獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

すたぽ「友岡講演2」(1)袈裟

2023-11-01 11:40:23 | 友岡雅弥

前回、増田のおばあちゃんに関連して、有料サイト「すたぽ」の紹介をしました。
音声記録のみの【友岡講演2】ですが、これがなかなかいいんです。
友岡さんの貴重な、生の声が聴けます。

この講演の最後の方に、おそらくこの増田のおばあちゃんのことを話しているところがあります。
感動します。

というわけで、反訳をこころみましたので、かいつまんで要約をお届けしたいと思います。

Salt82 -【友岡講演2 1/8】 袈裟(2021年7月26日投稿)


「友岡講演2」(1)袈裟

すたぼ連載の最後、あと数日となりますが最後に友岡雅弥氏の講演「自分で自分の道を切り拓く人に。」をお送りします。

一人の人間の力には限りがあると言われるが、いつも困難な時代を拓いてきたのは、一人の小さな革命である。
何者にも負けない、屈しない。
本当の力とはどこから湧き出でてくるのか?

友岡雅弥氏が所属する団体において講演された貴重な音声を8回にわたって連載させて頂きます。

今回は第1回目です。
(文章は適宜要約してあります)

 

えー、今日、おじさんのお葬式ありまして行ってきたんですが、日蓮宗のお坊さんが来てはりまして、方便品と自我偈を読みはるんですけど、抜けるんですね、いっぱい。それを仕事としているんだったら覚えとけっと思うんですけど、後で、「いくつか抜けましたね」ていうと、「あんた、よう知っていますね」と驚いてはりますけど、それで80万円取ってどこかいきましたけど。
それやったらよっぽど僕の方がうまいなって思って、20万円でいいから僕にくれって思いましたけど、えー、なんか衣の権威っていうね、お坊さんの恰好やっていたらニセモンのお経やってても80万円やってしまうんですね。
不思議なことやと思いましたけど。

えー、僕はもともと創価学会やなかったんです。普通の人間やったんです。
大学院の時、創価学会入ったんです。
そんときの大学院の仲間と、僕の担当の教授、そのころみんな阪大おったんですけど、そのころの阪大のメンバーが、NHKの依頼を受けてですね、番組作りまして、この前放映されました。4回連続シリーズで。あまりにも反響大きかったんで、本になりました。
NHKスペシャル、「ブッダ」。
NHKスペシャルがはじまってこの10年で一番視聴率があったらしです。
(中略)
それぐらい、ものすごい視聴率を稼いで、いま3冊分の本になって出ています。
とくに1回目がものすごく反響が大きかった。
いっぱい手紙来た。
どういう手紙だったかというと、
__今まで私たちは騙されていた。日本の仏教は仏教じゃなかったんですね。
というのが、ほとんどそういう手紙です。

どういうシーンやったかというと、バングラデシュのチッタゴンという小さな村の話なんですね。
ここに、2千数百年前の釈迦の教えをそのまま伝えている人々がおるんです。
でも残念ながら、彼らはそれを広めることはしなかったんですね。
だから、正しい法がだんだんだんだん小さくなって、その村が消滅したら、正しい教えが、インドおよびバングラデシュ、このあたりから無くなってしまうんです。
そういう村の話です。
その村で、おばあさんが亡くなるシーンがあったんですね。
も―ぼちぼち、おばさんが虫の息やと。
で、お孫さんがお坊さんを呼びに行くんです。
日本の場合は死んでからお坊さん呼びますね。
まだ、生きているんですよ。おばあさんは。
で、お坊さん呼びに行きますね。
お坊さんが来ます。
この段階でも、みなショック受けたらしい。
その坊さんが着ているのが、袈裟。
袈裟というのはインドのサンスクリット、インドの言葉で、カサーヤっていう。
カサーヤっていう言葉に、中国の人がよく似た発音の「袈裟」っていう漢字を当てただけ。
「袈裟」っていう漢字には何の意味もないんですよ。
カサーヤっていうのはどういう意味かというと、汚いっていう意味なんですよ。
それはどういうことかというと、インドで人間として扱われなかった人々、チャンダーラっていうんですけど、人間扱いされなかった。道路に、路に住んでいる人たち。
もしくは清掃する人たち。
そういう人たちが、無理やり、他の人たちと区別するために無理やり着せられていたボロの一枚布。
それ着てたら、あ、あいつら普通の人間と違うんやって。
そういう風に差別するために、汗と泥で汚れた一枚布を着ていたんですよ。
これをカサーヤっていうんです。
ガンジーが着ているのがそうですね。
弁護士の服を脱ぎ捨てて、ハリジャンという貧しい人たちと同じ服を着た。
ガンジーが着ているのが本来のもともとのカサーヤです。
釈尊も一緒。
釈尊も王子だったけど、王子の服を全部脱ぎ捨てて、カピラヴァストゥっていう城を捨てて、19歳からずっと屋根のあるところには住まなかった。
いわゆるホームレスの人たちとともに生きたんですよ。
これを出家っていうんです。
出家っていうのはもともとインドの言葉で、アグリファスタ。
グリファスタっていうのは家、アっていうのはそこから出ていくこと。
家出っていう意味なんですよ。
出家っていうのは、家出っていう意味なんですよ。
家に住んでいたら出家ではないんですよ。
日本のお坊さんはでっかい家に住んでいますね。
だから、出家っていわないんですよ。あれは住職っていうんですよ。
住むのが職業。
僕は創価学会として他の宗教の悪口言ってるんじゃないんですよ。
本来の仏教じゃなかったっていう話なんですよ。
とにかく釈尊は、一生涯家を持たなかった。
洞窟だとか、ホームレスの人たちと一緒に住んだわけですよ。
そんで、釈尊は、カサーヤを着た。
泥と汗で汚れたような作業着。
それを着たわけです。
だから、今でいうと、釈尊の精神というのは、本当に貧しい人と、また必死に働いている人と、ともに作業着を着る。汗と泥で汚れた。
それが本来の仏教の袈裟の精神なんですね。
それが日本ではこういうふうにいつの間にか、ここに二つのあれがついているこういうのが袈裟になってしまってね。
全然違うわけですよ。
本当は、作業着。
そういうのを着るってのが、袈裟の精神なんですね。
それを袈裟っていったんですよ。もともとは。
それがいつの間にか、他の普通の人と違う、特別なものを着る。
だから、日本のお坊さんの着ている袈裟は、袈裟じゃなく、「昨日の晩」っていうんです。
時代遅れの差別。
これ分かりますね。
僕は創価学会として他の宗教の悪口を言っているんじゃないんですよ。
本来の仏教はもっとすごかったっていう……。

それはともかく、そのお坊さんも袈裟を着てますから、本来の袈裟、貧しい一枚布を着てますから、
__これを袈裟という。
というナレーションが流れましたんで、それを観た視聴者は、
__ええっ、本当の袈裟っていうのはそういう意味やったんか。
__日本の仏教の袈裟は正反対や。
そういう投書がいっぱい来たわけです。

 


解説
おばあさんが亡くなるシーン、興味深いです。
死んでからではなく、亡くなる前にお坊さんを呼びに行くんですね。
宗教者こそ、死に立ち会うべきというのは、同感です。

 

獅子風蓮



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