syuの日記・気まま旅

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はけの滄浪泉園

2014-04-27 | syu散歩

「はけ・崖」と「大岡昇平、1950年・昭和25年ハケを舞台にした武蔵野夫人」。
大岡は、戦後友人の富永次郎宅に身を寄せ、武蔵野の資料集め、付近を散策し作品の構想を練った。武蔵野夫人の第一章は、「はげの人々」である。
大岡は、武蔵野の地形・地理に関心を寄せ、昭和28年から没まで日本地質学会会員であったと云う。
武蔵野夫人の舞台になった「はけ・崖」を生かした庭園「滄浪泉園」は、武蔵小金井駅から徒歩15分、都道134号線沿いにある。

武蔵野の貴重な自然が残る水と緑の庭園。「滄浪泉園」の名は波多野承五郎氏の友人、犬養毅元首相が命名した。
    

「犬養 毅」 1855-1932 政治家、岡山県、慶応義塾で学び、豊川良平と東海経済新報を発刊、保護貿易論を主張、統計院に入る。
大隈重信と立憲改進党に加わる、才一回総選挙以来当選18回、雄弁家、満州事変阻止、五・一五事件で殺害、政党政治終息する。

 滄浪泉園の入り口。石の門標は犬養の筆。
    

かつて国分寺崖線上に別荘が多く建てられた時期があった。
滄浪泉園もその1つで、明治・大正期に三井銀行などの役員、外交官、衆議院議員などを歴任した波多野承五郎氏により、庭園を持つ別邸として建てられたという。
その名は「手足を洗い、口をそそぎ、俗塵(ぞくじん)に汚れた心を洗い清める豊かな水が湧き出る泉のある庭」との意味を持つと云う。

滄浪泉園、手や足を洗い、口をそそぎ、欲塵に汚れた心を洗い清め、清清と豊かな水の湧き出る泉のある庭(犬養氏が名付けた)
    

樹々の間から眼下に池が広がる。水面には庭を彩る樹木や空が映し出され、まるで鏡のようだ。池のほとりを歩いていると、野鳥の鳴き声とともに水の湧き出る音が聞こえ、岩の下のくぼみから水がこんこんと湧き出ているのが見える。

波多野承五郎氏の別荘、          明治・大正期、三井銀行役員・外交官・衆議院議員などを歴任
  

武蔵野の特徴的な地形である「ハケ」と、そこから湧き出す水を利用している。
もとは、3倍の広さを持つ庭園のある別荘だったと云う。

昭和に入り、三井鉱産役員の川嶋氏が管理し、茅葺の屋敷に長屋門などの風雅なただずまいを見せていたと云う。 
    

面積は、約1万2千㎡に、コゲラ・アオゲラ・メジロ・キジバト・ウグイスなど一年中野鳥の鳴き声が、池には、カモ・カワセミ・コジュケイ親子連れの光景も。
一時期マンション建設計画が起きており、市民運動で、都が「緑地保全地区指定」に。

当初、3万3千㎡余りあったと云う。
    

近辺では見られなくなったフジリンドウ・ニリンソウ・キンラン・ギンラン等野草も数多く残っている。
滄浪泉園緑地を残すため、市民の熱心な保存運動が実って今に。園は、長い間人手が加えられていなかった為、崖、斜面、低地、水辺とそれぞれの植物が安定して生態系を構成していると云う。

まだ、残雪で散策路もぬかんでいた。
      

カラン、コロコロンと、かすかな音がする。「水琴窟」だ。
その場に佇み、地中から洩れ伝わる音に聞き入る。
水滴が奏でる澄んだ音色は耳に心地いい。
心が静まり、穏やかな気持ちになる。

竹筒で「水琴窟」の音を、時を忘れられる。
    

小金井駅近くの浄土宗「瑞蓮院」
山号 三緑山、小さな境内であったが手入れされ、残雪に梅の木が一本、花はまだ付けていなかった。

      

次回は、鎌倉街道・国分寺跡へ