syuの日記・気まま旅

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寅さんの柴又帝釈天

2015-04-13 | 気まま旅

「葛西清秀」 1161-1238 葛西氏初代当主 墓所ー四ツ木「西光寺」
父ー豊島清元・母ー秩父重弘の娘・妻ー畠山重能の娘、桓武平民の流れを汲む。源頼朝と歴戦。
頼朝が、平家打倒の兵を挙げ、千葉常胤氏軍と上総軍も加えた軍勢が隅田川まで進軍、そこに清元軍ともに葛西軍が参じている。隅田川から静岡富士川へと進軍する。葛西氏は、頼朝・頼家・実朝と仕えている。

江戸時代以前の渡良瀬川の流域全体をカバーする「葛西領・郡」は広く、渡良瀬川はその後の利根川東遷事業によって、江戸川(古くは、太日川・太日河))となったので、現時点では江戸川(及びその後に成立した中川)の流域を占める郡といってよいと云う。
したがって、その範囲は南北に細長いものとなっている。 現在の行政区域では、北は渡良瀬川と利根川の合流地点である茨城県古河市、江戸川の西の流域である埼玉県幸手市・吉川市・三郷市、東京都葛飾区・墨田区・江東区・江戸川区、千葉県浦安市、江戸川の東の流域である千葉県野田市・流山市・柏市・松戸市・市川市・船橋市にまたがる広大地域。(葛飾郡総社は、船橋市西船五丁目にある葛飾神社)
1878年(明治11年)の郡区町村編制法の制定により、同年に一部が東葛飾郡・西葛飾郡・南葛飾郡に、
翌1879年に残部が北葛飾郡・中葛飾郡となり消滅した。

郡内に下河邊荘、下河邊野方荘、八幡荘、松戸荘、風早荘、夏見御厨、葛西御厨、葛西猿俣荘、大結牧といった荘園が成立した。
この地域が広大であった事から中心線の太日川を境界として東側を葛東郡(あるいは葛東)、西側を葛西郡(あるいは葛西)と称する慣習が現れた。
近世、利根川東遷事業により、太日川が利根川下流になったこともあり、江戸時代初期の1683年に、太日川より西の地域を下総国から武蔵国へ編入した(この地域を「葛西」と呼ぶ場合もある)。しかし、同じ寛永年間に関宿(現野田市)・金杉(現松伏町)間の東側に新たな流路が開削され、
これが江戸川の本流となったために、この区間については、後も下総国葛飾郡が江戸川の両岸にまたがることになったと云う。
江戸時代、江戸幕府の支配の下で、当郡内のうち江戸城に近い本所や深川は江戸市街地の一部を構成し、町人地区は町奉行の支配下に置かれ、利根川に面する軍事・交通上の要衝である古河や関宿には譜代大名が配置された(古河藩、関宿藩)。
初期には山崎(現野田市)や栗原(現船橋市)、藤心(ふじごころ。または相馬郡舟戸。ともに現柏市)に規模の小さな藩が置かれていたこともある(下総山崎藩、栗原藩、舟戸藩)。しかし、これらの藩の領地はいずれも当郡の一部を占めるのみであり、郡内の多くの村は関東郡代支配下の幕府直轄領(天領)または旗本支配地とされた。

近世までは、後の南葛飾郡域を指して葛西と呼んでいる。

京成電鉄「柴又駅」
    

「葛飾区」都北東部、武蔵野の東方の原野ー葛が茂っているー所からきていると云う。平安中期から葛西氏の領地で青戸に「葛西城」があった。
江戸期は幕府領・関東郡代士はいけに置かれていた。金町が中心で宿場町で「柴又」が帝釈天門前町として発展した。
産業は、水田・レンコン・堀切の花菖蒲・金町のネギが知られている。他に正月用注連飾りの製造が盛ん。
今は、玩具工場の中小企業が増えている。
江戸時代、利根川の大工事で隅田川までを下総であったが葛西郡は武蔵国に編入している。

映画「男はつらいよ」で有名に


駅前は「桜祭り」で地元小学生のバンド行進。        駅前広場に寅さんの像がある
    
                    柴又天釈天参道
    

「柴又帝釈天」駅から東にやく200m
日蓮宗・経栄山ー題経寺  1631年日忠上人の開創
    

本尊ー日蓮上人自刻の帝釈天板
    

60日毎の「庚申大祭」は、大賑わい


庚申信仰縁起の竹製「はじき猿」は、郷土玩具として人気


「男はつらいよ」の舞台でお馴染みの山門


本堂裏手 お祭りで大賑わい


境内に舞台でいろいろ出し物が              若いお母さん達で
    

「山本亭」
大正末期から昭和初期に作られたとされている。
浅草でカメラの部品を製造していた合資会社山本工場が関東大震災で被害を受けたため、柴又に移転した際に瓦業者の屋敷の跡となっていたものを取得し、改修したものである。
山本家が4代に渡って住んでいたが、1988年3月14日に葛飾区の所有となり、1991年4月から一般公開された。

都選定歴史的建物「山本亭」
  

「柴又公園」
日本庭園のある「山本亭」や「寅さん記念館」を含み、区の桜見物、観光名所の一つ になっている。
江戸川河川敷の広場は、レクリエーション・スポーツの場として開放。

公園頂上は、哲学の川・江戸川が一望できる
  

「寅さん記念館」
「男はつらいよ」でおなじみの寅さんの記念館。
実際に撮影で使われたセットでおなじみの名場面が再現され、寅さんのトランクなどの愛用品も展示、
「寅さんの生い立ち」コーナーを設け、第1作目以前の寅さんが6つのドラマとなって可動式のジオラマで見ることができる。

  

哲学の川(江戸川)に、来年の桜と野草と矢切りの渡しと私の人生を見つめ返すために、又来ます「哲学の川」へ。
高齢者の皆さん哲学の川・江戸川で遊びましょう我々だけで。  

次回は、埼玉の続きに戻ります。