syuの日記・気まま旅

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日暮里・幸田露伴と 谷中霊園

2017-11-12 | syu散歩

昭和4年、田河水疱は、「目玉のチビちゃん」連載開始と前後して結婚。連載終了後、「のらくろ」の執筆に取り掛かる。
執筆のきっかけは、結婚後犬を飼い始めた事によりと云う。
昔写生中に見た陽気な真っ黒な犬を思い出し、あの犬が今どうなっているか気になったので描いてみたと、軍隊にすることにより、自らの徴兵時代を反映させる事が可能になり、独特の世界観を作り上げていった。
主人公の階級が上がるたびにタイトルが変わっていくという実験的な作品、爆発的な人気を得ていく。
戦前としては異例の長期連載・のらくろグッズが市場に溢れることになり、日本で初めて漫画のキャラクターが商業的に確立した作品。
昭和16年、に打ち切られるものの、その影響力は凄まじい。
戦後は「のらくろ」の執筆を再開する一方、落語の執筆も再開、笑いの研究に取り掛かる。
漫画以外の書籍が増え、文化人的な存在へと変わっていく。
昭和44年、紫綬褒章を受章。同年、山野を買い取り、それを宅地分譲しながら教育を始めたことで知られる玉川学園八丁目に移住。
小田急線を挟んで、南北反対側の高丘の上に居を構えた遠藤周作と並んで、玉川学園という住宅地の代表的な文化人のひとりと云う。
後半生は、クリスチャンで、長谷川町子が内弟子になったときにクリスチャンである長谷川に夫妻で付き添って自宅の隣にあった教会に通ったところ、長谷川が実家に戻った後も妻は教会に通い続けて洗礼を受け、戦後、水泡も洗礼を受けることに、死後に妻が出した「のらくろ一代記 田河水泡自叙伝」(1991年)入信の理由は何度も失敗してきた禁酒を今度こそ成功させるために信仰の力を借りようというものだったとされる。
代表作「のらくろ」が戦前の作品であるせいで、昭和の終わりごろにはすでに物故者と勘違いされることが多く、新聞記事等で「故・田河水泡」と誤って表記される事件が何度も起こったと云う。
平成元年12月、肝臓癌のため逝去した。90歳没。
平成10年、に水泡の遺族は、水泡の遺品を生地の隣区である江東区に寄贈し、公益財団法人江東区文化コミュニティ財団が運営する「森下文化センター」1階を、水泡の常設展示館「田河水泡・のらくろ館」として、ここで常設展示されている。

水疱の叔父・高見澤遠治 1890(明治23)年ー1927(昭和2)は、
太平洋画会研究所で油絵を学ぶ。破れた喜多川歌麿の絵を独力で修復し、浮世絵の直しに関心をもつ。
その後、浮世絵と南蛮美術の研究家だった弟が兄の遺志を継ぎ、戦後に「高見澤木版研究所」の名前で浮世絵の復刻版を刊行。

                     日暮里駅・舎人ライナー入口


            大田道灌銅像  日暮里は、江戸城から見ても重要の位置


「朝倉彫塑館」
鉄筋コンクリート作りの旧アトリエ部分と、丸太と竹をモチーフにした数寄屋造りの旧住居部分からなり、その和洋折衷の特異な建築は朝倉文夫本人が自ら設計し、その意向が強く生かされていると云う。
展示室は、彫塑作品を展示する旧アトリエ部分を中心にして、遺品や蔵書を納めた書斎、コレクション品などを収めた応接室等があり、他にも掛軸、陶磁器など朝倉文夫のコレクションを展示。
東洋ランの温室であったサンルームは「猫の間」とよばれ、朝倉の愛した猫をモチーフにした作品が一堂に会している。
庭園は、中庭の池を中心とした日本庭園と、大きなオリーブの樹が印象的な屋上菜園である。
池は谷中の湧水を利用しており、四季折々必ず白い花をつける木が植えられ、儒教の五常「仁・義・礼・智・心」を造形化した5つの巨石が配された
ユニークな造園様式。
最初の屋上緑化ともいえるその菜園は自然に触れることを芸術の基本と考えていた朝倉文夫の理念そのもので、大根やトマト、東洋ラン等が育てられていたと云う。
        彫刻家朝倉文雄旧宅玄関(出入りはここの玄関であったと云う)


                    アトリエでは、「猫百態」開催中



「幸田露伴」 1867-1947 随筆家・小説家・考証家ー下谷生まれ。文学博士・1937年第一回文化勲章受章。

           風流仏・五重塔・頼朝・運命・芭蕉七部集・一国の首都・長語など。


              幸田露伴旧宅ーここで「五重塔」の作品を


「田河水疱」 1899-1909 漫画家・落語作家ー墨田区生まれ
「のらくろ軍曹」の漫画でよく知られている。
朝鮮・満州にて軍隊生活、大正11年除隊後、日本美術学校入学した。
兄は、漫画本や連載新聞漫画を切る抜き集めていた影響で、よく見ていたのと「兵隊ごっこ」が流行っていた。

                    勲四等旭日小綬章


                     田河水疱旧宅の玄関


                     谷中の昔ながらの長屋


「谷中霊園」
明治5年、徳川家の墓地と天王寺境内。

     岡倉天心・鳩山一郎・朝倉文雄等多数の墓地がある。桜並木で知られている。


                        高橋お伝の墓


                       川上音二郎の墓


「徳川慶喜」 1837-1913 15代将軍(水戸斉昭の7男)・大政奉還。

                         慶喜の墓



          昭和32年放火で焼失した。(幸田露伴のモデルの五重塔はここにあった)




「天王寺」
江戸時代の落語講談に出てくる「富くじ」で有名な寺。




                本殿