「近代」または「近代化」は、西洋から始まったことです。
これまでお話ししてきたとおり、日本は西洋に遅れて、明治維新の文明開化と敗戦によるアメリカ化の2段階を経て、いやおうなしに「近代化」してきた、あるいはさせられてきたわけです。
半ば(あるいはそれ以上?)強制的だったという問題をいったん置くと、近代化にはもちろんたくさんのプラス面がありました。
このプラス面のことばかりいっていれば、「進歩派」知識人と見なされて、進歩派のみなさんには受けがいいのですが……。
しかし、これまでお話してきたとおり、近代的なコスモロジーには根本的な欠陥があります。
さらにしかし、近代には非常に優れた面がたくさんあるわけで、私たちは驚くほどの質量で近代化の恩恵をこうむっています。
そこをいわないと、公平を欠くことになりますし、そもそも先に進めないと思います。
私のいいたいことは、「昔はよかった。昔へ帰ろう」ということではありません。
伝統のいいところと近代のいいところのどちらも失うことなく、それぞれの悪いところは超えていく、という離れ業をなんとかやってみたいということです。
さて、近代のどこが優れているのか、私の知るかぎりもっとも整理された論を展開しておられるのは、富永健一氏です(『日本の近代化と社会変動』、『近代化の理論』、『マックス・ウェーバーとアジアの近代化』〔いずれも講談社学術文庫〕)。
富永氏の説を拝借して、まとめておきましょう(『近代化の理論』、特にp.35)。
①まず、技術的経済的領域の、特に技術面では、人力・畜力から機械力へという動力革命が行なわれました。それは、さらに情報革命にまで発展してきています。
これは、労働が効率的になる、便利になるという意味では、圧倒的にプラスです。
さらに富永氏は指摘しておられませんが、技術の中でも特に「医療技術」の発達を挙げておく必要があると思います。
病気の克服は、人類の長年の夢だったのですから、これもまた近代のすばらしい成果です。
経済では、第一次産業から第二次・第三次産業へと比重が移り、自給自足経済から市場的交換経済(資本主義)へと発展してきました。
これは、産業化→社会の生産力の飛躍的な向上→貧困の克服という意味では、議論の余地なくプラスです。
しかし、「貧困の克服」がなされているのは、先進国のみであり、また市場的交換経済=資本主義的生産様式がはたして有限の地球環境と調和するのかという点については、根本的に疑問がありますが、ここでは話の流れからややそれるので、置いておくことにしましょう(拙稿『自然成長型文明に向けて』参照)。
②政治的領域では、法が伝統法から近代法へと発展し、政治では、封建制が近代国民国家へ、専制主義が民主主義へと発展しました。おおまかにいえば、「市民革命」の成果です。
個々人が多くの不合理な制約から自由になったという意味で、これもまた私たちが享受していて、決して後戻りできない、したくない、してはならない近代の大成果です。
③社会的領域では、社会集団は、家父長制家族から核家族へ、機能的未分化な集団から機能集団(組織)へと変化していきます。それと並行して、地域社会は村落共同体から近代都市へと「都市化」を遂げていきます。
社会階層に関しては、身動きのつかない身分階層から自由・平等で努力しだいで移動が可能な社会階層になっていきます。
抑圧的で硬直的な身分制から、自由・平等な社会になったことは、誰が考えてもすばらしい「進歩」です。私も、この点に関して、前近代の身分制がよかったとか、それに帰ろうなどとは夢にも考えていません。
富永氏は、「核家族化」と「都市化」も含め、近代のほとんどを肯定しておられるようです(「私自身は近代主義者ですから、近代が終焉すべきであるとか、近代は超克されなければならないなどとは毛頭考えません。」前掲書p.468)。
これも詳しく論じることはしませんが、私は、大家族から核家族へ、村落共同体から都市へという方向にも、単純に肯定できないものを感じています。
しかし、私たちの多くが戦後、体験してきたとおり、大家族から核家族へ、村から都市へという流れを通じて、個人が多くのしがらみから解放されて、とても気楽に生きられるようになったという面があるのは確かです。
④文化的領域では、まず社会の主流の知識が神学的・形而上学的なものから実証主義的なものへと大変動を遂げます。「科学革命」と呼ばれるものです。
それから価値に関する面では、「宗教改革」と「啓蒙主義」をとおして、非合理主義から合理主義へという、大きな変動・進歩がありました。
もちろん、神学から実証主義へ、非合理主義から合理主義という変動は、ある面、大きな進歩・発展だったと思います。
私は、トランスパーソナル心理学、仏教、宗教について論じることが多いので、しばしば印象だけで、実証主義から神学・伝統宗教へ、合理主義から非合理主義へという「反動的」なことを主張しているかのように誤解されることがあります。
しかし、以上まとめた「近代化」の成果の主な部分に関して、私は大変な成果であり進歩であると考えています。
そして、プラス面に関しては、「決して後戻りしてはならない、できない。それどころか、まだ不十分なところはさらに進めなければならない」と考えています。
そういう意味で、近代を全面的に肯定する「近代主義者」ではありませんが、近代の成果は十分に評価しているつもりなのです。
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さて、ちょっと論調が替わって、近代の肯定的な側面とのこと、これはぼくらの生きている常識で、学校で教わってきた「表のプログラム」なので違和感なく納得できました。
たしかに近代の達成がなければ、こうしてブログで自由に意見を発信したりみたりできないわけですし、技術的発展がなければパソコンやネット自体が存在しないわけです。
そうした自分たちの享受している達成を否定することはできないわけですね。
「右」から「左」(その区別自体が硬直的な感じがしますが)へ論題が180度という感じでめまぐるしいですが、講義が一貫していることはよくわかります。
どんなダイナミックな展開があるかとても楽しみにしております。
一瞬で世界とコミュニケーションが取れるインターネット、現代科学から読み取れる新しい世界観。
しかしながら、この技術手段をどう使うかは、我々に託されているですね。