獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(4)

2022-02-18 01:46:37 | 対話ブログ

(つづきです)

●の文章は、「白いブランコさんとの対話」についたコメントの引用です。


●白いブランコ (2015年3月14日 14:16 )
signifieさん
以前の対話の中で、私が以下のような話をしたと思います。
<日蓮正宗からの破門については、日蓮正宗の信徒団体から出発した創価学会は、「日蓮正宗の教義」と{日蓮大聖人の本義}が違うことに
 気づき、{日蓮大聖人の本義}に基づいていく道を選びました。
 また現在に即した解釈に、独自に教義を整えようとしている最中だと思います。
 御書根本ですが、かといって日蓮原理主義みたいにはならず、「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、
 反対を悪とする教義になると思います。そこに先生の今までの指導が盛り込まれると思います。
この中で日蓮原理主義と言っているところは、まさにsignifieさんが、今回話をされてる内容だと思います。
私の考えているところは、そうではなく、そのあとの{「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする}という
「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神と言おうと思ったのですが、
先に≪「大聖人の「立正安国」の精神で、」≫と書いてしまい、「現在に即した解釈」という言葉がなかったため、誤解を与えてしまいました。
「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」と訂正させてください。すみませんでした。
前回の話の意図するところは、別に公明支持を正当化させようとか思っているわけではありません。
むしろ逆で、創価学会の公式ホームページを見ても、どこにも支援の戦いの記載はないし、年間行動や行事を見ても
選挙関連は出てきません。それなのに実際の現場は8割方選挙運動を行ってます。
そういった意味では信仰心を利用して、選挙活動をやらせるのは「詐欺」といえると思います。
実際、多大な迷惑をかけているのも、この選挙の戦いだと思います。
信仰者の善意を打ち砕くのも、家族の時間を奪うのもすべてこの選挙の戦いのせいだと思います。
私が感じる創価学会の宗教的部分というのは、公式ホームページの内容のままです。
(ネットは見ないでと指導されてますが、公式ホームページはネットです)
この公式ホームページの内容・イメージのまま、進めているのであれば、良い宗教団体だと
思えるのではないでしょうか。
ダイアナさんへのコメントも言葉足らずでした。
>「国立戒壇」は顕正会だったと思います。
この部分ですが、言おうとしていたのは
「国立戒壇」 をいまだに国会の決議で行おうとしているの は顕正会だったと思います。
という言葉に訂正させてください。
もちろん戸田先生の言葉も知っていますし、そのあと池田先生が訂正しているのも知っています。
言葉足らずで誤解させてしまって済みませんでした。

●白いブランコ (2015年3月14日 16:52 )
signifieさん
みなさまから寄せられるご意見、たしかにそうかもしれないと思いはじめています。
signifieさんのブログのサブタイトル「静かに創価学会を去るために」について説明されていた
>創価学会自体は改善や改革やボイコットが通じないところだという意味です。
 つまり「そんなことをやっても創価学会がいい意味での宗教団体になどなれるわけがないのだから、静かに去るしか道はないのだ」という意味です。
なるほどと思います。
先ず聞く耳を持たない。改善提案や意見を排除する。そして意見を言う人まで排除する。
中には聞いてくれる人もいますが、そうではない人が多いように感じます。
こちらのブログの常連さんたちも、元バリ活の方達が多くいられると思いますが、いわゆる戦力になる方達を排除してきたツケは、必ずやってくると思います。
大量退会時代か、大量未活時代かはわかりませんが、やはり、今のような官僚主義的なやりかたを続けていく限りは確実に衰退します。
以上、本日活動してみた感想です。

●白いブランコ (2015年3月18日 19:01 )
signifieさん
signifieさんとの今回の対話は、通常ではすぐに炎上してしまうようなテーマなので、読んでいる方もいろいろな感情が出てくると思います。
ただ、感情先行では対話になりませんし、私の一番最初の投稿で書いたように、本来、学会の会合や協議会等で行われていても良いような内容だと思います。
ブログのテーマ「対話を求めて」は私も望んでいたことかもしれません。引き続きよろしくお願いいたします。
昨日投稿した改正内容ですが、従来の日蓮正宗に代表される日蓮原理主義的な発想だと、矛盾点だらけだと感じるし無理があるように感じられると思います。
私自身も突然の教義改正の発表と、その内容を読んで、はじめは「じゃあ今までの教義は何だったの?」とか「つっこみどころ満載だな」と思いました。
それを創価学会が掲げる人間主義的な発想で考えると、今回の改正内容は理解出来てくると思います。
今まで日蓮正宗の教義に基づき、御書に仰せのとおりに活動してきたのが創価学会でした。
創価学会としての想いで、正本堂は「本門の戒壇」として建立寄進されました。根拠にしたのは先日signifieさんが詳細を上げていただいた三大秘法抄等です。
結局、解釈の違いであやふやな取り扱いになり、最後は取り壊されるという、寄進時にはとても想定できない結果となりました。
折伏大行進のときも日蓮正宗の教義に基づき、他宗を破折し、多くの会員が誕生するとともに、いまだに根強く残る創価学会の悪いイメージも誕生しました。
世界広宣流布を目指す創価学会にとっては、伝統的な日蓮原理主義的な日蓮正宗の教義では、成し遂げられないと判断したのだと思います。
また日蓮正宗の教義どおりでいくと、正統(唯授一人の血脈相承)以外は邪宗となってしまいます。
六老僧のなかで五老僧は邪宗扱い、日目上人と天奏にいって京都にのこった日尊上人、日目上人の遺骨を持ち帰ってきて、千葉にいった日郷上人、この二人も邪宗扱い
このような教義ではとても広宣流布などできないと思います。
法主にしか流れていない血脈とか、本来御書に載っていないようなことが一人歩きし、いつしか伝統的な教義として残ってしまったのだと思います。
実際にたくさんのことを行った創価学会だからこそ、日蓮大聖人の本義を解かり得たのだと思います。
創価学会は約80年前に誕生し、現代まで様々な実践をしてきて、最後に出した結論は日蓮正宗の教義は日蓮大聖人の本義とは違うということでしょう。
大石寺にある板曼荼羅(大御本尊)についてもいろいろな話があるのは御存知だと思います。
鑑定の結果、江戸時代のものという話もありますし、弘安2年10月12日に書かれた御書(伯耆殿等御返事)にも大御本尊のことは一言も書かれていません。
戸田先生は御本尊のことを”幸福製造機”と例えられていましたが、その”幸福製造機”は各家庭にあるので、大石寺の御本尊がどのような扱いになろうが、あまり影響がない(あまり考えない)のかもしれません。
ましてや突き詰めると”幸福製造機”は自身の胸中にあるので、各家庭のご本尊が変わってもあまり影響がない(あまり考えない)のかもしれませんね。
日蓮正宗から破門されたという形になってますが、実際は日蓮正宗を見限っていたので、結果的にはいい形になったのではないでしょうか。
もちろん、その渦中で多くの学会員さんを悩ましたのも事実です。そのような前例があるので、今回のような重要な件(教義改正)についてはもっと慎重に、丁寧に、わかりやすく周知させてほしかったです。
先日の流出資料からも感じられるように、現場では他宗の方からいろいろなことを言われたり混乱が生じますが、その対応策は学会本部、教学部でも用意出来てないみたいですね。
そうなると、自分で調べて、自分で考えて、自分で判断しなくてはなりません。今回の改正された教義を信じるも信じないも、いわゆる自己責任だと感じました。
今回の御本尊の件でもはっきりしたように、すでに現在の日蓮正宗とは関係ない宗教団体となったので、捉え方によりますが、新しい宗教団体になったといっても良いと思います。
このように述べても、信じてる人、信じようとしている人にとっては少しは有益かもしれませんが、信じてない人、信じようとしない人にとってはどうでもいい話になりますね。
教義も変わったのだから、創価学会員さんの活動内容も、見直していただきたいところです。

 


解説

私の考えているところは、そうではなく、そのあとの{「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする}という
「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を正法ととらえ、その思想を元に国を安定させることを「立正安国」の精神と言おうと思ったのですが、
先に≪「大聖人の「立正安国」の精神で、」≫と書いてしまい、「現在に即した解釈」という言葉がなかったため、誤解を与えてしまいました。
「大聖人の仏法を現在に即した解釈の上での「立正安国」の精神」と訂正させてください。すみませんでした。


白いブランコさんのこの文章は、私が考える「日蓮思想の〈構造〉から現代社会に有益なものを掬いあげる」に通じるもので、興味深いです。
創価学会の選挙のあり方にも批判を加えていて、なかなか考えているなと感心しました。

(signifieさんのブログのサブタイトル「静かに創価学会を去るために」の趣旨について)
なるほどと思います。

先ず聞く耳を持たない。改善提案や意見を排除する。そして意見を言う人まで排除する。


創価学会組織のあり方についても、きちんと批判していますね。


戸田先生は御本尊のことを”幸福製造機”と例えられていましたが、その”幸福製造機”は各家庭にあるので、大石寺の御本尊がどのような扱いになろうが、あまり影響がない(あまり考えない)のかもしれません。
ましてや突き詰めると”幸福製造機”は自身の胸中にあるので、各家庭のご本尊が変わってもあまり影響がない(あまり考えない)のかもしれませんね。
日蓮正宗から破門されたという形になってますが、実際は日蓮正宗を見限っていたので、結果的にはいい形になったのではないでしょうか。


なるほど、創価学会はもう完全に日蓮正宗とは別の宗教団体になったと考える創価学会員が増えているのですね。
私は、伝統ある日蓮正宗信徒であることに誇りと愛着をもっています。
そして、いつの日か、創価学会と日蓮正宗が同じテーブルについて、手をつなぐ日がくることを夢見ています。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(3)

2022-02-17 01:31:35 | 対話ブログ

(つづきです)

●の文章は、「白いブランコさんとの対話」についたコメントの引用です。


●白いブランコ (2015年3月8日 18:41 )
signifieさん
まずこの対話の趣旨は、お互いの考えを表し、創価学会の実情や疑問点を明らかにし、公開することによって
創価学会に興味がある方、学会と関係している方(直接・間接とわず)の考え方の参考になればというものと
思ってます。
また
>そしてあなたと私の立場は基本的に180°違いますので、これをどちらかに収めること自体が無理があるし、
 おかしいと思います。それそれの考えがあっていいと言う前提でなければ対話はなりたちませんからね。
この通りだと思いますので、私の回答にsignifieさんが納得いくとも限らないし、signifieさんの事実認識が正しいと思わないこともあります。
お互いが違う前提で話をしますが、誤解が無いように、考えの根拠になる説明をすることもありますが、
決して創価学会をセールスする気もありませんので、何か不都合があれば、承認せずにその旨お知らせいただければと思います。
次の質問についての私の考え・回答です。
>創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、
それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
>私が疑問に感じているのは、学会員がそれに誰も疑問に思わない、
 もしくは思っても口に出せない組織のありかたです。
>何の疑問ももたずに言われた通り信じているという不気味さについてを論点としたいと思います。
signifieさんのお考えは「破門されて信仰の根本である御本尊が変わっても、学会員は誰も何も疑問に思ってない」というところでしょうか。
まず、先の印刷手法についてはsignifieさんは専門家とのことなので、手法についての話は本筋とは外れるのでここではしませんが、
カラーコピーというとコンビニや会社などにあるカラーコピー機を想像します。言葉の印象で感じ方が変わると思いますし、
それが「単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。」という私の率直な感想でした。
日蓮正宗からの破門については、日蓮正宗の信徒団体から出発した創価学会は、「日蓮正宗の教義」と{日蓮大聖人の本義}が違うことに気づき、{日蓮大聖人の本義}に基づいていく道を選びました。
また現在に即した解釈に、独自に教義を整えようとしている最中だと思います。
御書根本ですが、かといって日蓮原理主義みたいにはならず、「生命尊厳・世界平和・人類の幸福」を善とし、反対を悪とする教義になると思います。そこに先生の今までの指導が盛り込まれると思います。
>仏壇に打倒日顕!
これはやめた方がいいですね。祈りではなく呪いになります。
自他問わず人の幸せを思うのが祈り、自他問わず人の不幸を思うのが呪いですから。
このことについては学会員さんでも、「おかしい」という人は大勢います。
良心の呵責に感じるところだし、
>これが世界平和を目指す宗教団体の姿でしょうか?
signifieさんのお考え通りだと思います。言ってることとやってることが違うのでやめた方がいいと思います。
>ご本尊が変わって
この件については先に述べた
「日蓮大聖人の御書を学ぶと、御本尊は相貌(そうみょう)と信じるに足る事柄が必要であると解釈できます。
破門した法主のご本尊からは信じるに足る事柄が失われます。」です。
大石寺にある板曼荼羅(大御本尊)については、鑑定して否定する法主もいるみたいですし、実は私もその説には同感です。
700年以上前の事柄を今更、言い争うよりも新しく定めたというところでしょう。
>カラーコピーであるにもかかわらず
ちなみに私が御本尊を変えたときに思ったのは、「何か中央の南無妙法蓮華経が曲がってるなぁ」という感じです。
signifieさんのような専門家でもないし、まざまざと表装印刷部もみるわけでもなかったので、印刷品質については
「なにも思わなかった」です。
>学会員は誰も何も疑問に思ってない
御存知だと思いますが、学会員は聖教新聞や新・人間革命という小説を読んでいます。その中でさまざまな角度から論じられて、
また勉強会なども行われ、疑問や不思議に思ってたことも解決しているというのが実情だと思います。
余計なことかもしれませんが、金額云々と内容云々でしたら、御守り御本尊の方が差異を感じやすいかと思います。

●白いブランコ (2015年3月10日 22:06 )
signifieさん
>創価学会にどんな未来があるのでしょうか?これは具体的に聞かせて欲しいところです。
signifieさんも感じられていると思いますが、末端の創価学会員さんは素直で純粋で人が良すぎるぐらい良い人が多く、
その多くの人が
>学会員さんは上から言われるままに、いろんなものを犠牲にしながら一心不乱にやってきたと思いますが。
その通りのことをやってきていると思います。
>どこをどうやれば創価の未来が見えて来ると思われますか?
どこをどうやればという点でモニカさんが項目を挙げておりました。モニカさんはたしか初めのころからの常連さんと認識しております。また、ご指摘や洞察には共感してました。
そして、創価学会の問題点の本質をご理解されてる方だと思うし、私の視点と同じ部分もありますので
参考にさせていただき、改善すべき項目を順に以下に述べて行きます。
○選挙(私の覚醒?のおおきなきっかけです)
創価学会という宗教団体が、公明党という政治団体を支援すること自体は別にいいと思います。明確に支持母体ですし。
ただ、創価学会員のすべてが公明党支持者ではないし、今の支援の在り方は、信仰心を政治利用しているようなものです。
支援活動は公明党員としての活動に切り替えるべきです。(実際、公明党員のほとんどは創価学会員ですが)
また法律には触れてないですが、法律の趣旨に触れている活動が多すぎます。
事前運動・・選挙期間が長引くと費用や労力がかかるので禁止されてますが、政治活動として数か月前から実施
戸別訪問・・友人知人として候補とまわっている。
投票干渉・・連れ出し等で投票所には入らないですが、限りなく法律の趣旨には触れています。
公明政治を掲げるなら、他党もやってるからとかでなく、ごまかさないで正々堂々と政策で勝負してほしいです。
選挙の数か月前になると、本来の活動が一切なくなり、選挙屋の戦いになります。
支援活動をやるなら、せめて公示・告示後、迷惑が掛からない範囲で、やりたい人だけでやるようにすべきです。
また、学会員さんに対してですが、政治に盲目的になったら危険です。先の選挙で自民が単独2/3を獲り、次の参院で自民が単独2/3を
とったら憲法改正の準備は整います。9条変更を希望している安倍総理です。先生は9条は変更してはならないお考えのはずです。
しっかり政治を監視し、自分の判断で政治参加するべきです。
また支援活動でなにか違反して逮捕されても、自己責任になります。しっかり考えて行動した方がいいと思います。
○数字目標
新聞啓蒙・本部幹部会・座談会参加・折伏弘教、すべて数字が先行して数字のための活動になってる点です。
聖教新聞も、本当に喜んで読んでくれる方ならいいと思いますが、年間目標のために、義理で取ってもらうとか、
数字のための啓蒙はすべきではないと思います。
○信教の自由について
本来、信心しようがしまいが自由ですので、やめたければやめる手続きを速やかに取ってあげた方がいいと思います。
いつまでもやる気がない人をとどめておくことはないと思います。それは身内・親族でも一緒です。
※未成年・子供についてモニカさんが書かれてましたが、これは親権も絡むことだと思います。
親権の範囲で、親の教育方針として創価学会の仏法を教育に用いる場合は入会させると思いますし、
また、子供は入会させないで、自分で決めさせてる家庭も実際増えています。家庭環境によって違いますが、
いずれにしろ、強要はできないですし、子供が成人(20歳、もしかしたら18歳になるかも)を迎えたら
やるやらないを判断してもらい、本人の意思を尊重するようにしたらいいと思います。
親がこの信心で幸せそうに暮していれば、子供も自然と信心をするでしょう。
○財務について
これは現在、「世帯主の了解を得てください。」というアナウンスがあるのと、自営業の方は、「税引き後の中から
お願いします。」とアナウンスされてます。
財務については、金額が多ければ多いほど福運が積めるとか、お金で福運を買うような、そういった風潮は絶対してはならないと思います。
真心の財務と謳ってるので、金額云々ではないはずです。
そして、注意事項として、財務はいかなる理由があっても返金されないこと、将来お金が必要になっても、創価学会は一切、
金銭的支援はしないこと等説明して、自己責任でよく考えて財務を行うようにするべきです。
財務の件は次のお題でまた話が出ると思います。
>そのとき池田氏は会員さんにどのような態度をとるのが理想的だと考えますか?
先生が表に出て指揮を執ることはないと思います。すべて弟子に任せたとの思いなので、見守っていていただければ
と思います。
>創価の建前ではなく、白いブランコさんが考える理想的な創価学会の未来像を教えてください。
創価学会員さんが純粋に仏法を実践し、社会にも理解され、幸せになっていることです。
>それと、反省すべきは誰なのでしょう?
まず改善すべきは幹部の姿勢です。
”○○すれば功徳がある!”なんて扇動するような指導をされますが、根拠を示すべきです。
逆に、やらなければ罰が当たるとした場合も根拠を示すべきです。
結局、活動中に何かあったとしても末端の会員は自分たちで責任を負っていきます。
責任を負っているのであれば活動内容を決める権限があるのも自分たちです。
上意下達で降りてきた打ち出しをそのまま実行しなければならない理由もなく数字の目標も達成・未達成問わず、何か言われる筋合いはないと思います。
ノルマのような地区で何名とか、押しつけがましいことはやめるべきです。組織のための個人ではなく、個人のための組織であるべきです。
そして活動内容が自分の考えに合わず、理解・納得できなければボイコットすべきです。
改善はできるところから手を付けて行けばいいと思います。そして、まず最初に出来ることはボイコットです。

●signifie (2015年3月11日 00:17 )
白いブランコさん、詳しい説明をありがとうございました。
とてもわかりやすかったです。
白いブランコさんがここにあげられたことが、すべて実現できれば素晴らしいと思います。
ぜひ、白いブランコさんの組織の幹部、または総県長や副会長に提案してください。
そしてその返事がどんなものであったかを是非聞かせてください。
ほんとうにお願いします。
これらのことが実現できれば、創価は改革できると思います。
ただし、そのときはもはや創価ではありません。
普通の宗教団体だと思います。
私やここに来られる方は、創価がそのような宗教団体ではなく詐欺団体だと言っているのはそう言う意味です。そして白いブランコさんが言われているようなことは、過去にたくさんの人がされていて、もれなく無視されるかキチガイ扱いされてきました。
白いブランコさんも自分の信念を伝えた相手からキチガイ扱いされれば、少しは創価の真実に気がつかれるのかもしれません。そして創価に改革の可能性など1ミリもないのだということが身にしみると同時に、自分がどうしてこんなものを信じていたのかと地団駄を踏むことになると思います。ここに来られている方のほとんどが、そのような体験をされてきたからです。
とにかく今の白いブランコさんに、そんなに説明したとしても理解できないと思います。しかしあなたがこのような考えを持てるのであれば、この考えを創価にぶつけたときに返って来る反応によって、創価の真実の姿に気がつくと思います。
ぜひ一日も早く、直接幹部にあなたの考えを表明してください。そしてその答えをあますことなくこのブログに伝えてください。というか、伝えずにはおれなくなるほどの衝撃を受けるはずです。そんな体験を持つ人が過去にいくらでもいます。そしてそのような方の結論が「創価は宗教団体ではない」と思い知っているのです。
また、創価の組織にいながらボイコットができるようなところであるかどうかも、実際に体験してみてください。百聞は一見にしかず。これではっきりとわかると思います。

●signifie (2015年3月13日 12:42 )
白いブランコさんは、今の創価が衰退しているのは幹部が池田氏の言うことも一般会員の言うことも聞かずに、本来の宗教団体の立場を見失って勝手に動かしているからと言う考えなのですね。
(私もそう思います。たぶん池田氏は執筆どころかまともに話しができるかどうかもわからないですからね。幹部が一般会員を都合よく動かしているというのが現実だと思います)
そして一般常識を踏まえている会員の意見を取り入れていかなければ改善はできないと。
また、宗教団体なのに活動の8割が選挙活動というのもおかしいからボイコットすべきだと。
白いブランコさん、是非このことを幹部に提言して、改善の足がかりを作ってください。もちろんできればの話ですが、私が思うに、それは幹部にとっては反逆者でしかありません。たぶん「ふんふん」と話を聞くだけ聞いて、そのまま聞き流されるでしょう。間違いなく100%スルーされますよ。たぶん体験しなければわからないのでしょうから、白いブランコさんは是非その改善への行動を実践して、結果を教えて下さい。
また、白いブランコさんと同じ地区部長クラスの末端会員さんに、選挙活動はボイコットするべきだと訴えてみて下さい。そしてその結果も是非教えて下さい。お願いします。

●白いブランコ (2015年3月13日 18:52 )
signifieさん
新しいスレッドが建ちましたが、引き続きこちらでコメントします。
またいろいろな方からのご意見で興味深いものも多々あるので、今回はその辺も交えてコメントさせていただけたらと思います。
モニカさんがおっしゃってた
>創価は今や完全な公明党の票取りマシーンとして存在しています。
>だから何度も言ってるように、創価は「末端を使ってこれがやりたい」のです。
創価学会の現在の活動をいろいろな角度からみると、確かに集票マシーンと化しているのは感じます。
活動の8割は選挙だと思ってます。
また財務についても角度を変えると、「金集め」と取れると思います。
創価学会の目的が「票集めと金集め」と言われても、否定できない見方はあると思います。
仮に、もしもそうであったとして、やはり疑問に思うのは「票集め」・「金集め」はそれ自体が目的ではなく、
何かをやろうとする手段ではないでしょうか。
票集め・いわゆる選挙については、大聖人の「立正安国」の精神で、日蓮仏法を持った同志を政治の世界に
送り込み、大聖人の御遺命の一端を果たそうとしている。そう考えれば目的と手段は合致すると思います。
(支援のやり方は非常に問題があると思ってます。)
創価学会が政界に進出したのは、政治の次元でなければ解決できない不幸の原因があるから、それを
正すためで、確かに以前の公明党はそのような素晴らしい政党だったと思ってます。
ダイアナさんがおっしゃってた「国立戒壇」は顕正会だったと思います。
>選挙の熱の入れ方は年々異常さをますばかり
現場でも本当にそう感じます。異常です。
まるで何かの目的を成し遂げようと、異常なまでに熱を入れています。
その目的は「政治の次元でなければ解決できない不幸の原因」を取り除くためとは感じられません。
かといって、公明党が政権を獲って日本を乗っ取るなんて数には及びません。
signifieさんはじめ、皆さんはこの辺のことがわかっているということでしょうか?
改善については、徒手空拳ではおそらく相手に伝わらないと思いますので、
様々工夫してみます。可能な限り、状況はお伝えしたいと思います。

●signifie (2015年3月13日 20:28 )
白いブランコさん、もちろん対話は引き続きこのスレッドでお願いします。
>票集め・いわゆる選挙については、大聖人の「立正安国」の精神で、日蓮仏法を持った同志を政治の世界に送り込み、大聖人の御遺命の一端を果たそうとしている。そう考えれば目的と手段は合致すると思います。
白いブランコさん、これ本気で言ってるんですか?
正直言いますと、このコメントで私はうしろへひっくり返りそうになりました。これ冗談じゃないです。おそらく白いブランコさんは大真面目で言われているのでしょうけど、どうかここはひとつ冷静になって考えてください。
まず日蓮が幕府に3度諌堯したとされる「立正安国論」とは、簡単に言うと「自分は末法の世を救うために現れた仏の化身であり、今の世の天変地妖の絶えない日本という国(当時の日本が一つの国家であると言う意識は今ほどはなかったようですが)が安泰を取り戻すには、自分の教えを国家の中心に据え、国が荒れているのは間違った信仰が原因なのだから、他のいかなる宗教をも認めないような施策をしなければ、日本は近いうちに他国から攻められて滅ぶであろう」ということですよね。755年前の鎌倉時代の話です。それで幕府は日蓮の言うことにはまったく聞かなかったわけですが、日本は日蓮の予言通り滅びましたか?あれから755年経ちましたが、日本は滅んでませんよね。この755年間に日本が戦争で負けたのは太平洋戦争だけですよね。日蓮の言うことを聞かなかったから、680年後に太平洋戦争で日本が負けたですか?それもどう考えても無理がありますよね。では日蓮はわざわざ幕府に3度も同じウソをついたのでしょうか。いえ、本人は死刑覚悟で真剣に言ったんですよね。
「大聖人の『立正安国』の精神」を今の日本に適応させるということは、日本人から信教の自由を奪い、今の民主制度を廃止し、独裁国家にするということですよ。公明党はそのためにいるんですか?公明党は信教の自由を一切認めない一党独裁の国家を目指しているんでしょうか?750年前の日本は鎌倉時代という幕府の独裁国家でしたから、それもない話ではありません。民主主義が日本に入ってくるのは明治になってからですからね。民主主義の世の中を755年前の鎌倉時代の日本に生きていた日蓮が想像できたでしょうか?
それで白いブランコさんの
>大聖人の「立正安国」の精神で、日蓮仏法を持った同志を政治の世界に送り込み、大聖人の御遺命の一端を果たそうとしている。そう考えれば目的と手段は合致すると思います。
とは
「日本を信教の自由が許されない独裁国家にするために同志を政治の世界に送り込もうとしていると考えれば目的と手段は合致すると思います」
ということですよね。
白いブランコさん、創価学会は公明党の支援を通じて日本の民主主義を崩壊させようとしていると考えられますが、それでいいんでしょうか?
今は21世紀の民主主義の日本です。いわゆる発展途上国にはいまだに独裁国家があります。北朝鮮やアフリカ諸国は、民主主義とはほど遠い惨状があります。日本は間借りなりにも信教の自由も、基本的人権も保障された民主国家ですよ。今の世の中に日蓮の「立正安国」を蘇らせるなんて人に言ったら危険人物扱いですよ。ネトウヨもビックリです。
もしほんとうに公明党が「大聖人の御遺命の一端」を果たすためにつくられたのであれば、それをはっきり打ち出すべきではありませんか?「公明党が政権をとったあかつきには日本国民は創価学会の信仰以外は一切認めません。信教の自由などありえません」とマニフェストに記載すべきでしょう(笑)。これ笑い話ですが、こんなことを白いブランコさんは真面目な顔をして言ったのですよ。どう思いますか?
というより、私は白いブランコさんが、創価が公明党を支援する理由について、上から言われている通りをそのまま信じきって、言われた通りをそのままここに書いているということに驚いているんです。自分で体験していることについてはいろいろ疑問に思うことはあっても、体験できない肝心なところが完全に言われるままがしみついていますよね。ですからなおのこと白いブランコさんが思うところの改善策を幹部にぶつけて、その幹部の反応を体験として受けとめればきっと気がつくのではないかと思います。
また、公明党の支援活動についてはすでにかなり疑問を持っているようですので、今度は日蓮の思想がどんなものかを、つまり組織から言われていることではなくて、もっと客観的に見ることができる視点をもつことをお勧めします。さきほど言いましたように「立正安国論」がいかに時代錯誤か、というより750年前の異端の僧がいうことを現代の政治制度にしようということが、いかにバカげているかに気がついて欲しいと思います。

(つづきます)

 

 


解説
>仏壇に打倒日顕!
これはやめた方がいいですね。祈りではなく呪いになります。

創価学会員にしては良識的な白いブランコさんの発言です。

シニフィエさんと有意義な対話がなされるといいですね。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(2)

2022-02-16 01:27:23 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■白いブランコさんとの対話       投稿日: 2015年3月4日

白いブランコさん
あなたのスタンスがいまいちわからないでいます。というのも、これまでここに来られた学会員さんたちのいわゆる「殴り込み」とは違うのはわかります。ただ白いブランコさんが言われていることが、創価が上から末端会員に押し付けてきた都合のいいことばかりをそのまま鵜呑みにしてここで話しているという印象は、ここの皆さんが言ってる通りだと思います。いまさら創価の組織についての上っ面を私たちに説明する必要などありません。おそらく白いブランコさんよりは詳しく知っている方ばかりだと思いますよ。
それから、白いブランコさんは基本的にここの皆さんからのお話をスルーしたまま、単にモノ腰を柔らかくして上から教えられたことをそのまま言ってるような気がするんです。それは白いブランコさんの考えではなくて、上から言われたことをそのまま言ってるんですよね。もしくは上から言われたことを何も考えないまま、そのとおりのことが自分の考えであると思い込んでいる。つまりそういうのを思考停止と一般世間では言うのですが、少なくとも私には白いブランコさんの発言が思考停止に陥った方が言われたままを言っているだけのようにしか思えないのです。さっきも言いましたが、上から言われていることでしたら私たちのほうがもっと知っていると思います。ですからおそらくこのままでは対話にはならないと思いますので、私からひとつ提案させてください。
他の皆さんは白いブランコさんを批難しているわけではないということはわかりますよね。白いブランコさんが創価を宗教だと信じて活動していくことを引き止めるつもりもありません。私たちは私たちの考えを述べていて、具体的にこういうところが白いブランコさんとは違うのですが、どのように思われますか?という問いかけをすることで対話をさせていただきたいと考えています。
そういう意味で、私は先日いくつかの具体例をあげながら質問させていただきました。
要約すると
・池田氏が5年も姿を現さないで、そのことに上からは何の説明がないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
・創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
・毎年数兆円と思われる財務のお金の使途がまったく知らされないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
こうした一般常識では考えられないような創価の事態に対して、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?ということについて白いブランコさんはどのように思っているのかをお訊きしたいんです。創価の言い分(それはもう十分にわかっています)を聞きたいのではなくて、白いブランコさん自身が個人的にこの3つ疑問に対してどのように納得されているのかをお尋ねするものです。
よかったら、まずは他の方からの質問はとりあえず置いといて、それから創価の言い分も置いといて、白いブランコさんご自身の考えをお聞かせいただけるとありがたいです。
どうかよろしくお願いします。
ということで、このスレッドでは創価学会活動家である白いブランコさんと管理人である私シニフィエが対話を試みる場所とさせていただきます。
ほかのみなさんは、とりあえずこのなりゆきを見守っていてください。感想などは、この前の「覚醒の瞬間」のスレッドへお願いします。
このようなスレッドを立てたのは、これまでの経験上、活動家さんとの対話はなかなか困難であったのと、現役の活動家さんがどのような考えで活動を続けていらっしゃるのかを生の声で紹介できる機会になればと考えたからです。
「覚醒の瞬間」のスレッドでの白いブランコさんのコメントからもわかるように、白いブランコさんはまったく覚醒はされていません。ただ創価の現状が一部理想的ではないと感じていらっしゃることも確かです。さらにそのような部分を自分たちで改善していくことで、素晴らしい宗教団体になるということを信じてもいらっしゃるようです。
こうした実際の現役学会員の方の創価に対する考え方感じ方を対話によってはっきりすれば、創価問題がどこにあるのかを考えるうえで参考になるのではないかとも思っています。
何度も言いますが、私は創価を信じている人を批難して、無理にやめさせようとは思っていません。ここではっきりさせたい、というかもしかしたらはっきりすることができるかもしれない学会員さんの考え、および世間一般の常識やモラルとの隔たりを明らかにすることは、たいへん意味のあることではないかと思っています。またそうしたことをネットで公開することにより、創価に疑問を持ち始めている方にとっては、今後の生き方を決めるにあたってのよい判断材料にもなるのではないかと思います。


●白いブランコ (2015年3月4日 19:29 )
signifie様
白いブランコです。ご丁寧に新しいスレッドを立てていただきありがとうございます。
また、皆様からさまざまコメントをいただきありがとうございます。
すべてに返事ができない状態ですみませんが、signifieさんよりご提案をいただきましたので、
こちらのスレッドで対話をしていきたいと思います。
改めて自己紹介ですが、学会2世で現在地区部長、青年教学1級、青い服を着てました。
歳は40半ば、パートナーは婦人部で幹部です。
何名かの方が怪しまれてますが、最近投稿を始めたばかりなので別人(どなたの事かも
わかってません)です。パートナーへの配慮で言葉を選びました。
私のスタンスですが、最近の創価学会の活動(特に選挙)に疑問を抱き、
また、かつての活動家で現在未活動家の方達に対して、何が原因かを探し、
改善して行こうとの思いでネットを検索しこちらのブログにたどり着きました。
創価学会は本来的に素晴らしい宗教団体だと思ってます。
ただ、創立80年以上たった現在、活動を見直していかなければならないところも
多々あると感じ、改善策を検討・部分実施しているところです。
それでは対話に入らせていただきます。ご質問ごとに返答をしていきます。
・池田氏が5年も姿を現さないで、そのことに上からは何の説明がないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
 皆さんの中には心配している方もいますし、どうされているのか気にしている方もいらっしゃいます。
 聖教新聞紙上において、年に何度か写真が掲載されて喜ばれる方も大勢います。
 本幹等の席上、原田会長の”お元気な先生”との言葉で先生の状況を伝えてくれております。
 何の説明がないわけではなく、私たちも何とも思わないわけではありません。
・創価が日蓮正宗から破門されてから信仰の根幹であるご本尊が変わって、それがカラーコピーであるにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
 お取替えの時はさまざま質問や疑問がありました。「なぜ変えなくてはならないのか?」「そのままでもいいのでは」等々。
 日蓮大聖人の御書を学ぶと、御本尊は相貌(そうみょう)と信じるに足る事柄が必要であると解釈できます。
 破門した法主のご本尊からは信じるに足る事柄が失われます。
 もちろん学会が信じられず、日蓮正宗に行かれた方もいらっしゃいます。
 カラーコピーですが、複写の方法で多色刷り印刷ですね。
 単語の使い方で、安っぽく感じさせてるようでいやらしさを感じます。
・毎年数兆円と思われる財務のお金の使途がまったく知らされないにもかかわらず、なぜ学会員さんはなんとも思わないのか?
 財務の受領書には「広宣流布のため有意義に使わせていただきます」(前後略)とあります。
 会館建設・維持管理、世界広布のため等に使われています。
 使途を知らされてないわけでもなく、学会を信用して財務を行っています。
ご質問の返答は以上です。
「創価の言い分も置いといて」とありましたが、学会で学んで来ているので、私の考えと重なるところはあって当然になります。

(つづきます)


解説
シニフィエさんと白いブランコさんとの対話がはじまりました。

長いので、何回かに分けて書きます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(1)

2022-02-15 01:25:43 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■覚醒の瞬間               投稿日: 2015年3月1日

白ユリさんからまたコメントが来てますが、内容はあいかわらずだし、もうみなさんもおわかりのようですので、紹介もしないことにします。以前のヒューマンさんと同様に、やはり精神を病んでいらっしゃる方ではないでしょうか。たしかご自分のブログがあるそうですから、言いたい事があるならあとはそっちでということでお願いします。白ユリさんに限らず、なにしろ対話の意志のないバリ活さんとの討論はしませんので、白ユリさん、これくらいの日本語は理解してくださいね。よろしくお願いします。
そういえばこれまでここにいわゆる「殴り込み」に来た人の言葉遣いや思考回路というのは驚くほど似てるなと思います。どなたかも仰っていましたが、同じ人が名前を変えて書いてるんじゃないかと思うくらい。おそらくバリ活さんは同じような言葉で同じように洗脳されているので、同じような思考とリアクションになってしまうんでしょうね。
私もこのブログをはじめたころは、こうした「殴り込み」の対応に必死になってしまっていて、疲弊した時期がありましたが、さすがに3年も経つと、ある程度慣れっ子になりました(笑)。でも人って、ちょっとした言葉で傷つくんですよね。逆にちょっとした言葉で元気が出たりする。不思議ですね。お互いにどこの誰とも知らない人同士が、こうして書き言葉だけで対話をしている。逆に面と向かっては話せないような事も思い切って話せるから意味があると思います。
創価に疑問を持っても、幹部にはとてもじゃないが話せない。話しても何を言われるかはよくわかっている。そう。幹部は人の話なんか聞くわけもなく、「それはあなたの信心が弱いからよ」「もっとお題目をあげなさい」「池田先生にお応えするのよ」「それがあなたの使命なの」「これは正法を実践するからこそ競ってきた魔の仕業よ。ここで負けては何にもならない」「先生は全部わかってくださってるのよ」こんなことしか言わない。その人が何で悩んでいるのか、何が苦しいのかをわかろうとはしません。そんな人間関係のどこが正しい信仰の世界なんでしょう。軍隊とかわらないですよね。「きっさまあ~!それでも軍人かあ~っ!歯を食いしばれ~っ!」バシ~ッ!って殴られる二等兵と一緒です。
地区の学会員さん同士は和気あいあいとしているでしょうが、たとえば男子部なんかはまるで軍隊ですよ。ときどき男子部長に一人ずつ呼び出されて、活動の甘さをグチグチと責められる。結局は「自分のすべてを創価に捧げよ!その覚悟はできとるのか~っ!」って話です。壮年部になるとそれまでの軍隊形式に嫌気がさすのか、なあなあになっていて、今度はそれを横からグチグチ嫌みを言ってくるのが婦人部のみなさんでしたね(笑)。やはり創価の婦人部は最強ですね(すみません、元婦人部の方(^^))。
私は創価の教義がどうのこうのというより、やはりあの男子部の取り憑かれたような軍隊形式に嫌気がさしたというのもあります。彼らは芸術文化の事なんか1ミリも理解しない。すべては池田大作のために命までも捧げるのが学会精神だと異常に熱く燃え上がる。活動を仕事そっちのけでやるもんだから一般社会では疎まれている。ろくに仕事もできないくせに選挙のときだけは図々しく頼んで回る。人としてどうなの?ってずっと疑問に思ってました。でもそんなこととても言える雰囲気じゃなかった。それでもなんとなく教学試験とか合格して役職も上がっていく中でこれはヤバいと思い、あえて活動をすっぽかしたりして創価でのダメ人間アピールしてきたので、自然と活動から離れる事ができました。そりゃ嫌な気分でしたよ。口だけは「はいはい、わかりました。がんばります」と言っておきながらな~んにもしないっていうのはやはり良心がとがめます。
「なんで出てこないの?」「いや仕事が忙しくて」「それを信心で克服するのが男子部だろ」「いや基本的に普段から夜の10時11時までみんなでやってる職場だから、自分だけ創価の活動があるからって早退するわけにはいかないんです、僕会社役員だし、上司として手本にならなきゃ部下がついてきませんよね」とも言えなかったんですね(笑)。でもここで言われるままに活動していたらほんとにダメ人間になると思いました。まわりが社会的ダメ人間の幹部ばかりでしたから。だからある時期から創価の中では約束も守れない創価のダメ人間を演じていました(笑)。そのうち知らない間に壮年部になっていて、そうなったらもう何にも言ってこなくなりました。いや、ときどき壮年の支部長がアポ無し家庭訪問して会合のお誘いや選挙のFの数を聞いてきましたが、適当に相づちうつだけでのらりくらりとかわしていましたので、これもフェードアウトしていきました。大幹部の息子だから厳しくも言えないってとこもあったようです(笑)。
でもそうやってても創価の教義はまちがいないと信じていたんですね。今思えばほんとに恐ろしいです。やってる人間や組織はダメでも創価の理念や日蓮の教義は絶対だと思っていたし、当然創価学会は宗教だ。それもどんな宗教よりも優れていると本気で思っていたんです。3年前まで。そして「創価は宗教じゃない」と気づく瞬間がありました。目の前が真っ暗になりました。いったいこれまでの自分の人生は何だったんだ?それから気が遠くなるような落胆の日々です。平静な自分を保つので精一杯。それでそれまで見たこともなかった創価関係のネットを見るようになりました。そこには盲信者の気味の悪いサイトや、アンチによる吐き気のするバッシングの巨大掲示板。あるいは日蓮仏法の教義を学者気取りで分析をしているサイト。あるいは宗門側についた人たちが、創価と同じように口汚くバッシングを続けているサイト。どれもこれも目眩がするほどくだらないものばかりでした。なんだ、みんな目くそ鼻くそじゃんって思いました。いったい自分はどうしたらいいんだ。これまでの50年間の自分の人生は間違いだったのか?生まれたときから間違った人生観を植え付けられて、いままでそれにも気づかずに、むしろ他人を見下して生きてきたのか?そんな自問自答を繰り返しながら、何一つなすすべもなく悶々としていました。
そしてこのブログの最初に書いたように、バリ活の学会員のサイトに疑問をぶつけた結果、創価のおかしさに確信がもてたのです。「こいつら異常だわ」「完全に洗脳されて自分を見失ってる」「そして自分もその一人だった」まずその事実を自分で受けとめるしかない。そう思いました。精神的にギリギリでした。そんなとき、以前にも話したように、30年前に結婚の約束までしながら親から創価であることを理由に反対されたことで、一方的に自分から去ってしまったという女性が突然私を訪ねてきました。そしてそのとき初めて30年前にとった自分の行動がまちがっていたことに気づかされました。これでギリギリだった私の心が一線を越えてしまってうつ病になってしまいました。今でも、なぜあのとき30年ぶりに彼女があのタイミングでひょっこり現れたのかが不思議でなりません。まるで私がちょうど「創価は宗教ではない」と気づく瞬間を30年間待っていたかのようなタイミングでした。私は完全に打ちのめされました。もし自分が創価の家庭に生まれていなければ。もし創価を信じていなければ。今となってはどうしようもない「もし」を何度も何度も頭の中で繰り返していました。悔しさのあまり夜も眠れず、仕事も手につかず、妻や子どもにも心配かけてしまいました。おそらくこの傷は一生癒えることはないと思います。
もちろんこれは自分自身の責任です。誰も責めようとは思っていません。そりゃ創価は悪い。でも悪いのは世の中にいくらでもある。結局はそれに引っかかるほうが悪いと思います。こんな世の中ですからね。いくら生まれたときから親に植え付けられたものであったとしても、親を責めたところでどうしようもない。ただ同じように創価に騙されて人生を踏み外している人が何十万、何百万人もいるという現実を黙って見ているわけにはいかないと思うようになりました。せめて創価の実態を知ることのできることをしたい。それをどう判断するのかはその人次第です。それこそ自己責任で創価を続けるのか、自分で創価の実態をしらべて判断するのかを決めてほしいと思います。そのための判断材料として、実際の創価の実体験をが集まる場所があればいいなと考えたのがこのブログ「対話を求めて」です。
おかげさまでいろんなことがありましたが、多くの方の信頼できる創価情報を積み重ねることができました。先の白ユリさんやヒューマンさんの「殴り込み」にしても、創価の実態を端的にあらわしているひとつの例だと思います。またアクセス数もおよそひと月に10万のペースです。ひと月に10万回開かれていると思うと、少なからず創価の問題に興味を持っている人がいるんだと思います。正直ここまでになるとは思っていませんでした。それだけ創価問題は深刻なのだと思います。
これからもみなさんと共にどんどん創価の現実をこのブログに積み重ねていきたいと思います。そして一人でも多く、創価の実態に気がついてくれる学会員さんが増えてくれるよう願いっています。みなさま、引き続き、よろしくお願いします。
ということで、今回のテーマは「覚醒の瞬間」とさせていただきます。
みなさんそれぞれに「創価がおかしい」「こんなはずでは」と思った瞬間があったと思います。そして「やはり創価がおかしかったんだ」「創価は宗教じゃなかった」「自分はただ騙されていただけだった」と気づいた瞬間があったと思います。それがどのようないきさつでやってきたのか、そしてその後どうしたのかをお話ししていただけるとありがたいです。やはり覚醒の瞬間はそうとうなショックです。さきの高校生のチップさんが気づくにはあまりに重く衝撃的なことでしょうから、とてもかわいそうです。でも若いですからこれからが大切です。また私のように50を過ぎてからやっと気づいて、おまけに自分のしてきたことで、他人や家族にもとりかえしのつかないことをしてしまったという慙愧の念に堪えない方もたくさんいらっしゃると思います。私はこうして自分が犯した過ちを言葉にすることで少しずつ平常心を取り戻す作業になっているのかなと思います。
「覚醒の瞬間」このテーマは以前にも出したかもしれませんが、いまここにおいて「覚醒」というものが何なのかをあらためて確認する意味でもあるのかなと思っています。どうかよろしくお願いします。

 


解説
この記事へのコメントの中に、白いブランコさんからの投稿があったようなのですが、対話ブログが非公開になったため、このコメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:「創価スイッチ」

2022-02-14 01:05:39 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■創価スイッチ              投稿日: 2015年2月27日

いやはや、いつものこととは言いながら、やはり白ユリさんやヒューマンさんのようなコミュニケーション能力が極端にない方に対しての対応は消耗しますね。どこまで話を聞いていいものやらわからないし、この方たちは自分が言ったことを憶えているのかさえわかりませんし、自分が何を言って、相手やまわりの人たちがどのように感じるのかまで考えることができないんでしょうね。創価の方のここでの言動は、どう考えても創価を貶めることにしかならないということが理解できずに、自分が不当に攻撃されているといった被害者意識でいっぱいになるのかもしれません。
そこでちょっと気をとりなおして、あらためて活動家さんたちの気持ちを考える手がかりとして、今日の白ユリさんのコメントを並べてみます。これは今日(2月27日)送られてきた白ユリさんからの16回にわたるコメントです。いわば活動家さんたちのアンチに対する本音の部分だと思います。
______________________
09:05 に投稿
私の地域でも、30年活動から遠ざかっておられても、また第一線で頑張っていらっしゃる方がいますよ。複数
09:08 に投稿
自分に都合の悪い意見は載せない、卑怯者、臆病者。
09:08 に投稿
根性の腐ったハゲジジイ。老害
09:13 に投稿
冷静に考えてごらん?
どうして、アクセス数に比べてコメントが少ないのかな?
わからない?
09:13 に投稿
アク禁したのは、本当のことを言われたからでしょ?(笑)
09:16 に投稿
バカは自分がバカって気づかないってよく言うけど、おかしいのはあなたぢよ、signifieさん。
09:16 に投稿
ごめん、間違えた。signifie様、あなたがおかしい。
09:44 に投稿
学会員に相手にされてないでしょ?このサイト。
どうして、関わってくれる学会員が慈悲からだと気づかない?
09:50 に投稿
ゴミみたいなサイト。コメントしない閲覧者からは嘲笑われてますよ。
09:54 に投稿
キモい考え、キモい大人。40代、50代、あなた方のような醜い大人には絶対になりたくない。そう思わせてくれる。
09:57 に投稿
自らの器の小ささを全世界に示す哀れな大人よ。文句があるなら私と対面して対話せよ。
10:21 に投稿
私の本音を言いましょうか?
創価の活動は、やらされてたら地獄、能動的にやれば天国です。
能動的は、盲信とは全く違います。
ですから、やらされてた人たちが少し休んで、能動的にやるまで充電するのはアリだと、思います。
しかし、こういうところで組織を悪者にして愚痴と文句を垂れ流すのは違います。人のせいにしているだけで、能動的に活動するかしないかは自分の問題です。
自分を貶めたいなら、いくらでも人のせいになさい。しかし、本当の幸せを掴み取るならば、疲れたらゆっくり休み、能動的に喜びをもって活動することです。自分の価値が下がります、人のせいにすることは。
10:27 に投稿
活動しようがしまいが、その人が尊い存在であることには変わりがない??だから、活動から離れようが自ら望んでしようがいい。
しかし、自らの所属していた組織を悪く言うことは、人として間違っている。客観的に考えてみてよ。
13:31 に投稿
私が申し上げたことをわかってこのような言動を繰り返してらっしゃるのなら、signifie様、あなたは極悪人です。天に唾を吐いているのと同じですよ。必ずあなた自身にはね返ってきますよ。
13:34 に投稿
事実、能動的に活動している学会員を虐めた人は、返ってその人の醜さが明らかになって孤立する結果になっています。
自分の愚痴を言うために自分のいた組織を貶めるのはおやめなさい。一般社会では、そういうの「非常識」って言いますよね?
14:58 に投稿
signifie様、目にしたことありますか?
自らがやめた組織の悪口を言うスポーツ選手を、政治家を、転職するサラリーマンを?
同じことしてるんですよ。まともな人なら、このサイトのおかげで、やめた方々の方がおかしいことがわかります。それだけ創価学会は興味を持たれています。
活動するしないは自由ですが。
2月28日 08:44 に投稿
ここに書き込んでる人間が、世界中の貧困と戦争をなくしてくれるのなら、賛嘆もしよう。
ただの、自分の醜いエゴを正当化せんがためだけなウンコサイト。
08:46 に投稿
どうせ、20代30代の女からは見向きもされない、キモいおっさんなんだろ?加齢臭、ご愁傷様。
08:49 に投稿
御書に則って批判せよ。
それができないのなら、全てただの我見でありワガママだ。ワガママを自分に都合の良いように正当化するのは、幼児だ。
08:56 に投稿
あなたはどれだけ社会に貢献しているのだ?
創価学会は、一人一人の会員を賢くして、本気で地球上から、戦争を無くそうとしているぞ。貧困や病気を克服し、宿命転換を一人一人に成し遂げさせようとしているぞ。
その創価学会よりも自分は人類の命題に対して行動しているのか?
幹部の中にはおかしなのもいるが、そんなのに囚われてると、同レベルだぞ。
08:57 に投稿
ラザリス様 これは失礼。では、「加齢臭プンプンの、20代30代の女からは見向きもされないおっさん」と言い直しますね??
09:04 に投稿
何度でも申し上げる。
活動は、権利であって義務ではない。
それに、活動よりもっともっと大変なのは、お題目だ。ご本尊の前では自分をごまかしようがないからな。
しかし、自分の所属しているまたはかつてしていた組織を悪く言うことは、一般社会常識ではあり得ない。それがわかってるから匿名なんだろ?
本当に卑怯で姑息だ。御書に書いてあるとおりだ。
池田先生なら、そんな人たちでも温かく包み込み、私が怒られるだろうがな。
09:08 に投稿
あははん。
民主党にも言われてたろ?「公明党に頑張ってもらうしかない」って。
巨大政党に対してあの人数であの平均年齢で対等に仕事する姿、おわかりになりませんか?
地球上の平和は、もはや御書根本の創価学会でしかなし得ないのだ。ということが、御書を全編拝読したらよくわかりますけど、読まれましたか?
09:12 に投稿
私は大幹部の信心がすごいとか、死んでも思いません。
一人一人です。その人によります。
自分がどうするかです。創価学会で仏道修行し、どうやって社会に貢献していくか、です。
11:47 に投稿
私の暴言に惑わされず穏やかに対話してくださる方々もいて、ありがたく思います。
私自身はあまり変な学会員に会ったことはありませんが、二世三世である私の身内は、変な学会員に出くわしたことはあります。傲慢、嫉妬の幹部に徹底して邪魔をされいじめられたこともあります。
でも、それがなんだと言うのでしょう?
自分自身が、「自分の周りの人たちの仏性に語りかけ、必ず幸せにする!」という強い決意と圧倒的な社会に貢献できる力を持てば良いのではありませんか?
自分の中の仏性を呼び覚ます、そのための仏道修行ではありませんか?
11:48 に投稿
だから、本当に対話したければ、会って直に話すべきです。
14:44 に投稿
signifie様、やはり、都合の悪いコメントは載せませんでしたね?
創価の組織は、一人一人の自己実現と社会貢献をするための仏道修行をする場です。
ここにおいでの皆さんが、それぞれどのように社会貢献されているかお聞かせいただきたく思います。
14:45 に投稿
いよいよ馬脚を現しましたね。結局あなたはその程度の器なのです。
14:46 に投稿
signifie様、私の質問に答えられなくなったからアク禁とか、中学生ですか?
14:49 に投稿
罵倒は、マイナスの関わりのした方です。思春期の子どもを育てたことないんですか?
罵倒は、怒ったうちに入りません。ましてや、管理人が情緒不安定で載せるか載せないかわからないコメで。
現に、都合の悪いコメントは載せてないですよね?
でもあなた今、私を本気で怒らせましたね?倍返しでは済まないですよ。千倍返しか、万倍返しか。楽しみにしててくださいね。
15:49 に投稿
卑怯者
15:49 に投稿
嘘つき
15:51 に投稿
嘘つき!
______________________
以上、極端な例かもしれませんが、活動家の方は概して脱会者のことをこのように見ていると判断していいのではないでしょうか。勧誘するときは猫なで声で、お金なんか一銭もかからない素晴らしい信仰ですなどと言いながら、脱会者に対してはこのように手のひらを返してボロクソにけなすんですね。これがいわゆる創価スイッチです。「創価の活動にのめり込んでいくとこのようになります」ということです。
そこで今回のテーマは、ずばり「創価スイッチ」。
学会員さんのおかしさが顕著なのは、この創価スイッチが入ったときの言動です。学会員さんは自分の信心を否定されると、人が変わったように暴力的になるんですね。これこそ会合や聖教新聞を通じて上からさんざん浴びせられる洗脳のたまものです。
創価の思想(?)によって思考停止に陥った学会員さんが、社会のルールを平気で無視し、友人やご近所から嫌われても、それこそ「この信仰が正しい証拠だ」などと思い込んで、ますます社会から逸脱していく姿。そして気づいたときには(または気づかなくても)たいへんな額のお金を吐き出してしまっている。ほんとうは自分が被害者で、お金もあるだけ吸い取られ、家族の時間を奪われ、選挙のたびに友人を失くし、人生をまるごと棒にふっているにもかかわらず、忠告してくれる人に対して「極悪人」とか「地獄に堕ちる」とか「ろくな死に方をしない」などと暴言を吐くのです。これがまともな人間でないことは明白でしょう。でも本人は気づかないんですね。こんな人がひとりでも減ることを願ってやまないですが、まずは少しでもこのような団体がおかしいと自分で疑問に思っている方との対話を進めていきたいと思っています。
この白ユリさんの言動を見て、やぱり創価っておかしいんじゃないかと思われた学会員さん。是非ご意見をお聞かせください。私たちと白ユリさんの言っていることを比較して、どちらに共感できるかを教えて欲しいです。議論はしません。目の前の事実を見てともに考えてみませんか?

 


解説
勧誘するときは猫なで声で、お金なんか一銭もかからない素晴らしい信仰ですなどと言いながら、脱会者に対してはこのように手のひらを返してボロクソにけなすんですね。これがいわゆる創価スイッチです。

白ユリさんの投稿を書き連ねることで、「創価スイッチ」の定義と解説がなされます。

そういえばシニフィエさんにも変なスイッチがついていましたよね。
対話ブログに「対話」するために訪れた創価学会員や、私のように創価学会をやめたものの信仰を捨てていないものに対しては、最初は丁寧な口調で相手にしていますが、徐々に牙をむきだして攻撃してきます。
それを称して、「シニフィエさん、スイッチが入ったな」と言っていた参加者もいましたね。
シニフィエさんのスイッチも、かなりやばかったですよ。

獅子風蓮