阿蘇は、偉大で尽きることがない。
~” My new Aso”~
まずは参勤交代時の豊後街道・二重峠(ふたえとうげ)の石畳
細川藩は大分の鶴崎に飛び地を持っていて
そこから乗船して瀬戸内海を通り大阪へ。
(豊前街道をのぼり、小倉から乗船するルートもあったようだ。)
有難いことに、だれか草切りしたり燃やしたり。

峠からみあげた雲が秋があかるい 知青

知る人ぞ知る「ラピュタの道」(阿蘇市道狩尾幹線) ↓

舗装してないので車にはちょっと厳しいが、ライダー4人は下りていった。(見つけて!)

少しずれると五岳を望める

やっと出合えたマツムシソウ↓


マツムシソウに心を残しつつ
ミルクロードから国道212号にはいり、「道の駅」小国へ
そこには、旧国鉄宮原線肥後小国駅跡がある。

昭和29年~昭和59年まで(九州で最初の赤字路線廃止)
通勤通学、木材の搬送に、
大分県九重町恵良駅間の26、6㌔を連絡していた。
工期は35年で使用期間が30年!
廃線跡の遊歩道を歩く(線路は撤去してある)

宮原トンネル(電気をつけてから入る) 。

トンネルを抜けてしばらく行くと橋梁の上に出る

民家の脇の土手を下ると
幸野川橋梁を見上げる~まだ曼珠紗華の花・・・


小国の田んぼはもう黄色だった(夕方近いので黒ずんでいるが)。

あるんですねえ~ピンクしかないと思っていたら↓
遊歩道の脇で見つけた白いげんのしょうこ→
釣舟草↓

(花が葉の下につくのがハガクレ釣舟草だそうだ。)
ここまでで遊歩道の約3分の2位。
まだ先はあるが、次回の楽しみに。
北里柴三郎記念館もあるようだ。
~” My new Aso”~
まずは参勤交代時の豊後街道・二重峠(ふたえとうげ)の石畳
細川藩は大分の鶴崎に飛び地を持っていて
そこから乗船して瀬戸内海を通り大阪へ。
(豊前街道をのぼり、小倉から乗船するルートもあったようだ。)
有難いことに、だれか草切りしたり燃やしたり。

峠からみあげた雲が秋があかるい 知青

知る人ぞ知る「ラピュタの道」(阿蘇市道狩尾幹線) ↓

舗装してないので車にはちょっと厳しいが、ライダー4人は下りていった。(見つけて!)

少しずれると五岳を望める

やっと出合えたマツムシソウ↓


マツムシソウに心を残しつつ
ミルクロードから国道212号にはいり、「道の駅」小国へ
そこには、旧国鉄宮原線肥後小国駅跡がある。

昭和29年~昭和59年まで(九州で最初の赤字路線廃止)
通勤通学、木材の搬送に、
大分県九重町恵良駅間の26、6㌔を連絡していた。
工期は35年で使用期間が30年!
廃線跡の遊歩道を歩く(線路は撤去してある)

宮原トンネル(電気をつけてから入る) 。

トンネルを抜けてしばらく行くと橋梁の上に出る

民家の脇の土手を下ると
幸野川橋梁を見上げる~まだ曼珠紗華の花・・・


小国の田んぼはもう黄色だった(夕方近いので黒ずんでいるが)。

あるんですねえ~ピンクしかないと思っていたら↓
遊歩道の脇で見つけた白いげんのしょうこ→

釣舟草↓

(花が葉の下につくのがハガクレ釣舟草だそうだ。)
ここまでで遊歩道の約3分の2位。
まだ先はあるが、次回の楽しみに。
北里柴三郎記念館もあるようだ。