続・知青の丘

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山吹と青柳  織江 市(『We』18号巻頭エッセイより)

2025-02-03 08:57:37 | 俳句
山吹と青柳
  ー光源氏のふたりの正妻に与えられた彩り

               織江 市(山口雪香改め)
 光源氏が生涯の伴侶となる美少女と出会った時、彼女はまだ十歳でした。その若紫巻の描写は、

 人なくてつれづれなれば、夕暮れのいたう霞みたるに紛れて、かの小柴垣のほどに立ち出でたまふ。(中略) ただこの西面にしも、持仏据ゑたてまつりて行ふ。(略)中に、十ばかりにやあらむと見えて、白き衣、山吹などの萎えたる着て走り来たる女子、あまた見えつる子どもに似るべうもあらず。

 物語に初登場のヒロインの衣装は山吹襲。この襲色目山吹の表は薄朽葉、裏は黄朽葉もしくは黄とされます。表裏ともに黄色の色相を少女は作者から与えられています。
 黄色は、古代中国において大地、陽光、太陽を象徴し、日本を含めてひろく東洋全般で帝王の色として庶民禁制の色、紫に次ぐ尊い色彩でした。
 紫式部は、日本と中国の文学文化を詳しく学んだ当時としては稀な女性でしたから、大切なヒロインの衣装選択は、恣意や感性などではなく、物語全体の筋運びとの照応、あるいは人物の象徴と考えたはずです。
 そもそもこの少女は、登場する若紫という巻名からして、藤いろ、紫の衣装をまとって現れてもよかったのでは、と思われます。光源氏の密かな熱愛の対象である藤壺中宮の姪の彼女は、後には紫のゆかり、紫の上と呼ばれるのですから。
 では何故、少女は黄色い山吹襲を着て走り出てきたのでしょう。
 平安時代、衣装などの織物や染物文化は極めて高度に発展しました。現代においてはざっくり十二単と総称される宮廷女性の装束は、季節や行事に合わせて複雑な衣を組み合わせた、数百種類にも及ぶ襲色目、織りや染などの装飾模様の、精細華麗な世界でした。
 主に西洋で近現代に明文化され、整理された色彩学の知識や実践は、既に千年前の平安貴族社会では日常だったのです。おそらく学問などではなく、日常のわきまえ、嗜み。どのような色の襲がより美しく、目に快く、並べた色彩が最も引き立つか、贅沢な宮廷女性たちは、みずからの美と魅力を輝かせるために「目の色を変えて」「鵜の目鷹の目」で、装いを凝らしていたのです。
 わかりやすく説明するなら、現代色彩学で補色とされる色彩対比は、色盲でなければふつうに感覚しやすいものです。赤と緑、黄色と青など。
 若紫巻の少女の纏った山吹襲の黄色は、紫の対比色相です。そうして紫色は、桐壺巻で、元服する光源氏の初元結として作者から与えられた、それこそ最初の色彩なのでした。
 ですから色彩学からしても、源氏と少女は相補う関係にあり、伴侶として適当な彩りと言えます。かように作者は意図して、登場人物それぞれに相応しい色彩を与えているのです。
 もうひとつ、作者の周到な叙述について述べておかなければなりません。山吹襲を着た若紫の少女は、まず「白き衣、山吹など」と描写されています。読者である私たちのイメージには、それまで語られた北山の仄暗い夕霞の中、ぱっと晴れやかな白い色彩が浮かびます。この文章力により、私たちの脳裡の夕暮れの情景は一瞬消えて、あたかも白い画布に鮮やかな山吹色が配されるような効果となります。
 少女は読者のイメージの中で夕霞の薄暗さを払拭され、明るい黄色の光を放ち「走って」来るのです。なんと鮮やかで、魅力的な物語デビューでしょう。それも、黄色という光を表す色彩なればこそ「走り来たる」という速度の特筆描写に相応しいのです。
 というのも、藤原時代の成人した貴族女性ならば、立ち歩くという行為は少なかったのです。上品な女性は膝行、つまりいざり移動が通常の作法とされました。紫式部が源氏物語中で、高貴な成人女性の移動時に、ことさら「立ち歩く」という記述をするのは、特段の理由あるニュアンスです。
 初登場の若紫の活発なあどけなさがここでは強調されていると思います。少女は春の夕霞の中、金色の光のように走ってきたのです。美しいですね。
 成長した若紫は光源氏の理想的な妻、紫の上として、彼の前半生の苦楽をともに歩みます。
 けれども、色彩学において黄色と紫は互いを引き立てる対比色相ではあるものの、完全な補色ではありません。 紫色が最も際立つのは黄緑色と並んだ時です。 紫式部はそれも承知していたと思います。
 若紫にばかり筆を費やしてしまいましたが、女三の宮についても触れましょう。こちらは源氏の後半生、若菜上巻で正妻として降嫁された十三歳の皇女でした。
 若菜下巻で、作者が源氏の目を通してこの高貴な少女に選んで与えた個性は、若い青柳、黄緑色なのです。帝王の娘でありながら、尊貴な黄色や紫ではありませんでした。
 その場面は源氏が自分の主だった妻たちを花にたとえるくだりです。この時の女三の宮の衣装は桜襲の細長というものでした。

 二月の中の十日ばかりの青柳の、わづかにしだりはじめたらむ心地して、鶯の羽風にも乱れぬべくあえかに見えたまふ。桜の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸のさましたり。

 字面だけ軽く眺めても、短い草子地文中に、二度も柳という単語が嵌め込まれているのにお気づきでしょう。それに鶯。鳥の名前ですが、当時の読者、つまり平安貴族女性たちの脳裏には、反射的に色彩としての鶯色が浮かんだはずです。この色相も黄緑。鶯の羽色に似せた、暗い灰色がかった黄緑です。衣装については桜の細長、というあっさりした一言よりも、女三の宮の個性として私たち読者の印象に残るのは、青柳、柳、鶯。さまざまな黄緑の色相イメージではないでしょうか。
 単語が記述される順序も、まず青柳、鶯、桜、そして最後に柳の糸。柳というイメージで桜の前後を念入りに挟んでいるのです。
 この場面で、源氏は女三の宮以外に、娘の明石女御を藤、紫の上を桜、明石の上を花橘にたとえています。
 何故源氏は、つまり作者は女三の宮を花ではなく、柳としたのでしょう。三の宮が若々しく、華奢で、あえかで、なよびかで、という理由にしても、そのような彼女の条件にあてはまる花が、平安時代になかったわけではないと思います。
 紫式部は女三の宮に、花ではない柳のイメージを特に選んで与えました。しかも「二月の中の十日ばかり」という時期の、初々しい黄緑に限定しています。
 この女三の宮の降嫁により、紫の上は源氏の正妻の地位を退きます。源氏は心痛の紫の上を労り、より以上に愛し続けながらも、実質的社会的に三の宮は源氏の正夫人として重んじられます。苦悩する紫の上はしだいに衰弱してゆくのです。
 色彩調和の観点からは、紫の完全補色である黄緑色と、それより緩い対比色相である黄色との紫に対する力関係を、作者は物語の展開に援用していると読むことができます。
 女三の宮の降嫁は源氏四十歳。当時としては老境とされた若菜上巻です。桐壺巻から若菜上まで、すでに三十三帖もの物語が綴られており、その間紫の上はずっと源氏最愛の妻として第一の座を讃えられ、二人の絆を揺るがす気配など少しも読者には感じさせません。ところが、若菜上巻に至りますと、まさに降ってわいたように朱雀院皇女が新たな源氏の正妻として現れるのでした。
 紫の上は、光源氏の秘密の恋人、藤壺中宮の同腹の兄、式部卿宮の側室の娘です。正妻の子ではないので、母親が早くに亡くなりますと、祖母尼君のもとで成長しましたが、数年後にその尼君も亡くなった所を、青年源氏が父式部卿にも隠して引き取ったのでした。
 なんとも不遇な幼児期ですが、光源氏に愛育され、彼の望みどおりの才色兼備に成長します。しかしながら現実には、このような心細い境遇の娘が大貴族の正夫人になるなどという幸運はまずないことでした。
 家族、身分、富、美貌と全て揃った女性こそが、光源氏の正妻には相応しく、実際、若き源氏の最初の妻は、時の権力者左大臣の正室腹の娘、葵の上でした。
 その葵の上に比べて、有力な血縁に乏しく、財産らしい気配のない紫の上を、源氏の第一夫人として支えるのは、彼女の優れた美貌、貴婦人として必要な技芸、和歌などの才能、優しくこまやかな心ばせ、何よりも源氏の永遠の恋人藤壺の姪、紫のゆかりであるという血脈です。
 しかしながら、若菜上巻で作者紫式部は、貴婦人として完璧な紫の上に欠けた要素を持つキャラクターとして、女三の宮を物語に押し出しました。朱雀院鍾愛の皇女は父院から莫大な富を与えられています。そして、すでに三十代に入った紫の上には失われた若さというものを。
 女三の宮もまた藤壺中宮の血縁、紫のゆかりでありました。それこそが源氏を引き寄せたとも言えます。
 紫の上と女三の宮は同じような要素を与えられています。第一に藤壺中宮ゆかりの皇族の血筋、それから母を亡くした心細い境遇であること。ある面で二人は似ているのです。この類似するという要素も、配色における黄色と黄緑の関係に叶っています。
 黄色と黄緑は、対比や補色ではありませんが、ニ色を並べて見ると感覚に快く、二十世紀に固定されたムーンスペンサーの色彩調和学では、この配色を色相の類似調和と呼びます。
 ところで女三の宮の内面は並以上に幼稚で、老成した源氏には手ごたえの感じられない少女でした。女三の宮の際立った未熟な造形は、幼い頃から利発で賢く、青年である光源氏の話し相手を充分に果たした若紫とは対照的です。
 けれども彼女は朱雀院皇女、身分財産、若さを備え、外的な条件を比べるなら、最高権力者である源氏の正妻として紫の上よりも相応しい、つまり紫には対比関係の黄色よりも、補色の黄緑の方が調和する、と解釈できます。
 そして、黄色と黄緑は類似調和、黄という同じ要素を持ち、並んで不和にはなりません。物語の中でも、ともに高貴な紫のゆかりである女三の宮と紫の上に深刻な確執はなく、二人の貴婦人は、源氏の六条院世界でおだやかな平和を保ちます。けれども心痛を堪える長い時間とともに、紫の上は衰弱し、やがて病没するのでした。現実社会を突き動かす力とは富や地位、人脈などの要素です。紫式部は虚構である自作のリアリティをより強めるために、最初から紫のゆかりをめぐる冷徹な筋立てを考えていたのでしょう。
 緻密で的確な筋運び、人物造形、その一環としての配色などに、作者紫式部の強靭な思考力と、それまでの昔物語の枠を超えようとする希求を、私は読み取っています。
 拙稿は、光源氏の正妻ふたりに特筆された山吹と青柳という二色に着目した私の独り言ですので、一人合点のそしりもあろうかと思います。ただ、現代では希薄になりゆく自然に即した微妙な色彩感覚について、平安貴族女性たちのこまやかさをお感じくださいましたら。

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きょう2月3日は、立春!!
4日でないとちょっと変な感じだけど~

We19号の初校がなかなか送ってこないので
昨日は、
昨年から片付けてしまいたかった熊本産もち米を炊き
おはぎ(ぼた餅?)ときな粉餅を作った。
生協仕様の小豆餡を買い、きな粉は手作り玉名産。
やはり、店で買ったものより
味が良かったようにおもう
手前みそ!

明日あたり届くかなあ~







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