「天体ショー」への違和感

2012年06月06日 | コスモロジー

 ここのところ、金冠日食、月食、金星の太陽面の通過など、○○年に一度という稀な天文現象があって、テレビなどのメディアが連日のように取り上げ、にぎわっています。

 私も、もちろん宇宙に関わる番組にはとても興味があるので、かなり見るのですが、毎回、「天体ショー」という表現には違和感を感じています。

 小さなことに目くじらを立てるようですが、「ショー」とはこちらに観客、向こうに舞台という分離があって行なわれるものであり、そこには明らかに人間が観客・お客さま、大自然がエンターテイナー・サービス業というものの見方の図式があると思われるからです。

 つまり、メディアから市民まで、まるでみごとに人間中心主義的な主客分離のデカルト的世界観で自然を見ており、またそのことをおそろしいほど自明化しているのではないでしょうか。

 しかし本当は、太陽との関係はそのエネルギーのおかげで私たちが生かしていただいているのであり、また、月が地球の周りを回っていてくれるおかげで地球の自転が安定して四季が順調にめぐって私たち生き物が安定して生きることができるのであって、人間と大自然は主客分離もしておらず人間が中心でもないのです。

 大自然と人間の関係は本来、お見せする―見てやるといったものではなく、恵みを与える―恵みをいただく、というものなのではないでしょうか。

 だとしたら本当は、そうした現象は、太陽系というシステム全体が、人間を含むすべての生き物が生きることのできるように、なぜか驚くほど精妙にできていることに改めて感嘆し、畏怖と感謝の念を抱く機会として捉えるのが正しいのではないか、と私は考えるのです。

 大学で、若者たちを相手に、そうした、日常生活の隅々まで浸透してしまっている近代科学の主客分離と分析によるばらばらコスモロジーのものの見方を批判し、現代科学のつながりコスモロジーのものの見方を伝えると、若者たちは深くうなづき、どんどん変わっていきます。

 昨日も学生の一人が、「自分は自分でないものによって自分であるというのはすばらしい名言だと思います。ここ3回ぐらい毎回の授業で先生に感動しています。先生のおかげで人生がかわるというのが少しずつ分かってきました。」と感想を書いてくれました。私も感動しています。

 メディアや市民のコスモロジーも、一日も早くつながりコスモロジーへと進化―変容―大転換を遂げてほしいものだ、と日々願いながら、これからも繰り返し語り続けていくつもりです。

 
コメント (4)
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