syuの日記・気まま旅

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銚子のイワシ漁 飯沼観音

2018-05-30 | 気まま旅

「親潮」-千島列島に沿って南下して日本の東まで達する寒流。
日本の南を流れる黒潮とともに日本近海にみられる代表的な海流・また、海流ではなく、北海道東方や釧路沖、三陸沖などに存在する低温・低塩分で溶存酸素量が多く、 栄養塩に富んだ水を親潮ということもある。
「親潮」の名は、栄養塩が多く、魚類や海藻類を養い育くむ親にあたることに由来すると言われ、 親潮は緑や茶色がかった色をしている。
北太平洋には北と南に大きな二つの循環があり、北側のものは親潮を含むもので、反時計回りに流れていて、亜寒帯循環と呼ばれている。
南側のものは黒潮を含むもので、おおむね北緯40度以南を時計回りに流れていて、亜熱帯循環と呼ばれている。
亜寒帯循環はベーリング海を出ると東カムチャッカ海流として千島列島沿いを南西に流れ、その一部はオホーツク海に入り、オホーツク海を循環してウルップ海峡などから再び太平洋に。
そのとき、千島列島沿いをそのまま南西に流れてきたものと、海水の交換・混合が起こり、親潮が生成されると云う。
「黒潮」-東シナ海を北上してトカラ海峡から太平洋に入り、日本列島の南岸に沿って流れ、房総半島沖を東に流れる海流。
日本近海を流れる代表的な暖流で、日本では日本海流とも呼ぶ。
貧栄養であるためプランクトンの生息数が少なく、透明度は高い。このため、海色は青黒色となり、これが黒潮の名前の由来、南極環流やメキシコ湾流と並んで世界最大規模の海流。

銚子沖は、親潮と黒潮が交わる好漁場で、魚種漁獲高を誇っている。銚子の漁業は、紀州の漁民によって開発され、特に「イワシ漁」が盛んであった。
1658年外川漁港を築港している。
                            JR銚子駅


「銚子大橋」は、千葉県銚子市と茨城県神栖市間 (利根川)。
建設は、2005年 - 2013年で現在には橋は、2代目。形式ー斜張橋および箱桁橋 。

            全長ー1,209.1m・幅11.0m(2車線、歩道部を含む)






「銚子漁業」
元禄期前後に銚子の醤油産業が発展し、1658年には、「崎山次郎右衛門」が外川浦に漁港を開き、外川港の繁栄をもたらした。
利根川は、幾度もの改修工事を経て、1624~1643年、現在の流路に整えられ、江戸を洪水から救うとともに、江戸~銚子間の「利根水運」
が開かれ、東北地方の米などを江戸に運ぶ重要な中継港として発展してきた街。
江戸末期にはイワシの豊漁が続き、「大漁祭」が行われる。



「母子河童」
昔、大新海岸に母子河童が住んでいて、利根川の水運の繁盛と船や河岸で働く人たちを水難から守ってくれたと云う伝説が。

                   母子河童像 平成7年建立他ある。




「浜口吉兵衛」
ヒゲターの「ヤマサ印」・「亀甲萬印」と共に醤油界の地位を確立、
明治後期、中央財界・「矢野恒太」とともに「第一生命」を興し、銚子醤油、「現ヒゲタ醤油」、千葉県水産社長、武総銀行取締役、第一相互貯蓄銀行、
東京護謨工業、第一生命、豊国銀行、利根織物監査役等歴任。
1868年、紀州広村に生まれ、8代目「濱口吉右衛門」の四子。東京帝国大学卒業し、卒業後、兄の「9代目濱口吉右衛門」が、「政界・経済界」で活躍して多忙であった為、しばらくの間、兄を助けて「家業」に、明治25年、「濱口儀兵衛」と共に、海外視察。
儀兵衛から醤油醸造を学だと云う。
                          浜口吉兵衛像


                          水神宮神社


                         永照稲荷大明神


銚子は、日本一早い初日の出・犬吠埼灯台が関東最東端。1月上旬は、大漁を祈願して「乗り初め」。
2・11月には、春と秋「菅原大神」・奉納された約90個の子産石を抱く事ができる。(25日)。
大潮祭は、6月中旬、川口神社・渡海神社の神輿がねり歩く。
8月ー銚子港まつり・利根川河川の花火大会が。
10月「銚子農産・水産祭・11月「黒潮よさこい祭り」などのイベントが。

                      水を祀った神社が多い。     


                         魚の天日干し


                イワシの巻き網漁船、マグロ漁船の大型船が。    


                      魚種・漁獲高全国屈指の港


                      卸売市場 生鮪水揚げ入札風景                    


                     国道356・126号線銚子は交通の要


「飯沼観音」
大仏ー1711年、造立された「一丈七尺(約5.4メートル)の阿弥陀如来座像」
青銅製で、蓮座(ハスの花をかたどった台)には何万もの寄進者の名が刻まれている。膝のところにある数ヶ所の傷は第2次世界大戦時に受けた機銃掃射のあとと云う。
           坂東33観音霊場 第27番札所、本尊は、十一面観世音菩薩(秘仏)。


「ちょうしのかんのんさま」として、信仰と尊崇の念を集めている。毎月18日「縁日」

                          本堂


「五重塔」-平成21年完成
外観は、 木造、朱色塗装・ 屋根は、 銅本葺・薬師如来奉安。

                          総高ー33.55M


「飯沼水準原標石」-利根川や江戸川の河川整備に必要となる水位表記の基となった「水準原標」・保護コンクリート中央の13cm角が水準原標石
1872年、明治政府の招聘により来日した「ドールン」を代表とするオランダ人技師団の一人、「リンド」により設置。
水準測量(高さを測る測量)行う時の原点・利根川、江戸川の水準測量を開始するときにリンドは、
銚子市にある飯沼観音内に設置し、これを基準に飯沼水位尺(量水標)の基本水平面を「J.P」日本水位尺と名付け、ここから、利根川、江戸川の基本水平面の高さや荒川の基本水平面の高さが決まり、現在のそれらの河川における河川計画の基準高となっている。
明治政府は、利根川、江戸川、荒川や信濃川や淀川等の河川を治水(河川の氾濫から町を守ること)や利水(舟運のための運河の建設や農業・工業用水や上水の確保)等の河川改修のため、オランダ人技師を招いた。

                              碑

                              碑


「銚港神社」
飯沼観音に隣接する神社。
祭神ー 闇淤加美神・級津彦神・級津姫神。
創建は、不詳と云う。
古くは龍蔵権現と呼ばれ、神仏混交により円福寺(飯沼観音)とともに信仰されてきた神社で、神仏分離により、明治初期に「銚港神社」となった。

                          鳥居と神木


                       銚子市総社 銚港神社


                            狛犬


                            社殿


JR銚子駅北東約3kmの川口町に鎮座する「川口神社」-祭神 速秋津姫命は、利根川河口に臨む丘上にあり、銚子港へ入る船の目印と守り神。
特に、漁師の信仰を集めた神社。
「大漁節」に歌い込まれいる。伝説に延命姫の歯と櫛を埋めたと云う。

次回も、銚子市内。