syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
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お酉さまと下町 昔の銭湯 今の銭湯

2018-05-16 | syu散歩
「隅田川・大川」
向島 白髭橋から大川を東京湾に下ってみよう。
桜橋・言問橋・吾妻橋・駒形橋・厩橋・蔵前橋・両国橋・新大橋・清洲橋・永代橋・佃橋・勝鬨橋・江戸の東側を流れる大川(隅田川)花火・花見・舟遊びと川上・川下と江戸のハゼ釣りと天ぷらでほろ酔いに・・・。
清洲橋からご案内。
日本橋川から首都高速が、日本橋蛎殻町には、安産の水天宮、新大橋通りの「新大橋」を潜ると浜町公園、ここには昔元吉原・玄冶店・芝居小屋の
中村座、市村座が、今でも残る、甘酒屋、人形店、今は、明治座が清洲橋通りのビルの中にある。
右を見れば桜の木が点在、あ、浜町河岸通りに芸者さんが歩いてる。
「両国橋」、ここは、吉良邸跡と回向院、両国駅、総武線ガードを潜ると国技館その奥に江戸博物館、旧安田庭園、復興記念館、左に浅草御蔵で、
前に見えるのが「蔵前橋」・右は横綱町、蔵前に架かる橋が「厩橋」、すぐにドジョウ料理の「駒形橋」右に見えてきたビルがアサヒビール左が松屋デパート、浅草寺の雷門、東武線浅草駅、水上バス駅・吾妻橋、東京大空襲時この橋で沢山亡くなっている。
東武線ガード下を潜ると「言問橋」、右に墨田区・隅田公園、牛島神社・左が花川戸、東大ー谷中ー下谷ー業平の言問通り。
X型の「桜橋」が、この辺が向島墨堤の花見と団子、桜かしわ饅頭、長命寺、弘福寺・右に待乳山聖天と今戸。
大きな橋が明治通りに架かる「白髭橋」、右に向島の百花園がある。
大川を漕ぎ出して、もう1時間以上。この先の水神大橋で下船としようか。

                          昔ながらの銭湯


                          今風の銭湯


「鷲 神社」 千束に鎮座。
                    祭神ー天日鷲命 開運の神、 


酉の市で親しまれ、年末熊手を求めて混雑する。地下鉄日比谷線「三ノ輪駅」南約1300m。酉の市は、三ノ輪駅から並ぶ。

             元は、足立区の大鷲神社を隣の長国寺が勧請したと伝わる。


                         社殿


「樋口一葉」 1872-96 小説家  東京生まれ、24歳で没。
下谷池之端の私立青海学校高等科首席で卒業している。1886年歌人「中島歌子」弟子入りし和歌を学ぶ、和歌・書道・古典と学んだ。
父死後一家を支え、生活の為、同門「田辺花圃」に刺激を受け小説を書く、処女作「闇桜」「うもれ木」生活は苦しく本郷から下谷龍泉寺へ移りおもちゃの小店をひらいた。
そこで、「たけくらべ・にごりえ・十三夜」の秀作を発表した。

                      一葉の文学碑 (神社境内に)                          


                        玉梓の碑


千束通り 、 浅草3-10 浅草5-72・8 馬道通り、 浅草1-1 浅草6-47・ 土手通り、浅草5-70 日本堤2-39・ かっぱ橋本通り 、 東上野4-27 西浅草3-1・ 一葉桜・小松橋通り、 浅草4-31 浅草6-36・ 奥浅草寺町、 今戸2-39 橋場1-2・ 金美館通り、入谷1-18 千束2-25
入谷口通り、 上野7-1 下谷2-11・ 動物園通り、 上野2-14 池之端4-16 ・「花園通り」、 浅草4-27 千束4-1・ 地方橋通り 、東浅草・ 東浅草・

                        旧吉原 花園通り


            樋口一葉記念館、鷲神社は、竜泉寺と呼んでいた。


「池波正太郎」 1923ー1990 浅草生まれ、67歳没。
剣客商売、真田太平記など時代小説、長谷川伸の門下、新国劇脚本・歴史小説作家。
「鬼平犯科帳・剣客商売・仕掛人・藤枝梅安・真田太平記など、
戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家としても著名であった。

                   正太郎と浅草


                   正太郎、生誕の地


「待乳山聖天」山号ー待乳山本龍院、浅草寺の子院。

                  地下鉄浅草駅から北・浅草寺の裏手


開基は古く推古天皇(592-628)と伝わる。推古天皇は、我が国の最初の女帝、33代天皇で聖徳太子仏教興隆に努めた。晩年に馬子と対立。

                   聖観音宗の寺  境内 舞殿


                夫婦和合「歓喜天」災難除けに大根を供える。


                大根祭りで知られている   本堂


「今戸橋跡」
台東区の北東部・隅田川西岸で、現在靴・皮革加工の工場が多い。その南部は、隅田川に流れ込む「山谷堀」その川を挟んで、浅草・吉原遊郭に
通う舟で賑わったのが「今戸」とその「橋」-「今戸の渡し」と云った。

                    隅田川に一番近い橋


「山谷堀」

「今戸心中」-吉原娼妓との悲恋を描いた(広津柳浪)。
              江戸時代初期に掘られたと思われる


江戸名物に瓦、人形、土風呂などの「今戸焼」の生産でも知れている。(現在は、聞かない)

                       公園内


             山谷堀橋ー紙洗橋ー地方新橋ー地方橋ー日本堤、三ノ輪音無川へ


              ここ、聖天橋ー吉野橋ー正法寺橋ー山谷堀橋


                     渡し 墨田区向島ー吉原、?