東海道五十三次江尻宿
三保半島の南側に広がる松の古木の景勝地。総延長7km、5万4千本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。
三保の松原中央海岸
三保松原は、芸術の源泉の構成遺産の ひとつに登録され、ユネスコに提出した世界文化遺産推薦書を受けた。
構成資産 は羽衣公園付近から真崎までの清水海岸。
世界遺産登録の「松原」
能ー「羽衣」は、1549年 山科言継という京都のお公家様の日記にある。
言継は、三保にもやって来て、「羽衣」ゆかりの松を確かめて、1557年 久能寺から三保に来て「羽衣の松」を見学。
三保の貝島で貝拾い、御穂神社に一泊して宴会、翌朝、船で二里あまりを清見寺へ渡って船上で音曲を楽しんだ。
「羽衣の松」を見た時より、船上の富士の眺めに驚嘆して「遠景、言語に説くべからざるなり」と記録している。
言継卿の見た「羽衣の松」は初代のものと思われ、海中に沈んだと伝えられている。
羽衣伝説を後々まで残すために村の人達が大事に二代三代の松を継承してきた。能の「羽衣」は、今でも人気が高く、全国の能学堂でも上演回数が最も多い。
10月には、三保の松原でも、松前に特設舞台を設置し、薪能「羽衣」が上演される。
羽衣の能 伐採された羽衣の松
三保の松原に舞い降りた天女の羽衣伝説で名高い。境内には羽衣の切れ端、白馬の像が安置されている。
樹齢200~300年の松の並木が500mほど続く「神の道」と呼ばれる参道がある。神の道を進むと、天女が羽衣をかけたとされる樹齢650年の老松、羽衣の松に着くが、その姿は、無い。「羽車神社」で参拝する。
伐採された羽衣の松の横に「羽衣神社」参拝
平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地である。駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。
歌川広重の『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」を始めとする浮世絵にも描かれている。
日本最古の和歌集である『万葉集』に、
廬原乃浄見乃埼乃見穂之浦乃寛見乍物念毛奈信/廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし
(田口益人, 『万葉集』巻3-296)
松原海岸から富士山方面を
松の間に沈む太陽
「御穂神社」は、三保の明神さんと親しまれ、奉納の舞いである「羽衣の舞」は雅楽「東遊び駿河舞」にその原形があると言われ、地元の保存会が伝承している。
天女の羽衣伝説で名高い神社。境内には羽衣の切れ端、白馬の像が安置されている。
松原神の道の入り口神社 鳥居 境内
鬱蒼とした境内内 三保の松原神の道松並木
「清水港」
江戸時代まで戦国時代に駿河の今川氏領国を経て、甲斐国武田氏によって
駿河が領国化されると、武田氏の水軍基地になり、江戸時代には江尻に東海道江尻宿が置かれる一方、清水港は駿府(現在の静岡駅周辺)の外港として機能し、江戸への中継基地として富士川舟運を通じた信濃・甲斐方面からの廻米輸送で賑わっていた。
清水と云えば清水港 港から富士山が美しい、今日は薄曇り
「有度丘陵・日本平」は、丘陵は駿河湾沿いにあり、最高地点は有度山の標高308メートル。
広葉樹林が多く、茶畑やミカン畑も広がる。この丘陵は撓曲によってできたもので、過去10万年間で300mも隆起しており、これは日本でも有数の激しい
地殻変動である。丘陵の西から北縁にかけては活断層が走っている。
丘陵は眺望に優れ、1959年には「日本平」として国の名勝に指定された。
1980年の日本観光地百選コンクールでは第1位となった。頂上付近からは富士山や伊豆半島が駿河湾越しに見え、北には赤石山脈も見える。
眼下には清水区の街並みと清水港が広がり、夜景のスポットにもなっている。
「日本平ロープウェイ」は、名勝「日本平」の山頂と徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」を5分間で結んでいる索道である。
ゴンドラから四季折々姿を変える屏風谷、駿河湾から遠く伊豆半島、御前崎を望みながら全長1065mの空中遊覧が楽しめる。
日本平から下界を 放送アンテナ
次回は、富士川街道に戻ります。
三保半島の南側に広がる松の古木の景勝地。総延長7km、5万4千本の松林が生い茂る海浜と、駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。
三保の松原中央海岸
三保松原は、芸術の源泉の構成遺産の ひとつに登録され、ユネスコに提出した世界文化遺産推薦書を受けた。
構成資産 は羽衣公園付近から真崎までの清水海岸。
世界遺産登録の「松原」
能ー「羽衣」は、1549年 山科言継という京都のお公家様の日記にある。
言継は、三保にもやって来て、「羽衣」ゆかりの松を確かめて、1557年 久能寺から三保に来て「羽衣の松」を見学。
三保の貝島で貝拾い、御穂神社に一泊して宴会、翌朝、船で二里あまりを清見寺へ渡って船上で音曲を楽しんだ。
「羽衣の松」を見た時より、船上の富士の眺めに驚嘆して「遠景、言語に説くべからざるなり」と記録している。
言継卿の見た「羽衣の松」は初代のものと思われ、海中に沈んだと伝えられている。
羽衣伝説を後々まで残すために村の人達が大事に二代三代の松を継承してきた。能の「羽衣」は、今でも人気が高く、全国の能学堂でも上演回数が最も多い。
10月には、三保の松原でも、松前に特設舞台を設置し、薪能「羽衣」が上演される。
羽衣の能 伐採された羽衣の松
三保の松原に舞い降りた天女の羽衣伝説で名高い。境内には羽衣の切れ端、白馬の像が安置されている。
樹齢200~300年の松の並木が500mほど続く「神の道」と呼ばれる参道がある。神の道を進むと、天女が羽衣をかけたとされる樹齢650年の老松、羽衣の松に着くが、その姿は、無い。「羽車神社」で参拝する。
伐採された羽衣の松の横に「羽衣神社」参拝
平安時代から親しまれている三保半島の東側に広がる景勝地である。駿河湾を挟んで望む富士山や伊豆半島の美しい眺めで有名。
歌川広重の『六十余州名所図会』「駿河 三保のまつ原」を始めとする浮世絵にも描かれている。
日本最古の和歌集である『万葉集』に、
廬原乃浄見乃埼乃見穂之浦乃寛見乍物念毛奈信/廬原の清見の崎の三保の浦のゆたけき見つつ物思ひもなし
(田口益人, 『万葉集』巻3-296)
松原海岸から富士山方面を
松の間に沈む太陽
「御穂神社」は、三保の明神さんと親しまれ、奉納の舞いである「羽衣の舞」は雅楽「東遊び駿河舞」にその原形があると言われ、地元の保存会が伝承している。
天女の羽衣伝説で名高い神社。境内には羽衣の切れ端、白馬の像が安置されている。
松原神の道の入り口神社 鳥居 境内
鬱蒼とした境内内 三保の松原神の道松並木
「清水港」
江戸時代まで戦国時代に駿河の今川氏領国を経て、甲斐国武田氏によって
駿河が領国化されると、武田氏の水軍基地になり、江戸時代には江尻に東海道江尻宿が置かれる一方、清水港は駿府(現在の静岡駅周辺)の外港として機能し、江戸への中継基地として富士川舟運を通じた信濃・甲斐方面からの廻米輸送で賑わっていた。
清水と云えば清水港 港から富士山が美しい、今日は薄曇り
「有度丘陵・日本平」は、丘陵は駿河湾沿いにあり、最高地点は有度山の標高308メートル。
広葉樹林が多く、茶畑やミカン畑も広がる。この丘陵は撓曲によってできたもので、過去10万年間で300mも隆起しており、これは日本でも有数の激しい
地殻変動である。丘陵の西から北縁にかけては活断層が走っている。
丘陵は眺望に優れ、1959年には「日本平」として国の名勝に指定された。
1980年の日本観光地百選コンクールでは第1位となった。頂上付近からは富士山や伊豆半島が駿河湾越しに見え、北には赤石山脈も見える。
眼下には清水区の街並みと清水港が広がり、夜景のスポットにもなっている。
「日本平ロープウェイ」は、名勝「日本平」の山頂と徳川家康ゆかりの史跡「久能山東照宮」を5分間で結んでいる索道である。
ゴンドラから四季折々姿を変える屏風谷、駿河湾から遠く伊豆半島、御前崎を望みながら全長1065mの空中遊覧が楽しめる。
日本平から下界を 放送アンテナ
次回は、富士川街道に戻ります。