「妙義山(上毛三山)」は、九州の耶馬渓、四国の寒霞渓と並んで日本三奇勝の一つに数えられ、白雲山(相馬岳とも)、
金洞山、金鶏山(入山禁止)の三山を総称して妙義山と一般的に呼ばれている。妙義山は、赤城山、榛名山とで上毛三山の一つ。
白雲山(相馬岳:1,104m)から金洞山までの稜線は鎖場が多く、とても危険な岩場が連続する上級者コースになっている。
中腹を歩く一般道(関東ふれあいの道)が整備され、楽しむことが出来る。
標高1,104m(白雲山)ふれあい道は、妙義神社→第1見晴→第2見晴→休憩舎→大砲岩→第四石門→第二石門→第一石門→石門入口、
一本杉→妙義山第2駐車場。
東雲閣旅館から朝日を望む 妙義山 妙義神社鳥居
大砲岩から少し下ると、すぐに第四石門に、広い休憩所に。第四石門の中に大砲岩を見ることができ、本当に不思議な形をした岩が沢山ある
。こういった石門が4つある。 妙義は、奇岩の景勝地ということは誰しもが納得、まるで岩の博物館である。
「妙義神社」は、群馬県富岡市妙義町にある神社で県社。上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座している。
妙義神社とその手前にたつ供養塔 ここからの景色は抜群
主祭神は、日本武尊、豊受大神「菅原道真公」、権大納言長親卿。創建 宣化天皇2年(537年)で本殿の様式 権現造。
妙義神社と妙義山 宝物殿
重要文化財は、本殿・幣殿・拝殿(合わせて1棟)、神饌所・透塀・棟札・銘札は、旧屋根銅瓦、唐門 総門、紙本著色地蔵菩薩霊験記
(東京国立博物館に寄託)、群馬県指定重要文化財、随神門・袖廻廊・銅鳥居・石垣、波己曽社殿(旧本殿及び旧神楽殿)など。
2007年の台風による土砂崩れで一部被害が出たために修復が必要となったため、現在でも本殿に繋がる階段以降は立ち入り禁止となっている。
現在は波己曽社殿を仮殿と定めている。
拝殿(仮) 工事中の本殿
横川から軽井沢の碓氷峠の「めがね橋」吉永小百合のコマーシャルで一気に人気スッポトに。
1894年に耐震補強名目で橋脚・アーチ部の双方に対する大がかりな補強工事を実施、その後は信越本線の電化を経て1963年に新線が建設され、
アプト式鉄道が廃止されるまで使用された。
全長 91 メートル、川底からの高さ 31 メートル、使用された煉瓦は約 200 万個に及ぶ。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模であり、
1993年には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定された。
現在は横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道になり、橋上の手すりや国道18号へ通じる階段などが整備されている。
めがね橋から見た右軽井沢方面 めがね橋
碓氷峠には廃止になった鉄路が複数ある。明治26年から昭和38年まで使われた信越本線、横川~軽井沢(別名 碓氷線)の一部が遊歩道として開放、
整備されている。
碓氷を越える鉄道として明治26年にアプト式として開業、「碓氷線」。昭和38年に新線が開業するまで70年間、
アプト式旧線は信越本線の一部として活躍した。旧線の構造物は日本の近代化に貢献した施設として、国重要文化財に指定。
めがね橋トンネル
次回は坂本宿へ
金洞山、金鶏山(入山禁止)の三山を総称して妙義山と一般的に呼ばれている。妙義山は、赤城山、榛名山とで上毛三山の一つ。
白雲山(相馬岳:1,104m)から金洞山までの稜線は鎖場が多く、とても危険な岩場が連続する上級者コースになっている。
中腹を歩く一般道(関東ふれあいの道)が整備され、楽しむことが出来る。
標高1,104m(白雲山)ふれあい道は、妙義神社→第1見晴→第2見晴→休憩舎→大砲岩→第四石門→第二石門→第一石門→石門入口、
一本杉→妙義山第2駐車場。
東雲閣旅館から朝日を望む 妙義山 妙義神社鳥居
大砲岩から少し下ると、すぐに第四石門に、広い休憩所に。第四石門の中に大砲岩を見ることができ、本当に不思議な形をした岩が沢山ある
。こういった石門が4つある。 妙義は、奇岩の景勝地ということは誰しもが納得、まるで岩の博物館である。
「妙義神社」は、群馬県富岡市妙義町にある神社で県社。上毛三山の一つである妙義山の東麓に鎮座している。
妙義神社とその手前にたつ供養塔 ここからの景色は抜群
主祭神は、日本武尊、豊受大神「菅原道真公」、権大納言長親卿。創建 宣化天皇2年(537年)で本殿の様式 権現造。
妙義神社と妙義山 宝物殿
重要文化財は、本殿・幣殿・拝殿(合わせて1棟)、神饌所・透塀・棟札・銘札は、旧屋根銅瓦、唐門 総門、紙本著色地蔵菩薩霊験記
(東京国立博物館に寄託)、群馬県指定重要文化財、随神門・袖廻廊・銅鳥居・石垣、波己曽社殿(旧本殿及び旧神楽殿)など。
2007年の台風による土砂崩れで一部被害が出たために修復が必要となったため、現在でも本殿に繋がる階段以降は立ち入り禁止となっている。
現在は波己曽社殿を仮殿と定めている。
拝殿(仮) 工事中の本殿
横川から軽井沢の碓氷峠の「めがね橋」吉永小百合のコマーシャルで一気に人気スッポトに。
1894年に耐震補強名目で橋脚・アーチ部の双方に対する大がかりな補強工事を実施、その後は信越本線の電化を経て1963年に新線が建設され、
アプト式鉄道が廃止されるまで使用された。
全長 91 メートル、川底からの高さ 31 メートル、使用された煉瓦は約 200 万個に及ぶ。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模であり、
1993年には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定された。
現在は横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道になり、橋上の手すりや国道18号へ通じる階段などが整備されている。
めがね橋から見た右軽井沢方面 めがね橋
碓氷峠には廃止になった鉄路が複数ある。明治26年から昭和38年まで使われた信越本線、横川~軽井沢(別名 碓氷線)の一部が遊歩道として開放、
整備されている。
碓氷を越える鉄道として明治26年にアプト式として開業、「碓氷線」。昭和38年に新線が開業するまで70年間、
アプト式旧線は信越本線の一部として活躍した。旧線の構造物は日本の近代化に貢献した施設として、国重要文化財に指定。
めがね橋トンネル
次回は坂本宿へ