まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

人工の滝/新雑句雑感(199)~プロローグ5の終わり

2017-03-31 17:48:04 | 新雑句雑感

孤独死は避けて通れず初桜  初桜それ見たことか生きてゐる  ベンチ濡れ心も濡れて初桜  人工の滝とはこれか初桜  空の木と呼ばれ幾年初ざくら(東京スカイツリー4周年)  合格は一校も無し初ざくら  親不孝通り復活す初ざくら(福岡市)  時雨とは誰かの異名初桜  海老蔵を殴りに殴る初桜   芭蕉杖偽装と知らず初桜  あきらめましたあなたのことを初桜(研ナオコ「カモメはカモメ」)  何度でも手のひら地蔵初ざくら  教科書より俳句消ゆる日初桜  発句とは絶望の詩型初桜  寒暖差応える齢ひ初ざくら  まるまると太りし土鳩初桜  一分二分ピタリと止まる初桜  空缶が視界に溢れ初桜  昭江シンドロームって何初桜  

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【俳句の此岸】70年代のアンニュイ感を断ち切ったもの/私とは誰か~プレおたく世代の現在(19)

2017-03-31 04:15:55 | エッセー・評論

私の1979年は終った。都心のマンションから再び中央線沿線の中心の吉祥寺に舞い戻っていた。長兄がこのエリアの大学に通っていた関係で、70年代を通じて兄のアパートを中心に何度か転居を繰り返していたが、この時の帰還場所は市内でも北端のこれまでで最も外れにあった。79年いっぱいで音楽の世界からキッパリと離れ、1980年の直中にいた。その前に、1979年のいつ頃だったか、角川春樹さんの【河新人会】の月例句会に参加した。60年代の終りのラジオの深夜放送ブームをリードした、ニッポン放送【オールナイトニッポン】の中に【角川春樹の俳句教室】を発見し、生まれて初めて俳句を作った。その時の入選が縁で俳句結社「河」に入会した。その連絡先となっていた角川書店の総務部に電話してみると、角川春樹事務所を紹介され、早速入会手続きのため訪問した。当時、ホテルニューオオタニの前のオフィスビル(地階にクラシックの紀尾井ホール)の中にあり、映画製作の専門オフィスとなっていた。その際、応対していただいたのが俳人の吉田鴻司さんであった。これが私の正真正銘の俳句との邂逅であった。1979年という年の一部は、確実に俳句で占められていた。俳句との初発の関わりに入る前に、私の1970年代の終焉についてもう一度振り返ってみる。私はこの時代の最後の年に何かを始めてゆくとば口に立っていた。にもかかわらず、あと一歩を踏み出せず、全てがご破算に帰してしまったのは、この時代の【空虚】との親密さを手放せなかったためとも言える。70年安保とカウンターカルチャーという巨大な時代の勃興と消滅の渦中に身を置き、結局、人間は何も生み出すことが出来なかったのだというアンニュイ感に浸り切ることはある種の快感でもあったのかもしれない。しかし、1980年代という時代の恐ろしいほどの空白感は、70年代の前時代の消滅という【空虚】をアッサリと乗り越えていた。それは、後にも先にも文字通り何も無い【空無】とでも言うしかないようなものだった。・・・《続く》 

  空也忌の亡者が人に席ゆずる     まほろば  【塚本邦雄選】 

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