上田市内から千曲川、上田城の櫓、武田信玄と村上義清が交えた古戦場、日本の中央の生島足島神社、三万石殼倉地帯の塩田平
前山寺などの古寺、の先は「別所温泉」古くは「七久里の湯」「七苦離の湯」「別々に来て一所に帰る、縁結びのいで湯」。
「夫神、女神岳の夫婦道祖神」は、野倉の山中にある。お互いに肩に手を掛けあい、女神が男神の手を握り、目を細くしてほほえみをたたえている。
家庭円満・子宝縁結びの神として他県から訪れる。(山奥で歩くと大変)
「別所温泉街」は名所図会によると、日本武尊がこの地を行進、大己貴命が現れここを教え、日本の国を生んだ伊弉諾・伊弉み
の二神が天より
「男女の道を教え、登り給ひし頂」と聞いた日本武尊が「男神岳」「女神岳」と名付け、二つの山から落ちる御手洗の水が落ちて温泉の中を流れる川を
「相染川」と呼ぶと書かれている。
真田氏の先祖、滋野親王が「信濃なる男神女神の夫婦山 百夜もあかぬみたらしの御湯」と詠んでいる。
「北向観音堂」は、825年慈覚大師円仁により開創、北向に御堂が建てられ、南面に長野市の善光寺で末来往生。
北向観音で現世利益を祈願しなければ片詣と云われており、厄除の観音様として信仰を集めている。
山号 北向山、 天台宗 本尊 千手観音菩薩 坂東三十三箇所番外札所、中部四十九薬師霊場2番、信濃三十三観音霊場客番別所三楽寺、塩田平札所。
825年 円仁(慈覚大師)後、969年に平維茂によって大改修が行われ、鎌倉時代の1252年には塩田陸奥守北條国時によって再建されたと伝えられる。
江戸時代に至って1713年に焼失し、8年後1721年に現在の堂が再建された。愛染堂の近くに縁結びの霊木として崇められている愛染かつらの巨木がある。
文化財 愛染カツラ(上田市指定天然記念物)
「愛染かつら」川口松太郎の作品、芝居の名女形花柳章太郎、昭和18年稽古中に倒れ、別所温泉逗留し全快した。
花柳が亡くなる三日前に詠んだ句「北向にかんのん在す しぐれかな」その碑がある。
池波正太郎「真田太平記」の幸村と女忍者お江の結ばれた石湯も近くにある。
「常楽寺」は、別所温泉にある天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つ。
平安時代のはじめ624~834、慈覚大師によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれ、有名な別所北向観音をお守りする寺で、
今は天台宗の別格本山となっている。
鎌倉時代に塩田地方は「信州の学海」と呼ばれ、この常楽寺もその頃、宗教・学問を勉強する場。
本堂は、どっしりした茅葺の古い木造様式、裏山には、国の文化財指定の「石像多宝塔」がある。
古寺・古塔など歴史の重さを感じさせる。
「別所神社」本殿は、別所温泉の北方、常楽寺に隣接し、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上。
熊野本宮大社から分祀され、1878年に別所神社に改められた。
建物は「一間社隅木入春日造、屋根は瓦葺、本殿の背面に小さな祠が三基祀られ、これは神社入口の鳥居の額に本朝縁結大神と掲げられ、縁結びの神を祀ったもので、民俗資料として価値があり、本殿と共に貴重なものと云われている。
次回は小諸方面へ
前山寺などの古寺、の先は「別所温泉」古くは「七久里の湯」「七苦離の湯」「別々に来て一所に帰る、縁結びのいで湯」。
「夫神、女神岳の夫婦道祖神」は、野倉の山中にある。お互いに肩に手を掛けあい、女神が男神の手を握り、目を細くしてほほえみをたたえている。
家庭円満・子宝縁結びの神として他県から訪れる。(山奥で歩くと大変)
「別所温泉街」は名所図会によると、日本武尊がこの地を行進、大己貴命が現れここを教え、日本の国を生んだ伊弉諾・伊弉み
の二神が天より
「男女の道を教え、登り給ひし頂」と聞いた日本武尊が「男神岳」「女神岳」と名付け、二つの山から落ちる御手洗の水が落ちて温泉の中を流れる川を
「相染川」と呼ぶと書かれている。
真田氏の先祖、滋野親王が「信濃なる男神女神の夫婦山 百夜もあかぬみたらしの御湯」と詠んでいる。
「北向観音堂」は、825年慈覚大師円仁により開創、北向に御堂が建てられ、南面に長野市の善光寺で末来往生。
北向観音で現世利益を祈願しなければ片詣と云われており、厄除の観音様として信仰を集めている。
山号 北向山、 天台宗 本尊 千手観音菩薩 坂東三十三箇所番外札所、中部四十九薬師霊場2番、信濃三十三観音霊場客番別所三楽寺、塩田平札所。
825年 円仁(慈覚大師)後、969年に平維茂によって大改修が行われ、鎌倉時代の1252年には塩田陸奥守北條国時によって再建されたと伝えられる。
江戸時代に至って1713年に焼失し、8年後1721年に現在の堂が再建された。愛染堂の近くに縁結びの霊木として崇められている愛染かつらの巨木がある。
文化財 愛染カツラ(上田市指定天然記念物)
「愛染かつら」川口松太郎の作品、芝居の名女形花柳章太郎、昭和18年稽古中に倒れ、別所温泉逗留し全快した。
花柳が亡くなる三日前に詠んだ句「北向にかんのん在す しぐれかな」その碑がある。
池波正太郎「真田太平記」の幸村と女忍者お江の結ばれた石湯も近くにある。
「常楽寺」は、別所温泉にある天台宗の古いお寺で、常楽・安楽・長楽という「別所三楽寺」の一つ。
平安時代のはじめ624~834、慈覚大師によって開かれ、その後塩田北条氏や海野氏が建て直したといわれ、有名な別所北向観音をお守りする寺で、
今は天台宗の別格本山となっている。
鎌倉時代に塩田地方は「信州の学海」と呼ばれ、この常楽寺もその頃、宗教・学問を勉強する場。
本堂は、どっしりした茅葺の古い木造様式、裏山には、国の文化財指定の「石像多宝塔」がある。
古寺・古塔など歴史の重さを感じさせる。
「別所神社」本殿は、別所温泉の北方、常楽寺に隣接し、塩田平をはじめ遠く浅間連峰が望める小高い丘の上。
熊野本宮大社から分祀され、1878年に別所神社に改められた。
建物は「一間社隅木入春日造、屋根は瓦葺、本殿の背面に小さな祠が三基祀られ、これは神社入口の鳥居の額に本朝縁結大神と掲げられ、縁結びの神を祀ったもので、民俗資料として価値があり、本殿と共に貴重なものと云われている。
次回は小諸方面へ