まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

闘いの痕跡/新雑句雑感(198)~プロローグ5の終わり

2017-03-30 15:54:40 | 新雑句雑感

闘いの痕跡探し鳥雲に  季感とは空無の証し鳥雲に  昏睡の四十六年鳥雲に  やがて死にやがて生まるる鳥雲に  母のゐた空の温もり鳥雲に  難産の子が見た世界鳥雲に  東京に行きて帰らぬ鳥雲に  パソコンの不調いつから鳥雲に  眼に見えて俳句上達鳥雲に  元ちとせのワダツミの木またも鳥雲に  死後の世界まだ見当たらず鳥雲に  船団でますます下手に鳥雲に(坪内稔典編集・発行)  嘘偽りはなから無くて鳥雲に  春樹選の無季20句鳥雲に  「過渡の詩」に誤植が一つ鳥雲に(ヤフオクで落札)  ベニスに死すは三鬼のことか鳥雲に(改作)  グリニッジ標準時とも鳥雲に  父死後の空の明るさ鳥雲に  全宇宙ペンダントとあり鳥雲に(フェニックスパワー研究所)  

 

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OKINAWA‘S MUSIC  童神・安里屋ユンタ他

https://www.youtube.com/watch?v=hFZPqpzy36w&feature=player_embedded#t=16


ニッポン放送『角川春樹の俳句教室』/新俳句入門(2)

2017-03-30 13:38:28 | 新俳句入門

春日向風紋のしみ散乱す   まほろば   1979

最初の俳句入門は1979年であった。70年代の前半に大学入学のため上京し、一通りのことをやったが卒業・就職の機会を逸し、宙に浮いた状態にあった。今で言うニートである。学部は経済学部だったが、毎晩の古書店通いの中で目に付くものは文学と政治に限られていた。政治は70年安保の残滓に過ぎず、結局のところより精神に近い文学に集中していた。私は70年安保に間に合わなかった世代だが、当の70年安保(団塊)世代の書いたものが一挙に世の中に出始めていた。村上龍・春樹の両者ものなどである。吉本隆明の評論集も70年安保直後までの情況論や共同幻想論などの政治論から【マスイメージ論】などの70年代の文化状況(ニューミュージックのPOP詩など)に関するものが目に止まった。昼夜逆転の渦中で、夜な夜な古書店とジャズ喫茶通いが続いたが、ある深夜の【オールナイトニッポン】で角川春樹氏が15分ほどの俳句コーナーをやっていた。私は何某かの現代詩は書いていたので、すぐにいくつかの季語を選択し、受験国語に出ていた芭蕉や子規の例句にならって数句ものにして応募してみた。するとすぐに入選し、賞品の角川書店の新刊本が送られて来た。その中に角川氏が副主宰を務める俳句結社誌『河』への入選句(掲句)の掲載号と新人句会の案内が同封されていた。・・・《続く》


納税義務(原則・免除)/消費税法を学ぶ(1)

2017-03-30 12:44:50 | 消費税法を学ぶ

Ⅰ 原則

1.国内取引  事業者は、国内において行った課税資産の譲渡等(特定資産の譲渡等を除く)及び特定課税仕入れにつき、消費税を納める義務がある。

2.輸入取引  外国貨物を保税地域から引き取る者は、課税貨物につき、消費税を納める義務がある。

 

Ⅱ 免除

1.基準期間

  個人事業者  その年の前々年

  法人       その事業年度の前々事業年度(その前々事業年度が1年未満の場合は、その事業年度開始の日の2年前の日の前日か     ら1年を経過する日までの間に開始した各事業年度を合わせた期間) 

2.基準期間における課税売上高

  (1)個人事業者及び基準期間が1年である法人

     基準期間における課税売上高=課税資産の譲渡等の対価の額の合計額ー売上げに係る税抜対価の返還等の金額の合計額

  (2)基準期間が1年でない法人

     基準期間における課税売上高=上記(1)の残額×12/基準期間の月数(暦に従い、1月未満は1月)

3.納税義務の判定

   事業者のうち、その課税期間に係る基準期間のにおける課税売上高が1,000万円以下である者については、国内取引の納税義務者の原則の規定にかかわらず、その課税期間中に国内において行った課税資産の譲渡等及び特定課税仕入れにつき、消費税を納める義務を免除する。

   ただし、別段の定めがある場合は、この限りではない。

  (1)基準期間における課税売上高>1,000万円【超】   ∴ 納税義務あり

  (2)基準期間における課税売上高≦1,000万円      ∴ 納税義務なし

 

 

 

 


【形式と思想】酷烈なる精神は俳句批判を回避した/坪内稔典を読む(1)

2017-03-30 11:06:41 | エッセー・評論

西東三鬼は、昭和23年一月の「天狼」創刊号【現代俳句の大道であり、又それを向上推進せしめる力ー三鬼】に評論『酷烈なる精神』を書いた。

「今日の俳句は如何にあるべきか」という問題の答えは、俳句というものに対する俳人の態度にある。俳句否定論に返答するためには、従来の【甘い態度】を反省しなければならない。一は詩型への甘え、二は技術への甘え、三は季節への甘え、四は分野への甘えである。俳句は、もともと、酷烈・冷厳な現実表現の場であって、甘えを拒否するものである。冷徹に酷烈に現実に切り込むのが俳句に志す者の宿命である。そして、辛うじて現実の中枢に触れ表現得た時、それが初めて慰楽となるのである。俳句精神の酷烈とは、万象に立ち向かう作家の態度として真実に観入しなければ止まずとする、執拗に食い下がって放さない精神である。

おおむね以上のことを三鬼は述べたが、俳句はなぜ酷烈・冷厳な現実表現の場なのか、あるいはまた、現実に触れるとはどういうことか、こういう肝心の点が曖昧であることがわかる。三鬼の言う甘えを拒否することはどういうことかを丁寧にみてみる。・・・《続く》

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野路由紀子 『アカシアの雨がやむとき』 カバー 1970年代版

https://www.youtube.com/watch?v=aqp0yw_zuSs&feature=player_embedded#t=4