住之江の神
位(暗い)やま、峰の桜をかざしても、人は物をや、なほ思ふらん。
人の心には欲がある。そして、欲無し人は、死骸でもありますが、なんて。
仕事欲、名誉欲、金銭欲、支配欲、安心欲、家族欲、恋愛欲、神様欲、etc。
されど、無欲の中、無心の中にも超意識もあり。
私がかつて、教わった日本紅卍字会の前の会長でもあり、深見青山氏の師でもあられた、故根本誠乾(道名)師は、良く言っておられました。
「人欲を排し、天理に還る。人心を捨て道心に帰る。天下にあっては、無くてはならない人になるか、有ってはならない人になれと。」
即ち、中途半端な人間になるなと、言われておられました。
善も悪も、極めれば、この地球において、光なる輝きもあり、真なる暗黒もあり、そして、条件が調うと、宇宙へと参画を意味します。
何故ならば、闇も光も神の領域であるからであります。
そして、根本先生曰く、「私は、根本宏(本名です)。根本なる、根元を拡げる役割があると。」
名は体を表す。
道慈の道に於ける根本は大切であります。
根本先生は、大学中庸孔子孟子易經に通じておられましたが、中庸なる太極を得られなければ、善を超えた勇猛を為せといわれておられました。
すなわち、腐儒の如く、学説や理屈に拘り、行動を起こさない、腐った人間に成るなと。
故に、師の感化を受けた、私は、大善人でも、大悪人でも、宇宙自体に、その意義なく、神は、人にその、活動に重きを置くと考えております。
故に、神は悪を為して善とし、善を為して悪とし、善悪あわせて、神の働きとすると。
すみません。
さて、単純に人の欲を悪しきとは言えません。欲があるからこそ、目標があり、使命感を感じ、行動するからです。
神様に携われる人の中で、神に仕える人の多くが欲するのは、人気欲であります。尊敬して欲しい欲。
神に仕えると称しても、無形の神に認めて貰うより、多くの人々から、尊敬されるほうが報われると。そして尚且つ、金銭に恵まれればと。人気者となり、鼻高々と。
ははは。
神の道とは芸能に非ず。また、民主主義や共産主義ではない。
確固たる。そして、
神の道とは組織に非ず、孤独あるのみ。
神の道に金銭は絡まない。
神の道に自己顕示無し。
ただ、人知れず行う道々の働き。
そして、愛と真心があるのみ。
もし、貴方が、神の道を歩んでいる、つもりでも、金銭を受けたり、接待を受けたり、賞賛を受けたり、すれば、その全ては人事と成り、神事と離れてしまいます。なんせ、真に賞賛されるのは、共に働いておられた、神であり、眷属神にでありますから。
神の道は無償であるのみ。
されど、多くの神なる社や聖域、神域には、保全する経費が掛かります。そこに於ける矛盾は無く、個人的な霊的背景により、私欲あるか、公であるかに因ります。
そもそも、神業とは、表も裏もありますが、神に対して、誠あるのみでございます。
誠に表も裏もございません。
本田霊学でいえば、顕斎と幽斎があり、人の生活における祈願が顕祭であり、人のカルマに対するが幽祭であります。
さてさて、この間、久しぶりに、早朝に西宮神社にお参りしました。
身体が震えるほど、気持ち良かったです。
その感合はどこからくるのであろうか。往来する行動と、神に親しむ心から来るのでした。
これは、お覚しであります。
磐座磐境のみを神聖視する偏見なる心をへの戒めでございます。
また、住吉大社では、何年かぶりにおみくじを引きました。引きたくて引いたのではありません。
私は住吉大社で引くおみくじの大半が凶である事が多く、また、おみくじによる吉凶による、心の変遷を無くす、べく、また、神の直心に叶うべく、おみくじを引いておりませんでしたが、何故か、引いてしまいました。
坐して、十数年。欲を無くしていた、つもりが、まだまだ、人に慕われたいと思う欲があり、神に使われたいと、思う欲もあり、まだまだ、身も心もからっ尻とは、生きません。すみません。申し訳ございません。
かつて、私はコスモメイトなる組織の出身でありました。。若い時ですが。今は、どこの組織にも汲みしていませんが。
そして、深見青山さんは、神人合一とは、人が、神か人か区別出来ない人ような人が神人であると。
何度も書きますが、神は無欲なり。
神人も無欲なり。
ここで神人合一なる人が発揮するのが普遍的なる超意識であると考えます。
故に神人合一とは、無欲の中の無償の愛の発露。
しかし、コスモメイトの開祖、橘カオルさんは、どこに行ったのであろうか。ネットでは認知症になった云々と。彼女も道名を調べれば解るであろうが、老祖の弟子でもある。もちろん、深見正瑃さんも然り。
ただ、開祖を隠したい欲がある。
なぜ、人は無欲に正直になれないのであろう。
人気を得ようとするから。
神様に直なる人を素朴で素直と言うが。
故に、思惑あれば、神に通ぜず。
神は無欲なり。なんせ、神は欲しない。
人のみが、欲する。
真の神人なる、迫登茂子刀自は、「私は、何にも考えないの〜」と笑っておられる方。
風に向かって
胸を張り
足を踏ん張って進む時なり
やさしさは大切に
ふところでふくらませ
迷わずともよし
何にせよ
新しい旅立ちの
時になのだから。
迫登茂子。
暗い山とは、我が心でもある。私にとって、闇は我が同胞であり、そこから、育まれたきた由縁があり。
そして、尊い、老祖の弟子でありながら、我と魔道へ堕ちる憐れさがある。
やれやれだ。日々反省あるのみ。
闇になれた目がとらえる
冷たい気の流れ
すがるすべもない
振り絞った勇気もあっけなく
ふりほどかれ
冷たい星あかりまでが
振り払う
罪深き我をほどき
祓う。
迫登茂子。
元住吉神宮寺
日が登る 前の闇夜に 目に見えぬ 黎明ありて 誠を照らす。
月照らす 朧気な世に 水かがみ
誠の道を 映してさがな。