まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

それはベンチの片隅で冷たくなったわたしのぬけがら/J-POP論・POP詩の宇宙

2017-03-20 07:42:21 | J-POP論/POP詩の宇宙

いま昭和歌謡が大ブームだという。10代の高校生がレコード店に70年代や80年代のアイドルソングを求めて群がっている。演歌など歌謡曲の世界では他人の曲あるいは過去の名曲を歌うことは日常茶飯事のことである。オリジナル曲に恵まれなくとも、カバー曲によって思わぬ才能を見出されることもある。1980年前後から日本発信文化として全世界に拡大した【カラオケ文化】は、ますますそのことを強調した。ここに『アカシアの雨が止むとき』という有名な曲がある。1960年4月に発売された西田佐知子の名曲だが、60年安保闘争というわが国の戦後の分岐点となった巨大な歴史の流れと人間の運命をわずか数分の歌唱で人々の前に顕にした。それ以後、半世紀にわたって多くの演歌の天才たちに歌われ、その世界を深めていったのだろう。今しがたYOU TUBEで1971年という時点で歌われた野路由紀子のカバーを発見した。1960年の原曲と1971年のカバーの間の断絶は、後世の人間には決して計り知ることの不可能な飛躍を示していよう。そのあまりにあからさまな突出の仕方はこの表現自体の製作者にでも聞き質さなければ永遠の謎に終わってしまうだろう。残る方法は、わたしを含め2017年3月20日の現在を生きる者の感性で撹拌して、自身の記憶の奥深く止めて置く他に途はない。この時、確かにこの曲を聴いたのだと。・・・《続く》

 
アカシアの雨が止むとき
青空さして鳩がとぶ
むらさきの 羽の色
それはベンチの片隅で
冷たくなった わたしのぬけがら
あの人をさがして
遥かに 飛び立つ影よ
(詞 水木かおる)
 
 イメージ 1
 
野路由紀子 『アカシアの雨が止むとき』  カバー 原曲 西田佐知子 1960・4