第32期講座案内

2010年03月22日 | 心の教育




 前期に、「いったん回復に向かうかに見えた不況は、ドバイ・ショック、円高、デフレによってふたたび先行きが見えにくくなってきました。

 それに対して現政権がこれからどういう中長期のビジョンをもって国づくりをしていくのかはっきりせず、現代の日本人の心の不安定・不安は続いています」と書いた状況は、残念ながらほとんど変わっていません。

 それどころか、「民主党よ、おまえもか」といった感じの「政治とカネ」の問題などで、政局はますます混迷の度を深めているようです。

 それに対して当研究所では「持続可能な国づくりの会」と協力しながら、日本の向かうべき「理念とビジョン」を明らかにし公表しました(『サングラハ』第109号)。

 まだ少し時間はかかるでしょうが、やがて広範囲の理解が得られるようになるものと期待しているところです。

 しかしもう一方、個人としてそうした状況を生き抜くメンタル・タフネスをどう身につけるかという課題もさらに大きくなっています。

 今期は、メンタル・タフネスを高めるためのヒントとして、火曜日は『維摩経』の学びと坐禅、木曜日は「メンタル・タフネスの心理学」の講座を企画しました。みなさんのご参加をお待ちしております。


 火曜講座:『維摩経』を学ぶ 2

                於サングラハ藤沢ミーティングルーム
                    (JR、小田急藤沢徒歩5分)

                火曜日 18時45分~20時45分 全8回

                4月13日 27日 5月11日 25日 6月8日22日 7月6日 20日


 初期大乗仏教の代表的な経典『維摩経』の学びの第2期です。

 経典の主人公維摩詰(ヴィマラキールティ)は、ブッダと同時代の居士つまり在家の仏教徒で、大商人でありながら、ブッダの弟子たちよりもはるかに深い覚りの境地にあったとされています。

 第1期はいわばイントロダクションでしたが、いよいよ、ブッダの弟子たちが維摩居士の病気見舞いに行って、維摩と問答してやり込められるという、興味深い部分に入り、大乗仏教の真髄ともいうべき智慧と慈悲について深い洞察が語られていきます。

 前期に続く第2期ですが、途中からでもわかるように講義していきますし、ご希望の方は第1期もCD、DVDで学ぶことができます。途中からの方も、ぜひお出かけください。

テキスト:コピーを配布します。

*講義の前に30分程度の坐禅を行ないます。坐禅のできる服装をご用意下さい。


 木曜講座:メンタル・タフネスの心理学

               於サングラハ藤沢ミーティングルーム

                木曜日 18時45分~20時45分  全8回

                4月8日 22日 5月6日 20日 6月3日⑤17日 7月1日 15日


 きびしくストレスフルな時代のなかでは、心の強さ‐メンタル・タフネスがぜひ必要ですが、どうしたらそれを得ることができるのでしょうか。

 本研究所の定番メニューの一つ論理療法は、一見強そうに見えて実はもろいガンバリズムの強さではなく、筋道だてて賢く考えることから生まれる〈しなやかなメンタル・タフネス〉を教えてくれます。

 今回は、コスモス・セラピーやロゴセラピーの要素もブレンドし、いっそうヴァージョンアップしてお伝えしたいと思っています。

 初めての方にもリピーターの方にもきっと参考になるでしょう。どうぞ、お出かけください。

テキスト:岡野守也『いやな気分の整理学――論理療法のすすめ』NHK生活人新書


いやな気分の整理学―論理療法のすすめ (生活人新書)
岡野 守也
日本放送出版協会

このアイテムの詳細を見る



●受講料は、一回当たり、一般3千5百円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●いずれも、申し込み、問い合わせはサングラハ教育・心理研究所・岡野へ、
 ・E-mail: okano@smgrh. gr. jp または ・Fax: 0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。


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大般若経の愉しみ 3

2010年03月03日 | 心の教育

 身の回りの用事――雑用ではなく「作務(さむ)」と捉えるようにしていますが――に対処するために、記事の更新が滞っています。

 アクセス解析を見ると、更新をしていない時にも、毎日、200人前後の方が見てくださっているのに、申し訳ないなと思います。

 そこで、今日は作務の間を縫って、久しぶりに大般若経のことばのご紹介をします。

                         *

 若し菩薩摩訶薩(まかさつ)、世世に常に仏を見たてまつることを得、恒に正法を聞きて仏の覚悟を得、仏の憶念(おくねん)教誡(きょうかい)教授を蒙(こうむ)らんと欲せば応に般若波羅蜜多を学すべし。(大般若経初分学観品第二之一)

 もし菩薩・大士が、いつの世にも常に仏を見たてまつることができ、いつも正しい真理の教えを聞いて仏の覚りを得、仏のお考え・誡め・教えのおかげを受けたいと望むならば、まさに般若波羅蜜多を学ぶべきである。


 「般若」のサンスクリット語の原語はプラジュニャーで、無分別智=すべてをばらばらに分離した実体と見ることのない智慧を意味する。

 仏陀とはそういう智慧を体現した人のことをいう。

 そういう意味でいえば、仏陀・仏の本質は般若の智慧にあるのであって、「幻の如く、陽炎の如く、夢の如く、水月の如く、響の如く、空花の如く、像の如く、光影の如く、変化事の如く、尋香城(蜃気楼)の如く……」と喩えられたような、目に見えるかたちに現象した身体にあるのではない。

 だから、真に仏を見るということは無分別智を自ら覚ることを意味している。

 さらにだから、「いつの世にも常に仏をみたてまつ」りたいと「望むならば、まさに般若波羅蜜多を学ぶべき」なのである。

  と言われても、目に見えない、それどころ普通の分別的な知恵では認識できない仏の本質はなかなか実感できないので、方便として仏像が作られたのだと考えていいだろう。

 今、混迷する時代のなかで心の安らぎを求めて、「仏像ブーム」なのだという。

 私も美しい仏像を礼拝することは好きだが、しかし「世世に常に仏を見たてまつることを得……んと欲せば」という条件つきの「応に般若波羅蜜多を学すべし」という「べし・ねばならない」はとても納得できるので、それと同等、あるいはそれ以上に好んで「般若波羅蜜多」を学び続けようと思う。

 そして、有り難いことに、学びは愉しみであるので、大変な無理はしなくても続けることができそうである。

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アインシュタインのつながりコスモロジー

2010年02月26日 | 心の教育




 我が家の近所に一本だけある河津桜が満開です。

 この桜だけ見ていると、もう春爛漫という感じです。

 春休みになったら、少し休めるかなと期待していましたが、一つの仕事が終わると次の仕事、それが終わるとまた次の仕事……となかなかゆったりと休みをとることができません。

 それだけ、世の中から必要とされているのだと解釈すれば、有難いことではありますが……

 先日、サングラハ教育・心理研究所の木曜日の講座でキューブラー・ロスについて講義をするためにものすごく久しぶりに彼女の著書の一冊『子どもと死について』(現在は中公文庫)を読み直そうとして開いたら、扉の裏に次のようなアインシュタインの言葉が引用されていたことに改めて気づきました。

 これは、まさにアインシュタインのつながりコスモロジーが典型的に表現された言葉です。

 ここでアインシュタインは、宇宙と私、そして宇宙とすべてのものの一体性をはっきりと語っています。

 このブログ授業でお話してきた現代科学のコスモロジーに関して、決定的に重要な言葉なので、ここでみなさんにも引用―紹介しておきたいと思いながら、なかなかブログ記事を書く気持ちの余裕がなくて、遅くなりました(改行は筆者)。

 じっくりと読んでみてください。

 そしてその後で、「区分・区別はできるが分離していない宇宙」の記事も読み直してみてください。

 きっと、授業の学びが深まるでしょう。



 人間は、私たちが「宇宙」と呼ぶ完全体の一部、すなわち時間と空間を限定された一部である。

 人間は自分自身を、そして自分の思考や感情を、他と切り離されたものとして体験する。

 それは意識のうえで、いわば視覚的錯覚が起こっているからである。

 私たちはこの錯覚という監獄に閉じ込められているせいで、個人的な判断しかできなくなり、周りの少数の人間しか愛せなくなっている。

 この監獄を抜け出し、思いやりの輪を広げ、あらゆる生物と美しいままの自然を包み込んでいくこと、それが私たちに課せられた仕事である。

                              ――アルバート・アインシュタイン


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コスモロジーの肯定的変容2

2010年02月09日 | 心の教育

 すでに2度お知らせしたとおり、ニヒリズムの話から始めて十七条憲法に到達するという講義は、多くの学生たちに希望と自分たちがやるんだという勇気を喚起することができていると思われます。

                     *

 1年間、現代社会と宗教を受けてきて、自分の視野というものが広がったのはとても大きく感じます。

 コスモスセラピーは、今まで考えた事もなく、この大学に来なければ聞けなかった話だと思います。

 コスモスセラピーの意見は、最初はとても漠然としたものに感じましたが、話を聞くにつれて、その意見に大きく納得することができました。

 何故、1億年生きた恐竜は滅んだのか。なぜ、1万年しか生きていない人類は滅びかけているのか。

 そういった、漠然とした疑問にしっくりとくる答えを導き出してくれる考えがこの授業にはありました。

 社会学としてとても貴重なお話を聞くとができました。

 1年間ありがとうございました。

     H大社会学部1年男子


 岡野先生が1年間かけて私達に教えて下さったことは、人が地球で生きるためのとても大切なことだと思います。

 ここで私は新しい発見をいくつもすることができ、とてもありがたく思っています。

 十七条憲法では理解するのが難しい所もいくつかありましたが、最後にコスモロジーの精神にいきつくことにとても驚き、改めて関心を持つことができました。

 岡野先生が言っていたように、私達が日本という国を建て直していかなければならないと強く思えるようになりました。

    H大社会学部男子


 私は“つながりコスモロジー”の心を一生忘れないと思います。

 ありがとうございました。

    H大社会学部1年女子


 一年間先生のお話を聞き、感じたことは、未来への希望です。

 一見単純なことだけど、だからこそ気づきにくい、そんなことの気づきの連続でした。

 また、授業外でも、先生の著書は書き方がやさしくわかりやすいのも魅力的でした。

 毎年受講者が多く大変ですが、これからも頑張って下さい!

     H大社会学部2年女子

                     *

 「私達が日本という国を建て直していかなければならないと強く思えるようになりました」「一生忘れないと思います」と言われ、「毎年受講者が多く大変ですが、これからも頑張って下さい!」とねぎらいと励ましをもらうと、新学期からもまた多人数授業でも頑張るほかないな、という気になります。

 欲をいえばさらに十七条憲法が目指したような持続可能な国づくりに向けて、「先生、一緒にやらせてください」という言葉も聞きたいんですけどね……まあ、それにはもう少し時が熟すのを待つほかなさそうです。

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コスモロジーの肯定的変容1

2010年02月08日 | 心の教育

 H大学社会学部・経済学部の前期の授業では、まず近代主義、特に近代の科学主義が行き過ぎると必然的にニヒリズム-エゴイズム-快楽主義に陥る傾向があり、日本も明治維新と敗戦のプロセスを経て近代化が進み、同様の状況にあることを指摘し、その後で現代科学のコスモロジー(の一つの解釈、つながり-かさなりコスモロジー)はニヒリズムを完全に克服する可能性を持っていることを伝えます。

 続いて後期には、仏教とりわけ唯識の全体像を伝え、「宇宙と私は一体」ということを語る点で、現代科学と調和することを示し、その後で、最後に聖徳太子「十七条憲法」をつながりコスモロジーによる理想国家の構想と解釈する講義をします。

 そうすると、よく聞いていた学生のなかから次のような感想が出てきます。

                    *

 前期、後期、想像していたものとは全く違くて、それでいて新しい発見がたくさんありました。

 今回も、十七条と聞いて、「えっ」と正直おもいましたが、天皇がどうの、ということではなく、ちゃんと前期のことがもとになっていたのは、びっくりしました。

 全て授業に出て、新しい視点で物事を見れるようになった気がします。
一年間ありがとうございました。

   H大社会学部1年女子


 最初は先生の意見に賛成することができませんでした。

 しかし最後まで聞いてみると、納得している自分がいました。

 とても理論的ですばらしく、この理念こそ、この先の未来を明るくしてくれると思いました。

 今までおせわになりました。この授業を通して物の見方がかわりました。

   H大社会学部1年男子


 当初授業を受けて、後悔していたが(コスモロジーや唯識がなぜ現代社会、日本の未来へと有効なのかわからなかった…)、十七条憲法の段階に到って、宗教観が国というものを形成し飽和状態の社会を変革するアプローチとして極めて確実で有効な手段だということがわかりました。

 マスメディアで叫ばれるえせ提言に比べ、先生の主張は現実的なものだとわかり、もっと授業に出れば良かったと思いました。

 先生の主張は右・左でもなく、ナショナリズムとも違い、カテゴライズには悩みますが、実践的である点においては両派よりも秀でていると思いました。

   H大社会学部1年女子


 やはり先生にはやられました。さいごにコレをもってくるとは……

 日本の最初の憲法を学べたのと同時に、今まで習ったことがこの中にぎゅっとあったので、すごく理解しやすかったです。(つながりコスモロジーとか仏性とか)

 今までに、価値観を相当変えさせられてきましたが、今回は価値観は変わったというより、今までに変わった価値観がさらに確信をもてるものになった気がします。

 何か頭の中で今までのことがすごくコンパクトに、かつ詳しく整理されています。

 すごくすごーくためになりました。

 そして、話が少し変わりますが、私は今年成人式でした。

 実家は鹿児島なので、成人式のあとこっちに帰ってきたのですが、成人式を終え、みんなと写真をとったりして家に帰ってきたとき、自然と涙が出てきました。

 その理由は、親や親戚、友達への感謝の気持ちが溢れてきたからです。

 この気持ちは、聖徳太子の述べている「関係的存在」「縁起的存在」を身をもって感じたからではないかと思っています。

 昔は「無宗教」だと思っていた私も、この授業を通し、「仏教・儒教」的な人間であったことにも気づけ、また、中身を知らないからこその「宗教」に対する偏見がなくなりました。

 人間的に成長することができたと思っています。

 本当にこの授業をとって正解でした。

 まさかここまで価値観が変わるとは当初思ってもいませんでした。

 お忙しいでしょうが、これからも私たちH大学生に「真の価値観」を説き続けていってください。

 本当にありがとうございました。

    H大経済学部1年男子

                    *

 先月末、ようやく厖大な数のレポートを読み終えました。

 こういうふうに、今年もたくさんの学生たちの心の中で世界観・価値観=コスモロジーの肯定的変容が起こったようです。

 毎年本当に大変なのですが、でもやはり苦労のしがいがあった、と実感しています。

 その後すぐに、2月の2、3日は、茨城大学農学部の大学院で持続可能な社会についての集中講義でした。

 その中でコスモロジー的な質問が出てきましたので、ダイジェスト版の話をしましたが、とても感動して聞いてくれたようです。

 コスモス・セラピー的な授業は大学1年生から大学院生、さらには社会人まで、適用範囲は広いことが実証された、と思っています。

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教育の愉しみ?

2010年01月29日 | 心の教育

 先週、教えている3つの大学すべての授業が終わり、週末には教え子の結婚式の司式をし、日曜日には「持続可能な国づくりの会」で、会の「理念とビジョン」のパンフレットを民主党の国会議員420名に発送し、今週から採点に没頭-忙殺状態です。

 年末もとても忙しく、去年12月に提出してもらったレポートも採点しきれていなかったので、期末試験の答案と併せて1000通以上、必死になって目を通しています。

 毎年のことですが、これはそうとうなワークで、修行と思ってやるほかありません。

 読んでも読んでも終わらないという感じですが、でも読んでいると、まさに薄紙をはがすがごとく少しずつデスクに積んだレポートの山が低くなってきます。

 今夜のところ、約6割強に達しました。ふーっ、というところ、この後も深夜まで続行の予定です。

 しかし、例えば以下のような感想をもらうと、やはり今年度も努力して教えてよかったな、と思います(公表することは予め学生の了解を取ってあります)。


 通年単位で授業をとっていて、これほど嬉しいと思ったことはないです。

 それはなぜかというと、前期のコスモロジー論を学べたからです。今ある、私の周りにあるものはすべて一つ、と考えることがすんなりできる。だから自分も含め、大学の友人、自分の彼女、そして犬や猫などの生き物、さらには自分の知らない人までとても大切な存在なんだと感じるようになりました。

 「唯識」この2文字には私達の未来がつまっている、そう感じました。たったの2文字ですが、私達にとってとても重要な2文字です。

 このレポートを書き終えた後、これを履修していない友人にこのことについて伝えました。友人は私と同じように、「宇宙と私は一体」と納得し、ありがとうとまで言われました。今年の中で一番うれしいありがとうをもらいました。

 先生ありがとうございました。これを教えてくださった先生に感謝します。

     H大経済学部3年男子


 こちらが、「学んでくれた君にありがとう!」と言いたいくらいです。

 残念ながら当然、コスモス・セラピーも唯識も万能ではなく、全員ではありませんが、しかし今年もそうとう多数の学生がこれまでの考え方が変わった、と言ってくれます。

 やはり教師と○○は三日やったらやめられないようです(正確に言えば、もちろん諸行無常なので、いつかはやめる日が来るんですけどね。当分は……です)。


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講話:リーダーになるということ

2010年01月13日 | 心の教育
*今日、O大学のチャペルアワー(礼拝)の講話をしました。かなりの数の学生たちが真剣に聞いてくれました。こういう真面目すぎるくらい真面目な話をして、たくさんの若者が耳を傾けてくれる時代になってきたのかな、とうれしく思いました。


 一行はカファルナウムに来た。
 家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。
 彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。
 イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。
 「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕えるものになりなさい。」
 そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。
 「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」
                       (マルコによる福音書九・三三―三七)


 新しい年になって二週間が過ぎようとしています。

 日本人の習慣的では、いろいろなことが新しくなって夢と希望が新たに湧いてくるような、いわゆる「めでたい」気分がまだ抜けきらない時期でしょう。

 しかし、社会の現実、世界の現実を見ると、必ずしもめでたいとはいえない、それどころか深刻な問題が山積しています。

 みなさんにもっとも身近なところでは、就職がとても難しくなっています。

 それは、いうまでもなくリーマン・ショック、ドバイ・ショックと続いて世界全体が大不況からなかなか立ち直れないでいるために、日本の企業の大半も雇用に非常に慎重になったり、端的に控えたりしているからです。

 そうした中で、就職できない、あるいは失業して再就職できない方たちの数も増えていて、格差社会はどんどんひどくなっているようです。

 そうしたこともあって、みなさんの少し上の世代では、なかなか結婚しないというかできないというか、晩婚化が進み、さらに少子化が進んでいます。

 もっと上の世代では高齢化が進んでいるにもかかわらず、年金や介護・医療の今後の見通しには厳しいものがあります。

 そうした中で福祉の充実が必要であるにもかかわらず、福祉に必要な税収は減っており、財政の赤字はさらに積み上がっています。

 今年の冬は割に寒いので、「温暖化なんてどこに行ったんだ」と感じている人もいるかもしれませんが、温暖化というのは国際的にはむしろ「気候変動(climate change)」という言葉で語られていて、気候が安定せず、中長期的に見ると温暖化しているという意味で、「今年は寒いからもう問題がなくなったんだ」というふうなことではありません。

 注目しておかなければならないのは、何年も前から繰り返し、「記録的猛暑」「記録的集中豪雨」「記録的暖冬」「記録的豪雪」というふうに「記録的」つまりこれまでになかったことが起こっているということです。

 今年は、すでに暮に例年にない積雪という地方がありましたが、これから「記録的豪雪」の可能性も十分にあると思われます。

 そうした厳しい状況の中で、日本のリーダー、特に政治的リーダー、その中でも政権与党のリーダーのみなさんは、繰り返し「政治主導・政治家のリーダーシップによる変革」ということを言っています。

 その言葉に、私もできれば期待したいと思っています。しかし、その政権与党のトップリーダーのお二人が、政治資金について問題があり、どうもその責任について態度が明解でないように見え、リーダーとして期待しきれるのかどうかという疑問も感じます。

 そうした中で、新しい年の初めに当たって、若いつまりこれからの時代を担っていくべき世代のみなさんと、ほんとうのリーダーあるいはリーダーシップというものについて、新約聖書、特に福音書がどんなことを教えているか、ご一緒に学びなおしたいと思いました。

 みなさんの中には社会のまさにリーダー的な存在になっていく人もいるでしょうし、そうでなくても大人になるということはつまり上の世代になるということであり、好き嫌いにかかわらず下の世代に対してはリーダー的役割をしなければならなくなるということです。

 やがてリーダー的世代に育っていくみなさんに、あらかじめほんとうのリーダーとはどういうものか、学んでおいていただきたいと思ったのです。

 リーダーになるということ、別の言葉で言えばいわゆる「偉くなるということ」はどういうことなのか、福音書のイエスは、私たちの常識とはまったくといっていいほど違うことを語っています。

 イエスの生きていた今から約二千年前のユダヤはローマ帝国に支配され属領にされていました。

 イエスは、そうした状況の中でユダヤをローマから政治的・軍事的に解放してくれるという意味で「救世主・メシア・キリスト」になることを期待されていたようです。

 イエスの弟子たちもイエスにそういう期待を抱いていたようで、ですからイエスがローマの支配をはねのけてユダヤ人の王になった、つまり偉くなった時に、自分たちもイエスに次いで高い地位に就くことができるだろう、と期待していたのです。

 弟子たちはカファルナウムという町への旅の途中で、そうなった場合、自分たちの中で誰が一番高い地位に就くことになるだろうか、一番偉くなるのか、「私こそ一番だ」「いや、そうではない。私こそ一番になる資格がある」というふうな議論・言い争いをしていたようです。

 イエスはそれを知っていながら、途中で止めようとはせず徹底的に議論させたうえで、町に着き家に入ってから、まず「何を議論していたのか」と尋ねます。

 弟子たちはうすうすながら自分たちの議論はどこかまちがっているのではないかと感じていて、言うとイエスに叱られると思ったのでしょうか、返事をしませんでした。

 しなかったというより、できなかったのでしょう。

 するとイエスは席に座って、自分のそばに彼らを呼び寄せました。

 それは、やや離れた距離から怒鳴るとか叱るとかするのではなく、もっと近い、親密な距離で心に沁みるように言い聞かせようとしたということでしょう。

 話が少しだけ横にそれますが、私は、いつ読んでも、マルコによる福音書は、文章はとても簡潔なのに驚くほど的確に生き生きと情景を描きだしていることに感心します。

 この個所も例外ではありません。弟子たちをそばに呼んで、彼らの顔を見るイエスの、厳しいけれどもとても優しいまなざしや表情までありありと想像できるような気がします。

 イエスは弟子たちを身じかに来させて、優しく厳しく教えます。

 「一番先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕えるものになりなさい。」

 これはとてもわかりやすい言葉ですから、その必要もなさそうですが、念のためにあえて少し解説をしましょう。

 「お前たちは、偉くなるということ、人の先に立つ、あるいは人の上に立つということは、人に自分の言うことを聞かせられるようになる、自分に仕えさせることができるようになることだと思っているけれども、ほんとうのリーダーというのはそういうものではないのだ。すべての人の後になる――英語にバックアップという言葉がありますが、すべての人のバックアップをする、人の後ろにまわって後押しをするのがほんとうのリーダーの仕事なのだ。人に仕えさせるのではなく、自分が人に仕えるのが、リーダーの役割なのだ」というのです。

 どうですか、これはまるで常識的ではありませんね。

 みなさんは、「ちょっと建前すぎる、理想的すぎる、綺麗ごとだ」と感じますか。

 どう感じるかはもちろん自由なのですが、ともかくこれがイエスのリーダー論です。

 そして続いてイエスは、象徴的な実例で教えます。

 すなわち、まだ人に仕えること・世話をすることなどできないどころか、世話をしてもらうばかりの小さな子供を抱き上げ、「イエスの弟子を名乗るのなら、子供の世話をする側にまわりなさい」と言うのです。

 世話をしてもらおう・仕えてもらおうとするのではなく、世話をする側にまわろう・仕えようという人生の姿勢になるのが、大人になるということであり、リーダー的存在になるということのほんとうの意味なのです。

 人の世話ができるようになる・人に仕える側になることこそ、ほんとうにイエスの弟子になるということであり、イエスの心を自分のものにする、イエスを受け入れるということです。

 そしてイエスの心を自分のものにするということは、ただイエスを受け入れるというだけでなく、イエスをこの世に送り出した存在――いつも言うのですが、それを神と呼ぶか仏と呼ぶか、あるいは大自然・宇宙と呼ぶか、呼び方はたいした問題ではありません。私たちすべてを生み出した私たちではない、私たちを超えた大いなるなにものか、Something Greatが存在することは事実だと思います――その私たちを超えた大いなるものの心を自分のものにする、受け入れるということだ、というのです。

 宇宙という言葉を使えば、宇宙の心・意志・志を自分の心・意志・志にすることこそ、ほんとうのリーダーになるということです。

 そして、そういうリーダー、リーダー的な大人がぜひとも必要な時代になっていると思います。

 そういうリーダーやリーダー的大人がいなければ、このままでは日本という国は滅びてしまうかもしれない、と私は深く危惧しています。

 そうならないよう、みなさんには、これからまた大学で学ぶことを通して、ぜひそういうリーダーあるいはリーダー的な大人になれるよう、自分を育てていただきたいと思います。

 新しい年の初めに、みなさんの大きな成長に大きな期待をしたいと思っています。

 ぜひ、期待させてください。



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大般若経の愉しみ 2

2010年01月05日 | 心の教育

 大般若経の六百巻というボリュームを読み続けることができたのは、一つには実にいろいろな気づきという愉しみがあったからである。

 例えば以下のような、ある意味でいえば大乗仏教の常識のような句からも気づきを得られた。


 若し菩薩摩訶薩、世世に一切の煩悩業障(ごっしょう)を遠離(おんり)し、諸法に通達し心罜礙(けいげ)無きを得んと欲せば、応に般若波羅蜜多を学すべし。
                               (大般若経初分学観品)

 もし菩薩大士が、世々に一切の煩悩やカルマの障害から遠く離れ、諸々の存在〔の本質〕に通じ、心を覆うものをなくしたいと望むなら、まさに般若波羅蜜多を学ぶべきである。


 それまでの仏教(部派仏教、大乗からいえば小乗)に対抗して大乗仏教が強調した人間像が、菩薩(ボーディサットヴァ、覚りを求める人)=大士(マハーサットヴァ、すべての人の救いを求める心の大きな人)である。

 もし菩薩が、前世で蓄積され現世へと伝わってきた煩悩・カルマの障害から離脱し、すべての存在の本質に通じ、明るい真理を見えなくさせ人生を真っ暗に見せる心の覆いを取り払いたいのならば、通常の分別的理性を超えた無分別の智慧の実践を学ぶべきだ、というのだ。

 つまりもっと平易で現代的な表現をすれば、もしかしたら遺伝的なものかもしれない、ついついすぐに悩んでしまうようなしつこい心の癖(ばらばらコスモロジー)をなくして、明るく悩みなく生きたいのなら、ふつうの知恵では足りない、もっと深い智慧(つながりコスモロジー)を学ぶべきだ、ということである。

 これは、まさにそのとおりと言うほかない。

 ところで余談のようだが読んでいてふと気付いたのは、上記のような「もし~ならば、~べきだ」という文章のパターンである。

 これは論理療法でいえば「条件付きmust」であって、裏返せば「もし~でないならば、~しなくてもいい」ということでもある。

 大乗仏教における「べき」は条件付きであって、強制的な義務ではないというところがとてもいい、と思う。

 仏教の話をすると、しばしば「悩みがあるほうが人間的でいいんじゃないですか?」という反論的疑問が出てくる。

 もちろん、もしほんとうに悩んでいるほうがいいと思うのならば、とりあえず智慧の学びはしなくていいわけだ。

 しかし、私は「ほんとうにほんとうだろうか?」と思うし、さらに「自分が悩むのはある意味で自由だけれども、人を悩ませるのは自由ではなく身勝手なのではないだろうか?」と思う。

 「煩悩」とは、自分の悩みというだけではなく、人を悩ませることをも意味している。

 人間が人間を悩ませ傷つけることのない世の中にしたいのならば(これも「ならば」という条件付きである)、やはり煩悩という心の悪い癖を治さなければ「ならない」のではないだろうか。


 若し菩薩摩訶薩、一切の煩悩の習気を抜かんと欲せば、応に般若波羅蜜多を学すべし。
                               (大般若経初分学観品)

 もし菩薩大士が、一切の煩悩の習気を抜きたいと望むならば、まさに般若波羅蜜多を学ぶべきである。


 自分をも人をも悩ませるという人間の心の性質(たち)の悪い癖は、心に染みついてなかなか抜き難い。

 その染みついて抜き難い心の癖を「習気(じっけ)」という。

 習気を心の奥底から抜き取り、心を根本的に浄化したいのならば、ふつうの知恵を超えた智慧を学ぶべきである、学ぶほかない、というのは、医療用語を借りれば「インフォームド・コンセント(情報提供をしたうえでの同意)」であって、強制ではないのである。

 大般若経の現代風にいうと第二章「学観品」には、こうした「もし~ならば、まさに般若波羅蜜多を学ぶべきである」という句がきわめて多数ある。

 この他にも心に響く句がいくつもあったけれども、今日はこのくらいにしておこう。




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大般若経の愉しみ 1

2010年01月04日 | 心の教育

 去年の春先、テレビで、『大般若経』全六百巻の百巻ずつが入った箱六つを棒につるして前後二人ずつ計十二人でかつぎ、集落の家々をめぐり、縁側から土足で座敷に上がって家の中を通り抜けて、一年の無病息災を祈るという年中行事が報道されていた。

 箱つまり『大般若経』の下をくぐると病気にならないと信じられていて、お年寄りだけではなく若い人もくぐっていた。

 心安らぐ「日本の原風景」の一つという感じがして、こういう習わしをまだちゃんと残している地方があるのだな、とうれしい気がした。

 今年もまた同じように続けられるのだろうか。

 ただ、失礼ながら、かついでおられた方もくぐっておられた方もその『大般若経』に何が書いてあるかはおそらくあまりご存知ないのではないかと思った。

 そういう私も、かつてはまったく知らず、去年の暮、約三年かけてようやく読了したところなのであるが。

 般若経典自体に、それを尊重するだけでも様々な利益があると書いてあるのだから、昔の善男善女が素直な心で信じたことに不思議はないし、また実際、いろいろ霊験あらたかな体験談も伝えられているようだ。

 先祖からの習わしを習わしとして伝えることも、とても大切なことだと思う。

 しかし、縁あって読む気になって読み進み、自分なりに理解できるようになると、これはただ習わしとしてかたちを伝えるだけでなく、やはり中味も読んで理解したほうがもっといい、ぜひそうすべきだ、『大般若経』はそれだけの大変な英知・真理の言葉が秘蔵されているすばらしい古典だ、と思うようになった(すでにおわかりの先達には笑われそうな再発見である)。

 『わかる般若心経』(水書坊、後『よくわかる般若心経』と改題しPHP文庫、現在絶版)の原稿執筆をきっかけに『金剛般若経』『善勇猛般若経』『八千頌般若経』(いずれも中公文庫に現代語訳あり)なども読み、おもしろい、というと適切ではないかもしれないが、大乗仏教空思想の深さ・すばらしさに改めてさらに興味が深まり、かなり長い『摩訶般若波羅蜜経』(鳩摩羅什訳、昭和新纂国訳大蔵経)も半年以上かけて読み、その勢いで、あまりにも長いので一生読むことはないだろうと思っていた『大般若経』(玄奘訳、国訳一切経)もとうとう読む気になった。

 そして読みながら、読んでも読んでもちっとも終わらない、しかしおもしろくてしかたない、だからいつまでも終わらなくていいと思うような、大長編の名作を読んでいるような感銘を覚えながら、やがて結局読み終えた。

 最初の章(「初分縁起品」(しょぶんえんぎぼん)に、実に壮大で美しいシーンが描かれていたのを、私訳でご紹介してみたい。

 少し長いのだが、意識的にイメージしながら読むと、どこかの仏教遺跡の洞窟などにありそうな荘厳かつ絢爛豪華な壁画のような絵が心に浮かんでくるだろう。


 この時、世尊は獅子座におられ、光明はことさらすばらしく、威徳は堂々として、全宇宙(三千大千世界)およびその他あらゆる方向にあるガンジス川の砂ほどにも多い諸々の仏の国土、シュメール山、輪囲山など、およびその他の龍神の天宮あるいは浄らかな住まいの姿を覆い隠してしまうのは、あたかも秋の満月が星々を光で包んでしまい、夏の太陽の光が様々な色を奪ってしまうようであり、四つの大いなる宝に満ちた山々の王者妙高山が他の諸々の山に臨むとその威光が際立って勝れているようであった。

 仏は、神通力をもって元の目に見える身体を現わされ、この全宇宙の生きとし生けるものすべてがみなことごとく見えるようにされた。

 その時、この全宇宙の数え切れない数の清浄な住まいに住む天人たちから、下は欲望ある世界の四大王衆天たち、およびその他の人間や人間でないものたちまでみな、如来が獅子座におられて、その威光の輝くことは大いなる金色の山のようであるのを見て、歓喜し躍り上がり、かつてないことだと感嘆し、それぞれ種々無量の天の花、香り、髪かざり、塗る香料、焚く香料、粉の香料、衣服、飾りのついた冠、宝の旗、覆い、音楽、諸々の宝、および天の青い蓮の花、天の赤い蓮の花、天の白い蓮の花、天の香る蓮の花、天の黄色い蓮の花、天の真っ赤な蓮の花、天の金のなる樹の花、および天の香る葉、ならびにその他数え切れない水や陸に咲く生花を持って、仏のおられるところにお参りし、仏の上に撒き散らしてさしあげた。

 仏の神通力によってもろもろの花飾りなどが渦を巻いて舞い上がり合わさって花の台になった。

 その量は全宇宙に等しく、天の花の蓋いが垂れ下がり、宝の下げ飾りや宝石をちりばめた旗がめくるめくほどきらきらとして、実にすばらしかった。

 この時、仏の国土の荘厳な美しさはまるで西方の極楽世界のようであった。

 仏の光は全宇宙のすべてのものを照らし大空はすべて金色に染まった。

 あらゆる方向のガンジス川の砂ほどにも多い諸々の仏の世界もまたそのようであった。

 その時、全宇宙の仏の国土、その中の諸々の人々は、仏の神通力のためにおのおの仏が自分の真正面に坐っておられることを見て、全員がこう思った、

 「如来は、私一人のために説法してくださるのだ」と。

 そのように四大王衆天、三十三天、夜摩天、覩史多天、楽変化天、他化自在天、梵衆天、梵輔天、梵会天、光天、少光天、無量光天、極光浄天、浄天、無量浄天、遍浄天、広天、少広天、無量広天、広果天、無繁天、無熱天、善現天、善見天、色究竟天も、また仏の神通力のためにおのおの仏が自分の真正面に坐っておられることを見て、全員がこう思った、

 「如来は、私一人のために説法してくださるのだ」と。


 シーンを鮮やかにイメージできて、色彩豊かなきらびやかさに幻惑され感嘆するかもしれないし、あるいは「こんな現実性のないたあいもない空想なんてなんの意味があるんだ」と思うかもしれない。

 読み方・感じ方は多様だろうが、筆者は、神話的表現方法をとおして語られている中味がより重要だと感じる。

 それは、誰にでも当てはまるという意味で「普遍的な」真理の言葉というものは、にもかかわらず、それを聴き理解しえた者にとっては、まるで「私のため、私一人のために語られた言葉」であるかのように感じられるということである。

 原漢文では「如来独り為に説法したまう」となっている。

 真理は誰にでも当てはまるはずのものだが、ただ平たく誰でもいい誰かに当てはまるというのではなく、誰でもない「他ならぬ私」に当てはまるもの、「かけがえのないこの私」にこそ当てはまるものでなければならない。

 特に宗教的真理はそうだ。

 外側のものごとに関する真理はともかく宗教的真理は、他と取替えのきかない他ならぬこの私すなわち「実存」に響いてくるものなのだ。

 よく知られている「みだの五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり」という親鸞聖人の言葉もそのことを示している。

 鳩摩羅什訳の『摩訶般若波羅蜜経』の序品にもほぼおなじようなシーンと言葉があり、いっそう端的に「仏独り我が為に法を説く。余人のためならず(仏はただ私一人のために法を説いてくださる。他の人のためではない)」となっている。

 しかし、あえて『大般若経』を紹介したのは、場面設定として、全宇宙に存在する神々や人間、その他数え切れない生きとし生けるものをあげながら、しかも「其の中の諸人、仏の神力の故に、各各に仏の正しく其の前に坐したまえるを見、咸(みな)謂(おも)えらく、如来独り為に説法したまう」といっているところが、表現として実に的確だと思うからだ。

 「空」や「般若波羅蜜多」というある種抽象的な概念ではなく、具体的な姿に現われた人格的な仏が、他の誰でもなく私という人格に、一対一で真正面から向き合ってくださり、聴衆一般でも他の誰でもなく私一人のために真理の言葉を語ってくださっている、とそれぞれ一人ひとり全員に感じられるのが、ほんものの説法が語られ、聴かれるということなのである。

 筆者も「大般若経独り占め」という気分で学びながら、やがて独り占めするのはあまりにもったいないという気がしてきて、人に紹介したくなった。

 これも、物書きのカルマというものかもしれない。




国訳一切経 (和漢撰述部 経疏部 17)

大東出版社

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第31期講座案内

2009年12月22日 | 心の教育

 いったん回復に向かうかに見えた不況は、ドバイ・ショック、円高、デフレによってふたたび先行きが見えにくくなってきました。それに対して現政権がこれからどういう中長期のビジョンをもって国づくりをしていくのかはっきりせず、現代の日本人の心の不安定・不安は続いています。

 それに対して当研究所では「持続可能な国づくりの会」と協力しながら、これからの日本の向かうべき「理念とビジョン」の試案づくりをしてきました(これは『サングラハ』第109号に掲載予定)が、もう一方そうした状況を生き抜くメンタル・タフネスをどう身につけるかという課題もさらに大きくなっているように思えます。

 今期は、本格的なメンタル・タフネス=「生きる覚悟と死ぬ覚悟」をどう決めていくかのヒントとして、火曜日は『維摩経』の学びと坐禅、木曜日は「生と死を考える」の講座を企画しました。みなさんのご参加をお待ちしております。



  火曜講座:『維摩経』を学ぶ 1

            於 サングラハ・ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩5分)
                 火曜日 18時45分~20時45分 全6回
               1月①12日②26日 2月③9日④23日 3月9日 23日

 『維摩経』は、初期大乗仏教の代表的な経典の一つです。

 経典の主人公は、現代的にいうと創作上の人物で維摩詰(ヴィマラキールティ)といい、ゴータマ・ブッダと同じ時代の居士つまり在家の仏教徒です。

 在家の大商人でありながら、ブッダの弟子たちよりもはるかに深い覚りの境地にあったとされています。彼が病気で寝ているというので、ブッダに命じられて弟子たちが見舞いに行き、維摩詰と問答をするという筋立てを通して、大乗仏教の基本的主張である「智慧と慈悲」がどのようなものかが印象深く語られています。

「和の国日本」の建設を夢見た聖徳太子も注釈書を書かれたと伝えられており、今、研究所にかかわるみなさんと学ぶにふさわしいと思い、初の講義を試みます。ぜひ、ご一緒に学んでいきましょう。

 なお、『維摩経』全体を学ぶには6回では足りませんので、今回はその1とし、次期さらに続けていく予定です。


テキスト:コピーを配布します。

*講義の前に30分程度の坐禅を行ないます。坐禅のできる服装をご用意下さい。



  木曜講座:生と死を考える――キューブラー・ロスを中心に

        於 サングラハ藤沢ミーティングルーム
         木曜日 18時45分~20時45分  全5回
        1月①21日 2月4日③18日 3月④4日⑤18

 良かれ悪しかれ、あまりものごとを深く考えないでネアカ・ルンルンで暮らしていける時代が完全に終わったようです。

 また、たとえネアカ・ルンルンで過ごせるように見えた時代にも、人間はまちがいなく生きて死ぬ存在だったのです。

 今、きびしくなってきた時代のなかで、しっかりと腹を据えて生き死にするためには、改めて人間として生きて死ぬことの意味を深く考える必要があるのではないでしょうか。

 アメリカの精神医学者で臨床の現場を踏まえながら生と死の意味を深く洞察したことで知られるキューブラー・ロスの仕事を中心的なヒントとしながら、さらに、マルクス・アウレーリウス、パスカル、ニーチェ、大乗仏教などの洞察も参照しながら、ご一緒に考えていきたいと思います。


テキスト:コピーを配布します。

参考文献:キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』『「死ぬ瞬間」と死後の生』『死、それは成長の最終段階』(いずれも中公文庫)


●受講料は、一回当たり、一般3千5百円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。


●いずれも、申し込み、問い合わせはサングラハ教育・心理研究所・岡野へ、
 ・E-mail: okano@smgrh. gr. jp または ・Fax: 0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。


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講演会「心の深みを探る」案内

2009年11月29日 | 心の教育
*いよいよ明日になりましたので、もう一度お知らせします。まだ席の余裕がありますから、今からでもご参加いただけます。





 唯識は、古代インドの大乗仏教の流れの中で、空・中観思想についで、3、4世紀頃起こった思想で、大乗仏教の深層心理学とも評すべき人間心理への深い洞察をもっています。人間の悩み・迷い、つまり煩悩とは何か、それはなぜ生まれるか、どうしたら悩み・迷いがなくなり爽やかに穏やかに生きられるようになるか、つまり覚れるかを、きわめて体系的に明快に解明しています。それは歴史的には仏教の中で生まれたものですが、その内容は特定宗教の教えという枠を超え、時代を超えて、私たち現代人誰にでも当てはまる洞察だと思われます。

 専門的にはきわめて詳細・難解な学説ですが、エッセンスは一般の方にも決して理解できないものではなく、理解できると、なぜ人間は様々なことで悩み、トラブルを起こすのか、空しくなったり死にたくなったり、そのくせ死を恐れたりするのか、さらにより大きなスケールでは戦争や環境破壊などの、根本的な原因とその解決への道筋が見えてくるでしょう。

 内容は、午前中は仏教史の流れの中の唯識の位置と、非常に大まかな唯識の全体像、午後は、心理構造論、煩悩から覚りへの変換のメカニズム、覚りに到るための実践法などについて、お話しすることになると思います。


講師: 岡野 守也 (おかの もりや)


◆日時:2009年11月29日(日)

◆会費:当日現金にて申し受け
               一般   会員
 午前:10:00~12:30  3,000円 2,500円
 午後:13:30~16:30  3,000円 2,500円
 全日:10:00~16:30  5,000円 4,000円

◆申込:サトルエネルギー学会秘教科学分科会
 神尾まで Tel&Fax:03-3672-8473 e-mail:kamio@subtle-eng.com
※氏名、住所、電話、勤務先をご連絡ください
※定員:45名先着順

◆場所:きゅりあん 5階 第4講習室
 JR京浜東北線、東急大井町線大井町下車すぐLABIの奥になります (東京都品川区東大井5-18-1)

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コスモス・セラピー ’09前期授業の成果2

2009年07月28日 | 心の教育

 コスモス・セラピーの授業の効果は、感想を書いてもらうと、もちろん受けた人によっていろいろです。

 1は、「この授業を受けることによってあなたの世界観・人生観・価値観に肯定的変化がありましたか? 0から10までのスケールで答えてください」という設問に対する答えの数値です。
 2は、「授業全体への感想」
 3は、「自信のワークへの感想」です。

 前回は変化のスケールを10と書いた学生の感想を紹介しましたが、今回は続いて9の学生の感想です。


 3年女子

1 9
2 最初この授業どうなんだろうと思っていたんですが、本当に受けて良かったなと思います。おもしろかったし、自分の考え方が変わりました。
3 自分の持つ能力や長所いついて他者と比較するのではなく自分で思うものだということで、以前よりは自分に自信がついたと思います。


 2年女子

1……9
2……アイデンティティ・クライシスなど、様々なことがあったけれど、楽しかった。おもしろかった。
世界を見る目が、変わった気がする。

3……日、水、大地のフィーリングでペアを決める、という考え方がすごくいい!
 ペアがなかなか決まらないときの不安や、決まったときの感覚がすごく気持ちいい!
 自信のワークというよりも、実際に人と話すとき、共感的に聴くことや、相手の長所を探しながら聴いたり話したりすると、すごく会話が、より一層楽しくなったと思う。



 最初の学生の、「最初この授業どうなんだろうと思っていたんですが」という正直な感想、とても気に入っています。

 次の「アイデンティティ・クライシスなど、様々なことがあったけれど」という感想、アイデンティティが肯定的に変化するときにも揺らぎ・危機(クライシス)があることを示す典型的なケースです。




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コスモス・セラピー ’09前期授業の成果1

2009年07月26日 | 心の教育

 先週で前期の授業が2コマ終わり、来週もう一回ですべて終わります。

 夏休み、といってもこれから月末か能率しだいではもしかすると8月の第1週くらいまで採点のためまさに「忙殺」されます。

 しかし、次のような期末の感想文をもらうと、今回もやってよかったと思えます(予め匿名で公表することがあるという了承を得ています)。

 1は、「この授業を受けることによってあなたの世界観・人生観・価値観に肯定的変化がありましたか? 0から10までのスケールで答えてください」という設問に対する答えの数値です。
 2は、「授業全体への感想」
 3は、「自信のワークへの感想」です。


  3年男子

1.10

2.この授業を受け、宇宙的視野で物事を見るということが身につき、自分の人生観や日々の生活に対してのプラスの変化がありました。自分を軽く見たり、ネガティブになってしまうときに、この授業で学んだことを思い出して、気持ちを持ち直したりできるようになりました。

3.自分の長所を考えて、はじめは全然思いつかなかったのですが、先生の解説を聞き、判断力やら決断力やら、自分にはこんなにいいところがあったのだと思い、目からうろこでした。自分自身に対して、より肯定的に見られるようになり、大変自分にとってためになる時間でした。ありがとうございました。


  4年女子

1.10!!

2.人生の授業という感じがしました。前向きに生きていこうと感じました!

3.初めて会った人と人生観・価値観の話をするのはめったにないことで、初めは戸惑いましたが、自分とは異なる考えの人の意見を聞くことはとても勉強になりました。これもの先生のお陰ですね!ありがとうございました!!

  2年女子

 1.私は事実として宇宙に認められているということを知り、絶対的な価値があると思えた。この授業を受けるまでは、自分に価値が全くないとも思えないが、そんなに価値があるとも思えませんでした。しかし、今は自信をもって価値があると言えます。今の私は、10の評価ができます。

2.とても変わった授業でしたが、面白かったです。こんなに私の人生に希望をもたせてくれた授業は初めてでした。ぜひみんなにこの授業をすすめたいと思います。

3.自分の長所をほめられるのは少しテレくささが残りますが、素直に嬉しかったです。

 この授業を受けて本当に良かったです。ありがとうございました。



 コスモロジー教育=コスモス・セラピーの効果の報告として、もっとご紹介したいと思いますが、長くなるので、今日はここまでにします。




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トランスパーソナル心理学重版のお知らせ

2009年07月17日 | 心の教育

 しばらく品切れでご不自由をおかけしていましたが、先般、拙著『トランスパーソナル心理学』(青土社、本体2200円税別)が久しぶりに重版になりました。

 1990年の初版ですから、足かけ20年、出されては消えていく本の多い時代に、絶版にならず生き残ってきたことは、支えてくださった読者のみなさんのおかげです。

 お待ちくださっていた読者のみなさん、本当にお待たせしました。どうぞお買い求めください。



トランスパーソナル心理学
岡野 守也
青土社

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講座案内

2009年03月26日 | 心の教育

     サングラハ教育・心理研究所
     第29期オープンカレッジご案内



 現代の日本人は容易に「へこむ」「落ち込む」「折れる」「うつ」といったメンタルな問題を抱えがちです。社会が複雑になり、変化のテンポがあまりに速くなり、対処しなければならないことが多すぎることが大きな原因の一部であることは間違いありません。さらに追い討ちをかけるように、景気は悪化しつづけいっこうに回復の兆しが見えず、社会の安全・安心がますます揺らいできています。

 しかし、残念ながら嘆いていてもきびいしい環境は変わってくれません。一方では変えるための可能な努力をすること、もう一方ではそれに耐えうるメンタル・タフネスを身につけること、その2つだけが有効な対処法だと思われます。

 今期は、本格的なメンタル・タフネスを獲得するための有効なプログラムとして、いっそうヴァージョンアップしたコスモス・セラピーと前期に続く空思想の学びと坐禅を企画しました。みなさんのご参加をお待ちしております。

 なお、都合により、金曜講座を火曜講座に変更(会場は神楽坂ではなく参宮橋・不二禅堂です。おまちがえのないようご注意下さい)、木曜講座は従来どおり、神楽坂の講座は当分の間休止(今後の状況によっては中止)とさせていただきます。


 火曜講座:『金剛般若経』を読む・続

                            於 不二禅堂(小田急線参宮橋徒歩5分)
                            火曜日 18時30分~20時30分 全4回
                            4月①14日②28日 5月③12日④26日

 現代日本人の心の弱さ、つまりアイデンティティの脆弱性の大きな原因の一つは、伝統的な精神性すなわちアイデンティティの基盤であった大乗仏教の意味を見失っていることにあるのではないでしょうか。

日本人が、心の弱さ・病に対処療法的ではなく、病因そのものを取り除く対処をするには、今こそ大乗仏教を再発見する必要があると思われます。

 今期は前28期に続き、代表的な大乗仏典の一つ、『金剛般若経』(略して『金剛経』ともいわれる)を通して、大乗仏教の教えの基本を確認する学びを続けます。

テキスト『般若心経・金剛般若経』(ワイド版岩波文庫)

*講義の前に30分程度の坐禅を行ないます。坐禅のできる服装をご用意下さい。


 木曜講座:コスモス・セラピー 最新版

          於 サングラハ藤沢ミーティングルーム(JR、小田急藤沢徒歩3分)
           木曜日 18時45分~20時45分  全7回
           4月①23日 5月②7日③21日 6月④4日⑤18日 7月⑥9日⑦23日

 現代人の心の弱さの根本原因の一つが、近代科学の物質還元主義がもたらすニヒリズム―エゴイズム―快楽主義、つまり心の空しさ・頼りなさにあることは、繰り返し指摘してきたとおりです。

 当研究所主幹は、それに対して現代科学のコスモロジーを学ぶことが大きな治癒効果、メンタル・タフネスの強化をもたらすことを、ワークショップ、講義、大学の授業などを通して実践的に確認してきました。

 今期は、さらにヴァージョンアップしたコスモス・セラピーを提供し、ご一緒にさらなるメンタル・タフネスを獲得していきたいと願っています。


●受講料は、一回当たり、一般3千5百円、会員3千円、専業主婦・無職・フリーター2千円、学生1千円 それぞれに×回数分です。
 都合で毎回出席が難しい方は、単発受講も可能です。

●いずれも、申し込み、問い合わせはサングラハ教育・心理研究所・岡野へ、
 ・E-mail: okano@smgrh. gr. jp または ・Fax: 0466-86-1824で。
 住所・氏名・年齢・性別・職業・電話番号・メールアドレス(できるだけ自宅・携帯とも)を明記してください。



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