般若経典のエッセンスを語る40――身分差別のない社会を目指す

2021年10月15日 | 仏教・宗教

 第十願は、「金沙布地の願」で、汚い泥や石や茨などばかりの国土を、国中が砂金のような宝に満ちたすばらしい国土にしたいというのである。

 それから第十一願は、人々が貪欲・無明によって悪業をなすことに執着していることから遠く離れさせてやりたいという「遠離恋著悪業の願」である。

 この二つは、内容的には第九願までの補足のようなものなので、簡略に紹介するだけにしておこう。

 

 全三十一願のなかでも特筆すべきだと思うものの一つが、次の第十二願「無四種色類貴賎差別の願」である。人々が四種類に分けられ貴賤の差別がなされている状態をなくしてしまいたいというのである。

 古代のインドに四種類の貴賎の別があったことは、一般常識としても例えば世界史の教科書などに語られているとおりである。まず宗教者階級のバラモン、次に武士・貴族階級のクシャトリア、さらに平民階級のヴァイシャ、そして四番目に奴隷階級スードラである。インドでは今でも、もっと細かく分かれた、きわめて多くのカーストがあるという。

 人間には身分の貴賤・差別があるという考えは、ブッダから二千五百年、大乗仏教から二千年を経ても、なかなか人類の共通意識にならないほど強固なものである。

 「自由・平等・友愛」の実現を目指してきたはずのフランスでもアメリカでも、貧困と差別を撤廃するはずだった社会主義国でも、依然として平等は実現していないどころか、むしろ格差が深刻化しているようである。

 平等が実現せず差別・格差があり続けるのは、なぜか。それは、分別知・無明があるからだと大乗仏教は主張する。

 人が自分と他人とを分けると、当然のように違いを見て、比較することになる。比較すると、上か下か同じかという価値の差別が始まる。そして、人間は他者と別れた自分(たち)を中心視し、自分(たち)のほうが上だと思いたくなる。そうした心理をスタートとして、社会のなかで競争さらには闘争が行なわれ、その結末として、勝者が上、敗者が下という身分の上下が固定化されていく。

 般若経典に、そこまでのプロセス全体が詳しく述べられているわけではないが、語られている内容を敷衍するとそうなる、と筆者は考えている。

 そうした差別のある社会の現状に対し、菩薩はそれを見て「このような四種類の貴賎の差別をなくしたい・必ずなくす」と誓い願うのである。

 この願には、大乗仏教の目指すところがいわばユートピア・平等世界であることがはっきり出ている。だとしたら、大乗仏教を志す人は、完璧に平等社会を目指さなければならない。仏教徒であると言いながら、社会にある差別を容認したり、まして積極的に肯定するということは、大乗仏教としてはほんとうはありえないことである。

 そして差別をなくすためには、まずその源泉である無明・分別知をなくさなければならない。

 毒のある草に喩えると、根を掘り出さないまま、葉だけむしっても、しばらくするとまた葉が伸びはじめる。時によっては、危機を感じ取った草はむしる前よりも強く繁りはじめたりすることもある。

 分別知の問題を無視したまま、あるいはそれに気づかないまま、現象としての差別・格差に反対し、なくそうというヒューマニズム的な運動が、繰り返し挫折したり、腐敗したりするのは、悲しいことだが当然ではないか、と筆者は考える。

 まず自らが六波羅蜜を修行し、そしてその六波羅蜜を教えて、人々を精神的に成熟させる。そして精神的に成熟した仏国土を美しく創りあげ、速やかに完成させる。一刻も早くこの上なく正しい覚りを実際に覚る。そうして、「我が仏国土の中にはこのような四種類の貴賎の差別がなく、一切の有情が同じ階級であってみな尊い人間という生存形態に含まれるようにしよう」と。

 ところで、「平等」は、ヒューマニズムの理想であり、とりわけフランス革命の標語だと思っている人が多いのではないだろうか。

 しかし、実は「平等」という言葉はもともとは仏教用語なのである。西洋思想を輸入した明治の知識人は仏教の知識もかなりあり、equality、フランス語でégalitéを訳す時、仏教用語の「平等」を当てたということらしい。

 そういう意味では、本来の「平等」とは、むしろゴータマ・ブッダ-大乗仏教の「すべての人に階級がなくなり、すべての人が尊い人間になる」という理想を語る言葉である。

 しかし歴史上の仏教は、しばしばこの「平等」という理想を見失って、身分制の社会を肯定するイデオロギーと化したり、仏教内部でさえも僧侶たちに階級があり、いわば身分の差別があった(ある?)ようだ。

 しかし、それは言うまでもなく、『大般若経』で語られている「平等」という大乗仏教の理想に反している。

 繰り返せば、大乗の菩薩は人々がまったく平等な社会・仏国土の建設を目指しているのである。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする