ここは、海から19km・渋谷区と世田谷区の境界杭が並んでいた。
鉄道は、池上線が多摩川に沿って御嶽山ー久が原ー千鳥町ー池上ー蓮沼ー蒲田へ。
東横線が渋谷ーー自由が丘ー田園調布ー玉川ー神奈川県新丸子ーー横浜中華街で多摩川を横断している。
東海道新幹線も東横線と並んで横断している。
渋谷川・渋谷橋は、恵比寿駅界隈で区の中心、駒沢通りに町屋造り許されている。早くから栄え活況を呈したのが広尾付近で即渋谷橋が架けられた。
駒沢通り・明治通りは、将軍鷹狩往来する道と農民が江戸市中に野菜を売りに行く道であったと云う。
明治40年には、玉川電鉄が開通している。
「金王八幡神社」は、1086年頃源義家・後三年の役部下「河崎重家」が、京都の御所に賊が捕え、その賊徒の名が渋谷権介盛国と云い、
院から「渋谷」の姓を賜りー渋谷土佐守従五位下に、関東に下り、現渋谷に住んだので地名に、、、。(これは一つの異説)
世田谷区瀬田は、江戸時代から眺望良く、江戸八景ー二子漁舟・大蔵夜雨・岡本紅葉・「瀬田黄稲」・・・。
平安時代から、瀬田村は玉川の大半で、「玉川瀬田・勢多郷」と由緒ある地名。
「玉川八景」玉川神社の石段上行善寺で行善寺八景とも云う。今は、ビルの陰に、若山牧水は、ここ1ヵ月ほど滞在し初恋の神社と云う、牧水19才。
「水草」
都内の河川や用水等、生活排水などで汚染させたり、河床をコンクリート張りになるなど水草の生育に適さなくなっています。
多摩川は貴重な川とされています。
ヨシ・スイレン・ホテイアオイ・ワサビ・レンコン・ハス・・・・・。
水草には、綺麗な水を好むもの・多少汚れた水でも育つもの(ワサビ・ミズニラ・ミクリ・ナガエクリ・アイノコイトモ・オオカナダモ等)
水草も沈水性植物・浮葉性植物・抽水性植物と分けられている。沈水ーエビモ・コカナダモ・オオカナダモ・ヤナギモなど。
浮葉ースイレン・ハス・ウキクサ・ホテイアなど。
抽水ーオランダガラシ(クレソン)・ガマ・ヨシ・ワサビ・イネ等。
役割は、魚や昆虫が、卵を産み付ける場所で、大きな魚等の攻撃から守っています。
第三京浜と環八の角に「玉川野毛町公園」。
そこに、9mの高さの「大塚古墳」ー大きさ直径66m、南関東最大円墳がある。この古墳明治30年発掘されている。
円筒埴輪・直刀・刀子玉類など多数出土品があった。(上野博物館収蔵)
野毛山古墳群のこの地域は、古墳が多く、縄文時代の竪穴式住居跡もハッキリした形で見つかっていると云う。古代人と多摩川と野毛山の生活は?
大田区田園調布から世田谷区野毛1帯には、約20基の古墳が残されている。
等々力渓谷から八幡塚古墳・天慶塚古墳・西岡古墳・16号~35号・宝菜山古墳・観音塚古墳・亀甲山古墳・多摩川台古墳と古墳展示場がある。
東急田園都市線・大井町線の「二子玉川駅」
世田谷区の南西に位置、北に緩やかな丘陵、南に多摩川を抱える区域で自然環境が残されているが、最近は、住宅地を中心とした街が形成されている。
二子玉川駅近辺は、駅前から、商業施設が建ち並んでいる。
駅の東側を中心に再開発が進められ、2011年には大型商業施設である二子玉川ライズショッピングセンターが開業され、賑わいを見せている。
今後、映画館などができる予定である。「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれている。
二子玉川の街は元々、江戸時代にこの地に存在した渡し船(「二子の渡し」)により地域一体が栄えた事に始まり、後に世田谷随一の歓楽街、
東京有数の行楽地へと変貌していったという歴史を持つ。
自由が丘、下北沢、三軒茶屋と並び、世田谷区の「広域生活拠点」に位置づけられ、比較的豊かな自然環境をベースに住宅街及び商業地帯を発展させた
区域として成長している。
等々力渓谷の谷沢川も多摩川へ
「二子玉川」の名は、かつて多摩川を挟んで川崎市側に存在した「二子村」と世田谷区側の「玉川村」に由来すると言われている。
同地付近にあった「二子の渡し」にも深い関連がある。
町名は当時同地にあった二子塚古墳に因んで大井町線(現:東急大井町線)開業時に目黒蒲田電鉄が名付けたと云う。
多摩堤通りに旧巨人軍グランドが
二子玉川の周辺には、
多摩川とその河川敷、さらに生活圏内には砧公園や等々力渓谷など、都会では貴重な自然が比較的多く残っている。
コイやナマズといった淡水魚、鴨や白鷺といった鳥類の姿も見られる。緑地には運動場のほか整地されていない原野(原っぱ)もある。
特に河原にある兵庫島公園周辺にはそのような緑地が多い。釣りも楽しめるので釣り人の姿もある。
玉川浄水場は環8通りに
「兵庫島公園」
多摩川と野川の合流部に位置する「兵庫島」を基に作られた公園。
現代「兵庫島」を含めて公園は、島ではない。上流側は新二子橋の下を境に同じく河川敷にある二子玉川緑地と接している。
1988年に「兵庫島河川公園」として整備し、現在は「兵庫島公園」に。
園内には「兵庫島」が丘として残っており、「兵庫島」を中心として木々が生い茂り武蔵野の緑を今に残している。
「兵庫島」の上流側には、開放的な芝生広場もある。 また、三方を多摩川・野川に接している他、公園内中央には人造の池「兵庫池」。
上流側からは「ひょうたん池」に注ぎこむ人造の小川が整備されており、水に親しみやすい公園である。
多摩川は「あばれ川」と称されるほどの川であり、現在も公園付近は川の流れが狭く蛇行していることもあって、公園付近の水の流れは急であり水深も比較的深い。そのため、この公園付近の多摩川では水死事故が度々発生している。
兵庫島から多摩川を望んだ時に広がる風景は人気。
「世田谷区三軒茶屋」
文字どうり三軒の茶屋が、3軒の茶屋から始まった。世田谷通りと玉川通り交差点に江戸時代「田中屋」「角屋」「信楽」の休み茶屋で、
相模大山詣り参拝客で賑わったと云う。
坂本龍馬が信楽に泊ったと云う話が残っている。昔の茶屋は、二階に座敷もあった。
昔懐かし、玉電が走っていた三軒茶屋、今は、地下鉄に。
郊外のショッピングタウンが形成された「二子玉川駅」に変貌していた。
私鉄小田急ー登戸・和泉多摩川間多摩川陸橋車中から
次回は、羽田方面へ。
鉄道は、池上線が多摩川に沿って御嶽山ー久が原ー千鳥町ー池上ー蓮沼ー蒲田へ。
東横線が渋谷ーー自由が丘ー田園調布ー玉川ー神奈川県新丸子ーー横浜中華街で多摩川を横断している。
東海道新幹線も東横線と並んで横断している。
渋谷川・渋谷橋は、恵比寿駅界隈で区の中心、駒沢通りに町屋造り許されている。早くから栄え活況を呈したのが広尾付近で即渋谷橋が架けられた。
駒沢通り・明治通りは、将軍鷹狩往来する道と農民が江戸市中に野菜を売りに行く道であったと云う。
明治40年には、玉川電鉄が開通している。
「金王八幡神社」は、1086年頃源義家・後三年の役部下「河崎重家」が、京都の御所に賊が捕え、その賊徒の名が渋谷権介盛国と云い、
院から「渋谷」の姓を賜りー渋谷土佐守従五位下に、関東に下り、現渋谷に住んだので地名に、、、。(これは一つの異説)
世田谷区瀬田は、江戸時代から眺望良く、江戸八景ー二子漁舟・大蔵夜雨・岡本紅葉・「瀬田黄稲」・・・。
平安時代から、瀬田村は玉川の大半で、「玉川瀬田・勢多郷」と由緒ある地名。
「玉川八景」玉川神社の石段上行善寺で行善寺八景とも云う。今は、ビルの陰に、若山牧水は、ここ1ヵ月ほど滞在し初恋の神社と云う、牧水19才。
「水草」
都内の河川や用水等、生活排水などで汚染させたり、河床をコンクリート張りになるなど水草の生育に適さなくなっています。
多摩川は貴重な川とされています。
ヨシ・スイレン・ホテイアオイ・ワサビ・レンコン・ハス・・・・・。
水草には、綺麗な水を好むもの・多少汚れた水でも育つもの(ワサビ・ミズニラ・ミクリ・ナガエクリ・アイノコイトモ・オオカナダモ等)
水草も沈水性植物・浮葉性植物・抽水性植物と分けられている。沈水ーエビモ・コカナダモ・オオカナダモ・ヤナギモなど。
浮葉ースイレン・ハス・ウキクサ・ホテイアなど。
抽水ーオランダガラシ(クレソン)・ガマ・ヨシ・ワサビ・イネ等。
役割は、魚や昆虫が、卵を産み付ける場所で、大きな魚等の攻撃から守っています。
第三京浜と環八の角に「玉川野毛町公園」。
そこに、9mの高さの「大塚古墳」ー大きさ直径66m、南関東最大円墳がある。この古墳明治30年発掘されている。
円筒埴輪・直刀・刀子玉類など多数出土品があった。(上野博物館収蔵)
野毛山古墳群のこの地域は、古墳が多く、縄文時代の竪穴式住居跡もハッキリした形で見つかっていると云う。古代人と多摩川と野毛山の生活は?
大田区田園調布から世田谷区野毛1帯には、約20基の古墳が残されている。
等々力渓谷から八幡塚古墳・天慶塚古墳・西岡古墳・16号~35号・宝菜山古墳・観音塚古墳・亀甲山古墳・多摩川台古墳と古墳展示場がある。
東急田園都市線・大井町線の「二子玉川駅」
世田谷区の南西に位置、北に緩やかな丘陵、南に多摩川を抱える区域で自然環境が残されているが、最近は、住宅地を中心とした街が形成されている。
二子玉川駅近辺は、駅前から、商業施設が建ち並んでいる。
駅の東側を中心に再開発が進められ、2011年には大型商業施設である二子玉川ライズショッピングセンターが開業され、賑わいを見せている。
今後、映画館などができる予定である。「フタコ」、「ニコタマ」という愛称で呼ばれている。
二子玉川の街は元々、江戸時代にこの地に存在した渡し船(「二子の渡し」)により地域一体が栄えた事に始まり、後に世田谷随一の歓楽街、
東京有数の行楽地へと変貌していったという歴史を持つ。
自由が丘、下北沢、三軒茶屋と並び、世田谷区の「広域生活拠点」に位置づけられ、比較的豊かな自然環境をベースに住宅街及び商業地帯を発展させた
区域として成長している。
等々力渓谷の谷沢川も多摩川へ
「二子玉川」の名は、かつて多摩川を挟んで川崎市側に存在した「二子村」と世田谷区側の「玉川村」に由来すると言われている。
同地付近にあった「二子の渡し」にも深い関連がある。
町名は当時同地にあった二子塚古墳に因んで大井町線(現:東急大井町線)開業時に目黒蒲田電鉄が名付けたと云う。
多摩堤通りに旧巨人軍グランドが
二子玉川の周辺には、
多摩川とその河川敷、さらに生活圏内には砧公園や等々力渓谷など、都会では貴重な自然が比較的多く残っている。
コイやナマズといった淡水魚、鴨や白鷺といった鳥類の姿も見られる。緑地には運動場のほか整地されていない原野(原っぱ)もある。
特に河原にある兵庫島公園周辺にはそのような緑地が多い。釣りも楽しめるので釣り人の姿もある。
玉川浄水場は環8通りに
「兵庫島公園」
多摩川と野川の合流部に位置する「兵庫島」を基に作られた公園。
現代「兵庫島」を含めて公園は、島ではない。上流側は新二子橋の下を境に同じく河川敷にある二子玉川緑地と接している。
1988年に「兵庫島河川公園」として整備し、現在は「兵庫島公園」に。
園内には「兵庫島」が丘として残っており、「兵庫島」を中心として木々が生い茂り武蔵野の緑を今に残している。
「兵庫島」の上流側には、開放的な芝生広場もある。 また、三方を多摩川・野川に接している他、公園内中央には人造の池「兵庫池」。
上流側からは「ひょうたん池」に注ぎこむ人造の小川が整備されており、水に親しみやすい公園である。
多摩川は「あばれ川」と称されるほどの川であり、現在も公園付近は川の流れが狭く蛇行していることもあって、公園付近の水の流れは急であり水深も比較的深い。そのため、この公園付近の多摩川では水死事故が度々発生している。
兵庫島から多摩川を望んだ時に広がる風景は人気。
「世田谷区三軒茶屋」
文字どうり三軒の茶屋が、3軒の茶屋から始まった。世田谷通りと玉川通り交差点に江戸時代「田中屋」「角屋」「信楽」の休み茶屋で、
相模大山詣り参拝客で賑わったと云う。
坂本龍馬が信楽に泊ったと云う話が残っている。昔の茶屋は、二階に座敷もあった。
昔懐かし、玉電が走っていた三軒茶屋、今は、地下鉄に。
郊外のショッピングタウンが形成された「二子玉川駅」に変貌していた。
私鉄小田急ー登戸・和泉多摩川間多摩川陸橋車中から
次回は、羽田方面へ。