syuの日記・気まま旅

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雪の後の小金井公園

2014-04-24 | syu散歩
雪の後2月の小金井公園へ。掲載が遅れましたが・・・。

武蔵野三大湧水は、井の頭の「井の頭池」・杉並の「善福寺池」・練馬の「三宝池」を云い、現在人気な公園になっている。
8世紀頃、熊谷・川越付近には、大規模な条里制が、敷かれ、荘園が成立し、武蔵七党や坂東八平氏の武士団が結成している。
南北朝に足利尊氏、室町に上杉氏、15世紀に入り太田道灌が江戸城を築いた。
16世紀に徳川家康が江戸幕府を開き、五街道整備され品川、高井戸、板橋、千住に宿駅が設けられ、農村地帯に商業が浸透していく。
又、治水工事や用水路の開削し、湖沼や三角州の開発され、新田の発展が進んだ。
江戸と云えば、海苔、薪炭と木材を産した地域で、山地と平野の接点に谷口集落が形成、台地で青梅縞・秩父絹・練馬大根・多奈川梨などを産している。

武蔵台地の地層は、三浦層群に沖積層に多摩川が、三浦東京層群、立川ローム層に国立・府中・調布が、立川・武蔵ローム層に国分寺・三鷹・武蔵野
石段的に高くなっていく、そこで、江戸の上水道の「玉川上水とその分水の野火止用水・千川上水等が開削され、「武蔵野新田」で82ヶ村が出来た。
武蔵野夫人の「はけ」は、滄浪泉園でご紹介します。

都立緑地「小金井公園」は、関野にある。
面積72万m2の園内に、皇居前から移築された「光華殿」、平成5年開園した「江戸・東京たてもの園」。梅・桜の名所でもあり、今日は「梅祭り」
を開催していた。
 
JR中央線・武蔵小金井駅下車。駅前からバス5分、駅は、1924年(大正13年) 観桜のための仮乗降場として開業、大正15年 停車場に昇格され、
「武蔵小金井駅」となる。(旅客営業のみ)

武蔵小金井駅


公園は、玉川上水沿いに位置した、日比谷公園の4.8倍、上野公園の1.4倍の広大な公園。
ここには、都内では少なくなった武蔵野の面影を残し、早春に100本の梅と、桜の園には、ヤマザクラ、サトザクラ、ソメイヨシノなどのサク...。

また、野球・ テニス・ 弓道場・ サイクリング・ バーベキュー・ ドッグラン・ 防災公園・ 広い芝生・ バードウォッチング等で家族で楽しめると人気である。

今日のイベント会場では、梅の開花に合わせて「うめまつり」開催、2.30店の露天が並び、梅林内に「のだて」が、琴の演奏が、(有料)。

改札口に「梅祭り」のイベントを     小金井公園南入口にうめまつりの垂れ幕と   一面に白い残雪が
    

「江戸東京たてもの園・博物館分館」(有料)

72万m2の小金井公園内案内板


公園には、1954年から1991年まで、古代住居や江戸時代の農家を移築・展示する武蔵野郷土館があったが、江戸東京博物館の開館に合わせて、
武蔵野郷土館を拡充する形で1993年に開園。
高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示、

映画『千と千尋の神隠し』(2001年)の作画には、たてもの園の銭湯や下町の商家建築のデザインが参考にされ、この縁で2002年には園内で
「千と千尋の神隠し展」と映画「千と千尋の神隠し」の屋外上映会が開催された。

江戸東京たてもの園の「八王子千人同心組頭の家」


「園内の桜の園」

公園の西側に「桜の園」と呼ばれる地域があり、園内桜の園は、こぼれんばかりの桜の森の下で、賑やかにお花見を楽しむ光景が見られる。
「たてもの園」に隣接している。
毎年、「桜まつり」などが開催されて多くの人で、賑わう。

雪溶けでぬかんだ園内                     地域グループ、朝の体操
  

「皇室・旧光華殿」は、「江戸東京たてもの園ビジターセンター」に。入場口して使われると同時に、施設が入居している。

「光華殿」は、神武天皇即位から2600年に当たるとされる昭和15年、神武天皇を祭神とする橿原神宮の大規模な整備が行われ、記念の展覧会など各種の記念行事が全国的に開催。
紀元二千六百年記念式典は、11月に内閣主催で開催、一連の祝賀行事の中でも最も大規模なものであったと云う。その「光華殿」が。

皇室・旧光華殿入口                       昔懐かしい銀座の煉瓦街も
    

「高橋是清」 1854-1936 仙台藩士養子、渡米後、森有礼の書生、日銀総裁、立憲政友会入党など、財政家、1913年山本内閣大蔵大臣、政友会総裁
1927年田中内閣大蔵大臣金融恐慌でモラトリアムを実施危機救う。満州事変以降の軍需インフレで軍部批判、2.26事件で暗殺。

高橋是清邸 明治から昭和初期の政治家高橋是清の住まいの母屋部分。
2階は是清の書斎や寝室として使われ、昭和11年、2.26事件の現場ともなったところ。

方砂遺跡敷石住宅址もある                        田園調布小川邸跡も
    

「午砲用青銅砲」
「午ドン」が展示。明治4年、午砲の制というのができて、正午の時報として空砲を一発撃ち鳴らすことになった。

合図は天文台から電信で知らされ、その後、陸軍省、近衛師団が発射を担当した。
午砲は、全国の大都市と19箇所の師団司令部で同様に行われた。 大正11(1922)年、軍備縮小にともなう経費節減で陸軍は午砲を取止め、東京では東京市が引き継ぎ東京市号砲所となった。
しかし昭和4(1929)年、号砲による報時を終了、号笛による報時に切り替わったと云う。

午砲


「伊達家の門」 宇和島藩伊達家が大正時代に、現在の港区白金に建てた屋敷の表門。大名屋敷のような起り(むくり)屋根の片番所がある。

宇和島・伊達家の門(港区から)


丸二商店(荒物屋) 昭和初期に神田神保町に建てられた荒物屋。小さな銅板を巧みに組み合わせて正面の模様を形作っている。
花市生花店 昭和初期に神田淡路町に建てられた花屋。建物前面が花屋らしくデザインされた看板建築が特徴。
武居三省堂(文具店) 明治初期に神田須田町に創業した文具店。建物前面がタイル貼りの看板建築が特徴。 (この建物は関東大震災後に建てられた)

子宝湯 昭和4年、足立区千住本町に建てられた銭湯。
東京の銭湯を代表する建物。神社仏閣を思わせる唐破風や玄関上の七福神の彫刻など贅を尽くした造り。なお、この建物は、「千と千尋の神隠し」のモデルになった銭湯。

万世橋交番                                           都電7500形
    

鍵屋 安政3年(1856年)に、台東区下谷の言問通りに建てられた居酒屋。ここに建てられている建物は、昭和45年当時に復元している。建物内に当時の居酒屋の店内を復元しており、その頃の品物の値段が分かります。

・ 冷奴 60円、
・ ゆどうふ 80円、
・ もつなべ 100円、
・ 味噌おでん 60円、
・ お 酒 1合140円、
・ ビール 大瓶190円、小瓶140円・・・。

荒物屋・乾物屋・油屋・仕立て屋・写真屋・文具屋・花屋・飾り電燈・石造り常夜灯・灯籠・五輪塔などが
    

次回は、梅祭りへ。