、「本門の題目とはなにものか?」についたコメントの引用です。


●カガテツ 
2015年3月30日 23:26 
本門の題目とは、本門戒壇の大御本尊様(弘安二年十月十二日に御図顕の御本尊)を信じて南無妙法蓮華経と唱えて修行することである。
以上、日蓮正宗教学小辞典・監修池田大作、編著者創価学会教学部、発行所創価学会
、昭和43年11月21日 発行(旧「日蓮正宗教学解説」に補訂を加えたもの)
前回初めて投稿しましたが(投稿その物が初めて)。血尿と痛みに堪らず、買っていた¥430の安ワインを飲んで、痛みを紛らわしつつ「対話を求めて」をROMしていたら、yさんなる執行部スタンス(騙す方の立場)の投稿があって、安酒の悪酔いに任せてなんやら書いたのですが、気が遠くなってきたので寝たのですが……血尿・結石を解決するのが先決問題と思い続きは放っときました。で、今書いてる訳です。
金曜日に膀胱結石摘出手術を行い(14㎜×9㎜のラグビーボール状の石でした)土曜日に退院し安静にごろごろして、日曜日に「対話を求めて」を見たら、10日も経たないのにコメントびっしりで吃驚しました。やっと今日=月曜日に前回投稿まで辿り着きました。
シニフェ様って売れない物書き並みの執筆量ですね(褒めてます)。仕事されながらのこの情熱には、頭が下がります。
“創価憎けりゃ日蓮まで”のようですが、日蓮は法華経至上主義ではあるが、お釈迦様のご金言が法華経であって、私(日蓮)も命懸けで身読してますから~四菩薩の一人位の位置は貰えるのでは?お釈迦様~と云った処ではないでしょうか。
ですから日蓮宗は釈迦本佛日蓮大菩薩ですよね。
日蓮本仏なんてのは、日蓮正宗系だけと言ってもいいでしょう。まさに異端ですね。
「日蓮を敬うとも悪しく(カリスマとして)敬うな」と言ってたのはこの事だったのですね。
日蓮に倣うこと・学ぶことが有るとすれば、法華経(正義)を貫く為には、権力を恐れるな。という事ですよね。将にシニフェ様がやられていることですよね。
翻って創価たるや……ネトウヨ並みの低能右翼アヘの最大の支持票団体ですよね。
白川勝彦元議員のブログ“友よ”のここ最近の記事は、安倍ファッショへの警告・心配ばかりですね、まともな人ならそう思うでしょう。
元公明市議の(現法華講)たけしのブログーに依りますと「創価は既に折伏される邪な団体になっている、早く気づきなさーい」とあります。
そもそも私が、創価に見切りを付けたのは、40年位前に遡ります。近くの市に池田文化会館が出来て、建立式に先生が来られるからぜひ行ってと言われ、池田ってどんな人間なのかな?と後学の為に行ってみたのだが……その団体バスの中で責任者らしき青年が、先生は供え物に果物を持って来られますから、私が一個でも二個でも貰いますから、小さくなりますが皆さんにおすそ分けしますよーワアーワアー(盛り上がり?)。
って、どんだけ創価のレベルって低いねん。先生は結局どうしてもの用事で来られなかった。って何のこっちゃ!
そのとき、このレベルが責任者じゃあ、賢い人間・まともな人間は将来居なくなるだろう。と思い、所謂幽霊会員に脱会する20数年前までなってたので、選挙の時だけお願いしますの電話と、路で会った時だけ世間話するぐらいでしたね。
両親世代はもう半分くらいかそれ以上が亡くなってますね。
正宗を破門になって以降、ヘイトスピーチの先駆けの如き猊下誹謗僧侶こき下ろし記事。あまりの口汚さに裁判官も顔を歪めて注意してましたね。まともな人間は創価辞めるでしょう。
あと、日顕撲滅唱題会。どう考えてもまともな精神の持ち主ではないよね、精神が完全に病んでるよね。
呪詛諸毒薬、諸欲害身者、念彼観音力、還着於本人(法華経普門品第二五)
お経にある通り、まさしく創価員へ倍になって跳ね返って来てますね。
誰かさんが、大幹部の葬儀は何故家族葬、と不思議がっておられましたが、正しく還着於本人で、とても末端会員に見せらない堕地獄の相だからではないのでしょうか。
まさに、代作センセが姿見せられないでしょう。
最後に、現代で、釈迦に最も近かったと思われる中村元先生の「ブッダの真理のことば」より
第二十一章 さまざまなこと
二九一 他人を苦しめることによって自分の快楽を求める人は、怨みの絆にまつわられて、怨みから免れることができない。
対話を求めても飛び飛びにしか読んでないので未読の分を読了してから又お伺いします。
もともと「創価を静かに去るために」って、私はとっくに去ってますし。ただシニフェ様の熱気に当てられて参加してみたかったのです。

●signifie 
2015年4月1日 01:48 
スマホでコメントするとあとから読み返したとき(めったに読み返しませんが)誤字だらけなのがわかって恥ずかしいですが、「シニフィエも老眼なんだなあ」と見過ごしてください(笑)
このごろ特に思うんですが、宗教って自分ではどうしようもなく抗えない力の存在を信じて、それを神様とか仏様とか大いなる力とか救世主とかご先祖様とか宇宙人とか、いろんな実体の確かめようのないものにすがって奇跡を欲しがる。その存在を感じたり出会ったりできた自分は特別に選ばれた人間なんだと思い込んでしまう。またはそうんなふうに人から言われたまんざらでもない。たしかに壮大な自然の力を目の当たりにすれば、なにかしら神様的な超越した力と意志を持った存在やそうした存在が作り出した法則の上にこの世界が成り立っているなどと思うのも無理からぬ話だし、それが世界各地で文明が起ると同時に、さまざまな神話をはじめとした伝承が、少しずつ形を変えて今に至っているのだと思います。
そういう意味では、日本人の多くは、宗教に対するほどよい距離感のようなものがあるのではないでしょうか。クリスマスには家族でケーキでお祝いしプレゼントを交換したかと思えば一週間後には神社に初詣に行き、近頃節分には恵方巻きなるものを面白がり、バレンタインデーなどほとんど宗教色はありません。お盆には渋滞覚悟で実家に帰り墓参りに行く。葬式は坊さんを呼び、結婚式は憧れのチャペルで神父さんの前で指輪を交換する。節操がないといえばそうなんですが、これが日本人らしい宗教観といってもいいでしょう。このような宗教に関しての日本人の寛容性は徳川幕府時代の政策の賜物かもしれません。もしこんな姿を日蓮が見たら気を失ったかもしれません(笑)。それほど日蓮の教義は現代の生活には適応できないということでもあります。この世の普遍の法則であるわけがありません。ましてやそれが日蓮が言い出したことであるなどと、750年間も言い続けた結果がこの程度です。どこに現証があるのだと言いたいですね(笑)。
戦後から昭和40年代くらいまでの創価学会員の数が増えていたころは、もしかしたら世界に広がるんじゃないかという可能性も考えられたかもしれませんが、いまや創価学会は衰退する一方です。この80年間で世界の0.35%しか活動していない団体が、いかにも世界全体に広まっているかのように会員に信じさせているという事実からしてみても、いかに信用できない組織なのかはわかります。
昭和40年代までくらいは、それで会員を騙くらかすことができたんでしょう。「折伏経典」を片手に、創価学会員は日蓮正宗以外の宗教をボロクソに批判し、人を大勢で取り囲み入会カードにサインするまでは帰れない圧倒的な雰囲気をつくり、他人の信教の自由を奪っていきました。神棚や他宗の仏壇を片っ端から焼き払っていきました。まるでアルカイダが世界遺産の石窟寺院を爆破するのと同じように、自分たちだけが正しく、自分たち以外は間違っているのだという考えを押し付けてきました。そうすることで福運がつく、功徳が貰える、過去世からの宿業を断ち切ることができる、未来永劫にわたって幸せになれると信じていたのです。しかしさすがに近頃ではそんなことが通る世の中ではなくなりました。いままで邪宗といって全否定していた他宗を否定しなくなりました。それは日蓮仏法をあたまから否定することでもあります。しかし学会員さんたちは自分たちの信仰の基本が変わったことに疑問に思わなかった。なぜか。功徳があると言われたから。そう。教義が変わろうがそれはどうだってよかったということです。功徳があるならご本尊がイワシの頭になっても信じるんでしょう。だって実際に破門された宗派のご本尊の改ざんコピーを信じているんですから、イワシの頭とどこが違うというんでしょう。それほど創価の組織は会員をなめきっているし、多くの会員はどんなになめられているかもわからないで騙され続けているんです。
普通なら「教義がここまで変わったんだったらいいかげん気づけよ」と言いたいところですが、それでもどうして気づかないのかも、経験者である私たちにはよくわかります。宗教的要素の話が入ると、人間は簡単に目の前の当たり前のことが見えなくなるんですね。基本的にほんとかどうかを確かめようのないことなので、ほんとかどうかではなく、信じるか信じないかの世界です。そこに天才的な詐欺師が目を付けた。天才的と言っていいのかはわかりませんが、つまり人を騙すことの罪悪感を微塵も感じない人間という意味での天賦の才能というか欠陥ですね。そしてそのおこぼれに預かろうというコバンザメのような幹部たちが群がっていて、その下には本気でそれを信仰だと信じている被害者がいる団体。騙されていることも知らずにお互いを騙しあっている。それが一般の学会員さんです。

 


解説
加賀の哲人、カガテツさんの初登場です。

>日蓮に倣うこと・学ぶことが有るとすれば、法華経(正義)を貫く為には、権力を恐れるな。という事ですよね。

教学があって博識のカガテツさんの言葉には学ぶところが少なくありません。

対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮