獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(9)

2022-02-23 01:10:19 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■本門の題目とはなにものか?          投稿日: 2015年3月28日

本門の本尊に関する疑問に対して納得できる答えは見つかりそうにありません。たぶん無理だと思います。破門されたほうが勝手に破門したほうの御本尊をコピーして「こっちにしか力はない」って言い張ってるわけですから、普通の人が納得するわけがありませんよね(笑)創価にとっては会員さんたちが疑問に思わなければ教義の矛盾なんかどうだっていいということがよくわかります。
先のスレッドが一週間もしないうちに100超えましたので、次のテーマに移ります。
三大秘法の中の「本門の題目とはなにものか?」です。
本門の題目というと南無妙法蓮華経なわけですが、前にも言ったように、これを意訳すると、「法華経におすがりします」ってことです。唱題会なんかで学会員さんがたくさん集まって、みんなで口を揃えて「法華経におすがりします」って延々と大合唱してる姿ってキモくないですか?「法華経におすがりします」が幸せになれる魔法の呪文というのが日蓮正宗と創価学会の教義の基本です。自分の中にある仏の生命を引き出す魔法の呪文が「法華経におすがりします」なんだそうです。
それが何であろうが「信じる人が信じればそれでいいじゃないか」って話なんですが、創価の場合は「これが絶対唯一の幸せになれる宇宙の法則で、これに逆らうと地獄に堕ちるんだよ」と、自分たちの信じるもの以外を否定してきました。それが「折伏」であり、日蓮仏法最大の特徴です。つまり「折伏」とは他宗を全否定することで、創価も創立以来ずっとこれをやってきた結果、幸福の科学に次ぐ日本で二番目に大きな新興宗教教団になれたわけです(笑)。
他宗を否定することが折伏であり、日蓮仏法の最終目的であり、創価学会の最終目的でもある広宣流布はこの折伏なくしてはありえないのですが、近頃の創価学会は他宗も尊重して、みんな仲良くやりましょうとかに変わったんだそうです。でも、創価学会の公式HPにも2015年の活動指針の最初に掲げているのが「折伏をしっかりやりましょう」なんだそうです。
は~い、先生!言ってることがわかりませ~ん(笑)
『ぶっちゃけ「法華経におすがりします」と唱える以外、人間は幸せになれないわけ。だからあんたも他のインチキ宗教をすてて、法華経におすがりしなさい』これが折伏ですよね。だから学会員さんは毎日毎日「法華経におすがりします」って書いてある紙に向かって「法華経におすがりします~法華経におすがりします~」って一心不乱に唱えているんです。これが本門の本尊に向かって本門の題目を唱える場所になる。その場所が本門の戒壇なんだそうです。日蓮正宗では弘安2年の大御本尊が本門の本尊で、これがあるところだけが本門の戒壇だと言ってるので、破門された創価としては三大秘法のうちの二大秘宝までが手も足も出せなくなりました。なので勝手に教義を変更して、「どこでも本門の本尊」と「どこでも本門の戒壇」をドラえもんばりに作ってしまったんですね。創価学会は四次元ポケットだったんですね。時代に合わせてなんだって出てくるんですから便利ですよね(笑)で、本門の題目はもともとが「どこでも本門の題目」なので変更する必要はないわけです。
広宣流布が何万年後に達成するのか知りませんが、世界中の人が「法華経におすがりします~」って唱えながら、他の宗教ができそうになったら徹底的に叩き潰している姿を創価してみてください。学会員さんはそんな恐ろしい世界を本気で夢を見ながら毎日「法華経におすがりします~」って唱えてるんです。完全にカルトですよね。


●signifie (2015年3月29日 07:25 )
ここでのテーマ「本門の題目とはなにものか?」とはいえ、ここで日蓮仏法の講釈を垂れようってことではありません。
南無妙法蓮華経って唱えるだけですべてがうまくいく、イッツオーライッ!ノープロブレム!って日蓮は言いました。なぜなら「オレが末法を救うスーパースターだから」。なぜ「オレ」がスーパースター(末法のご本仏)なのかを説明しよう。ということで、日蓮は仏教で何がイチバンなのかを知る必要がありました。なぜなら、そのイチバンを自分が超えなければスーパースターにはなれないから。つまり日蓮は桁外れの上昇志向人間だったと思います。日蓮は千葉県の小さな漁村の漁師の子として生まれました。千葉県と言っても鎌倉時代の話です。ものすごい田舎の貧しい漁村のせがれだったわけです。どう考えてもその漁村で漁師をやって死んでしまうだけの人間が、頭だけはキレれたのでしょう。自分の今の身分から上へと目指すにはどうしたらいいのか、田舎者というコンプレックスをバネに、仏門に入ることでその突破口を見出します。しかし当時の超エリート僧団である比叡山に運良く潜り込んだ日蓮でしたが、その我の強さと協調性のなさのあまり、あっけなく追い出されます。日蓮はすでに異端児でした。そして乞食同然に諸国をまわり、起死回生のチャンスをうかがうというしたたかな人物でもありました。
天台が大乗仏教をいろいろと研究してまとめた結果「法華経すっげー」というのが摩訶止観だったわけですが、日蓮はそこからさらに釈迦をも天台をも抜きん出だ存在が自分であることを証明せんがための理論武装をはじめます。と同時に、彼はたいへんな妄想癖もあったのではないかと考えます。そうした何事も並外れた自信過剰な彼がとった行動が、一部の人共感を得ることとなり、幕府や他宗の攻撃にも臆することなく「独善的スーパースターへの道」をひた走るようになったのではないかと想像します。
このコンプレックスをバネに人並みはずれた上昇志向によって、一定の人心を引き寄せる人物を知っています。その名は松本智津夫。彼の生い立ちからどうやってサティアンを築くまでになったのかを、写真家で作家の藤原信也氏が「黄泉の犬」という紀行文の最初の80ページほどの短い紀行文の中で書いています。これは食い入るように読みました。もし興味にある方は読んでみてください。
http://www.amazon.co.jp/dp/4167591057/ref=cm_sw_r_tw_dp_32Xfvb0QWFBNF
日蓮と松本智津夫死刑囚を同一視することは、日蓮系宗派の人にとっては聞き捨てならないことは百も承知です。しかしそのコンプレックスからくる上昇志向と一部の人間に対する求心力という側面に共通したものを感じると言う意味においては、なんら荒唐無稽な発言ではないと考えます。
このブログで私は日蓮のことを独善的選民主義のカルト人間だと言ってきました。今もその考えは変わりません。
日蓮が立宗宣言をして762年。彼にとっての知りうる世界はインド、中国、朝鮮と日本。中東もロシアもヨーロッパもアフリカもアメリカ大陸も知らない日蓮にとって、広宣流布という意味もまったく違ったものでしょう。彼がインド仏教がどういったものなのかも知らなかっただろうし、一閻浮提総与の意味でさえ、今とはまったく違うものだと思います。
2500年の昔、インドの釈迦は、この世に変わらないものなどはないと気がつきました。べつにその気づきが始成正覚だとか、仏の中のひとりの悟りだとかと言うのは、何百年もあとから付け加えられただけの解釈です。釈迦は単に人間の苦しみがなぜあるのか、どうやったらその苦しみや死への恐怖から抜け出すことができるのかを知りたかった。そして知ることができた。またそのことを多くの人に知らせて苦しみから抜け出すように促した。彼は人の生き方やものごとの考え方についてのビジョンを示した賢明な1人の人間でした。それが彼の死後、伝説となり、ヒンズー教の勢力からたたき出された後も、さまざまな形で伝承され、そのあいだに釈迦自身が神格化され、宗教として組織化され、分裂し、他国の言葉に翻訳され、土着信仰と結びつくことによって変化しながらも継承され日本までたどり着きました。そこにはもはや釈迦の教えなど片鱗もない、国体を整えるための権威主義の都合のよい構造が出来上がっていました。そこからさらに時代が過ぎて、不安定な世の中になり、人々がもはやどうやって生きていいかわからなくなったときに出てきたのが、鎌倉新仏教でした。なかでも異彩を放っていたのが、この日蓮の極端な独善的選民思想だったと考えられます。くわしくは歴史をひもとけばわかりますので、興味のある方は自分で調べてください。釈迦も日蓮もすがって願いが叶うような神や仏では絶対にないということがわかります。人間を神格化して人に崇めさせる。これは明らかに支配者の意図を感じさせます。日本は70年前まで天皇は神様だということになっていました。とくに神国日本の根拠として、天皇家が神でなくては他国侵略の根拠を失くしてしまうからです。そう言う意味では、ほんの70年前までは日本人はとんでもない妄想を押し付けられていたのだと思います。
さて日蓮は、日蓮正宗や創価学会が言っているように「末法のご本仏」なのでしょうか?この時代にそんなことが通用するのでしょうか?そもそも末法って何?誰が言い出したのか?すくなくとも釈迦ではない。法華経かもしれない。ただし法華経がいつ誰がどのようにして書いてまとめたのかすらわかっていない。鎌倉新仏教でさえ末法思想を論拠にしたのは念仏宗と日蓮宗だけだった。それは終末論によって「これをやらなければ地獄に堕ちる」という恐怖をあたえて自分の教えをいやでも信じさせる手法だった。戦後の新興宗教の多くがこの終末論と抱き合わせた教義によって信者を獲得していることを考えると、日蓮の教義はがいかに偏狭で異端だったのかがはっきりと見えてくる。結局のところ、日蓮は「自分がイチバンだぜ」という終着点にたどりつくためのドラマづくりをしていったのだと思います。
学会員さんって、とにかく日蓮が最高、創価が最高、池田先生が最高ってだけで、あとは功徳欲しさに言われるがままに動いています。自分が毎日唱えているお題目は一体何なのか、どんな意味があるのか、だれがどのような根拠で言い出したのか、それを唱えることで何がどうなるのか、そしてそれを信じている自分が周りの人にどんなことをしているのか、いま一度検証してみて欲しいと思います。

●モニカ (2015年3月29日 07:57 )
選挙に功徳があるんですか?と率直に尋ねると、幹部は一応反論します。
「いや、選挙そのものに功徳があるんじゃなくて頼む時、勇気がいるでしょ。それで題目上げるでしょ。それで功徳がつくのよ」
「ただの選挙と思うからいけないの。一切が広宣流布なの。信心と捉えるから功徳があるのよ」
とか何とか。
「そういう選挙目的で上げる題目は、他の題目より功徳が絶大」だそうです。
あ、やっぱり功徳あるんですね。
がしかし、もちろんそのようなことはSOKAの公式ホームページには載っていません。
一幹部が個人的見解で言ったことになるんでしょう。
これはその他一切に言えることで、財務は出せば必ず戻ってくるんですか?と聞けば、一応反論します。
「いやそんな気持ちじゃなくて100%真心よ。強制じゃないし」
でも「出し惜しみせず思い切った戦いをすれば、凡夫には想像もできない功徳があるんだ」と言い切ります。
あら、やっぱり功徳あるのね。
もちろん、これも公式ホームページには載せません。
幹部の個人的な戯言ですから(笑)
現場幹部は本心から確信を込めて指導しますから、嘘はついてない。
騙そうなんて思ってない。
だから詐欺なんて働いてるつもりはないのかもしれないけど、中枢部はこんなことして功徳があるとは全く思ってません。
常識で考えて当たり前です(笑)
思ってないけど現場の幹部にはガンガン言わせています。
当然、黙らせないし注意もしません。
トンデモ教とわかっていながらそれでよしとしています。
創価は正宗を否定して、本尊の解釈も否定して、他宗を邪宗を呼ぶことも否定して、次は何を否定するのか知りませんが、「創価には功徳がある」だけは否定しません。
これを否定したら終わりですからね。
「本尊が変わろうと教義が変わろうと、新聞を10部取ろうとそんなことはどうでもいい」
「功徳さえあれば何でも信じるし、何でもやるわ!」
こういう信者がいる限り、どんな詭弁でも使うでしょう。
シニフィエさんの仰る通り、例えば新聞の多部数購読を改革しようと思えば「こんなことをしても功徳とは無関係だ」という思考から改めないといけません。
功徳があると信じるから、やる人が後をたたないんですもん。
ですがトップはここだけは絶対に否定しません。
唯一ぶれずに否定はしない部分なのに、公式ホームページには載せませんが。
載せたらトップ自らが詐欺を働いた証拠になりますからね。

●モニカ (2015年3月29日 13:37 )
白いブランコさん
創価は詐欺に当たらないようなことだけを公式に発表して、掲載します。
それ以外のトンデモ教は大・小会合で幹部に口頭で喋らせます。
大確信をこめて。
しかしそれらは公式には載ってないので、追及されても個人のヨタ話とされます。
どの段階で誰が言ったの?と煙に巻く手法です。
年々、印刷物も残さないように細心の注意を払っています。
昔のように指導のテープを出回わせることもなく、録音も御法度です。
過去に出版された書籍は絶版にして知らんふりです。
一切を謝罪せずなかったことにする手法の創価にとって、文字や録音を残すことがどんなに不都合かよくわかってるのです。
アンチも負けず、youTubeをアップするなど容赦しませんが、そんな言葉を生で100万回も聞いてるはずの白いブランコさんまで
>いったい、誰が言いだしているのでしょうか。
なんて言われると白けますよ。
「折伏は折って伏せると書く。文字通り相手の命の害毒を切ってあげるんだ!」
「末法は折伏です!」
「この精神がなくなったら学会は終わりなんだ」
「初めて聞いた」なんて言わせませんよ。
こんなことアンチとわざわざ対話しなくても、創価ならよーーーーーーくわかっているはずです。
私たちは白いブランコさんが聞いたこともないような話なんてしていません。
ちゃんと組織にいて素直に活動してきた人ならむしろ、誰よりわかる話しかしてないじゃありませんか。

●モニカ (2015年3月29日 19:58 )
創価の功徳をちらつかせた詐欺まがいの勧誘については、どんどん書かせて頂きます。
ここ大事ですよ。
創価がここまで巨大組織になって二世三世の連鎖にまで繋がって、社会問題にまで発展した根源だからです。
仏教は本来そんなものじゃない。
欲の皮につっぱった奴らが商法に引っ掛かったくせに人のせいにするな、と笑う人もいるでしょうが、ではそんな何でも解る賢い御方は、藁をもすがる思いだった人の気持ちは解りますか?
昭和の一昔前は、問題が山積みだった家庭の中、一母親がすがるような思いで入会した、なんてのはよくある話でした。
学も教養もなく、難しい仏教の話には圧倒され頷くしかなかった。
折伏を始め、活動は嫌われてナンボ、それにひるまず勇気を出してナンボ。
これと引き換えにしなければ宿業は取れないと叱咤されました。
口答えなんて許されない。
そこまでしても子どもを守りたい幸せになりたいと、唇を噛んで素直に実践した、選択の余地なんてなかった人もいたのです。
完全に人の弱みにつけこんだビジネスですよ。
「仏教は本来そんなものじゃない」
「多様性を認めましょう」
とか何とか今さら取り繕っても、過去に散々言ってやらせたことを謝罪もせず、いつ何時もすべて自分たちは正しいかった、正義だとか言わない創価。
どんな苦しい見苦しい言い訳に終始しても、負けも間違いも認めないでツンとしている創価。
活動家の人柄がどんなによくても、この点を厳しく指摘しないなら本当に良い人でしょうか?
おめでたいというより鈍感すぎます。
世界平和だ、開かれた宗派などと言えば言うほど白々しく、私にはもう吐き気がする団体にしか見えませんけどね。

●あまにぃ (2015年3月29日 21:53 )
毎日新聞掲載(2001/9/25)記事一部抜粋
参考サイトhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~masajun/sintyaku/200109252.txt
池田大作・創価学会名誉会長インタビュー
「あらゆるテロは絶対悪」
毎日新聞 2001/9/25(火)1面掲載
【「国連特別総会でテロ対策」を提唱 創価学会池田名誉会長】
創価学会〕~独裁などあり得ない~
北村    :創価学会は70年を超えました。今、創価学会はどういう段階にあるのでしょうか。長年、指導者の立場にある点をどうお考えですか。
池田氏   :ほぼ日本の1割に(会員数が)なりました。基盤が出来上がったと見ています。当然指導者がいなければ、組織は正しい方向に動きません。とともに、皆に責任を持たせ、青年を育てていかなければ、どんな団体であっても安定と発展、持続はできなくなるものです。独裁などあり得ないし、時代遅れです。学会の運営は、役員会議・中央会議などを中心に、民主的にみんなの意見を最大に尊重して行っています。会議も私があまり出ると皆が遠慮してはいけないと思い、原則として出ないように心がけています。
岩見    :何か新しい独裁みたいな感じもしますが。(笑)
池田氏   :どう見られても、私は構いません。全部、自由ですから。ただ、私も名誉会長として、会則通りに働いています。独裁であれば人は育ちません。世界にも開けません。独裁は臆病です。必ず滅びます。
北村    :名誉会長、最近までずっとマスコミに登場しなかったのですが、最近、朝日新聞への寄稿から始まり、登場が続いています。何か思うところがあってですか。
池田氏   :創価学会というと、すぐに公明党と見られがちです。その公明は自民と一緒になってます。一般の方々は学会も同じように、つながってしまっていると思われかねません。そのように思われることは学会にとっては非常に迷惑なことです。心ある会員にしかられます。また離れていきます。そこで、創価学会の主体性を明確にしておかないと、
内部的にも納得を得られないと思って発言を多くするようにしました。私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。
あまにぃ
10年ちょっと前に学会員から上記の新聞のコピーをもらいました。
当時はこの内容が理解出来ませんでしたが今となっては池田氏の得意の二枚舌であったことが判りました。

●satou (2015年3月30日 10:25 )
会員にとっては、題目をあげることよりも、何より功徳があると思われている選挙。
「公明党・ 松あきら子宮頸がんワクチン利権疑惑が勃発」というタイトルを見つけて、数年前に書かれたブログを覗いてみましたが、公明党の松あきらによるワクチン利権疑惑というのがあったようですね。知りませんでした。要するに公明党副代表でもあった夫が製薬会社と繋がっていて、そこに国から接種費用として年間三百億円という多額の公費助成金が出る。そういう利権がらみなんでしょうか、数年にわたって、その夫から松あきら個人の政治団体や政治支部に高額献金がされていたという話。そして副作用の問題が出始めると、それまで公明新聞で「公明党の推進で承認が決定」とか、「命を守る! 公明党の実現力と、その成果を誇示した。」とか大々的にアピールしておきながら、副作用問題が出始めると、やっきになってその事実を隠そうとしたとか。マスコミも、公明党=創価学会という構図を恐れて、その問題をあまり表ざたにしなかったとのこと。
会員のみなさんは、公明党は素晴らしい、もし、何か問題があったなら、それはよこしまな個人が起こした問題で公明党とは無関係としますが、命を守る公明党さんなんですから、この問題にしても公明党として、副作用問題を公表して謝罪すべきだと思います。新聞で大々的に宣伝して、会員に、ワクチン接種を周りにも推奨することを促してきた事実は消せません。また、都合の悪い事はマスコミに圧力をかけてでももみ消そうとする?体質も、結局会員が出すお金が元手ですよね?だとしたら、会員も間接的に揉み消しを手伝っていることになります。本当に創価学会は正しいと堂々と言いたいのなら、問題が起こったときには、それを隠すなと追求する姿勢が必要ではないですか?私は個人の不祥事の裏には、組織の指示があったんじゃないかと疑いますが(だから松さんも、公明党の顧問になどなっていられる?)。創価の実態なんて、もともと末端会員には分からないと思います。公明党の議員さんの選挙演説をを聞くと、こんないい人、素晴らしい人には、是非国会で活躍して欲しいと思わせられるような人を顔として立候補させますしね。でも、それらの人も組織の指示の元動いているだけじゃないですか?裏で指示する組織がよこしまなら、誰が立候補しようが同じという事です。だから、誰が出たって戦争は止められない方向に行くわけです。集団的自衛権行使容認にしても、戦争ビジネスをしたい某国が日本にも高額な武器、戦闘機などを買って、それを消費すべく戦地に繰り出そうと圧力かけてきたからではないでしょうか。それこそ、最もストッパーにならなくてはならない場面です。時代に合わせてなど、どんな言い訳も通用しないでしょう。人質事件にしても、助けず、わざわざ刺激するようなことばかりしていたのも、裏には、テロリストという敵の残忍さを認識させて、戦争賛成に持ち込むためだったのではないですか?公明党のストッパー力って、いったいどこで発揮されてるのでしょうか?どこが命を守る公明党なんでしょうか?都合のいいように作られる世論。学会員さんも、都合よく作られた情報に載せられるだけでは、知らず知らず、よこしま連中の仲間になってしまうんじゃないですか?そんなことで成仏だの世界平和だの出来ますか?

●signifie (2015年3月30日 11:08 )
satouさん、先日から特に精力的にコメントをいただき感謝してます。satouさんのコメントはほんとうに的を射て無駄がなくわかりやすいです。これからもよろしくお願いします。
子宮頸癌ワクチン問題は、これだけのたいへんな被害者を出しておきながら、公明党は謝罪の一言もなく、また今でもこのワクチン接種は行われています。問題が大きくなっても決してこのワクチンを使用禁止にするような措置はとられていません。厚労省は「子宮頸癌ワクチンによる副反応との因果関係は否定できないので、とりあえず推奨は控える」といった曖昧な表現です。どれだけ利権がらみだったかがわかりますよね。おそらくワクチンによる副反応を認めてしまうと、たいへんな賠償金を支払うことになるからでしょう。

●通りすがりの女性 (2015年3月30日 11:37 )
すみません、横から失礼します。覚醒した一人ですが、子宮頸がんワクチンのことは、信仰とも公明党とも別の問題として考えて頂けないでしょうか。
女性として、また公明党や学会とは全く関係のない女性の友人たちも、副作用があるなしの問題で、子宮頸がんワクチンが使用できなくなることを大変恐れています。
たとえ利権が絡んでいたとしても、薬の副作用や効果の詳細は、公明党だけのことで済ませられる問題ではないと思います。命に関わることですので、どうぞよろしくお願いします。

 


解説

シニフィエさんは、日蓮に対してめちゃくちゃな持論を展開していますが、私にとって日蓮大聖人は信仰の対象ですので、不愉快です。

アメブロでも紹介したように、今月(2月)はNHK-Eテレ『100分de名著』(月曜午後10:25 - 10:50)で植木先生の著書『日蓮の手紙』が紹介されています。
もうすでに3回が終わり、28日の放送を残すのみになっています。

本年は日蓮生誕800年にあたり、日蓮の国家主義的な一面のみではない、信徒に対する細やかな情愛あふれる書簡など、温情あふれる面がクローズアップされたりと、日蓮の再評価が世間的にされているようで、うれしい限りです。

鎌倉時代という制約の中で形成された日蓮教学の欠点のみをあげつらって日蓮を誹謗するのはどうかと思います。

 

子宮頸癌ワクチンについては、昨年12月20日のこのブログの記事で、次のようなシニフィエさんのコメントがあります。

●signifie (2014年4月2日 00:40 )
子宮頸癌ワクチンについても、内海氏が明確に答えてくれています。
http://touyoui.blog98.fc2.com/blog-entry-295.html

シニフィエさんのワクチン嫌いは、内海氏の影響が強いと思いますが、このようなトンデモ医師の影響を受けた説をアンチ創価・アンチ公明の議論に紛れ込ますのは、問題をややこしくさせるだけです。
「通りすがりの女性」さんの危惧する通りです。

長くなるので、つづきます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(8)

2022-02-22 01:44:41 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■白いブランコさんとの対話 2        投稿日: 2015年3月21日

このスレッドは白いブランコさんとシニフィエとの対話の続きです。すみませんが、他の方はこのスレッドにはコメントしないでください。よろしくお願いします。
では創価学会が今回発表した「教義の変更」に関して「本門の本尊」の解釈にいろいろと矛盾があるのではないか?ということに論点をしぼって対話をしていきたいと思っています。
そこで私から単純な質問をさせてもらったのが
「今回の教義の変更において、発足以来80年にわたる日蓮正宗との関係を完全に断ったと宣言した創価学会なのに、創価学会の信仰の対象である本門の本尊であるとする御本尊が、なぜ日蓮正宗法主日寛上人書写の御本尊の修正コピーなのか?」
ということです。
ほかにも多くの矛盾がありますが、なにより信仰の対象の解釈が変わるという、一般的な宗教の概念としてはおよそ考えられないことを、2度の聖教新聞での掲載のみで済ませてしまっていて、その後は公式HPにさえ掲載していないことも不思議に思います。
まずは創価学会の信仰の対象がなぜ今も日蓮正宗のコピーなのかという理由を教えてください。よろしくお願いします。
付け加えますと、創価学会の本門の本尊が日蓮正宗の御本尊なのに、創価学会公式HPには、日蓮正宗の記載がまったくないというのも理解しがたいことです。


●白いブランコ (2015年3月26日 21:42 )
signifieさん
日蓮大聖人からみれば、自分の説いた法華経・日蓮仏法の信徒同士が争うのはおかしいと感じられると思います。
日本の中で「南無妙法蓮華経」を唱える教団は、創価学会・日蓮宗・日蓮正宗・顕正会・立正佼成会、霊友会etcもっとあるかもしれませんが、
その教団同士で、教義の解釈の違いにより争いを繰り広げています。傍から見たらおかしいと感じるでしょう。
中に居たらいたで、お互いが自分たちの教義解釈を主張しています。
ひとことで言わせていただければ醜い争いです。
かといって、各教団のトップ同士が集まって日蓮大聖人の元、一致団結しようという動きは見られませんし、
一信徒からすれば、何のための宗教かと思うこともあります。
そのような状態にもかかわらず私が創価学会にこだわっているのは、恩を感じているからです。
学会2世なので、物心ついたころから学会の会合に参加していて、未来部の時は、それこそ、yさんのような熱心な担当者の方には大変お世話になりました。
大石寺も年に1回は行っていたでしょうか。正本堂の噴水やお土産屋の通りの勢いあふれる水の流れ等々、思い出はたくさんあります。
仕事を決める際も、牧口先生の価値論の美・利・善をもとに決めてきましたし、戸田先生の生命論、獄中の悟達、絶対的幸福境涯という考え方も私の人生に良い影響を与えております。
人生で大きく悩んだときも この仏法、そして池田先生の著作にどれだけ励まされ助けられたかわかりません。
なので、私は創価学会のそういった人のためになる活動の部分は大きく評価していますし、だからこそ、創価学会を信じている部分があります。
翻って、そうではない部分も目に付くようになりましたし、特に最近そういう感が強くなったので、改善しなくてはならないと思い始めたのです。
教学の話に戻りますが、創価学会が用いていた日蓮正宗の教義は、大部分が日寛上人の解釈をベースとした教学です。その日寛上人の教学も、大聖人の教義の解釈の部分と、自宗の正統性を証明するための教学に分けられるとのことです。
このうち、創価学会としては大聖人の教義の解釈の部分は引き続き用いますが、宗門の正統性の部分は用いないことにしたようです。この辺も1/30の新聞に発表されてました。
御本尊が本物かニセモノかという議論ですが、立場が変われば見方が変わるので、たとえば創価学会の御本尊も、日蓮正宗の教義に当て嵌めれば、御本尊と認められないということであれば
日蓮正宗の信徒は創価学会の御本尊に祈らなければ良いだけの話です。
よく引かれる日達上人の話で、「日蓮正宗以外の教義が広まっても広宣流布とは言わない」というのがあって、そうであれば、日蓮正宗はそうやればいいし、創価学会の広宣流布とは日蓮仏法を基調とした平和・文化・教育の推進なので、創価学会はそれを広めればいいと思います。
教義の解釈が違うので袂を分かれたのだから、広宣流布の解釈も当然違ってきます。
創価学会か日蓮正宗かの二者択一であれば、そのどちらかの信じられるほうの教団にいればいいと思いますし、
現在は選択肢が広がっているので、その他で自分が信じられるものがあれば、そちらを信じればいいと思います。
宗教信条を選ぶ自由は保障されるべきだし、たとえ創価学会員であっても、その自由は妨げてはならないところです。
それを無理に留めようとするから問題になるのです。
特に学会2世・3世の方とか、自分の意思でやられていない方は、他に信じる道があるとおもうのであればそちらの道を選ばれてもいいと思っております。
多様性の時代だし、ひとりひとり考え方もしあわせの感じ方もちがうので、いままでのような、これが絶対正しいというのは通用しない時代だと思います。
やめる人(退会する人)が多ければ、組織としてもおかしいところがあると気づくかもしれませんが、そうでなく、籍だけ残させている状態では、問題点が隠れてしまいます。
やめた人を攻めるのではなく、やめる人を生み出している状況を攻めるべきです。(あまり攻めるとかいう言葉を使うと、戦闘モード云々いわれそうですが、、)
創価学会が今回の教義の改正に踏み切ったのは、世界に通用する宗教になるためということですので、創価学会独自の日蓮仏法を基調とした世界平和・文化・教育のための教義には自信があるのでしょう。
その一番最初として、一番の根本である御本尊の解釈を変えたのだと思います。このあとも随時、新たな創価学会教学が打ち出されると思います。
700年以上前のことにこだわって反感を買うよりも、現在の現実に即した形に改めるのは良いことだと思いますし、受け入れられると思います。
>ということは創価は日蓮正宗や日蓮宗よりもそうとう寛容な、これまでにどこにもなかった日蓮仏法に変わったということですね。
そのように捉えられてよろしいかと思います。
印刷技術の発達のおかげで、マルチンルターの宗教改革が広まったのと同じように、情報技術の発達=インターネットの普及により、信教の自由が加速してもいいと思います。
一人ひとりが 宗教=幸せになる教え を考えて、選んで(選ばないという選択も含めて)、そして、お互いがその考えや宗教を尊重していく世の中になってほしいと思います。
いままでの考え方や捉え方が変わるので、すごく時間がかかることかもしれませんが。

●白いブランコ (2015年3月28日 22:30 )
signifieさん
こんばんわ。ここ数日のsignifieさんのコメントで、signifieさんはじめ、常連さんたちの考え方がよくわかりました。ストレートにコメントしていただいて解かりやすかったです。
結局、信仰心を利用してお金を騙し取っているということと、信仰心を利用して、票を集めているということですね。
いろいろな側面から、しっかり考えていきたいと思います。
折伏についてご意見を述べられてますが、今一度、考えをまとめておきます。
私は創価学会が折伏をしないとは言っておりません。折伏について申したのは、
<また「聞法下種」とあるように、相手が信授しようがしまいが、仏法の話をすることが折伏になります。
<「発心下種」にこだわるから問題が起こるのであって、その「発心下種」も、数字のための「発心下種」になっていることがあると思います。
<そういうところを改善していかなくてはならないと思います。
ということです。
まず折伏・弘教が金儲けのためとおっしゃてますが、はたしてそうでしょうか。
創価学会の入会条件は、
1.勤行・唱題を実践している
2.聖教新聞を3ヶ月以上購読している
3.定例の座談会に2回以上参加している
となってます。
折伏・弘教をやられたことがあればお解かりだと思いますが、決して簡単なことではないです。
もし金儲けが折伏の目的だったら、勤行して数珠・教本を渡して本人の同意も無く入会とかにしたほうが全然簡単だと思います。
もうひとつ、折伏に対するイメージですが、signifieさんの仰る折伏は、昔ながらの相手の思想信条を全否定して、日蓮原理主義仏法を信じ込ませようとしているのを折伏とイメージしているように思えます。
創価学会がおこなう折伏は、日蓮正宗と同じころはそういった面がありましたが、いまは「聞法下種」とあるように、仏法対話を基調としています。
相手を尊重し、こういった考え(仏法)もあるよと、相手が信じようと信じまいと、話をするのも立派な折伏です。
そして、話を聞いた人が納得したとして、家族の了解を得てやっと入会になります。
返答に間が開いてしまって、話は飛びますが、
signifieさんもKickeyさんも、従来の日蓮原理主義的な発想から考えられていると思います。
>思想を変えようと思ったら、時には戦争も伴い、場合によればテロのように意思表示として実力行使で反発してきます。
 
そのとおりの事を行ったのが、旧陸軍の参謀、石原 莞爾です。またテロを行ったのは2.26事件の指導者、北 一輝です。二人とも日蓮原理主義的な発想の人です。
この辺のことについては、本宮ひろしさんの「国が燃える」という漫画に描写されています。
田中智學の話が出たついでにいうと、国立戒壇を言いだしたのは田中智學で、その系統が顕正会に息づいていると思ってます。
日蓮原理主義的な発想では、広宣流布にもならないし、仰られるとおり、侵略になってしまいます。
創価学会としては、というか池田先生は明確に否定しております。
signifieさんは随所で、私の考えを幹部に言ってみてくださいと仰ってますが、そのようなやり方で改善できるとは思っておりません。
また、幹部に改善を期待するよう様なことはありません。
yさんがコメントしてくださったようにブログを立ち上げるとかは未定ですが、一つだけ確実なのは、「対話」を通して改善に取り組みたいと思っております。
2015年3月27日 16:50 のsignifieさんのコメントを読んで、対話の重要性をあらためて認識したのと、signifieさんのお気持ちをしっかりと受け止めたいと思います。

●白いブランコ (2015年4月2日 22:16 )
signifieさん
御本尊の解釈についてもう一度説明させていただきます。日蓮仏法の中での話なので、その他の宗教の話ではありません。
日蓮大聖人が御本尊を顕わした理由は、すべての人々に仏の境涯になってほしいからとのことです。
信仰心のある方に御本尊を与え、お題目を唱える。そして仏の境涯になってもらう。これが日蓮大聖人の希望されていたことです。
今回の教義の変更、御本尊の解釈については、時代に合わないから変えたのではなく、大聖人の意向に合わせて変えたということで納得しています。
「大聖人の本義に基づいての変更」という言葉で説明されています。
>だからこの教義の変更についても聖教新聞で一度だけさらりと流して突っ込まれないようにした。そういうことではないのですか?
一応、今月の大白蓮華「大白蓮華 2015年 4月号」の巻末に掲載されています。ご参考までに。

●白いブランコ (2015年4月5日 18:05 )
signifieさん
支援の戦いのボイコットの件で以下御返答します。
>今の時期に公明党のやってることには賛成できないから自分は選挙活動はしないということが地区内でまかり通るものなのでしょうか?
公明党のやっていることについては良し悪しあるので、政策如何で選挙活動をやる・やらないということではなくなりました。
(今までは公明党も良くやられていたと思っていたので、あまり疑問を持たず、支援の戦いをしていました)
信仰心を利用して政治活動を行うことに賛成できないので、ボイコットしています。
再度載せますが、
「私たちは、公明党を支援するために信仰しているのではない。宗教は人間と人間との心の連帯です。
もはや党派性の時代ではない。それでは必ず行き詰まる。あくまでも人間です。人間のための、人間による宗教活動を、私たちは進めていきます。」
と先生の言葉にもあるように信仰と政治活動を結びつけるのは間違いです。
何も問題なくまかり通っているかは現時点ではわかりません。明らかにおかしいと感じている部員さんもいると思います。
>白いブランコさんの地区では選挙活動はしていないのですか?それとも会員さんには選挙頑張れ、先生にお応えするんだ、広宣流布の使命を全うしよう!と激励しているのでしょうか?
活動家の方は相変わらず支援の戦いはしています。私は前回の衆院選からですが、創価学会員の立場としては選挙活動はしない(出来ない)ということを地区婦人部長、副支部長等、数名には伝えております。
>今現在、白いブランコさんは地区部長として、地区の会員さんとどのような選挙の戦いをされているのでしょう?
上述した通り、私個人としては選挙の戦いはしておりません。
>また、幹部である奥様は白いブランコさんの公明党に対する考えをご存知なのでしょうか?
パートナーにはすべて話をしております。公明党というよりは選挙の戦いについてを多く話しております。
>奥様はF取りに必死なのではないですか?
やめてほしいのに必死にF取りに行っております。うちは小さい子供がいて、その間は自分が見ていなくてはなりませんので、コメントする時間もありませんでした。
satouさんのコメントに「家庭内の改善をしてみてください。」とあったように、昨日も自分の考えや気持ちをバリ活のパートナーに伝えました。
モニカさんのコメントにあったように「何を言われようと学会は正しい」「私には確信がある」との内容で会話になりませんでした。信心のことでなんで喧嘩しなければならないのか、普通で考えればおかしなことですが、このまま喧嘩し続けるのは子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。

●signifie (2015年4月5日 19:42 )
では、白いブランコさんは、地区の部員さんにも「自分は納得できないから選挙の支援活動はしない」と明言して、自分は支援活動はしないが、地区の学会員さんがする分には何も言わないようにしていると言うことですね。さらに奥様とはそうした意見の違いで離婚も考えていると。
そうですか。
>子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。
私 思いますのは、これって男の勝手な言い訳だと。これ女性が聞いたら怒りますよ(笑)。子どもをダシに使うなと。じゃあ、子どもがいなかったら離婚しないってことなの?って。
それで、立ち入ったことを聞くようで申し訳ないのですが、もし白いブランコさんが離婚されたとして、小さなお子さんはおそらく奥様が育てられると思います。そうなるとお子さんもお母様から「何を言われようと正しい」「私には確信がある」といった子どもさんになる可能性が大きいと思います。おそらく白いブランコさんがそのような環境だったのでしょうし、私自身そうでしたし、2世3世の学会員はたいていそんな環境で育ちました。まず創価ありきという家庭環境をどう考えますか?
「お父さんとお母さんはどうして離婚したの?」
「お父さんはね、魔に負けてお前を捨てたのよ」
「魔って何?」
「ご本尊様を信じようとすると魔が出てくるの。お父さんはその魔に負けてしまったのよ」
「魔って怖いね。魔に負けたら離婚するんだ」
「そうね、魔に負けたら幸せにはなれないの。だからあなたも絶対魔に負けたらだめよ」
「うん、わかった。ご本尊様を信じればいいんだね」
「そうよ、ご本尊様を少しでも疑ったりしたらすぐに魔がやってくるのよ」
「わかった、ご本尊さまは絶対に正しいんだね」
「そう、絶対に正しいのよ。疑ったりしたらお父さんみたいになるんだからね」
なんだかそんな母子の会話を想像してしまいました。
白いブランコさん、創価学会はあなたの奥様のような方が全国にいて支えているんです。モニカさんも言っているように、創価は何の疑いもなく盲信している婦人部と、婦人部の予備軍である女子部で成り立っています。白いブランコさんが言っている改善策など、創価にとっては痛くも痒くもありません。それであなたが離婚しようが創価にとってはどうだっていいんです。すでにたくさんいる非活がひとり増えるだけのことです。あなたひとりが離婚までしてボイコットしても改善策にはならないことがわかりませんか?自分ひとりボイコットして、自分の中ではスジを通したつもりでしょうけど、それによって創価がどう変わるというのでしょう。絶対に1ミリも変わりませんよ。単にまわりの学会員から裏切り者とか魔に負けたなどと思われるだけです。ちがいますか?

 


解説
2015年3月27日 16:50 のsignifieさんのコメントを読んで、対話の重要性をあらためて認識したのと、signifieさんのお気持ちをしっかりと受け止めたいと思います。

白いブランコさんのコメントです。
この中で言及されている肝心のsignifieさんのコメントは、対話ブログが非公開になったため、参照することはできません。
残念です。

信心のことでなんで喧嘩しなければならないのか、普通で考えればおかしなことですが、このまま喧嘩し続けるのは子供のために良くないと、真剣に離婚を考える状態になってしまいました。

選挙のことで意見の合わないバリ活の奥様と喧嘩するようになったことまで話す、正直な白いブランコさんです。
だんだん、signifieさんに追い詰められてきたような感じで気の毒です。


獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(7)

2022-02-21 01:40:02 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価の三大秘法とは何か           投稿日: 2015年3月17日

きのう私は白いブランコさんとの対話のスレッドで、創価の三大秘法に関する質問をしました。この質問は日蓮仏法を語る上では初歩の初歩、つまりこれを無視しては日蓮仏法はありえないというほどの基本的なことに関する質問です。今は白いブランコさんからの回答を待っている状態です。
このブログでは創価の教義に関しての議論をするつもりはありませんが、創価がいいかげんな教義の変更によって会員を平気で騙していることがはっきりすると思いましたので、あえて白いブランコさんに質問させていただきました。
ポイントは、創価の三大秘法の矛盾に対して会員さんが納得しているのかどうかといったところだと思います。教義の整合性がまったくとれていないにもかかわらず、学会員さんは財務に選挙に新聞啓蒙にと動かされているわけですからね。そして子どもたちにも唯一正しい宗教だと教えているのですからね。もし創価が日蓮の教義をもとに世界平和を推進する宗教団体として生まれ変わるための改善策があるとするならば、まず教義の矛盾を解消しなくてはいけないでしょう。
しかしどんなに教義を変えたところで、創価がもともと宗教団体ではないということは明白ですから、ほんというと教義の議論に意味はありません。注目すべきはその矛盾に気がついていない多くの学会員がいるという事実です。
そこで今回のテーマは「創価の三大秘法とは何か」です。すでに脱会した方にとってはどうでもいいことなんですが、白いブランコさんがなんらかの回答をしてくれると思いますので、それをもとに創価の教義の矛盾をはっきりさせていければと思っています。
みなさんにしてみればコメントしづらい内容かもしれませんので、むりにコメントされなくてもけっこうです。逆に、白いブランコさん以外の活動家の方に来ていただいて、創価の教義の正当性を解説していただけると、よりわかりやすくなるかなと思っています。もちろん、殴り込みはご遠慮します(笑)。白いブランコさんのように、きちんと人の話の聞けるような学会員さんの登場をお待ちしています。


●signifie 
2015年3月19日 17:43 
すみません、このコメント長いです(笑)。
でも今考えてることをおもいつくまま書いてみました。
最初は白いブランコさんとの対話のところに書いていましたが、これはもっと全般的な話になるなと思って、こちらに書きました。
今、対話中の白いブランコさんのお話と合わせながら読んでみてください。
私は単純に思うんですが、創価は日蓮正宗の信徒団体としてスタートしたわけですから、破門されたら、もうそこで終わりですよね、普通。会社で社長や上司の言うことを聞かずに好き勝手し放題だった社員がクビになったのに、社長や上司を恨んで恨んで、あることないことでっち上げて、裁判まで起こして悪口を言いまくる。そしてあの会社が偽物で、オレが本物だと言い出す始末。おいおい、もともと「社員」なんだろ?って言っても聞く耳をもたない。とにかく自分をクビにしたやつらが悪いの一点張り。それでやることがあんまり汚いもんだから、社長のほうも正式に訴訟を起こす。元社員も負けじと訴訟を起こす。結果はほとんど社員の負け。でも他の社員にはそんなこと絶対に知らせません。普通なら「は?何言ってんの?」って話でしょ(笑)。
創価は会員から集めるものすごい額のお金で、政治もマスコミも出版界も広告業界も法曹界も抑え込んでる。すべて会員を騙してかき集めたお金で好き放題しています。何も知らないのはお金をまきあげられている会員。「創価だから間違いない」「きっと先生の深い考えがあるのよ」などと、自分で考えることはしません。というかできないように教え込まれています。何でそんな単純なことに気がつかないのか、外部の人にとっては信じられないかもしれませんが、それが宗教とか洗脳とかMCの恐ろしさなんですよね。人間はある条件がそろうと、驚くほど思考停止に陥ります。目の前のものが見えなくなるし、ありもしないものが見えるようになります。どんなにおかしなヘ理屈さえ、この世の美しい真理に見えてしまうんですね。催眠術にかかっているようなものです。ですから、創価が宗教ではないことに気がつくことを、ここでは「覚醒」という言葉を使っています。創価のやってることはおかしいなと思うくらいのことを「覚醒」とは言いません。創価がもともとから宗教などではないということを客観的な目で見ることができた瞬間を「覚醒」と呼んでいます。
たとえば財務の額を求めすぎるから、上限を決めて一人100万円までにしようとか、聖教新聞は一人1部にしようとか、会合の数を半分に減らせば負担が少なくなって活動しやすくなるだろうとか、そんな問題ではありません。創価は宗教ではないのに、会員は宗教だと信じて活動をしていることが問題なのです。例えれば、困った人を助けるためのボランティア団体だと思って一生懸命活動していたら、じつは暴力団だった。そんなとき「麻薬を売る量を今までの半分にしよう」とか「オレオレ詐欺は月に10人までにしよう」なんて言ってるのといっしょですよ。「暴力団も改善すればボランティア団体になるのです」などと言ってるようなものです。もともとボランティア団体だったのが、何代目かの会長が悪の道に引き込んだのなら、改革次第ではもとのボランティア団体に戻る可能性もなくはないと思いますが、もとが暴力団では話になりません。所詮暴力団は暴力団でしかありません。
それではどうやったら「創価は宗教ではない」ということが会員さんにも理解できるだろうか……とこれまでもいろいろ考えてはきました。でもやっぱり最終的には自分が気がつく以外にないんだなと思います。理屈では説得できません。理屈で入ったわけではありませんからね。とくに二世三世は、創価の価値観が全てなんです。生まれたときから創価の思想だけが正しいと教え込まれ続けています。これってほんとうに恐ろしいですよね。自爆テロの戦闘要員に使われる子どもたちのようなものです。たとえ途中で「じつは違ったんだ」とこれまでの価値観をひっくり返されても、何も残らないんですから恐ろしいです。心も折れますよ。
でも、私や皆さんと同様に、どこかで、何かがきっかけで「覚醒」の瞬間が訪れるんですよね。それはひとつの決定的な出来事というよりは、いろんなことの積み重ねがあるなかで、ある日突然、少しずつたまっていたコップの水があふれるように、目の前のことが見えるようになります。見えるようになると、いままで何にも見えていなかったということがわかるんです。見えてないうちは、何が見えて何が見えないかなんてわかるわけがありません。見えて初めて見えなかった自分のことがわかるんです。
そこで、そんな覚醒のためのひとつのきっかけに「三大秘法」について考えてみるという方法があるんじゃないかと思いました。つまり日蓮仏法の信仰の原点をもう一度見直してみようということです。なにも難しい仏教学をひも解こうというのではありません。自分が信じてきた日蓮仏法とは何なのか。その日蓮仏法のなかでもいちばんの胆とはとは何なのか。そして創価のいう日蓮仏法は、その肝に準じているのかを確かめてみようじゃないかということです。
そこで何が日蓮仏法の肝かと言うと、やはり「三大秘法」なんですね。
あ、私は日蓮仏法を評価したり奨励したりしているわけではありません。むしろこんなものに関わったばっかりに50年の人生を無駄にしてきたのですから、覚醒した今となってはまったく信じてはいません。念のため(笑)。
で、その三大秘法とは何かと言うと、日蓮本人が言うには「自分はこれを顕わすために生まれてきたのだ。私が誰かと言えば、これをおいて他にない」と言い残すほどのものです。日蓮は多くの書簡や論文みたいなものの中で、いろいろ難しいことをたくさん言っていますが、とにかく何を置いてもこの「三大秘法」こそが自分の心そのものだと言い残しています。
なにしろ「秘法」ですからね、どんな秘密なのかと思ったら、みなさんご存知の通り「本門の本尊」「本門の題目」「本門の戒壇」の三つを三大秘法と名付けたんですね。さらにこの三大秘法の中でも特にいちばん大事なのを一大秘法と言ってますよね。それが「本門の本尊」です。つまり日蓮の教えの究極というのは、この「本門の本尊」なんです。本人が言ってるんだから、他の誰かが「いや違う」などと言っても無駄です(笑)。このことをひっくり返すことのできる人間は後にも先にも絶対にいません。これがひっくり返った時点でそれは日蓮の教えではないことの証明になりますよね。
そこで昨年の教義の変更で創価学会は何といったかと言うと「創価学会は日蓮正宗とはまったく何の関係もない。本門の本尊とも関係はない」と変更したわけです。これを変更と言っていいのかどうかはまた別にして(笑)、とにかく創価学会は日蓮の究極の教えである一大秘法の「本門の本尊」とは関係ないよと宣言したんですね。つまり創価は日蓮の教えとは関係ない団体ですってことを正式に発表したんです。
ここでちょっとおさらいをしてみましょう。「本門の本尊」とは何かというと、いわゆるご本尊のことです。べつに秘密でも何でもないんですが、任用試験を受けた人なら知っての通り、この本尊には人本尊と法本尊があって、人本尊とは日蓮のことですね。自分で言ってるんです。オレが本尊だって。
ちなみに日蓮正宗と創価学会以外の日蓮宗派、つまりいわゆる日蓮宗では本門の本尊は釈迦のことをさしています。もちろんほかの仏教もほとんどが本尊は釈迦です。もともと仏教は釈迦の教えってことでスタートしてますから、それが当然のことなんですが、数ある世界中の仏教教団の中で、本尊を釈迦以外だとしているのは日蓮正宗とその信徒団体だった創価学会とその他一部の新興宗教だけなんですよ。だからこそこれまで創価は仏教の中でも異端中の異端だって何度も言ってるわけです。創価学会が世界に認められたなんて思っているのは学会員だけです。客観的にはほんの小さなカルト集団です。
まあそれはともかく、なにしろ日蓮正宗と創価にとっての人本尊は日蓮だってことは間違いなさそうです。では法本尊とは何のことか?これも日蓮が自分で書き残しているとおり、日蓮自身が顕わしたご本尊ですね。「日蓮が魂を墨に染め流してうんたらかんたら」ってやつです。日蓮は「自分が生きているうちは、自分を拝めばいいんだけど、後世の人や遠くの人は無理だから、自分の分身としてこの曼荼羅を拝むようにしなさい」といってこの曼荼羅を書いたんですね。「出世の本壊」って任用試験の勉強で教わりましたよね。ただ、日蓮正宗の大石寺にある「大御本尊」がその弘安2年に日蓮が書いたものなのかというと、それは誰にもわかりません(笑)。
創価学会の公式HPではこのように書いてあります。
「農民信徒たちの不惜身命(仏道修行のためには身命を惜しまないこと)の姿に、大聖人は、民衆が大難に耐える強き信心を確立したことを感じられて、10月1日に著された聖人御難事で、立宗以来「二十七年」目にして、「出世の本懐」を遂げられたと宣言されました。「出世の本懐」とは、仏がこの世に出現した目的という意味です。そして、弘安2年(1279年)10月12日に一閻浮提総与の大御本尊を建立されたのです(一閻浮提総与とは全世界の人々に授与するとの意)。」
これからもわかるように、日蓮正宗としては、本門の本尊としての法本尊であるところの弘安2年の大御本尊をもっているのだから、これ以外に日蓮仏法はありえないという考えのようです。そして約750年後の今現在、日蓮系の各宗派が拝んでいる曼荼羅は数えきれませんが、日蓮正宗に関係している宗派の信者さんと創価学会員の家庭にあるご本尊だけが、この「本門の本尊」なのだと日蓮正宗と創価学会は言ってきました。だからこの本門の本尊だからこそ力があるんだと言ってきたわけです。他のご本尊を拝んでも功徳どころか、そんなもの謗法なんだから地獄に堕ちるとまで言ってきました。日蓮正宗以外の曼荼羅を拝んで地獄に堕ちた人がどこにいるんでしょうね(笑)。
ま、それもともかく、学会員さんの家庭にあるご本尊は、日蓮正宗がいうところの大石寺にある大御本尊の出張版みたいなものですね。言ってみればテレビ番組の「なんでも鑑定団」のなかの「出張鑑定団」みたいなもんですね。本来なら日蓮その人自身のことがご本尊だったわけですけど、それは物理的に無理だから、いよいよ日蓮自身も寿命が尽きることを感じるようになった。そこで弘安二年にいわゆる「大御本尊」という後世にも伝わるようにと立派な板曼荼羅をつくったわけです。そしてこれを「本門の本尊」としたんですね。だからこれが人本尊たる日蓮の分身のようなものなので、これに代わるものがあるわけがないんです。たださっきも言ったように、遠くの人は拝めないから、遠くの人にもこの本門の本尊が拝めるように、ご本尊の書写を認めた。しかしそれが誰でもできるようなものだと伝言ゲームのようにどんどん変わっていっては困るので、日蓮の教えを正しく受け継いだ歴代の法主だけが書写できる資格があると決めました。いちおう言っておきますが、これは日蓮正宗が言っていることであって、ほんとかどうかは別の話です。あくまで日蓮正宗というひとつの宗派の中での決まり事です。日蓮正宗が大石寺に安置している「大御本尊」がほんとに日蓮が書いたものを板曼荼羅にしたものかどうかの客観的な証明はされていませんからね。あの大御本尊はどうも江戸時代のものらしいという話もあります。ま、どうでもいいんですけど(笑)。宗教とは基本的に人智を超えた力の存在を信じることが前提となっていますから、基本的に客観的な証明など不可能な世界なので、それを信じる人の中だけで完結する類いのものですし、ここでの話も「日蓮正宗としてはこう言っている。創価学会としてはこう言っている」という話をしています。私の個人的な見解ではありませんのでお間違えなく。
いろいろ考えているうちに新たな疑問が出てくるのですが、とえいあえず一応そこは置いといて(笑)、ともかく日蓮正宗としては、あの「大御本尊」こそ日蓮仏法の究極の姿だというわけです。創価学会も破門される前までは、そのことに異議を唱えることはありませんでした。信徒なんですから当然ですね。ところが創価学会は日蓮正宗の言うことを聞かずに、さんざん好き勝手なことをやるようになって、日蓮正宗から何度も諌められて、そのたびに創価は謝ったりしてきたんですが、結局創価は口ばかりで宗門を見下して言うことを聞きませんでした。なのでとうとう破門になってしまいました。学会員さんは破門になったことを「学会のほうから見切りを付けた」なんて教え込まれていますが、そんなことが一般社会に通用するわけもありません(笑)。
すぐに話がそれてしまってすみません(笑)。
本門の本尊とは何かという話ですね。つまり日蓮正宗が言うには「本門の本尊」とは人本尊である日蓮自身であると同時に、本人が残した弘安2年の「大御本尊」のことになります。それを創価学会は破門されてからはじめて「本門の本尊は弘安2年の大御本尊だけをさすものではない」となんだかわけのわからないことを言い出しました。わけわかりませんよね。今回の創価の教義の変更で、大御本尊と学会員さんの家庭にあるご本尊との関係が変わったんです。それもなんだかわけのわからない関係になってしまった。「まあ大御本尊もご本尊のひとつなんだけど、べつに拝むまでもないですよ」なんて、じゃあこれまでものすごいお金を出させて正本堂まで建てて、ものすごい額の参拝料を出させてきたのは何だったんだ?って話です。「あれは間違いでした」ってことなんでしょうか?でも今回の教義の変更から解釈すると、そのようにしか考えられませんよね。つまり創価はこれまでの日蓮正宗の教義は間違いだったし、それに従って信仰してきた創価学会も間違いでした。今になってやっとそれに気づいたから「こっちから見限ってやったんです」って言うわけですよ。そしてこれからの創価学会は日蓮正宗とか何の関係もない、世界で唯一の日蓮仏法を正しく広めることのできる宗教団体としてスタートしますってことですよ。
そう言うんならそれでもいですよ(笑)。でもそれって学会員さんに伝わっているんでしょうか?これが「教義の変更」程度のことで、ひととおり新聞に載せるだけで済ませていいんでしょうか?日蓮仏法の根幹である三大秘法のなかでもさらにいちばんの中心である一大秘法とまで日蓮が言っている「本門の本尊」が「じつは違いました」って宣言したんですよ。これ凄いことですよね。日蓮を全否定ですよ。ちがいますか?発足以来80年の創価学会の内容がまったく180°変わったんです。創価学会は日蓮が「これがオレの全てだ」と言っているものを全否定しているのに「創価学会は日蓮仏法を正しく広めようとしている団体だ」と言っているんです。これどこの誰がどう考えてもおかしいですよね。
でも創価の末端の組織では、そんなこと話題にもなりませんよね。選挙で公明票がどれだけとれるか…というよりも「自分とこの地区ではFの数をどれだけ上に報告できるか」で頭の中はいっぱいです。それによってもらえる功徳の量が決まると本気で信じてますからね。政治のことなんか関心ありません。活動家にとってはFの数が功徳ポイントです。なんかすごい組織ですよね。昨日のニュースで自衛隊が国外派遣できるような憲法解釈をすることで自民と公明が一致したというのがありました。いよいよ自衛隊が大手を振って国外の戦争に参加できるようになったわけです。学会員さんは創価は世界平和を目指して活動していると言っていますが、実際にやっていることは自衛隊の海外派遣を現実にすることです。このことに何の関心も無く、今でも毎日Fの数を増やすことで頭がいっぱいです。自分たちが信じてきた日蓮仏法を創価学会は全否定したというのに、誰も何とも思わないで功徳ほしさで公明票獲得にやきもきしているんですもんね。おめでたいですね。
結局、これはどういうことかというと、私はこう考えました。
創価は日蓮正宗から破門された時点で、本来ならその存在理由が消滅したんです。本来ならというのは、もともと創価が日蓮正宗の信徒団体として発足していればということです。つまり創価学会がほんとうに宗教団体であればという仮定の話しです。しかし現実には創価学会は破門されても解散しなかった。もうこれだけでも創価が宗教団体ではないことの証明なんですが、そこは千歩ゆずりましょう(笑)。
では破門された後に創価は何をしたか。みなさんご存知のように、徹底した日蓮正宗のバッシングです。とにかく破門されたことで会員が創価を疑っては大変なことになる。会員が減ったら金儲けができない。だから何をやってもいいから「自分たちを破門した宗門のほうが悪い」ということを会員の頭に叩き込むんだ!ということで、コーヒーカップ事件や日顕ラスベガス豪遊事件などをでっち上げますが、創価は裁判で負けてしまいます。と同時に、創価ではそれより困ったことになりました。そう、ご本尊がもらえない。当然でしょう。創価は破門されたんだからご本尊はもらえません。すると創価学会員は会員を増やせない。つまりお金もうけができなくなる。こりゃ大変だ、どうにかしてご本尊を会員に売りつけなきゃ新聞も売れないし財務もとれない。商売上がったりじゃないか。会員が減ったら会館の維持管理もできない。創価班や牙城会の仕事をタダでやる若者もどんどん減っているというのに。
そこで創価が何をしたか。「もらえないんだったら作ればいいじゃん(笑)」。仕入れ先が卸さないんだったら、自分で工場作ろう。ということでいちばんコストのかからないカラープリンターで増産することにしました。ついでに今会員さんが持ってるご本尊もみんな取り替えて売れば……◯◯◯億円!ヴぉっ!ラッキー!これで行こう!じゃ、自家製ご本尊の原版はどうする?今の日顕書写じゃ理屈が合わないから創価が持ってるやつを使おう。おお、学会員が坊主になった東北のお寺に日寛上人のご本尊があるらしいぞ。それスキャンしとけ。「あの、授与書きとかありますけど」なに言ってんの、そんなの消しとけ。墨のかすれてるとこも立派に見えるように修正しとけよ。ってなことで、創価は日顕書写のご本尊を1点3000円で表装までも画像ぶっこみでカラープリンタ版ご本尊に取り替えさせるボロい商売を始めました。ご本尊を自家製にしながら思いついたのは、他にもあります。お寺で葬式ができない。じゃあ、会館でやりゃいいじゃん。坊主に儲けさせなくてすむし、手配は会員がただでしてくれるから、会員も安くついてありがたがるぞ。おお、そしたら墓にも入れないんだから、この際、墓で儲けるか!安い山奥の土地を買いたたいてみんな同じ仕様の墓を並べて、全国の会員に墓を買わせる。もちろんこれがいちばんの成仏だと言って、一家に一つじゃなくて、一人に一つずつ買わせるんだよ。どうせ遠くの山奥なんだから、めったにお詣りに来ないしな。てきとうにほったらかしときゃいいんだよ。ってなことで、お墓でもものすごい商売をはじめました。
しかしそんなこんなでいろいろ策を講じてみても、創価学会の会員さんもさすがに「これおかしいんじゃないか?」「いくらやってもちっともいいことなんかないぞ」「活動活動で家庭を顧みる暇もなくて、夫婦仲は悪くなるし、子どもはグレるか引きこもりになる」「毎年これだけお金を出してるのに、いっこうに返ってこない。指導では何倍にもなって返ってるっていってたのに」「公明党を応援してるけど、世界平和を目指す団体がなんで集団的自衛権をすすめるんだ?」などなど、創価が言ってることと現実が違うことに少しずつ気がつく人が出てきました。それがどんどん加速度的に増えているんですね。だから末端組織はお年寄りばっかりになってしまいました。普通なら一発でわかることなんですが、とにかく疑問を持つだけで不幸になると脅され続けてきた学会員さんは、現実の創価に疑問にもつことができないまま、そのことを口に出すことさえできないまま、言われることをやり、お金を出し続けてきました。しかしもうこの衰退ぶりはどうにも止まらないでしょう。とにかく言ってることに無理がありすぎます。そして現実に学会員は創価の信仰によって誰も幸せになっていません。そこを会員になんとか気づかせないようにしているのが創価のいちばん悪質なところです。創価が宗教だと純粋に信じている人の信教の自由を奪い、基本的人権を奪い去って、時間を奪い、家族を奪い、お金を奪い、人生そのもの奪い取ってきた。それが創価学会の現実の姿です。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
詳細を書けず、残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(6)

2022-02-20 01:38:00 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。


■創価学会は末端会員が改善できるか      投稿日: 2015年3月13日

前回のスレッド「池田氏が5年も姿を見せないわけ」ではあっという間にたくさんのコメントをいただきました。ほんとうにありがとうございます。また活動家の白いブランコさんとの対話が同時進行していることも重なって、なにかと話題に事欠かない状況で、アクセス数もこれまでにないほどの増え方になっています。以前、爆発的にアクセスが増えたことも何度かありましたが、それはいわゆる殴り込みしてきた活動家さんとの不毛なやりとりを面白半分に覗いていた数の増加だと思います。しかし今回は活動家の白いブランコさんは、これまでのような否定と攻撃一辺倒の話のまったく通じない方ではないようですので、まだ相互理解とまではいかないにしても、とりあえず会話は成立していますし、創価になんらかの問題があるという認識は、少しは重なっているものと思われます。
その白いブランコさんとの対話は、いまのところ管理者である私とだけに限定しています。それはこれまでの経緯を見て、誰もが対話に参加できるとなると、とたんに混乱し、多くの質問が押し寄せて対応できなくなったり、相手の言葉遣いによっては言わなくていいことでも言ってみたりとか、本リアの対話とはほど遠い混乱を招くと思ったからです。ですからもうしばらくは2人だけの対話の試みとさせてください。なお、この対話に対する意見は別のスレッドでいくらでもOKです。
たぶん、みなさんは私の白いブランコさんへの質問や回答が回りくどくて歯がゆい思いの方も多いのではないかと思います。でもズバリ直球の質問や意見を述べても、それが受けとめられなければ何にもなりません。ですから私は「これくらいだったら理解してもらって、返事もしてもらえるんじゃないかな」といったある意味フィルターをかけてから話をしていますので、話がなかなか先に進まないとは思いますが、いきなり物別れでは元も子もなくなりますからね。たしかに今の白いブランコさんの返事の内容は「創価は末端から改善すれば、池田先生が描いていた素晴らしい宗教団体になる」ということが前提にあるようですので、創価のダークな現実を指摘しても入ってきていないように見えます。言ってみれば都合の悪い部分に蓋をしてお花畑にいるような感じですが、今そのことをストレートに指摘しても通じません。そして創価が末端から改善できるという、途方もない夢をみていらっしゃるようなので、いちど自分で改善の行動を起こして、その反応を体験してみてくださいとお願いしました。私たちはその結果がわかっているからこそ、こうして脱会し、具体的な問題も指摘しているのですが、やはり現実を実感してみなければ、いくらまわりが言葉で言ってもわからないんだなと思います。
そこで、今回のテーマは、白いブランコさんとの対話に平行して、みなさんからのご意見もうかがいたいので、「創価学会は末端会員が改善できるか」とさせていただきます。みなさんにとっては、この答えは言わずもがなのことだと思いますが、活動家さんにとってはまるで違うようです。つまりたとえ学会活動に辛さや疑問を感じていても「それは自分が人間革命の修業中だから」「広宣流布のためならどんな苦労もするんだ」と、納得できていない自分の心を否定しながら、他人に迷惑をかけています。中には「池田先生にお応えするんだ」などとわけのわからない感情に支配されたまま、つまり完全思考停止のまま、平気で他人の人権侵害行為に邁進している活動家もたくさんいます。気づいた人間にしてみれば、いいかげん気づいたらどうなんだと思うのですが、そんな自分でさえ気づかなかったのですから、ここは苦笑するしかありません。それほど創価の思考停止はやっかいなんですよね。
ということで、このスレッドでは「創価学会は末端会員が改善できるか」ということに関しての率直なご意見を書いてください。白いブランコさんには気をつかわなくていいです(笑)。対話はあくまで私との対話をします。みなさんは忌憚のないご意見をお願いします。

 


解説
「創価学会は末端会員が改善できるか?」
興味深いテーマです。
対話ブログが非公開になったため、コメントを参照することはできません。
残念です。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅡ:白いブランコさん登場(5)

2022-02-19 01:35:17 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■池田氏が5年も姿を見せないわけ      投稿日: 2015年3月7日

ではここで皆さんへお知らせです。
ここをご覧の皆さん、特に本部職員に近い立場の現役会員さん。
池田氏が5年も姿を見せないことの納得できる理由は、本部職員さんに訊けば詳細を教えてくれるそうですから、ぜひ尋ねてみて、こちらに報告してください。もし自分は知らないと言われたら、知ってる職員さんにとりついでもらってください。そしてぜひその詳細をここで報告していただけませんか?偉大な師匠の池田先生を本気で心配している弟子ならば、訊いて当然のことだと思います。それをこのブログをはじめとして、ネット上に公開すれば、世界中の学会員さんが納得して、ますます活動に力が入るだろうし、いま真っ最中の選挙の戦いだって大勝利に結びつくのではないでしょうか。ぜひお願いします。
また、この呼びかけをぜひ拡散して下さい!これはアンチだけではなく、学会員さんにとっても創価の疑いを解くよい機会です。ブログ、ツイッター、フェイスブック、ミクシィ、グーグルなどや、その他あらゆるSMSで拡散をお願いします!私もツイッターとフェイスブックで拡散してみます。なんなら本部職員さんがここに直接コメントしてもらうのがいちばんいいですが、創価はいまどきネット禁止だそうですから、無理ですよね(笑)
すでに本部職員に訊かれた方がこのブログの常連さんにもおられるようですが、どうも納得のいく答えではありませんでした。はたしてどういう理由が納得できる答えなのか私には想像もつかないのですが、なにしろ答えを聞かなければなんとも言えません。私が本部に行って確かめたいのはやまやまなんですが、なにしろ私は部外者なのでとりあってくれないでしょう。また、本部職員でなくとも、地方の総県長や副会長に訊いてみるのも、ひょっとしたら答えてくれるかもしてません。それより下の役職の人に訊いても「どうかしたの?」「疑ってるの?」「あたまおかしいんじゃないの?」「何事も信心でとらえなくちゃね」などなど、質問はそっちのけで責め立てられるだけです。何の意味もありません。だいいち彼らが答えを知っているはずがありませんからね。そういう意味では本部職員でも聖教新聞にときどき載っている池田氏との記念写真に写っている最高幹部しか真相は知らないと思います。あとはマニュアル通りに対応しているだけでしょう。ですから白いブランコさんが本部職員から詳細を聞いて納得したという内容がどのようなものだったのか、おおよそのことは判断できるのですが、それも言えないということなので、皆さん方の中で実際に本部職員に聞きにいける方がおられましたら、ぜひお願いしたいです。
そもそもなぜ隠さなければいけないのか?というと、べつに隠しているわけではないという。では話してくださいというと、それはできないという。「人によってはあった会員もいる」という。自分は見てもいないのに「あった人もいるそうだから元気なんだ」という屁理屈を平気で言う。ここで問題にしているのは、普通の感覚なら当然疑問に思うであろうことを、学会員のみんながみんな同じようにスルーしているという不気味な現実があるということです。学会員さんはこの不気味さにまったく気づきません。
ということで、今回のテーマは「池田氏が5年も姿を見せないわけ」ということにさせていただきます。
しかしこのテーマの論点は、池田氏が元気なのかどうかではなく、学会員さんは何の確証もないのに、5年も姿を見せない声も出さない池田氏が元気なんだと信じているということの不条理に誰も気がつかない、気がついていても口に出しては言えないという現実です。
池田氏が元気だろうと、ボケて話もできない状態だろうと、脱会者にとってはどうだっていいんです。問題は、もし元気でなかったとしたら、会長以下組織ぐるみで会員に5年もウソをついてきたということですし、もし本当に元気で執筆活動で忙しいとしても、東日本大震災のような多くの学会員さんが亡くなったり途方に暮れているのを知った上で激励に行きもしなければ、声をかけることもしなかったということです。あの大震災の非常事態にでさえ本人が何のアクションも起こさないのであれば、これから先に日本に何があったとしても、池田氏が表に出るようなことはないと考えられます。せいぜい聖教新聞に誰が書いたかもわからないメッセージが載るくらいでしょう。個人的には池田氏は人前に出られるような健康状態ではないという状況を想定したほうが、すべてのことがすんなりと説明できるのですが、あくまで創価は「先生はお元気で、連日会員のために執筆活動に専念しておられる。会員と会わないのは、先生はすべてを私たちに託されからです」といった、これも上から言われた通りのことをどの学会員さんも繰り返すだけであって、実際に元気な池田氏の姿を見た一般の学会員さんは一人もいないわけです。学会員さんにはこの現実を踏まえた上で、なぜ池田氏は姿を見せないのかを考えていただきたいなと思います。


●レモン (2015年3月7日 19:42 )
イケダさんの側近もそうですが、実の2人の息子も本当のことは知っているはずですよね。
長男である副会長は大きな会合などに幹部として時折来ていますが「今日の会合に参加するにあたって先生にご報告したところ、皆さんにくれぐれもよろしく!というご伝言とメッセージを預かってきました」と毎回のように長文メッセージを白々しく読んでいます。
息子が公然と「先生はお元気です。先生からのメッセージです」と言っていること自体が、組織ぐるみで隠ぺいしているになりますね。
まだ池田さんが毎月の同時放送に参加しているとき(5年前まで)は、当日の晴天や無事故を祈る00グループ(婦人部本部長以上の役職)があり、学会本部で唱題会があったと聞いています。
晴天を祈るグループがあったぐらいなのに、池田さんのどうみても普通じゃない状態を会員たちに祈るように言わないって不思議ですよねぇ。
まぁ、もともと題目なんて何の意味もないことってわかっていたんでしょう。

●awake (2015年3月7日 21:54 )
創価学会への懐疑本は何冊か出版されているようですが、その中で、「私の愛した・・・作」(著:Y野絢也)というものがあるそうです。その中に、「池田大作、ミイラ化計画」という項目があるようです。(宣伝ではないので伏字にしました)
「私の愛した・・・作」(著:Y野絢也)p70より
ttps://www.youtube.com/watch?v=C9Y7dqGqiPc
<概要>
Y野氏が公明党書記長だった時の話・・
学会幹部が長期戦略として、池田家を聖家族に祀り上げる為に、キリスト教を参照
学会幹部に「池田大作をミイラ化して毛沢東やレーニンのように永久保存し、池田版『レーニン廟』みたいなものを設立し、永久保存したい」と相談された
しかし、Y野氏は、「死体に手を加えることは、刑法の規定で『死体損壊罪』なる」と説明
そこで、学会幹部に「政治力でなんとか都合良くしたい」とも相談される
Y野氏は「公明党がもう少し大きくならないと無理だ」と伝える
池田氏の自己顕示力と、それが周囲スタッフにも浸透していることから、世間ズレした質問をされたが・・・
アホらしくてY野氏は、「あのオッサンようやりおるわい・・・」と思った
この内容を参考にするならば、センセイのカリスマ(?)性に依存しまくっているトピックスと思います。
実際、様々な(一部の創価以外の)サイトでも、「センセイが姿を見せない」「死亡しているなら発表はいつか?」となっています。
情報は、個人で取捨選択する責任もありますが、ある掲示板の意見で個人的に「なるほど!」となった意見がありました。
それは、「創価が敵対視するある某お坊さんがおられますが、この方よりセンセイが短命であってはならないということが、創価側のネックになっているのでは?」とのニュアンスの内容でした。
もし短命なら「功徳が無かった」となってしまい、信者に対して都合が悪くなる恐れも高いです。
選挙と違い、一度しかあり得ないことなので、尚のこと慎重になると思います。
ですから時系列的には、「愛馬とともに」(先駆)「威風堂々のうた」(後発)みたいに、今度は絶対に「某お坊さん(先駆)、センセイ(後発)」とならなくてはいけないのではないでしょうか?
つまり「後出しジャンケン」狙いのような気がします。
※あくまで個人的な勝手な予想です。

●あまにぃ (2015年3月7日 23:16 )
本部職員とのメールやり取りです。
本部職員
私最低でも一年に一度お会いしておりますけど。
そして先日2日も創価小学校の生徒もお会いしてますけど。
そういう意味で公に姿を表してないだけであると思われますので、「あえて」そうしてると認識しております。
あまにぃ
ありがとうございます。先日二日と言いますと今年の3月2日でよろしいのですね!その時の池田氏は普通に今までの感じで元気な姿で声も出していたのでしょうか?その時の様子をできる範囲で事細かに教えて下さい。よろしくお願いいたします。
本部職員
聖教新聞に詳細に出ていることと、更に口頭で詳細にお伝えする理由がいまいちわからないのですが?
出来る限り誠実にご対応したいと思っておりますので、それをお知りになりたい理由はございますか?
あまにぃ
ありがとうごじざいます。私はこれでも一応、まだ学会員として統監が残っていると思います。会員の素朴な質問としての理由ではお答えになれませんか?
本部職員
そういうことでしたら、喜んで!
ただ、一応ということは新聞も読まれていないということでしょうか?
今は執筆や各種報告の確認を精力的に行っていらっしゃいます。
また2日はお元気で皆さんにお声掛けもされてらっしゃいました。
あまにぃ
お元気そうで何よりです。
ありがとうございます。二日は五日前の二日ですね?
本部職員
です!
あまにぃ
ありがとうございます。このやり取りを他の方に教えてもよろしいでしょうか?
本部職員
どうぞ!
あまにぃ
ありがとうございます。お手数かけました。
本部職員
いえいえ。
チャット終了
Messengerから送信

●signifie (2015年3月8日 00:29 )
あまにぃさん、とっても貴重な情報をありがとうございます!
感謝感謝です!
本部職員公認の情報ですよね!
皆さんも過去の問い合わせの記録や、これからの問い合わせも含めて、そして本部職員でなくても、
地元の幹部や職員にもどんどんお訪ねしてください。
あまにぃさんのおかげで本部職員さんは会員の問い合わせでしたら喜んでお答えしてくれることがわかりましたので、気軽に問い合わせができます。
まあ、返事は通り一遍かもしれませんが、こうして事実を積み重ねておいて、現実と違うことがわかったときには、創価は組織ぐるみで会員にウソをついていたということがはっきりします。そのときは何の言い逃れもできません。そのときのためにも多くの記録を積み重ねておきましょう。
これから白いブランコさんとの対話は、ご本尊問題に入ります。それが終わったら財務の問題へと移っていきます。具体的なテーマは違っていても、論点はひとつ。学会員さんがどれだけあからさまに洗脳されているかの実態を事実関係を検証することで、あきらかにすることです。
ですから白いブランコさんと私だけの対話ではありますが、質問内容にリンクした新しいスレッドを設けますので、みなさんのご意見やご感想、そして貴重な情報を是非ともお寄せください。
またあまにぃさんのような普段では得難い貴重な情報もお待ちしています。
それではよろしくお願いします。

●キキ (2015年3月10日 02:19 )
1週間以上前に書き込みをしたキキです。
以前にも同じ名前で同じようなコメントをされた方がいたと聞き、とても驚きました。
私は以前登場されたというキキさんとは別人です。
大好きだった祖母と見に行った思い出の映画が、魔女の宅急便だったので、この名前にしてみました。
過去のスレッドや白ユリさんのブログなども読んでみましたが・・・
このブログにはとても怖いものを感じます。
学会活動に疑問を持ったり疲れたりすることは大いにあると思うし、共感できます。
しかしシニフィエ様のお話はまったく信用できません。
健気に頑張る学会員さんをこんなに見下せるなんて元学会員とは到底思えません。
このブログの常連さんたちも元々はいい人たちだったのに、シニフィエ様に引っ張られてしまってるように見えます。
また、シニフィエ様のコメントは間違いがとても多いです。
10万円×400万人は4000億円です。
シニフィエ様はこれを1桁多く間違え、4兆円と言われていましたね。
お金に関する事柄で1桁間違えたまま話を進めるなんて考えられないことです・・・。
日本の国家予算を1桁多く間違えて1000兆円として話を進めたらいったいどうなりますか?
全ての話が崩れてしまいます。
また、私は事務関係の仕事をしておりますが、800万もの御本尊を取り替えるのにかかる事務的な費用はいったいどれくらいかも想像できません。
製作にかかる費用以外も考慮に入れずに話を進めるなど、おかしいと思います。
学会の御本尊に使われている印刷技術もコンビニのカラーコピーのように質の悪いものでは決してありません。
いくら紙だとはいえ、御本尊に使用されている紙は最高級のものを使用していますし、掛け軸状になっているので20円で作成できるわけもありません。
これで儲けているなんて、本当に思ってらっしゃるのですか?
高校生のチップさんに都市伝説まがいの話を吹き込んでいることも驚きました。
チップさんはどうかこんな大人の言葉などにだまされないでくださいね。
過去にあったとされる学会員の起こしたとされる事件を羅列することで学会のイメージダウンを図ろうとすることも本当に感じが悪いです。
コーヒーカップ事件が池田先生の指示だと主張したのは元公明党の矢野氏のようですね。
矢野氏は巨額の汚職事件で追及を受け、献身的に支持をしてきた会員の皆様に迷惑をかけ、裏切り、あらゆる裁判で敗訴した人間です。
一つだけ勝訴した裁判はありますが。
シニフィエ様はそのような人間の言葉は信用するのですね。
これほど初歩的な部分でつまづいているのにさも真実であるかのように語るなんて本当に恐ろしいです・・・。
このように申し上げると、シニフィエ様の逆鱗に触れて、袋だたきにされるか、さらし者にされた上でアクセス禁止にされてしまうのでしょうね・・・。
過去のいろいろなやり取りから想像できるので余計に恐ろしいです・・・。
白いブランコさん、頑張ってください。

 


解説
池田氏が姿を見せないわけについて、いろいろなコメントが寄せられています。

また、創価学会員のキキさんがコメントを寄せ、白いブランコさんにエールを送っています。

獅子風蓮