syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

小諸・懐古園

2011-12-11 | 気まま旅
上田別所から国道18号線で軽井沢方面に向かうと左に浅間山が、右に望月、小諸の町、県東部浅間山南西麓、千曲川が流れている。
平安時代は牧場で大室、小室の里で、後に小諸、15世紀大井氏鍋蓋城築城、近世に入り仙石氏が修復し城下町に、17世紀に小諸牧野氏1.5石、
北国街道の宿場として栄えた。

「懐古園・小諸城公園」千曲川北岸崖上に聳える。16世紀戦国時代武田信玄が落城させ山本勘介らが再建「酔月城」とよんだ、
16世紀末期は豊臣領に仙石秀久が入城、江戸に入り徳川松平氏が6氏、17世紀牧野氏10代続く、明治に入り懐古園と呼ぶようになった。

二の丸、北の丸、本丸の石垣と堀跡が残っている。本丸跡に「懐古神社・懐古館・島崎藤村記念館などがある。
藤村自筆の「千曲川旅情のうた」詩碑がある。

    

天守台は、1626年落雷で焼失、徳川の政策で再建していない。大手門は、1612年仙石秀視久時代で四つ目の門「瓦門」を。
三の門は、1615年創建、1742年大洪水流失、1765年再建。

城内には、牧水の「かたはらに 秋草の花かたらく ほろびしものは なつかしきかな」歌碑。
小山敬三美術館。懐古館。小諸美術館。遊園地。動物園などが点在している。

  

藤村「千曲川旅情」   暮れ行けば 浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛 千曲川いさよう波の岸近き
            宿にのぼりつ 濁り酒濁れる 飲みて草枕しばし慰む


「藤村と小諸」 明治32年、恩師木村熊二に招かれて、小諸義塾の英語と国語の教師として赴任。
函館の網問屋秦慶治の三女冬子と結婚。小諸町馬場裏の士族屋敷跡に新家庭をもつ。以降、小諸で過した6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」
「旧主人」などが生まれ、大作「破戒」が起稿された。
昭和2年には、有島生馬の発案により、藤村の友人や門下生によって懐古園内に「千曲川旅情のうた」の詩碑が建てられた。

    

神社は、1872年の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は払い下げられ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に神社が祀られ、
この地を「懐古園」と名付けられた。
その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わろ。

  

山本勘介 ~1518 武田氏の家臣、天才的軍師   啄木鳥戦法 穴から出てくるところを攻める。

仙石秀久 1551~1614 豊臣の家臣淡路、讃岐、佐久5万拝領 小田原征伐で全身に鈴をつけて戦い、秀吉の目に。

懐古園稲荷神社は、本丸手前黒門橋の袂に鎮座している。その横に勘介ゆかりの鏡石が。

    

次回は佐久へ