素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『もしゼロ』『もしゼロ』と自問する

2011年04月03日 | 日記
 3月末に、教育現場の話を聞く機会があった。校長の絶対数が不足していて、市の一般行政職の方から数名、校長に任用されるという話も「・・?・・?」となったが、不登校生徒への対応、生活指導、特別支援、新任教諭への指導、主席などのために授業時間数がゼロないし一桁の教諭が増えているという話にも「???・・・?」となった。

 35年間の教師生活で何に一番こだわってきたのかとたずねられたら「授業」と答える私にとって“授業時間数ゼロ”の学校生活は耐えられないと思うからである。その話を聞いてから『もしゼロ』=「もし私が授業時間数ゼロの学校生活になったら」ということが頭から離れないのである。丹波路や六甲、須磨、神戸を運転している時も、有馬温泉の宿でも今さら考えてもと思いつつ、やはり考えている自分がいた。

 学校の中で一人の教師はいくつかの仕事を受け持たなければいけない。「教科の指導」「学年(学級担任)の仕事」「学校運営(教務、学習指導、進路、生活指導、生徒会、美化等)の仕事」「クラブ指導」の4つが主なもので、私の場合は今並べた順が自分の中で持っている優先順位である。人によってこの優先順位は微妙に違うということは承知している。

 以前、不登校生徒への対応のためにできた担当(名称はよく似たものがあるので忘れてしまった)になった人が浮かない顔をしていたので「授業できないのはさびしいね」と声をかけた。すると「それはどうでもいいのです。」という答えが返ってきた。「ただ、学級担任ができなのがさびしいんです。」という。また、違う人は3年の飛び込みで進路担当となった。「生徒の顔と名前、成績、家庭状況などがしっかり入っていない中での進路担当は大変ですね。」とねぎらうと「1年にもどって、学級担任するよりもずっとましです。」という返事。中には、クラブさえできればあとは何でもいいです。と言い切る人もいる。

 個々の教師が何を優先するかはいろいろであって良いと思う。要はその個々の思いをいかにうまく組み合わせて、学校全体としての力をアップしていくのかということである。これも言うは易し行うは難しである。過去、試行錯誤を繰り返しながら知恵を出しあってきたように思う。昨今のように“学校長の指導力を発揮して”という号令のもと、トップダウン式の校内人事の傾向が強くなっている中で、ミスマッチをできるだけ避けるということができるのかはなはだ心もとない。

 1番の悲劇は「授業をやりたい」と強く思っている人が『授業時間ゼロ』の生活を強いられることである。学校も1つの組織であるから、いつもいつも個人の希望通りにはいかない。しかし、全体のために個人の希望を抑えたならば、次はかなえてもらうというバランス感覚が大切だろう。

 ただ、忘れてはならないのは教諭は教科指導のための免許を持って、赴任しているということである。学力向上を強く叫び、免許更新制度を導入することをしたのなら、免許にのっとり授業することを最優先させることが筋であると思う。支援教育は専門の課程で学んだ人に、不登校への対応は臨床心理士やカウンセラーの専門家、図書、読書に関しては法令どおりに司書教諭を配置するなど“餅は餅屋”的発想が長期的に見て必要ではないのかと考える。

 とは言っても、現実の中で“もし授業時間数ゼロの生活”をしなければならなくなったら、私はどうするだろうか。(今は現実の話ではなく、仮定の話となる分私は幸せであったと言っていいのだが)やはり、教科指導を通してその生徒と接していく道を探るだろう。

 担任をしていた時、クラスに2~3名の不登校生徒を持つことが多い。彼女、彼らにクラスに入ろう的な語りかけは意味をなさない。ケースバイケースで考えていかなくてはいけないが、私は教科指導を通しての関係をつくることを心がけている。会える場合は個人教授になるし、会えない場合は通信教育の形をとる。教室に入れなくてウロウロしている生徒にも、自分のフリーな立場を利用して空き教室で授業を試みる。ウロウロしないようにどこかでは面倒をみておかなければいけないのだから世間話や愚痴話に付き合うよりも生産的である。

 今の学校は外向きの“やってますよ!”アピールの態勢はできているのだが、肝心の中身のほうは人材不足ということになりつつあるのではないかという危惧を持つ。まとまらないが、ここ何日間、つらつら考えたことである。

 

 
 
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