石造りの建物・貧しい農家:スウェーデン・フィンランド視察旅行4

2008年03月08日 | 持続可能な社会

 ストックホルムは、バルト海とメーラレン湖が運河で結ばれてできた14の島からなる水の都で、その美しさのために「バルト海の女王」と呼ばれているそうです。

 今回は雪がなかったので、写真で見たような北欧らしい冬景色も、緑と水のなす自然と融け合った都市の美しさも見ることができなかったのは、観光的な意味では少し残念でした。

 しかし長年にわたる中立政策のおかげで一度も戦禍にあうことなく、中世の姿をみごとにとどめた石造りの建物群はさすがヨーロッパという感じでした。

 もっと気候の良い時に行けたら、きっともっと美しい姿を見ることができたでしょう(たぶんまた行くことができそうです)。




                     王宮




                  12世紀・ストックホルムで一番古い教会




                   ノーベル記念館




                  中世そのままの雰囲気を残す裏通り



 しかし今回だけでも、旅行の目的はかなり達成できました。

 その1つは、ユールゴーデン島にあるスカンセン野外博物館に集められたスウェーデンの伝統的な建物群の中にある一つの藁葺き(?)の農家を見て、「ヨーロッパ北辺の貧しい農業国家だった」というフレーズの実感的な裏づけを得たことです。

 その建物は、それでも比較的豊かで使用人もいるほどの農家のものだということでしたが、素朴といえば素朴、とても貧しさを感じさせるものでした。

 室内は本当は撮影禁止で、小さな窓で薄暗い室内の粗末な家具などの様子が1枚しか撮れなかったので、感じがお伝えしきれませんが。

 かつて、スウェーデンの農民が「一日の食べ物はジャガイモ1個、それを家族で分け合って食べる」ような日もあった、というエピソードが実感的に「わかった」ような気がしました。

 貧しさに堪えかねて、なんと100万人以上国民がアメリカへ移住したといわれています(1850年の人口は350万人、1900年で500万人ですから、その割合のすごさがわかります)。





                   それでも比較的豊かだったという農家




                   小さくて暗い窓




                   暗い室内



                   粗末な板葺きの農家

   

 しかし、そうした貧しく悲惨な祖国の現状に絶望することなく、あえて踏みとどまって「この国をいい国にしよう、できる」と信じ働き続けた人々、特にリーダーたちがいたからこそ、今日の安全で安心で豊かな国があるわけです。

 希望・信念というものがいかに重要であるかがよくわかります。

 福祉国家スウェーデンの基礎を築いた最初期の指導者が、社会民主労働党党首であり、首相にもなったヤルマール・ブランティング(1860-1925)です。

 暴力革命によってソヴィエト・ロシアを造り上げたウラジミール・イリイチ・レーニン(1870-1924)と同時代人でありながら、まったく違う議会主義による変革を唱え、実行したことの賢明さ・有効性が、ソ連・東欧崩壊後の今になってようやくはっきりしてきた、という気がしています。

 予め旅行の日程には入っていなかったのを、あえてガイドさんに頼んで場所を確認してもらい、その銅像を見てきました。





     ストックホルム市議会の近くにあるブランティングと民衆の銅像




    ブランティングの肖像画(ウィキペディアより引用)



 そうしたきわめて優れた人材を生み出し、リーダーへと押し上げていくことのできたスウェーデンの優れた国民性の秘密を知りたい、というのが旅のいちばん大きな目的でした。

 まだ完全ではないにしても、その目的にもかなり迫ることができました。

 それについては、また書こうと思います。




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