倫理性の崩壊が深刻化していると思う

2018年09月22日 | コスモロジー

 かつて、日本人の精神性の崩壊について書きました 1) 2) 3) 4) 5)。

 精神性・倫理性の崩壊はますます進んでいる・きわめて深刻化していると思わざるをえないことがまた起きました。

 文部科学省の次官他の汚職―辞任の事件です。

 「毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。/これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。」と書いたのは2007年1月でした。

 またかと言えばまたかですが、文部科学省の次官他というのが、深刻化していると思わされます。

 彼らこそ、日本の子どもたちに倫理を教えるための規準と模範を示すもっとも責任ある立場にある大人たちだったはずです。

 こういう事件を見聞きしていると、日本人の倫理性が、頂上から麓まで崩壊しつつあるのではないか、と深く憂慮せざるをえません。

 改めて、聖徳太子『十七条憲法』、特に第四条の精神とはみごとに真っ逆さまだと思わされます。

 「第四条 もろもろの貴族・官吏は、礼法を根本とせよ。そもそも民を治める根本は礼法にあるからである。上に礼法がなければ、下も秩序が調わない。下に礼法がなければ、かならず犯罪が起こる。こういうわけで、もろもろの官吏に礼法がある時は、社会秩序は乱れない。もろもろの民に礼法がある時は、国家はおのずから治まるのである。」

 そこに書いたコメントも再録しておきます。

 「集団の重要な地位にある人は、法を守ることは当然ですが、まずそれに先立つモラルやエチケットつまり「礼法」を守って、人間としてのいい生き方の模範を示す責任がある、というのです。

 人々を治める――これはもちろん支配・搾取・抑圧するという意味ではなく、穏やかに秩序を保って平和に幸福に暮らせるようにするという意味です――には、根本的に生き方の模範を示すことが必要なのです。

 上に立つ人が、エチケット、モラル、さらには法にまで違反するようでは、下の人々がちゃんとするはずがありません。

 上に立つ人のモラルが乱れていれば、下々は犯罪さえ犯すようになるのです。

 しかし上に立つ人が、法律遵守することは当然、それ以上に品格のある行動をして模範を示せば、人々も「ちゃんとした人間はああいうふうに生きるものなのだ」と、それに倣って秩序を守るようになる、というのです。

 そして人々がエチケットやモラルをちゃんと守るようになれば、まして法律を犯すようなことはなく、強制しなくても自然に国が平和になっていくのだ、と太子は言っています。

 まさにそのとおり、話としては当たり前の話ではないでしょうか。

 しかし、毎日のニュースを見聞きしていると、日本の上に立つ人たちの多くが、品性のないことをするだけでなく、法律を犯しているという事件がしきりに起こっています。昨日の新聞記事もそうでした。

 これでは、「十七条憲法」の精神と真っ逆さま、あまりにも美しくない国ではありませんか。

 一日も早く、第四条の当たり前の話・理念が、同時に当たり前の事・現実であるような国になってほしいものです、いや、したいものです、ぜひそうしましょう。

 そう思われませんか。」

 右傾化ではない日本人の精神性の再建・再構築(レコンストラクション)が切実に求められていると思われます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不安を感じていない時間を持つためには2

2018年09月22日 | メンタル・ヘルス

 考えなければ、悩まない。では、考えないためにはどうするか、というと……

 「覚めているけれど心が空っぽで何も考えていない」という意識状態になれるといいわけです。

 それが①を徹底したかたち、具体的には本格的な坐禅であることはいうまでもありません。

 当ブログでかつて「足の痛み・しびれは心配ありません:禅定の話 2」という記事を書きましたが、この記事は今でも多数の方に読んでいただいています。

 ちなみに、9月9日にはこの記事を中心に12404の記事を8259人が読んでくださいました。

 2005年8月20日にこのブログを始めてしばらくして、閲覧者数7千を超えてビックリしたことがありましたが、それ以来のうれしいビックリでした。

 その後も続けて、かなりの数の方が読んでくださっています。

 有難うございます。参考にしていただけて、とてもうれしいです。

 坐禅・瞑想をすると心が安らいでストレスが軽くなるのではないかという期待で、してみたいが「足の痛み・しびれが心配」で思い切ってやってみることができないという方や、始めてはみたが、やっぱり足の痛み・しびれがきつすぎて続けるのがつらい、続けられないという方が多いのでしょう。

 私の研究所の講座では、坐禅の場合も準備体操をして足の痛み・しびれが最小限になるようなご指導をしていますし、会場によって、イスでできる瞑想法もお伝えしていますので、「足の痛み・しびれが心配で」、ためらっておられる方、よろしければぜひお出かけください。

 しかし、とはいっても、心が空っぽ、さらには空(くう)というところまでいく本格的瞑想・坐禅はなかなか簡単にマスターすることは困難です。

 そこで、それよりは難易度は低いけれどもかなりの効果を期待できるのが、②にあたる数息観(呼吸を数えることに心を集中する瞑想)やマインドフルネス的瞑想(シンプルにただ呼吸を感じる瞑想)などで、こうした瞑想法もお伝えしています。

 どちらにしても、呼吸などに注意を集中できるようになると、その他の余計なことは考えない、つまり悩みを忘れている時間を作れるようになることはまちがいありません。

 もちろんどれも、それなりの練習は必要ですが、瞑想にストレス・不安の軽減の顕著な効果があること、いわばコストパフォーマンス=対労力効果は確実・十分であることは、いわゆる科学的なエビデンスによって保証されています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする