特攻出撃に際して 海軍少尉 神風特別攻撃隊第五神剣隊、昭和二十年五月四日、沖縄方面にて戦死、十九歳。
僕はもう、お母さんの顔を見られなくなるかも知れない。
お母さん、よく顔を見せて下さい。
しかし、僕は何にも「カタミ」を残したくないんです。
十年も二十年も過ぎてから「カタミ」を見てお母さんを泣かせるからです。
お母さん、僕が郡山を去る日、自分の家の上空を飛びます。
それが僕の別れのあいさつです。


戦没画学生慰霊美術館「無言館」
まわりを山々に囲まれた塩田平、田園地帯の丘陵地の頂に、中世のヨーロッパの建物のなかに、太平洋戦争で戦地に散った画学生30余名、
300余点の遺作、遺品が展示されている。
信濃デッサン館の館主窪島誠一郎氏が、画家で自らも出征経験があり、また美術学校の仲間を戦争で失った画家野見山暁治さんとともに
日本各地の戦没画学生のご遺族のもとを、敗戦後50年を迎えた平成7年から2年間探し訪ね遺作を蒐めたという。
村山槐多ら夭折画家の素描を展示する信濃デッサン館の分館もある。
鑑賞料 500円、


展示作品から、戦争で散った若き美術学校の学生達の、母親、妻、恋人、家族団欒など芸術に燃えた情熱のものばかりで無言で鑑賞した。
「口をつぐめ、目をあけよ、見える物を見、聞こえぬ声をきくために」-窪島氏ー
庭園内は広く散策路で無言館、オリーグ読書館、傷ついた画布のドーム、デザイン館などゆったり鑑賞できる。
ドーム館 館内ドーム


「鎌倉道上道」 別所温泉あたりは,古代の律令時代から鎌倉時代にかかけて信濃国でも仏教の盛んな地域として,
「信州の学海」と呼ばれるほど繁栄した地域。


「生島足島神社」
主神生島大神・足島大神。創建不明。社殿は池に囲まれた島の中に建っており、本殿の内殿には床板が無く、大地そのものが御神体とされている。
神楽殿を挟んで社殿と対向した場所に摂社の諏訪神社が建っている。
諏訪神社の本殿と門は、長野県の県宝に指定。また、県宝に指定されている歌舞伎舞台もある。武田信玄の古文書など拝観できる。


諏訪社脇の欅(樹齢800年)の根幹には、男性、女性を象徴する造形があり、夫婦円満、子宝安産、延命長寿のご神木として崇められている。
神話の時代に、建御名方命が諏訪の地に向う途中、ここに立ち寄り生島神と足島神に米粥を煮て献じた手と言い伝えがあります。ということは、
生島神・足島神は信州では諏訪の神より以前に居た古い神という。
鎌倉時代の北条国時が奉納し、後に武田信玄が改鋳造し、天明年間に改鋳造したという内容が鐘に刻まれているという。


次回は上田原方面へ