「高幡不動・金剛寺」は、京王線高幡不動駅下車徒歩3分の日野市高幡にある。高尾山の帰りに二駅先の高幡不動へ立ち寄った。
山号 高幡山、 真言宗智山派、、 別格本山、本尊 不動明王(重要文化財)、創建 平安時代初期、開基 円仁、清和天皇(勅願)、 高幡山明王院金剛寺、
札所等 関東三大不動尊、関東三十六不動尊霊場9番、東国花の寺百ヶ寺 東京7番、文化財 不動明王二童子像、不動堂、仁王門ほか(重要文化財)、五部権現神牌(重要美術品)
古文書によれば大宝年間701―704年以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が清和天皇の
勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山上に開いたのが始まりとされる。
江戸時代、真言宗関東十一檀林の寺院として、多くの学僧を輩出、「高幡のお不動さん」と呼ばれ人々の信仰を集め、多くの参詣者で賑わう。
成田山新勝寺などとともに、関東三大不動の一つとされ、関東三大不動の他の1つは不動ヶ岡不動(總願寺)、大山不動(大山寺)高山不動(常楽院)がある。
新選組副長として活躍した土方歳三の菩提寺である縁から境内には土方歳三の銅像や殉節両雄の碑がある。 歳三の墓のある愛宕山石田寺は末寺である。
隣接の小山は、アジサイの名所としても知られている。
仁王門(重要文化財)

室町時代仁王門(重文)
切妻の屋根、楼上の扁額「高旗山」は、7世運 僧正の筆。足利時代は「汗かき不動」と呼ばれ鎌倉公方、武将の尊崇を集めていた。
江戸に入り、火防の不動尊として広く庶民の信仰として大寺院に。

高幡山境内は、仁王門を潜るとお札所、水舎、旗かけの松、正面に不動堂、その先奥殿と上杉憲顕の墳、6~7段の階段を上がると山門突き当りに、大日堂(鳴龍)、
右に五郎権現社、知足庵、左に句碑、山に四季の道、鐘楼と登る、下っていくと聖天堂、大師堂、行堂、五輪塔、立派な五重塔で、その奥に四季の道、
山内八十八ヶ所巡拝コース、下山すると土方歳三像といろいろな碑あり池と弁天堂、交通安全祈願所と出る。
「五重塔」は、平安時代初期の様式で美の塔。三手先出組、青銅瓦葺、塔高 40m、総高 45m。

近藤 勇 1834-68 幕府に殉じた新撰組局長、京都三条河原に晒された。
土方歳三 1835-69 新撰組副長、宇都宮、会津転戦し函館(箱館戦争)で旧幕府陸軍奉公並を務め、弾丸を受け戦死。
「文永の板碑」は、1271年市内最大の板碑で、総高 2.5m 鎌倉初期日野市の広い地域に勢力を伸ばした「高麗一族の供養塔」と推定されている。
土方歳三像 五重塔 文永の板碑

「大日堂」は、高幡山の総本堂で数多い尊像が安置されている。鎌倉時代様式の動に復元されている。ここに新撰組の近藤・土方の位牌、
鳴り龍天井、江戸時代の彫刻、後藤純男画伯の襖絵など拝観できる。拝観料¥200、
大日堂 堂内

毎月28日が縁日、11月下旬のもみじの紅葉は見事。

高幡不動尊3万余坪の境内は、桜、紫陽花、古木のもみじ、芭蕉句碑、石仏、裏山不動ヶ丘(山内八十八ヶ所)と文学探訪が出来る。

樹齢100~300年の神木、古書画、彫刻、庭園など武蔵野を偲べる。

大日堂の奥に、生まれ変わり物語の主人公「ほどくぼ小僧藤五郎の前世藤蔵」の墓がある。
物語は、江戸時代でここ地元で起きた出来事を口伝えられている。国学者「平田篤胤」は、藤五郎再生紀聞で書いて天皇にお見せしている。
御所で評判となる。
明治に小泉八雲が池田冠山著書の写本し欧米で出版屍骸国でも知られている。我が国でも藤五郎生まれ変わりの話は絵本や漫画になっている。
庭園内
山梨県・東京都・神奈川県を流れる「多摩川」水系の本流で一級河川。下流域において東京都と神奈川県の県境としての役割も担う。
県境全長138km、流域面積1240km²。
多摩川

今回で終わります。
山号 高幡山、 真言宗智山派、、 別格本山、本尊 不動明王(重要文化財)、創建 平安時代初期、開基 円仁、清和天皇(勅願)、 高幡山明王院金剛寺、
札所等 関東三大不動尊、関東三十六不動尊霊場9番、東国花の寺百ヶ寺 東京7番、文化財 不動明王二童子像、不動堂、仁王門ほか(重要文化財)、五部権現神牌(重要美術品)
古文書によれば大宝年間701―704年以前とも或いは奈良時代行基菩薩の開基とも伝えられるが、今を去る1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が清和天皇の
勅願により東関鎮護の霊場を高幡山山上に開いたのが始まりとされる。
江戸時代、真言宗関東十一檀林の寺院として、多くの学僧を輩出、「高幡のお不動さん」と呼ばれ人々の信仰を集め、多くの参詣者で賑わう。
成田山新勝寺などとともに、関東三大不動の一つとされ、関東三大不動の他の1つは不動ヶ岡不動(總願寺)、大山不動(大山寺)高山不動(常楽院)がある。
新選組副長として活躍した土方歳三の菩提寺である縁から境内には土方歳三の銅像や殉節両雄の碑がある。 歳三の墓のある愛宕山石田寺は末寺である。
隣接の小山は、アジサイの名所としても知られている。
仁王門(重要文化財)



室町時代仁王門(重文)
切妻の屋根、楼上の扁額「高旗山」は、7世運 僧正の筆。足利時代は「汗かき不動」と呼ばれ鎌倉公方、武将の尊崇を集めていた。
江戸に入り、火防の不動尊として広く庶民の信仰として大寺院に。


高幡山境内は、仁王門を潜るとお札所、水舎、旗かけの松、正面に不動堂、その先奥殿と上杉憲顕の墳、6~7段の階段を上がると山門突き当りに、大日堂(鳴龍)、
右に五郎権現社、知足庵、左に句碑、山に四季の道、鐘楼と登る、下っていくと聖天堂、大師堂、行堂、五輪塔、立派な五重塔で、その奥に四季の道、
山内八十八ヶ所巡拝コース、下山すると土方歳三像といろいろな碑あり池と弁天堂、交通安全祈願所と出る。
「五重塔」は、平安時代初期の様式で美の塔。三手先出組、青銅瓦葺、塔高 40m、総高 45m。



近藤 勇 1834-68 幕府に殉じた新撰組局長、京都三条河原に晒された。
土方歳三 1835-69 新撰組副長、宇都宮、会津転戦し函館(箱館戦争)で旧幕府陸軍奉公並を務め、弾丸を受け戦死。
「文永の板碑」は、1271年市内最大の板碑で、総高 2.5m 鎌倉初期日野市の広い地域に勢力を伸ばした「高麗一族の供養塔」と推定されている。
土方歳三像 五重塔 文永の板碑



「大日堂」は、高幡山の総本堂で数多い尊像が安置されている。鎌倉時代様式の動に復元されている。ここに新撰組の近藤・土方の位牌、
鳴り龍天井、江戸時代の彫刻、後藤純男画伯の襖絵など拝観できる。拝観料¥200、
大日堂 堂内



毎月28日が縁日、11月下旬のもみじの紅葉は見事。


高幡不動尊3万余坪の境内は、桜、紫陽花、古木のもみじ、芭蕉句碑、石仏、裏山不動ヶ丘(山内八十八ヶ所)と文学探訪が出来る。


樹齢100~300年の神木、古書画、彫刻、庭園など武蔵野を偲べる。



大日堂の奥に、生まれ変わり物語の主人公「ほどくぼ小僧藤五郎の前世藤蔵」の墓がある。
物語は、江戸時代でここ地元で起きた出来事を口伝えられている。国学者「平田篤胤」は、藤五郎再生紀聞で書いて天皇にお見せしている。
御所で評判となる。
明治に小泉八雲が池田冠山著書の写本し欧米で出版屍骸国でも知られている。我が国でも藤五郎生まれ変わりの話は絵本や漫画になっている。
庭園内


山梨県・東京都・神奈川県を流れる「多摩川」水系の本流で一級河川。下流域において東京都と神奈川県の県境としての役割も担う。
県境全長138km、流域面積1240km²。
多摩川

今回で終わります。