syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

syu散歩 Aコース

2013-02-14 | syu散歩
以前にも紹介しました「syu散歩Aコース」。約1時間3.5KMです。夏場は早朝散歩ですが、冬は,午前11時に家を出ます。
環状八号線を横断し、善福寺川を下って行きます。荻窪4丁目の忍川下橋を右折。

                 善福寺川                      倒れ掛かった大木
    

台風で倒れ掛かった桜の大木、川岸の遊歩道は、頭がぶつかって歩けないので迂回する道が作られている。
まだまだ元気に春になると満開に。
                                          
    

「都立善福寺川緑地公園」は、杉並区成田東二・三・四丁目、成田西一・三・四丁目、荻窪一丁目と川に沿って細長い公園である。
善福寺池を源とする善福寺川。杉並区の中ほどで川は大きく蛇行して行く、川に沿って二つの公園。
散歩コースの上流にあるのが善福寺緑地と、尾崎橋を横断の先に下流部に位置するのが和田掘公園と続く。
Aコースは、五日市街道に出て右折する。その角に「宝昌寺」がある。

都心とは思えない春になれば緑がいっぱい。
    

「 曹洞宗 宝昌寺」は、 杉並区成田西、の舟形地蔵尊がある寺で、本尊は、釈迦牟尼如来座像。
江戸時代には、成宗村の壇那寺として、村民の信仰の拠り所とか、村内の熊野、須賀、白山神社の管理をする別当分でもあると云う。
火災のため焼失したものも多くあるが、寺にはまだ多数の板碑の他、舟形地蔵尊や庚申塔などの文化財が。

    

境内に奉安する豊川稲荷社は、明治末年付近一帯が飢饉に襲われた時、人々の災難消除と五穀豊饒を祈願して、愛知県豊川本閣から移し祀ったもので、その利益はいちぢるしく、大正時代から近在諸村に豊川稲荷信仰がひろまったといわれます。

   

相生橋を過ぎると緑地が広がり、前方に五日市街道に架かる尾崎橋。
橋の際に周辺に関する区の説明板、次のように記されている。

上流に向かって左側の台地が尾崎と呼ばれています。「おさき」とは、 突き出した台地の先端(小崎)を指す古い地名で、 発掘された石器や土器また住居址からみて、この台地には約八千年前から人が住んでいたことが知られます。 またこの地名に付会(こじつけること)して「源頼義が奥州征伐のため当地を通過した際、 源氏の白幡のような瑞雲(吉兆を示す雲)があらわれ、 これが因縁で大宮八幡宮を勧請することになったが、その白幡の見えたあたりを白幡(このあたり)、尾のあたりを尾崎と名付けた」(大宮八幡宮縁起)との伝説があります。
このあたりの風景は、 五日市街道を通って小金井の桜見物に出かけた江戸の文人たちの随筆にも書かれており、 辻知篤の享和3年(1803)の文には、次のように記されています。
「馬橋村のなかばより左におれて、 山畑のかたへのほそき道をゆく。」「つづらおりめいたる坂をおりて田面の畔をゆく。田のなかに小河ありて橋をわたる。これを尾崎橋という。」
 
    

右に、区立松渓中学校、敷地内に高齢者在宅サービスセンター、松渓ふれあいの家がある。
平成20年に読書活動文部科学大臣に表彰されるなど読書に活発な学校。

左に、西田小学校、2007年で65周年を迎えた。「にしたしょうがっこう」と読むのが正しくとか。隣に公園がある。

  

「大光山・中道寺」 真言宗 室生寺派 蓮華寺の式場、杉並区荻窪2丁目。

門楼と鐘楼が一対で1781年施工されたとある。
    

中道寺の隣に毘沙門天「不動堂」を、参拝し一日の「SYU散歩Aコース」は、終了する。アー疲れた。


      


次回は、Bコースへ。