syuの日記・気まま旅

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岩槻城址と久伊豆神社

2015-04-19 | 気まま旅
千葉県野田から再び埼玉県幸手市で国道4号線・日光街道、杉戸町から春日部市に、ここは、「新田義貞」家臣春日部氏の地。
江戸時代は、日光街道粕壁宿の宿場と利根川の舟運と交通の中心であった。
1916年の大正5年「新方領耕地整備事業・約3000haを誇る全国一位田園地帯、このブログで数回取り上げている。

「曹洞宗ー不二山・浄春院」 春日部市
中国の禅宗五家(曹洞、臨済、潙仰、雲門、法眼)の1つで、日本においては禅宗(曹洞宗・日本達磨宗・臨済宗・黄檗宗・普化宗)の1つ。
本山は永平寺(福井県)・總持寺(横浜市鶴見区)。専ら坐禅に徹する黙照禅であることを特徴とする。
中国禅宗の祖である達磨(5C後半 - 6C前半)から数えて6代目の南宗禅の祖・曹渓山宝林寺の慧能(638 - 713年)の弟子の1人である
青原行思(? - 740年)から、石頭希遷(700 - 790年、石頭宗)、薬山惟儼(745 - 828年))、雲巌曇晟(782 - 841年 )と4代下った
洞山良价(807 - 869年)によって創宗された。

                  曹洞宗,山号ー不二山「浄春院」(春日部市)
    

春日部の隣「岩槻市」に、県東部・大宮市東隣に位置。市名は、太田道灌が築城した「岩槻城」に由来する。
江戸時代は、岩槻藩の城下町と日光御成道の宿場町であった。日光東照宮の造営・修築にかかわった「工匠」がたくさん住んでいた。
人形の岩槻人形の製造は全国的に知られている。他に、羽子板・桐たんす等も多い。
1981年江戸木目込み人形が「伝統的工芸品」に指定。

    

「岩槻城址公園」
約600本の桜が咲く県内有数の桜の名所公園。
自然林に囲まれた 起伏の多い公園で、岩槻城の土塁が今も現存しており、園内の菖蒲池には朱塗りの 八ツ橋がかけられており、公園の彩りがなお一層引き立ち、大きな池が中央にある。
四季を通じて数々の花が咲き、城の土塁・堀等、昔を偲ばせる公園。

                  江戸城・河越城・岩槻城築城した名将・太田道灌が築城
    

「室町時代」
足利・古河城にいた古河公方・足利成氏に対抗するため、1457年、扇谷上杉持朝とその家臣太田道真・太田道灌父子により、江戸城・河越城とともに
築かれたとされている。
しかし、1478年、の文明10年、古河公方方の忍城主成田顕泰の父成田自耕斎正等が築城したと記述された史料が発見。
近年は成田氏築城説が有力視される。
これに対して最近、成田氏築城説の根拠となった史料について、新たな解釈が示され、本史料で築城者「正等」の子としている「顕泰」は成田顕泰ではなく、長尾忠景の三男であり太田道真の養子になった人物とし、「正等」は、道真の法諱(仏法社会の本名)とみなす。
2014年の時点では太田氏築城説と成田氏築城説が並立している状態であると云う。

その後、永正7年の1509年、には、古河公方奉公衆である「渋江氏」が「岩槻城主」となったとみられている。

  

「江戸時代」
北条氏滅亡後、徳川家康が関東に入ると、徳川家の譜代家臣の「高力清長」が2万石で岩槻城に。

以後、青山氏・阿部氏・板倉氏・戸田氏・藤井松平氏・小笠原氏・永井氏ら譜代大名の居城。
江戸中期に徳川家重の側用人「大岡忠光(大岡忠相の遠縁)」が入り、藩主が固定。
廃藩置県まで大岡氏の居城となった。
天守は無かったが天守代用の櫓として本丸に二層二階の瓦櫓があり、他に杮葺二層二階の二重櫓と同じく杮葺の一層一階の櫛形櫓が本丸に存在した。

「大岡 忠光」1709-1712
江戸時代中期の大名。江戸幕府の御側御用人、若年寄を務め、第9代将軍徳川家重の側近として活躍した。上総勝浦藩主、武蔵岩槻藩主。
父、大岡忠利・母、前田定竪の娘(天野重忠の養女)・妻、大井政長の娘。

  

「久伊豆神社」
一説には約1,400年前欽明天皇の時代に土師氏が出雲から久伊豆明神(大己貴命)の分霊を勧進し岩槻に社殿を建立したのにはじまるとされている。
1457年、太田道灌が岩槻城を築城した際、久伊豆神社を岩槻城の鎮守としたと云う。
神社は、埼玉県の元荒川流域を中心に分布する神社で、祭神は大己貴命(大国主)である。
神社の分布範囲は、平安時代末期の武士団である武蔵七党の野与党・私市党の勢力範囲とほぼ一致している。
加須市の玉敷神社は、かつて「久伊豆明神」と称しており、久伊豆神社の総本社とされている。

    

明治6年、村・郷社に。
県指定文化財・昭和37年指定岩槻城主阿部重次より奉納された江戸初期儀式用の鞍 。
    

境内には2本のモッコクの木が1つに結ばれた夫婦モッコクがあり、縁結びの木として知られている。
埼玉県のふるさとの森や自然百選にも選ばれた境内は、森林に囲まれた野鳥の宝庫でもあり、本殿奥には県の天然記念物に指定されている樹齢約300年の大榊もある。

     

「遷喬館」
儒学者「児玉南柯」が開いた私塾、後に藩校になった。県史跡に、(建物は探せなかった)

「児玉南柯」
1746-1830ー江戸時代後期の教育者、儒学者。岩槻藩士。岩槻藩大岡家に仕え、藩内 の教学などの発展に尽力した人物。

  

「時の鐘」
木造の鐘楼1671年岩槻藩主「阿部正春」がつくったと云う。
高さ151cm、口径78cm、現在も朝夕市内に鐘の音色が響くと云う。

「阿部正春」江戸中期・1637-1716
1637年、岩槻藩第2代藩主阿部重次の次男として生まれる。はじめ父の跡を受けて三浦姓を称した。
1651年に父・重次が江戸幕府の第3代将軍・徳川家光に殉じたため、兄の定高が家督を継ぎ、正春には大多喜新田藩1万6000石を分与される。
上総大多喜新田藩主、武蔵岩槻藩第4代藩主、上総大多喜藩主、三河刈谷藩初代藩主。
阿部家宗家4代で、備後福山藩阿部家分家初代.

    

今回で、埼玉の旅は終了します。