syuの日記・気まま旅

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井の頭公園   多摩川散歩(33)

2016-03-11 | 気まま旅

桜の名所で、「井の頭公園と井の頭池」・「善福寺川と善福寺池」・「練馬の三宝寺池」を「武蔵野三大湧水」、古代から近世にかけて「武蔵国」
「見狭下国」牟邪志、むさし・胸刺・知々夫の三国に別れ、律令制下で武蔵国に統一されている。
国府と国分寺は、多麻郡(府中市・国分寺市)においている。
8世紀頃、熊谷市・川越市付近に大規模な条里制が敷かれ、荘園が成立後その管理者の中から「武蔵七党・坂東八平氏」の武士団が結成され
「源頼朝」のもとに結集して、武家社会の中心社会となる。
鎌倉時代に鎌倉道が開かれ、南北朝時代に「足利尊氏」・室町時代に「上杉氏の支配下で15世紀に太田道灌」が江戸城を築いた。
後北条氏が破れ、1603年「徳川家康」江戸幕府が開かれた。

「吉祥寺」武蔵野市の東半分をしめる住宅地域
茅場武蔵野台地で、明暦の大火(1657)本郷元町「吉祥寺」門前町が五日市街道沿いに移住して、吉祥寺新田を開いた。
屋敷・耕地は、短冊状に地割りし均等に分配された。都内で人気の町。

                 駅ビル前の広場


「吉祥寺通り」
練馬区関町南の関町 交番前交差点から武蔵野市吉祥寺南町の吉祥寺駅前交差点を経由し、世田谷区給田 の給田交差点まで至る道路の通称である。

     焼き鳥で有名な「いせや総本店」・和牛すき焼きも人気。
    

「井の頭公園」は吉祥寺駅の南西に約400mにある。都立恩賜公園
湧水・神田上水の水源・井の頭池で江戸時代には「弁財天」の信仰を集め賑わったと云う。明治維新後、皇室の御料地となる。
大正2年、東京市に下賜され公園として開園している。

                   都立井の頭恩賜公園
    

      野口雨情歌碑・書斎が移築           桜の名所


             文化園には、北村西望の彫刻が


          隣接に、井の頭自然文化園・水生植物園が
    

「風の散歩道」
武蔵野市の市境を流れている玉川上水の南側歩道が、整備されて「風の散歩道」と呼ばれている。
三鷹駅~井の頭公園の人気の散歩道。
玉川上水は、江戸時代初期の1653年に、それまで神田上水の水を利用していた江戸の町も、発展し人が増えたため新しい上水が必要になったと云う。
今は、その上水も役目を終え水が流れなくなって、暗渠化されるのではとの危機もありましたが、両岸を覆う豊かな自然の価値が認められ一部残された、
散歩道沿いには山本有三記念館や太宰治の「玉鹿石」や作品の一説が刻まれた説明板が。

                  玉川上水と満助橋
  

「山本有三」1887-1974 栃木県栃木市生まれ
22歳で一高帝大で独文科卒業、劇作家、生命の冠などで地歩を固め、小説 波・女の一生・路傍の石などー昭和40年文化勲章受章

「山本有三記念館」
大正末期本格的洋館建築ー石を積み上げたような煙突や、3つの暖炉がある。三鷹市の文化財に指定(公園内は無料・入館¥300)

                 昭和11年~21年まで住んだ
    

                「ミタカ少国民文庫」を開いた
  

戦後、進駐軍の接収され転居している。

            三鷹は、私にとって忘れがたい土地、、、。と語っている。
  

次回は、調布方面へ。