素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『美感遊創』より阿部一郎さんの言葉

2010年03月26日 | 日記
 スッキリ晴れるかと期待していたが、 風は強く冷たいし、にわか雨も降ったりしてもう一つの空模様。もくれんの花が満開である。花がランに似ているので、昔は“木蘭(もくらん)“と呼ばれていたこともあったみたいだが、今日ではランよりもハスの花に似ているとして“木蓮(もくれん)”と呼ばれている。

 花言葉は「自然への愛」「恩恵」

 自然体を基本としているが、4年前からサントリーのDHA&EPA+セサミンEは愛用している。定期的に届けられる時一緒に『美感遊創』という10ページ余りの小誌も入っている。今回の第90号には福島県福島市の郊外にある約5ヘクタールの花見山公園(個人所有)を無料で開放されている2代目園主阿部一郎さん(90歳)への取材が掲載されていた。

 もともと松や栗だけの雑木林であったが、父親がこの山に花を植えようと言ったので、一緒に少しずつ開墾して、桜やもみじなど多くの花木を全体像を描きながら、将来の姿を楽しみに一鍬一鍬いれていったとのこと。いつしか、花を見せてほしいという多くの声が集まりだし、昭和34年(1959)に花見山公園として無料で一般公開されました。

 記者の質問に答えての花山さんの言葉がなかなか味わい深い。


「植物は大事に育てるのが一般的な感覚でしょう。しかし、きれいな花を咲かせるためには、生育の度合いに応じて枝に少し傷を入れるなど、刺激を与えることもあります。
 人間も、苦労から立ち上がった人には味があります。深さがあります。植物も試練にあうことで成長し、太く厚く、たくさんの花をつけるのです。」

「花木農業はいわば生き物との共同生活ですから、ことばはなくても心が通じ合うのでしょう。 1年のうちで、4月の上旬を過ぎた頃に私たちの作業は一段落しますが、虫や病気がつかないように配慮するのは毎日のこと。
  肥料を与えたり、除草したりで花の管理は年中忙しいけれど、育てた花がきれいに咲くことが一番うれしい。花に生かされ、感謝して生きることが私の人生になっているわけです。」

「人間ですから精神的な苦痛を感じる日もあります。そういう中で山に登り、花に浸るうちにおのずと癒されていく。花は心の波風を鎮め、大きな灯りを私ら人間社会に与えてくれていると感じております。(中略)この花たちと一緒に生きることが私の道楽。歳を重ねても花山作りの夢は果てず、夢があるからこそ楽しみがある。それが本当の道楽だと思うのです。」

「花が咲くのはわずか1週間足らずでしょう。1年の大半は自然に耐えながら生きて、そして無心に咲いて人を喜ばせる。無欲の美しさに人生のあり方を教えられます。自然の営みとはまさに、読まざるお経のようなものかもしれません。」
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徒歩圏内の桜・起承転結①

2010年03月25日 | 日記
 一口に桜といっても種類は多く、開花時期も微妙にずれる。
《起》一番先に目を楽しませてくれるのは、妙見口にある『カンヒザクラ(寒緋桜)』

 3月下旬ともなると盛りは過ぎ、ぼちぼち散り始める。

《承》今一番きれいなのは、藤が尾団地の天の川沿いにある『シダレザクラ(枝垂れ桜)』である。

 古来より枚方市、交野市にわたるなだらかな丘陵、交野ヶ原は桜の名所であった。

太平記では『落下の雪にふみまよう交野の春の桜狩り』と記されている。伊勢物語では、鷹狩りに興じる惟喬親王に同行した在原業平は『狩り暮らし 七夕津女に宿からん 天の河原に我は来にけり』と詠んでいる。『あくがれし天の川原と聞くからに昔の波の袖にかかれる』は西行法師の歌。最も有名な歌が新古今集にある藤原俊成の『またや見ん かた野の御野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの』である。

橋本治の桃尻語役“枕草子”を時々つまみ読みしているが、《第五十九段》に出てくる。

川は。  飛鳥川。 大堰(おおい)川。 音無川。 七瀬川。 みみと(地獄耳)川。 玉星川。
 
 細谷川、五貫(いつぬき)川、沢田川なんかは、催馬楽なんかをイメージさせてくれるのよね。 名取川。吉野川。

 天の川原。(“機織女(たなばたおんな)に泊めてもらおう”って業平が詠んでるのも素敵ね)

 
《転》であるソメイヨシノも、ちらほら一分咲き。思いのほかしつこい雨に気温のほうも上がっていないが、来週後半には一気に咲きそろう気配。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなひとり  竹内まりや

2010年03月24日 | 日記
みんなひとり  竹内まりや


竹内まりやのアルバムを聴きながら、ジムでウォーキング&ランニングをする。雨の降り続く外の景色や1Fのプールを眺めながらとりとめのないことを考える。

今日は修業式やなぁ。子どもらも区切りやけど、先生も内示があって、区切りの日やな自分の意志ではどうにもならんから、7~8年になってくると複雑な思いで、この日を迎えとったな。最初の学校では、分離があったので8年目だったし、いろいろな条件考えると分離校への移動やと思っていたら、内示の時校長先生からは別の学校の名前が出て、ビックリしたな。確か転勤者のうち、分離校でなかったのは私を入れて2人やった。ちょっと疎外感を味わったな2校目と3校目の時は、3度目の正直で転勤できたな。結構、気持ちを切り替えるのとどういうスタンスで次の1年を送るかを決めるのに時間が必要やった。とはいっても、1週間後には、新年度のことを決める会議が連続するからゆっくりもできない。こういう時、じぶんの気持ちや立場を理解して、さりげなく声をかけてくれるか、愚痴を聞いてくれる人がいるとうれしい。まして、1年待って、今度こそはと思っていたら、校長先生から「もう1年がんばってもらうことになった。」と言われた時の脱力感は相当やった。このことを2校で経験したから、最後の最後は自分の一番良いと思ったタイミングで、自分で幕を降ろしたかった。という思いもあったのは確か逆のこともあったな。来年、一緒にがんばっていこうと思っていた人が、突然、転勤と決まったりして、描いていた構想がガタガタと崩れ落ちてしまい、途方に暮れれてしまったいずれにしても、ままならぬこの世を思うのが内示の日やった。そういえば、中学の時、深い意味もわからんと歌っとった歌があったな、坂本九やったかな?
        
       金が有るときゃ 暇がない。 暇が有るときゃ 金がない。
           とかく~この世はままならぬ。 愚痴はよそうぜ元気で行こう~
           それがね それが 浮世というものさ。キタサ ホイサッサ~

            花が咲くときゃ~風が吹く。月が出て来りゃ~雲が出る
           とかく~この世はままならぬ。 愚痴はよそうぜ歌でも歌おう~
           それがね それが 浮世というものさ。キタサ ホイサッサ~


みんなで大声張り上げて、馬鹿騒ぎしとったな中学の時は意味のわからんことで盛り上がることがよくあった。


いずれにしても時間は待ってくれない。『やるしかないか!』の連続やったな。“生きがいとしあわせとを、つかみあてるその鍵は、自分の心の姿勢のなかにだけしかない。”           
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

なまこ

2010年03月23日 | 日記
 幾度となく“なまこ”はスライスしてきたが、いつでもまな板の上に横たわっている姿を見ると、「最初に食べた人は誰だろう?」と思ってしまう。無人島に漂着して生きるために追い詰められた人か、逆に美食の限りを尽くし普通のものには飽きた人か、はたまた運悪く勝負に負けた罰ゲームとして食べさせられた人かなどなど・・・グロテスクである。

 小学校低学年の頃、当時伊勢に住んでいた祖母(母方)の家に行った時、歩いて10分ほどの母の知人の家に届け物を持って行くように言われていたので、一人で出かけた。「生ものなのでなるべく早く食べるようにと言ってました。」と伝言を伝えて手渡した。「よく届けてくれた。早速、昼にいただこう、一緒に食べていきなさい。」と歓待された。

 応接間で、家族の人たちに混じってお菓子などを食べていたら、台所から悲鳴。何事かと皆が駆けつけると流しに、3匹のなまこ。魚の類だと思ってビニール袋から取り出し、包んである新聞紙をあけたのでビックリ仰天した始末。スライスして上品に盛り付けられた“なまこ”は見たことあるが、実物は初めて見たらしい。志摩の人間にとってはなまこの姿は珍しくもなく、母としては新鮮で、高級な手土産として奮発したものだった。

 他の人もさわることもできず、ギャーギャーと騒ぐので、なぜか私は悪いことをしたみたいに肩身が狭くなった思いがした。近くの魚屋に調理してもらったのだが、誰も食べることができず、「よく食べるね!」と変なほめられ方をしながら私が食べるはめになった。

 以前、女房の同僚の人がお歳暮で“なまこ”を贈られるのだが、どうすることもできないので我家に回ってくるという恩恵を受けていたこともあった。まぐろ、鯨、いるかなどで国際的にも問題になっているが、食文化というものは長い歴史の中で形成されてきたものでそう簡単には理解、解決できるものではない。

 私は、漁師町浜島の出である父と60歳まで現役の海女であった祖母の影響もあって魚文化になじんできた。肉料理を食べたのは高校を卒業して下宿生活を始めてからである。割と好き嫌いもなく雑食系であるが、今までで1つだけ食べられないものがあった。大学の時下宿で出された“豚足”である。爪のついた足が6本ほど並んでいるのを見た瞬間、食欲はゼロになってしまった。理性ではコントロールできないレベルで、まったく手をつけることができなかった。

 旅をする楽しみの1つに、食文化との出会いがある。それぞれの家、地域、地方、国と本当に豊かに育くまれてきたことを実感している。摩擦ではなく共存の道ができたらいいのにというのが素朴な望みである。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うららかな一日を孫守り

2010年03月22日 | 日記
 昨日とは打って変わって、今日は暖かく穏やかな日である。満開のハクモクレンも昨日は花びらを飛ばされるかと思うほどの強い風だった。今日はホッと一息ついている感じがする。
 娘が決算期で仕事が入ったため今日は一日孫の守りをたのまれた。昨夜から来ているのだが、生活リズムがガラリと変わるので少々疲れる。朝日メイトの会員特典で無料で入園できるので10時過ぎから枚方パークに出かけた。卒園、卒業式も終わり一番ゆっくりできる頃なのか、チケット売り場に列ができていた。何回も行っているが初めての光景だった。

 園内もあちらこちらで行列ができていて、賑わっていた。若いって、エネルギーがあるなぁとつくづく思った。3月13日からイベントホールで京阪電車開業100周年ときかんしゃトーマス65周年を記念して『きかんしゃトーマスとなかまたちソドー島ツアー』を開催していて楽しんでいた。私にとってはなつかしいという感じ。

 飽きることなくスポンジボールを穴に投げ入れていた。他の子たちも同じで結構興奮するみたい。Simple is best!というところか。

 人ごみの中をウロウロするスタミナが無くなってきたことを痛感する。最後はお決まりの大観覧車に乗る。個室と静けさにホッとする。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする