まほろば俳句日記

毎日見たこと聞いたこと感じたことを俳句にします。JーPOP論にチャレンジ。その他評論・エッセー、学習ノート。競馬も。

村上春樹のノルウェーの森青き踏む/新雑句雑感(194)~プロローグ5の終わり

2017-03-25 07:38:06 | 新雑句雑感

青き踏むなぜか心の痛みだす  青き踏むニート暮らしは過去のこと  結社など辞めてしまえと青き踏む  青き踏む七十年安保間に合はず  タワーよりツリーの高さ青き踏む  青き踏む新宿西口地下広場(現在は通路)  江ノ島の橋ながきこと青き踏む  さびしんぼいつまで続く青き踏む  スニーカー踵は踏まず青き踏む  青き踏むとは故郷を出でしとき  三内丸山テーマパークに青き踏む  晩年を信じられずに青き踏む  エヴァンゲリオン私はどれか青き踏む  「モーロクのすすめ」を拒否す青き踏む(坪内稔典最新刊)  杖つけば老人の空青き踏む  両面コピー洩れ裏紙に青き踏む  戦争デマ流す愚かさ青き踏む  村上春樹のノルウェーの森青き踏む


【俳句の此岸】追い討ちをかけてくる巨大な空虚/私とは誰か~プレおたく世代の現在(17)

2017-03-25 05:39:50 | エッセー・評論

涅槃会の巨大な空虚頓挫せり   まほろば

1980年を前にして、私の新時代への参入は頓挫した。70年代後半の変化は凄まじく、70年前後の余波を一掃しようと躍起になっているかのように見えるほどであった。あの時代は一時の夢であり、一日も早くそれを払拭しないと先へ進めないといった風潮が世界を蔽い尽していた。70年代後半のとば口にあって、突然巻き起こった【パンク・ニューウェイブ】旋風は60年代末の世界的ムーブメントの残滓を指の先ほども受け入れようとしなかった。私自身に対しても、まだやってるの、暗い、勝てなかったじゃない・・などと嘲笑の的になるだけだった。決して私自身がやったわけでもないのにである。私たちはやりたくても、もうどこにもやる場所は無かった。それを説明してもおなじことだった。もう何もかもが遅すぎたのだ。追い討ちを駆けるように、そんな私には、わずか5歳ほどの違いしかない彼らの目指すものが理解出来なかった。と言うより、彼らには目標というものは最初から何も無く、ただ身近に迫りつつあった得体の知れない《空虚》が許せなかったのに違いない。そして、その等身大の《空虚》は次第に巨大化し、個々人にはどうにも手の施しようのないものに変貌し、彼らもまたその渦中に呑み込まれて行った。彼らは、現在50歳代後半になっているはずである。その後、彼らがどこで何をしていたのか全くわからない。もちろん、同世代の我々ポスト70年安保世代【キリギリス】【モラトリアム】たちも雲散霧消していった。・・・《続く》